第140話 食いしん坊な女神
「…………」
ラルヴィアはゆっくりと起き上がり、床に座った姿勢のまま上体を起こす。
マイペースにあくびまですると、ようやく周りを見回しはじめた。
そこでようやく、自分が敵地のど真ん中にいることに気が付い───ていないらしい。
俺たちの顔とそれジレの微妙な表情を認識しても、焦る様子はなく悠々と腕を伸ばしていたりする。
「おはようございます。私の名は選定神ラルヴィア。世の善悪を取り決める選定の神です」
「あ、そうか……。えーと、俺は枷月葵だ」
「枷月、葵……。見たところ人間のようですが、ところで食べ物は持っていますか?」
「は? 食べ物?」
ぽかんと口を開ける俺の表情に違和感を覚えたのか、ラルヴィアも俯き考え始める。
その末に何かに思い至ったらしい。ハッと目を見開き、淡々とした口調のまま続けた。
「選定神の名において宣言します。私はお腹が空きました。食べ物を捧げなさい」
「えぇ……」
ラルヴィアが食べ物を求める理由が分からず困惑していた、そんなふうに見えたのだろうか。
ご丁寧に空腹であることを宣言し、再度ハッキリと「食べ物を寄越せ」と言ってきた。
流石の俺も困る。
この状況を助けてくれそうな人は───
とりあえず、困った時の我が妹。
兄として情けないことこの上ないのだが、背に腹は──目を逸らされた。
魔王様、こういうことは不得手か。ならば仕方ない。
長年を生きたその知恵を活かして貰うべく、今度はルリだ。……と、雫同様に目を逸らされてしまう。
「なんかめんどくさそうなのでノータッチで」とでも言いたげな対応だ。流石は魔王様に始まりの獣、関わってはいけないものをよく分かっておられる。
となれば、俺の最後の砦。
魔王へ絶対の敬意を持ち、その兄である俺でさえ命を賭して守ってくれた、魔王軍の総帥。
助けを乞うように、俺は彼に視線を向けるも───
「っ…………」
「申し訳ありません」とでも言いたげな悔しい表情と共に、見事なまでに目を逸らされてしまう。最初の一言だけで彼女の面倒臭さを理解したわけだ。
───天使以上の強敵の可能性、か。
先程殺し合っていた相手に負けて、敵地のど真ん中で強者に囲まれている状況。
普通に考えて、そんな状況で図太く欠伸ができるわけがないし、食べ物の要求を──しかも上から目線で──できるなど、非常識の権化のようなものである。
「え? 魔王様方、どうしたのですか?」
しかし、ここにその驚異に気付いていない魔族が1人。
消去法的にロザリアなのだが、彼女は魔王や始まりの獣、総帥が目を逸らしてる理由が分からず、残念なことに俺と目が合ってしまう。
「え? え? なんですか?」と、状況を未だ理解していなさそうな彼女に、俺は一言。
「ロザリアさん、食べ物を持っていたら頂けますか?」
と。
「え? ありますけど……。今から取り出しますので、少々お待ちください」
それに対する彼女の答えは、快諾。
彼女らにとって、俺は頼まれれば断るのが難しい相手だろう。だからこそ、総帥はそもそも頼まれないように立ち回ったわけだ。
普段は魔力糸を貯蓄している空間魔法から、ロザリアが焼き菓子をいくつか取り出す。容量の少ない彼女の空間だが、携帯食料程度は詰めていた。
携帯食料と言って焼き菓子──少しオシャレなものだ──が出てくるのは彼女の可愛らしさなのだが、今は誰もそれに気を取られることはない。
ラルヴィアの視線が、空間魔法から食べ物を取り出すロザリアにロックされている。肉食獣のようで恐ろしい。
皆、心中に思うことはほとんど同じ。
「すごいな、ロザリア」「……私には真似できない、凄すぎる……」「それでこそ、魔王様に仕える者として相応しい」と。これから起こるであろう悲劇への憐憫ではなく、激励と称賛を抱いている。
ただ、そんな周りの気持ちなどロザリアが知る由もなく。
空間魔法から取り出された焼き菓子たちは、葵を中継してラルヴィアに与えられていく。
目を輝かせ、焼き菓子を受け取るラルヴィアは…………子供のようだった、と表現しておこう。
ちなみに、陽里はメイのことを甲斐甲斐しく(わざとらしく)世話していた。
「私はメイを見てるから、そっちは任せたわよ」と言いたげな態度で。
実際メイのことを任せる状態になってしまった以上、ラルヴィアのことは頼れなかった。
陽里の作戦勝ちである。
・ ・ ・
「あ、あの……葵様……? いえ、ラルヴィアさん……? もう無いのですが……」
ロザリアの焼き菓子をラルヴィアに渡すと、彼女はそれを勢いよく食べ始めた。
しかし、リスなどという可愛い比喩はできるはずがない。どちらかといえば、獲物を捕食する肉食獣に近いだろう。
「……もう無いのですか?」
「無いのは確かですが……結構食べられました、よね……?」
嫌な予感というのは、得てしてよく当たるものだ。
案の定、選定神ラルヴィアの食への執着は凄まじいものだった。
ロザリアの空間魔法から次々と取り出される焼き菓子を、一瞬でぺろりと平らげてしまった。携帯食料と言ってもかなりの量で、俺であれば3日くらいは生活できていたに違いない。
ラテラが食いしん坊だったのか? と思ったものの、この板についた食いしん坊ムーブは容易にできるものではない。この女神の性が、元より食いしん坊だったというだけだ。
それほど食べても尚、彼女は食べ物を要求してくる。ロザリアの在庫は空で、困ったように魔王たちを見るも、誰も手助けをする様子はない。
その理由も単純なもので、ラルヴィアはロザリアに懐いてしまったのだ。”食べ物をくれる人”として認識したのか、飼い犬のようにべったりである。
魔王様も、始まりの獣も、魔王軍総帥も、勇者も、誰もああはなりたくない。吃驚するほどの食物を要求してくる女神のお世話係になど、なりたくない。
故に、食べ物を取り出すことはしないのだ。ラルヴィアがロザリアに懐いているならばそれでOK。下手に手出しはしまい。
困った様子のロザリアに、俺はサムズアップ。頑張ってくれ、と激励しておいた。
「そんなぁ……」みたいな表情になるが、気にしない。前に進むには尊い犠牲も必要だった。
「そうですか。まだ空腹は満たされませんが、どうと言うならば仕方ありません」
「……助かりました…………」
なぜ上から目線なのかは不明だが、兎に角今は満足して頂けたらしい。
腹も満たされて話を聞く気になったのか、ラルヴィアはようやく俺たちに向き直った。
「それで、ここはどこでしょう?」
「ここは、コリンと呼ばれる魔族の街です」
食べ物を貰っただけでなく、更に図々しくも質問を投げかけてくるラルヴィア。
それに気前よく答えるのはロザリアだ。もうお世話係就任で良いのではないだろうか。
「……コリン? 聞き覚えのない街の名前です。偽りはなく?」
「はい、本当のことです。それよりも、私たちから聞きたいことがあるのですが……」
考え込むような素振りは見せないラルヴィアだが、ロザリアの話への回答には少しのラグがあった。
答えるか答えないか、を考えているのだろうが、そうというよりは気分で決めているようにも見える。
「……分かりました。先程の礼として、選定神の名において答えましょう」
「ふむ、それは結構なことだ。では問おう、貴様は何者だ?」
質問をするのは雫だ。
ロザリアが許可を取ったのだから、その上司ともいえる魔王も良いだろうと質問をする。
ラルヴィアとしても誰に質問されても良いようで、快く答える。
「それは答えたとおり。私はラルヴィア。世の善悪を判別する、選定の神」
「ほう? 女神ベールとの関係は?」
「……女神ベール? 私はその神を知りません。何を司る神なのですか?」
「ふむ……」
嘘をついている様子ではない。
まるで、本当に女神ベールを知らないとでも言いたげだ──というより、知らないのだろう。
となると───
「ラルヴィアは封印でもされていたのか?」
「よく知っていましたね。つい先程まで封印されていましたが……それが何か?」
「ああ。多分、その封印を解いたのが女神ベールだ」
「なるほど、そういうことですか」
封印されていたことにも無頓着な上、解放してくれた相手にも興味はない。
本当に自分勝手で悠々自適に生きているように感じた。
と思ったのも束の間、どうやら全く無頓着なわけではないらしい。
少し、ほんの少しではあるが、彼女は表情を歪める。
「……となると、女神ベールは私の敵ですね」
そして、そんなことを言い放った。