第138話 天使と悪魔
「──大罪の力」
俺を忌々しく見つめながら、天使は小さく呟く。
たいてい無表情──あるとしても驚きの表情くらいだった天使にしては、異様なことだ。反射で表情が変わることはあっても、感情から表情を変えたのは初めてだった。
”大罪”は<暴食>を表しているのだろうことは理解できる。
七つの原罪──この世界では九の冠者が持つ称号のようなものだ。
尤も、他の冠者に会ったことはないのだが。
───……なんでこんなこと知ってるんだ?
だんだん、ベルゼブブの持っていた知識が融合して来ているというか……。契約にそんな力はないはずなのだが、知らないはずの知識が増えていたりする。
なにか害があるわけではないので良いのだが、少し不気味に感じるのも事実だ。
「なぜ───大罪──それ────」
ボソボソと呟くように言っているせいで、聞こえてくる言葉は途切れ途切れのものだ。
ただ、少し考え込むような素振りを見せたあと解決したのか、再び翡翠の瞳で俺を見据える。
その眼には、明確な敵意が宿っていた。
「────」
そうして放たれる、光線。
天使の周りに3つの光球が浮かび始めたかと思うと、それらは光線と化して俺に迫る。
「<■■■>」
同時に射たれたそれらを、俺はスキルで防ぐ───いや、喰らう。
右手を前に出せば、その先の空間に割れるような亀裂が出来る。そこに出来た穴は暗く──まさに深淵に繋がっているようだ。
3つの光線は<■■■>にて作られた亀裂に入っていく。
光線が<■■■>を貫通することはなく、突如として消滅したかのように亀裂より先に進むことはなかった。異空間に飛ばされているように見えるが、実際には俺の中で魔力に変換されている。
<魔力超過>の効果もあって、飢えていた魔力の貯蓄が満たされていく。それほどの魔力が込められた一撃であったことの証明でもあった。
「人の身で──を─────を覚悟すべき」
「<暴食・月詠華宵>」
またもや光球を作り出そうとする天使だが、その間を待つ俺ではない。
今度は俺から打って出ようと、<暴食>にて強化された魔法を使った。
闇属性第5階級魔法<月詠華宵>。<火愚鎚炎>の闇バージョンとも言えるもので、つまり攻撃魔法だ。
魔力で作られた不可視の腕が、天使に向かって伸びる。魔法陣は見えるため、流石の天使も警戒はしているようだ。
魔力を感知する能力があれば、不可視の腕であれ対応できるだろう。
しかし、魔力を感知しながら自分に向かってくる腕を正確に避けるのは中々難しい。それも、暴食で強化されたおかげで3本の腕だ。
更に、彼女は今光球の生成にもリソースを割いている。
回避に全力を注げないのもより困難な点であった。
<月詠華宵>は、魈面、右、左と、彼女を囲むように向かっていく。
高い魔力感知のスキルを持っている天使だ。万全の状態であれば空を大きく飛んで避けるのだが、今はそこまでの出力はない。
左右から向かってくる不可視の腕を、天使は上に跳ぶことで回避。その軽やかさは見事なもので、実際に見えているかのように上手く避けてみせた。
だが、その行動を予測していたかのように、正面の腕は跳んだ天使を追ってきている。
「───ぐぅっ」
そのまま<月詠華宵>は彼女の足首を掴む。
とはいえ、属性として実体を持たない闇魔法だ。力のまま天使を振り回すことなど出来はしない。
<月詠華宵>にて作られた腕には、触れている対象に負のエネルギーを流入する効果がある。負のエネルギーなんていうと抽象的だが──例えば植物にこのエネルギーを送りこめば枯らす事ができるような力、と言えば分かりやすいかもしれない。
要するに、毒のような継続ダメージを与える。毒と違うのは、所謂状態異常ではないために無効化されないところにあった。
非実体な闇属性魔法の腕に掴まれていること自体に、天使が感じることは何もないだろう。「ちょっとくすぐったいな」くらいは感じているかもしれないが、その程度だ。
それでも彼女が苦しそうなのは、負のエネルギーを流し込まれているためである。第5階級なこともあり、洒落にならないダメージだ。
「────ッ!」
それに耐えかねたか、生成していた光球から光線が放たれる。目標は足を掴む<月詠華宵>だ。
非実体とはいえ、魔力で出来ている以上、魔法攻撃の影響は受ける。圧倒的な火力を持った光線によって、細い腕状の<月詠華宵>は為す術なく消滅していった。
「<暴食・火愚鎚炎>」
俺は続けて魔法を使う。
<月詠華宵>に対処されたのならば、相手に隙を与えずどんどんと様々な魔法攻撃を仕掛けてみれば良い。
相手の魔力が枯渇するかは分からないが、俺には魔力回収手段もある。ジリ貧になって有利になるのは俺だ。
それに、いつか天使がミスをすれば大打撃となる。それを待つのも良い。
───と思わせるための連続使用。
実際、<火愚鎚炎>は目くらましのために使った。
俺は直後に走り出し、天使へと接近していく。
「──天の翼よ」
連続攻撃、目くらまし───そのどちらにせよ、天使としては防御に出ざるを得ない。
彼女の持つ翼が包み込むようにして、防御を計る。天使魔法、<天織護>だ。
かなりの防御力を持つ<天織護>。結界の類でも、条件が揃えば最強クラスだ。
例え階級が下であっても、<火愚鎚炎>は<天織護>にて防がれてしまう。1匹だけでもド派手な炎の龍だが、3匹いることでかなり激しい。
「───<天ノ────っ!?」
天使としては、魔法による連続攻撃によるジリ貧狙いを俺がしてくると思っていたのだろう。
知能があるからこそ思考し、それへの対処を試みた。
防いだ直後に、魔法にて反撃だ。<天織護>が簡単なこともあり、発動直後から光槍は生成していたに違いない。
だからこそ、その意表を突いて俺は接近していた。
使おうとした<天ノ聖槍>は、標的を捕捉できずに不発となる。魔力だけが虚しく霧散し、黄金の魔法陣も崩れていく。
「……<■■■>」
<火愚鎚炎>の派手さの死角──天使の翼で丁度隠れていた右下から、俺は現れる。
それに気付いた彼女は飛び退こうと地面を蹴るが、それでは間に合わない。
暴食の権能が、容赦なく振るわれた。
彼女自身のステータスの高さのおかげで直撃は免れたが、それでもスキルの使われた場所──右翼は消滅している。
魔力ごと喰らうスキルだ。魔力が大部分を占めるこの世界では、魔力がゼロになればその形を保っておられず、消滅する。
残虐なこともなく、まるではじめからなかったかのように、それは消滅していた。辛うじて本体に当たっていないことだけが救いだろうが、天使は痛みに顔を少し歪めているに見える。
「なぜ──人の身で、悪魔と契約していない身でその力を使いこなせる──?」
「何を────?」
「それは、人の身には過ぎた力。あなたが持つには────」
そこで急に言葉が途切れる。
何が? と思い天使を見れば、苦痛など忘れているかのように表情は驚きで染まっていた。
それも、「ありえないものを見た」とでも言いたげな表情だ。ただ、視線は明後日の方を向いているのが怖い。
「あなたは……その力を持ってはいけない」
そんな俺の気持ちなど知らないのだろう、天使は続けた。
「あまりにも危険。規律に反するとかではなく、個が持つには強大すぎる」
「規律?」と思ったが、天の使いと書いて天使だ。なにかこの世界に関するルールでもあるのかもしれないと無理に納得した。
「あなたは何なの? どうやってそこに辿り着いたの?」
「どうやって……? 何を言っているんだ?」
「そう、答える気がないならそれで良い。あなたを壊す」
「急────だなッ!?」
独りよがりに話し始めたと思えば、今度は凄まじい量の魔力が彼女に集い始めた。
その魔力量を上手く表す言葉は思いつかない。比喩するならば、雑に魔力をぶつけるだけでも山1つくらい消滅させられそうなほど──だろうか。
───少しヤバいか?
こんなことなら喋っている間にトドメを刺せばよかったと後悔する。が、後悔先に立たず。今更どうしようもない。
「兄さん────!!」
逃げ出したい気持ちがまた強くなってくるも、そうはいかない。
後ろから聞こえる妹の声。それが背中を押してくれる。
集う魔力は加速度的に大きくなる。大気の震えを肌で実感できるほどだ。
「<世界庭園・光照大地>」
やがて、これ以上ないほどに魔力が集ったかと思えば、彼女はスキルを発動する。
大した時間は要していない。俺が気を取られているうちに気がつけば準備は完了していた。
収束していた魔力が、ゆっくりと発散し始める。それらの結合が解かれたかのように、ゆっくりと、莫大なエネルギーと共に外部へと放出され始めた。
輝かしい光が辺りを覆う。光の粒子として目に見える形で現れる魔力だが、見えたところで逃げ道はない。
一帯を埋め尽くす光自体が、天使の攻撃なのだ。
「……<■■■>ッ!!!」
魔力によって作られた”光”は、同時に膨大な熱エネルギーを孕んでいる。
光に当てられた部位が、熱い。炎魔法とは毛色が違った、焼けるような熱さだ。
咄嗟にそれらを喰らわんと<■■■>を使うが、範囲の広さから、全てを喰らうことは不可能だ。
全方位に満遍なく放たれる一撃は、たとえどれだけ喰らおうと絶え間なく放たれ続ける。
───流石にキツい、な……。
俺一人で抑え込むのは厳しいか──と思ったその時。
「───え?」
彼女の使ったスキル、<世界庭園・光照大地>が突如として消滅した。
それはもう、なんの前触れもなく。
天使にとっても予想外のことだったのか、素っ頓狂な声を出している。
当然、俺にも状況は理解できない。
ただ、このチャンスを逃せば次は無い。
「<■■■>ッ!!!」
俺は困惑する天使に躊躇なくスキルを使う。
本体を狙い、彼女自身を喰らいつくすべく<■■■>は魔力を喰らった。
「───ぁ……」
今度は避けられることなく、<■■■>は天使に直撃した。
その全てを喰らわんと勢いを増す暴食の権能に、彼女の抵抗は意味を為さない。
そんなことは彼女自身も分かっているのだろう。抵抗する様子もなく、諦めたように──すべてを察したように。
先程まで明後日の方を向いていた視線も、今度は俺を捉えている。
「──ぁぁ……、器の子、か。あなたは───えぇ、見事だった。人の身で、よく私の力に抗った。その、褒美を──そして、責任を……。私の枠を、残しておくように───頼もう」
「────?」
わけの分からない言葉を羅列され、俺の頭は疑問符でいっぱいだ。
その様子を見た天使は「ふふっ」と軽く笑みを零す。初めての笑顔──不覚にも美しいと感じてしまった。
「何も分からなくていい。いつか、分かるから──その時まで…………、ね」
曖昧な言葉だけを残して、天使は消滅していく。
不思議な人間らしさと共に、天使は全て<■■■>に喰らわれた。
こうして、内乱──及びその他トラブルは終幕を迎えるのである。
◆ ◆ ◆
ほんの少しだけ、時を遡る。
『やあ、天使様』
飄々とした態度で現れた悪魔に、天使は驚きの表情を浮かべた。
契約していない人間だったからだ。冠者レベルの悪魔が顕現していることが不可解に感じたのだ。
ただ、何より───
「あなたは……その力を持ってはいけない」
『そんな酷いことを言わないでくれ。私たち悪魔はね、君たち天使の定める規律に従うような種族じゃない、知ってただろ?』
──その悪魔が身に秘めている力のほうが、彼女に驚きを与えていた。
それは、生物の規格である存在が持って良いレベルのものではなかったのだ。
「あまりにも危険。規律に反するとかではなく、個が持つには強大すぎる」
『私はそんな御託には興味がないよ』
やはり、忌々しい。
世界の均衡さえ「娯楽」と言い切る図々しさに、苛立ちを隠せなかった。
『ああ、少し話は変わるんだけどね。君の記憶、欠陥してないかな?』
「あなたは何なの? どうやってそこに辿り着いたの?」
その隙を与えたからか、今度は悪魔が話を切り出す。
語られるのは自分のことだ。本来、「ベールに作られたもの」である自分の本質を突いてきた。
『自分自身で気付いているんだろう? 女神ベールに作られた程度の君が、なぜそんな力──そんな記憶を持っているのか。そりゃあ、私は知ってるよ。世界のことなら何でも知っているから』
「そう、答える気がないならそれで良い。あなたを壊す」
『壊す──? 壊すってどういう────あぁ、そういうこと』
『なるほどね』と悠長な様子の悪魔に不気味さを覚えつつも、天使はその迷いを振り払ってスキルを発動する。
「<世界庭園・光照大地>」
収束した莫大な量のエネルギーが、悪魔の前で発散し始めた。
光という性質を持って、非実体の悪魔に襲いかかる一撃に、容赦はない。範囲が広いこともあり、周りにも影響を与えるが、そんなのは天使の知ったことではなかった。
悪魔の力を使う少年が抑え込もうとするが、無駄だ。
局所的な対策でどうにかなるようなスキルではない。そして、その根源に影響を与えるには彼は弱すぎる。
『駄目だよ、そんな危ないスキルを使ったら』
スキルが突然消滅した。
<世界庭園・光照大地>───肥大化し続け、やがて小世界レベルなら破壊できるようなスキルが、なんの前触れもなく消えたのだ。
「───なに?」
と疑問の声を漏らすも、すべてを理解できている。
原因である悪魔に視線を向ければ、わざとらしく舌なめずりをされるだけ。「美味しかったよ」と言わんばかりの表情で、天使を見つめていた。
忌々しいことこの上ないが、力不足と言われればそのとおりでしかない。実際、天使の──は──────のだから。
「───ぁ……」
そんなことに気を取られているうちに、少年が天使に暴食の権能を振るう。
劣化版とはいえ、力自体は恐ろしいものだ。今の彼女に抵抗できるはずはなく、身体は消滅の一途を辿る。
「私の枠を、残しておくように───頼もう」
しかし、タダで死んでやるものか。
最後に悪魔への嫌がらせは忘れない。
一瞥すれば、心底嫌そうな表情を浮かべる暴食。ざまぁみろってやつだ。
一先ず、こんなもんで良いか、と。
タイムリミットも迫った天使は完全に消滅する。
最後ばかり、人らしい行動を残していったのは別として。ベルゼブブにとっても、意外な邂逅であった。
『記憶の欠損、ね。それが無い君は、もっと強いはずだろうに───』
そんなベルゼブブの独り言だけが、場には虚しく響いた。
体調不良で寝込んでいたせいで、起きたら朝の4時でした。昨日更新するつもりでしたが遅れてすいません。
さて、最近続いていた内乱編の戦闘ラッシュも終わり、内乱編もあと数話で終わりとなります。
そして次の章が終われば終章です。最後まで是非お願いします。