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第137話 決意

 助けに行くと決めて、戻ってきた今でも。

 やはり、あの天使には底知れない恐怖を抱く。


 まるで、心臓を鷲掴みされているかのように。彼女が俺の生殺与奪の権利を握っているのだと、錯覚している。



 目の前に広がる光景。

 膝をつく雫に、駆け寄るロザリア。

 総帥とルリも疲労が見えていて、全員が満身創痍な状態だ。



───助けに行かないと…………



 そう思っても、脚は中々動かない。

 魔王軍の強者たちを倒す存在を前に、自分如きが何か出来るのか。

 そんな疑問が、俺を足止めする。


 雫との戦いで消耗していた天使は、足踏みしている間に体勢を立て直している。

 本来であればそれをチャンスと出来たのだろうが──この場にそんな余力がある者は居ない。



───俺が…………



 行かないと。


 天使はゆっくりと、両腕を広げて構え直す。

 再び魔力が彼女の胸に集まり──光球を形成していく。



 今助けないと、皆が───。


 そんなことは分かっている。

 それでも、怖い。恐い。怖くてどうしようもないのだ。


 全身は震えているし、呼吸は早い。冷や汗も止まる気配がない。

 多分、人の身である以上、陽里もそうだったようにこの恐怖からは抜け出せない。”人族”という種族が、彼女を恐怖の象徴と捉えてしまう。



 魔力が、光球に収束していく。



 神々しい光が辺りを照らし始め、全員がその眩しさに目を細める。



───行かないとッ!!!



 その光のおかげだろう。ハっと、急に我に帰った。

 一瞬のことだ。

 ただ確かに、恐怖という支配から、この身が解放された。



 拮抗していた俺の精神は、その一瞬の隙を見逃さずに脚を動かす。

 一歩、また一歩と、走り出せば、恐怖を感じようと止まることはない。



───絶対に、助ける───



 ある種の執念のようなものではあるが、俺を動かしていたのはその気持ちだけだった。

 そこでようやく俺に気がついた4人が、驚いたように俺に視線を向ける。


 「なぜ」と疑問の顔。

 「逃げろ」と訴える顔。


 大きく二分される彼女らの表情を見ても、俺は脚を止めることはしない。



 その異様なまでの姿勢に驚いたのは、何も4人だけではなかった。

 生み出されていた光球の標的を俺に変えるように、天使の視線が俺に向けられる。


───とりあえず、作戦通り。


 一先ず、標的を逸らせた。



 ──そんなことを思った瞬間。



 視界が暗闇に染まった。





■     ■     ■





 急な暗転に、不思議と俺が動揺することはなかった。

 近くから声が聞こえてくる。


「君は本当に、それで良いのかい?」

「…………ベルゼブブか」


 真っ黒な空間。

 何もないその亜空間に、居るのは俺とベルゼブブの二人だけだ。


 明かりはないはずなのに、お互いを認識することはできる。

 立っているような、座っているような──唯一確かなのは、俺とベルゼブブが向き合っているということだけだった。


「君自身を犠牲にしてでも、救いたいものなのかい?」


 いつになく真剣に語るベルゼブブに、俺は冷静に思考を巡らせる。

 確かに執念のようなところはあった。「助けなくては」という義務に駆られていない、と言えば嘘になる。


「私にとっては契約者である君が一番だからね。そもそも、自己犠牲の精神でなんでもかんでも救おうとするのは良くない。エリスの時だってそうだっただろう?」


「あれは、恩を返したかったからで──」


「確かにその気持ちに嘘はないだろうね。けれど、そもそも彼女が君を集落に連れて行かなければあんなことにはならなかったんだよ。本来、君が責任を取るべき範疇を超えてるんだ」


 それはそうだ。

 気付いていなかったと言えば嘘になる。


 それでも、「エリスさんを救いたい」という気持ちがあり、無視した。タクトに背中を押されたのも要因ではあるが、そもそも決意を固めていたのは俺自身だ。


「自分を犠牲にしてまで他人を助ける必要はないよ。君は正義のヒーローなんかじゃない。勇者なんかじゃない。ただの、一人の人間なんだ」


「俺は…………」


「君は──君の心は、強くない。今も、強迫観念に駆られて助けようとしている。誰かを助けなくてはいけない、そんな気持ちが根底にある」


 否定したい。

 そんなことはないと。自分で決めているのだと。


 ただ、彼女の言葉が妙にしっくりくる。

 本当は助けたいのではないことを、頭では理解している。



 怖いのだ。


 妹を失ったあの日から、誰かを失うことが怖いのだ。

 エリスを助けたのも、それかもしれない。相棒を失っていた彼女に親近感を覚えたということもある。



 助けたい──とか、そんな前向きな気持ちではない。

 むしろ、もっと後ろ向きな──失いたくないの気持ちが大きいだけの観念に過ぎない。



「それでも…………」


「君はその気持ちで損をしている。目に見える何もかもを、後ろ向きな理由で見ぬふりが出来ない。

 私はね。君は君自身を大切にするべきだと思うよ」


 ベルゼブブの言うことは、正しいのだろう。

 俺を大事に思う人──悪魔だが──から見た俺の状態。それはあまりにも危なっかしく、無謀で、無意味なのだ。


 ただ、それでも───


「……やっぱり、失いたくない。失うのが怖いんだよ……」


 言葉を止めたベルゼブブに対し、間を空けながら話を進める。


「もう、妹を失いたくない。あの時みたいに、悲しみたくない。確かに後ろ向きな強迫観念かもしれないが、それでもこれは本心なんだ」


 ベルゼブブの視線は俺の顔を覗き込んでいるようだった。

 俺の本意を探るようにジッと見つめた後、何かを察したのか、元の姿勢に戻っていく。


 それから、少しの間が続いた。

 彼女は思案しているようにも見えたし、ただ言葉に詰まっているようにも見えた。

 これは俺の本心なのだと、ベルゼブブであれば見抜いているだろう。


「───どうやって、助けるんだい?」


 その甲斐あってか、ベルゼブブが話を進める。

 俺を止めようとするのではなく、ただどうやって助けるつもりなのかと。


「悪魔の力を使うのかな? あまり過剰に使うのはオススメできない、言ったはずなんだけどね」


 そして、彼女はその考えまで見抜いていたようだ。

 <暴食(ベルゼブブ)>の力──それがあれば、まだあの天使に対抗できる……俺がそう思っていることも察している。


「あの天使を殺すだけの悪魔の力を? あまりに君の身への負担が大きいように思えるね」


「それでも…………」


「戻ってこれなくなるかもしれない。悪魔の力は諸刃の剣だ。君という人格を壊してしまうかもしれないんだよ」


「──ああ、それでも助けたい」


 危険性は分かっている。

 かつて、悪魔になりかけた俺だ。それがどれほど苦しく、取り返しのつかないことかは理解できている。

 同じように戻ってこれる──そんな甘い考えも抱いていない。


 俺の瞳には確固たる意志が宿っているだろう。それを見たベルゼブブは、呆れたように溜息を漏らした。


「分からないな……。君と妹は何年も会っていなかったはずだ。なぜ、命をかけられる?」


「家族だからだ」


 ハッキリと答える俺に、彼女は続けて質問する。


「それは、そんなに大切な繋がりなのかい?」


「たとえどれだけ会っていなくとも、愛してると言えるくらいには、だな。心の底から無条件で信頼できる──そんな相手だよ」


「だから、助けたいと?」


「ああ」


「自分の身を犠牲にしても?」


「ああ」


 揺るがぬ俺の意志に、ベルゼブブも「そうかい……」と返す。

 多分、彼女には俺の気持ちは理解できないのだろう。悪魔と人間、価値観の違いは埋められないものはある。

 それでも、俺の中にある決意だけは理解できている。だからこそ、もう止めても無駄だと悟っているようだった。


「……いいよ。ならば、力を貸そう」

「───手伝ってくれるのか?」


 「ああ、仕方ないからね」と続けながら、彼女はやれやれと肩を窄める。


「契約者として、私が君の道を開こう。私の手を取って、私の名を呼んで」


 真っ黒な世界が、崩壊していく。


 ただ、それは俺の背中を押してくれているようで───



「君に──枷月葵に力を与えよう」





◆     ◆     ◆





 世界が開けていく。


 視界には、天使。先程と同じ状況だ。


「……力を貸してくれ、<暴食(ベルゼブブ)>」


 俺に向けられる光球から、光線が放たれた。

 それは高密度の魔力線。あらゆるものを消滅させるエネルギーを秘めていた。



 俺は右手を前に向け、その光線を受け止める。

 まるで光線が喰われているかのように、俺の右手で消えていった。



「────っ」


 その様子を見て驚いたような表情を浮かべる天使。



 そうこうしている間にも、俺の全身は黒い靄で包まれていく。

 ただ、前のような嫌悪感も苦痛もない。これが俺の力であるかのように、自然と受け入れることができる。


「……戦おうか、天使」


 目の前の天使と戦うと、決意を固めたのだ。

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