第136話 魔王到着
俺は天使から逃げるように、ゆっくりではあるが距離を取っていく。
メイを背負っていることもあり、速度は遅い。それでも雫の言っていた通り、少し進めば陽里と合流することができた。
「葵くん……」
座り込む彼女の横には、ラテラが横になっている。意識はないようだ。
ただ、俺の知っているラテラとは少し様子が違った。服装や雰囲気が、女神に似ているように感じたのだ。
まるで、ラテラの見た目をした別人のように感じていた。
だが、今はそんなことに気を割いている場合ではない。
怯えるように座り込んでいる陽里からは、天使への恐怖が伝わってくる。
「状況は……?」
「わからないわ。ただ、とてつもない恐怖を感じてここにいるだけ。足が竦んで動かないとも言うわね」
「そ、そうか……」
そんなに堂々と言うことかな? とも思いつつ、そこにはツッコまないでおく。実際、俺も気を抜くと恐怖で頭がおかしくなりそうだ。
自我を保ち、ちゃんと会話ができているだけ、彼女の精神力が伺える。
「人間が恐怖を抱く対象なのよ。いわば、人間特攻持ちね」
「だから俺たちはこんなに恐ろしいと感じるわけだ」
あの恐怖を克服して挑みに行ったものだと思っていたが、そもそも総帥と俺とでは感じることに違いがあったのだ。
それに、総帥のほうが早く彼女に気が付いていた。俺が恐怖を抱き始めたのは天使を認識してからだ。逆に、認識さえしなければ恐怖はない──これも不可解な部分だった。「特攻」という言葉によってそれは解消される。
「どうする?」
「どうする、というのは? 結局、どうにもできないと思うわよ。彼女らがあの天使を倒してくれなければ、どこへ逃げても変わらないでしょう?」
それもそうだ。
今逃げたところで、僅かな差でしかない。結局は追いつかれて殺される。
道は、雫が天使を倒すことだけだが──
「そういえば、魔王様は葵くんの妹さんなのでしょう? 助けなくていいの?」
「助ける────?」
なんで、と言おうとして、先程の言葉を思い出す。
「人間特攻」。忘れていたが、雫の種族は人間だ。
それが意味することは、天使と雫の相性の悪さ。自信満々な態度への信頼から失念していた。
ただ、俺には魔力がない。
疲労も溜まっているし、恐怖もある。
「そう、助けたいのね」
それが顔に出ていたか、陽里は俺の言葉を先読みするように発言する。
そして、胸ポケットから何かを取り出し、俺に突き出した。
「これは?」
「魔力回復用のポーションよ。女神に渡されていた資金で買ったものよ。必要なら使いなさい」
「……いいのか?」
至極当然な俺の質問に、陽里は彼女らしくない朗らかな笑みを見せた。
恐怖に支配されているようには見えず──絶望というより、希望の宿った笑顔だ。その笑みが少し、恐怖で固まっていた俺の心を氷解させていく。
「もちろん、一度助けて貰っている身だもの。それでも気にするなら──お礼には期待しておくわね」
「ありがとう、陽里」
「それと、メイも私が見ておくわ。あなたは思う存分、行ってらっしゃい」
「ああ、行ってくる」
彼女に向けられた優しさに応えなくては──そんな気持ちも俺の背中を押してくれる。
俺はメイを陽里に頼み、来た道を戻るべく振り返る。
そうして、天使の場所へと向かっていった。
◆ ◆ ◆
「───魔王」
「ふむ、人造天使──いや、神造天使と言ったところか? よくシステムの目をかいくぐれたものだな」
形成されていた7つの光球は消滅していく。それほど、天使は魔王に動揺しているようにも見えた。
先程までとは違い、天使は魔王を”認識”している。
総帥、ロザリア、そしてルリでさえ、”1つの生命体”としか捉えていなかった彼女が、魔王だけは”魔王”だと。
ある種の異常事態ではあったが、単に生命として魔王が異常であるということなのだろう。
「───死んで」
「やってみよ」
天使が両腕を広げると、5つの光球が作り出される。
標的は雫だ。現状最も脅威だと考えられる彼女を狙いとしている。
<魔鎖縛翁>
対する雫もスキルを使い、対抗する。
彼女の周りの地面から5本の黒い鎖が現れ、それらは上空に向けられている。
天より放たれる光線と、黒き鎖がぶつかった。
大地を揺らすほどのエネルギーのぶつかりは、未だ面影だけは残しているアルフレッドの屋敷を更に崩壊させていく。
属性は、光と闇。
拮抗する2つの技は、僅かな時間せめぎあった後に消滅した。
「受け取れ」
続いて雫が使うのは<地獄の焔>だ。
地獄の炎が天使に向かっていく。
「────」
だが、それを防がんと天使の翼が彼女を包み込み、炎を霧散させた。
実際には、<天織護>を使用したのだろう。
「───天が穿く」
そう簡単に何度も攻撃の隙を与える天使ではない。
さらなる追撃が来る前に、こちらから打って出る。ただ、今回は先程までの光球ではない。
<天ノ聖槍>と呼ばれる天使魔法だ。第5階級だが、<聖霊福音>よりも難易度は高い。
それによって生み出される十二の光の槍が、天使の周りを囲むような円上に配置される。
天使が右手を前に出すと、それらは雫に向けて射出された。
「余興に付き合ってやろう」
いつの間に抜いたのか、雫の右手には剣が握られていた。雫──女性でも使いやすいサイズの小柄な剣だ。
しかし、秘められている力は並の物ではない。魔剣と呼ばれる、簡単にいえば魔道具の一つであった。
飛んでくる槍の1本を、雫は剣で叩き切る。
ただ、そうすれば次の槍のお出ましだ。頭部を狙って射たれた槍を、頭を横にずらすことで回避した。
続いて、同時に3本だ。左肩、腹、右足にかけて、一直線上に狙いを定める3本の槍を、雫は綺麗に剣を薙ぐことで打ち落とす。見事な手腕だ。
その後も次々と迫りくる残り7本の光槍。
ある槍は避け、ある槍は打ち落とし、ある槍は叩き切る。そうすることで、大した動きもないままに防ぎ切ってしまった。
「返礼だ、受け取れ」
「────ッ!」
そして、流れるような動作で魔剣を投擲した。
魔剣というのは、聖剣と違い使用者に制限がある。定義は曖昧だが、”魔”たる者にしか使えないのだ。
だから投擲しようとも、魔剣が奪われることはないと踏んだ。もし奪われるのならば、彼女の属性を知る機会にもなる。
そんな行動は流石の天使も予想外だったようで、回避行動に遅れが出た。
速かったとはいえ、本来であれば避けれたものだ。少しの躊躇いがそれを遅らせ、彼女の肩に傷を負わせるに至った。
天使の表情も驚愕に染まる。
光槍も簡単に防がれ、追撃で一方的に傷を負わせられた。魔王が魔剣を失ったこと──そんなのが天使のアドバンテージになるとは思っていない。
そんなことを思案しているなど知ることもなく、雫は「外れたか……」と漏らす。その飄々とした態度も、異様さを感じられる要因だった。
「────」
兎に角、長期戦にはしたくない。
無尽蔵な魔力があるとはいえ、それでも目の前の魔王の相手をするのは嫌だった。
そんな思いから作り出される10の光球は、今までのものよりも多くの魔力が凝縮されている。
「<黒堕龍皇>」
放たれる十の光線に立ち向かうのは、闇属性第5階級魔法<黒堕龍皇>。
<火愚鎚炎>のように、影のような黒い靄で出来た龍が現れ、光線に対抗すべく飛び上がっていく。
極太の十の光線を、<黒堕龍皇>は嬉々として食らっていく。まるでそれを餌とするかのように、自らぶつかりにいく。
<黒堕龍皇>と衝突した光線は消滅していった。”対魔法”において最も力を発揮する魔法なのだから当たり前だ。
「───裁きを下す」
「知ってるぞ、阿呆め」
天使が総帥に対して使ったのと同じ手だ。
全力と思わせておいて、実際にはそれを対処したあとに本命を持ってきている。
光線に視界が遮られていたが、<黒堕龍皇>によってそれが晴れると、天使と──その胸部に浮かぶ巨大な光槍が目に写った。
「──<選定之槍>」
「良い。全力で応えよう」
光槍は、凄まじい魔力で構成されていた。
圧倒的な威力──そして存在感を誇っている代物である。
向けられる先は、魔王雫。本来は範囲攻撃級の魔力量であるが、対象を雫一人に絞ることで、より強大な兵器と化した。
人造ではあるものの、天使としての権能を行使した一撃だ。
それは上空より、勢いよく降下する。
「<時亜空断絶>」
分類としては空間魔法の第5階級のものだが、雫のオリジナルの魔法だった。
この魔法はいくつかの段階によって成り立つ。
まず、亜空間を作成。
亜空間と繋がるゲートを作成。
現実空間に歪みを作成。
その歪みにゲートを移植。
という4ステップである。
これを一瞬でやってのける空間魔法への適正と慣れが必要なため、見様見真似では習得できる魔法ではない。
<選定之槍>を受け止められるだけのゲートを空間に配置する。それだけでかなりの魔力を使う作業なのだが、どう見ても必殺技な光槍に手を抜いた結界を使えるほど肝は座っていなかった。
放たれる<選定之槍>を受け止められる位置に、<時亜空断絶>は現れる。
やがて勢いよく降下してきた<選定之槍>は<時亜空断絶>の裂け目に到達し──亜空間へと飲み込まれていった。
「──ありえない」
「そのまま返そう。──<選定之槍>」
その様子を見て、天使は心の底からの感想を述べる。
ただ、そんなことは雫にとってどうでも良い。亜空間に収納された<選定之槍>の性質を一瞬で解明し、お返しのために<選定之槍>を放った。
ただし、サイズは小さい。天使の胸を貫くには十分なサイズの光槍が、雫の掌から放たれる。
「────ッ!」
それは狙い通り天使の胸に直撃した。
鮮血が吹き出し、天使は機能を失ったかのように逆さまに落下する。
ドンッ! と。
人一人落下したにしては軽快な音ではあったが、天使が地面にぶつかった音は響いた。
かなりの魔力を使ってしまったが、天使自体はどうにかなったようだ。
「流石、魔王様です!」
その様子を見てか、ロザリアが雫に走り寄ってくる。
雫はそれを微笑みながら出迎えると、ロザリアは余計高潮したかのように顔を赤くした。
ロザリアから見て、魔王の微笑みの破壊力は凄まじいものだ。出来ればずっとそうしていて欲しいが───魔王の表情が焦りに移り変わる。
───なにが?
と彼女が心の中で思ったのもつかの間の話。
高速で自分の隣に移動した魔王によって、体を押し退けられた。
「ぁ────」
瞬間、盛大に血が吹き出す。
それは自分のものではなく──自分を庇った魔王のものだ。
「ま、魔王様ッ!!!」
「…………良い。それよ……り……」
地面に片膝を付く魔王を支えようとするロザリアを制止して、彼女は指を指す。
その先には、先程決着がついたはずの天使が立っていた。
逃げてばかりではなく────