第134話 女神の策略
女神の執務室。
普段は傍にいるメイド型人造人間であるメイはおらず、部屋にいるのはベール1人だ。
そのため、紅茶を淹れる人物が居ない。
致し方なしと、空間魔法からティーポットとコップを取り出し注いだ。
「──うーん。やはり、メイの淹れたものに比べると……」
流石は高レベルの家事スキルを会得しているだけあって、身の回りの雑事という意味では最高品質であった。
固有スキルも補助向きだったのは、ベールの手伝いが主な仕事だったからだ。
───表向きは、ですが。
尤も、女神ベールに私生活の補助は不要だ。下界を管理するに当たって、生活様式・基礎的な家事雑事全般はルーツ・システムより与えられている。
それでもメイに任せていたのは、”ついで”というやつだろうか。
魔力貯蓄装置として作り出したメイに、他に機能を付けられた。大して望むものもなかった為、思いついた家事機能を搭載したわけだ。
だから、メイの死によって生活が不便になることなど、彼女にとってはどうでも良い。
それよりも、今は手に入れた膨大な魔力に浮かれていた。
「……まあ、装置を壊されたのですけど……」
魔力貯蓄装置──女神がこの大陸で長い間活動をする中、少しずつ完成に近づけていった魔道具だ。
仕組みは単純に、魔力を貯蓄するというもの。こういったものは世に腐るほどあるが、それらと違う点はいくつかある。
まず、貯蓄できる魔力量が桁違いだ。別次元の世界を繋ぐゲートを作ってもお釣りが来るほどである。
そして、生物の魂を魔力に変換できる機能までついている。これによって、メイの周りで死んだものを魔力として利用できるようになっていた。
前者は良いのだが、後者はある種の禁忌だ。
魔力から魂を作り出すこと──クローン技術が許されないように、その逆も本来ならば許されない。世界の魂の総量が減っていくことになるからだ。
ベールにとって、そんなことはどうでも良い。
そもそも、魔族ですらクローン技術を完成させられるのだ。神であればこれくらい造作もない。
魂の総量に問題が出てくれば、ルーツ・システムが勝手になんとかしてくれる、はずだ。
さて、そんな便利な装置ではあるが、いくらか問題点がある。
そのうちの一つが、”空の状態だと不安定”ということだ。魔力が貯蓄されていないと、物質としての形を保てないのだ。
それの解決のために、貯蓄装置の外殻として、”メイ”を作った。彼女の魔力器官を貯蓄装置とすることで解決したのだ。
更に、神々にメイの所業がバレるというリスクもあった。
管理する神が禁忌に手を出す──こんなことを知られれば、神域から上位神がベールを処理しにくるだろう。
ベール程度の力では、上位神の足元にも及ばない。対抗手段の完成までは、違和感がないようにゆっくり……本当にゆっくりと作業を進める必要があった。
そんな問題点を抱えながらも、長い時間をかけてなんとか完成まで持っていった。
最近は少し派手にやりすぎているから、一部の神には訝しまれているだろう。
───今更、遅いですが。
神々への対抗手段を手に入れたベールにとって、そんなことは「今更」なのだ。まだ手駒を揃えたい気持ちはあるが、ぶっちゃけ神域に今から突撃してもなんとかなると思っている。
しかし、そのための装置は壊された。
これの修復をするまでは神域へは行けない。
対神においては全く役に立たないが、勇者が手持ちに残っているのも良いことだった。
現在、手駒を新調中であるが、勇者だけはそのまま残しておいても良い。
そもそも忘れてはいけないのが、神域へのゲートは最終手段に過ぎないということ。
本来は魔王を倒すべきであり、そのための戦力には勇者が最も適しているのだ。
ベールが魔王を倒せるような戦力を作ろうとすれば、その行動は神々にバレる可能性が高い。
──実際、何体か作ってはいるのだが、使いたくはないと思っている。
メイの死をトリガーにベールの手元に送られたカプセル状の物体──魔力貯蓄装置を、彼女はうっとりと眺める。
カプセルの中に渦巻く凄まじい魔力の波は、完全に魔力を遮断する素材を使ってもなお、感じられるほどだ。
───想像より……貯まってますね?
土竜が思ったより多く死んだか? など、原因は多々考えられる。魔王や枷月葵がポックリ死んでくれていれば良いのだが──魔王は現状死んでいないようだ。
此度の勇者召喚、ここで勝負を決めると意気込んでからは失敗続きだったが、ここに来てようやくベールにも運が回ってきた。
魔王軍は戦争中。
完全に孤立していた夏影陽里、枷月葵、始まりの獣を処理できるだけの戦力は送った。
メイ、選定神、ルーク、裁きの天使、北条海春に土龍。
夏影陽里の召喚獣に土竜を処理させ、ルークには本人の足止めを。
メイの死を確実なものにするために、裁きの天使と枷月葵をぶつける。
そして、始まりの獣には選定神。相性的に、始まりの獣は選定神には勝てない。
──いや、これらの組み合わせはすべてそう言える。
後出しジャンケンではあるが、全てに勝つ組み合わせなのだ。
ついでに、もう必要のない戦力も処理できる。ベールに血液型はないが、思想としてA型寄りの彼女からすると、不要になった駒は手元に残しておきたくない。
そういうわけで、旧ベール戦力の総力戦を仕掛けるように、色々と送ってみた。
別に負けても痛くない。メイから魔力は回収できたし、この魔力があれば”人形”たちは完成する。
魔王軍はなんとかコリンに向かうだろう。戦争を終え向かった先にあるのは、始まりの獣や勇者の死ではあるのだが。
それでも、仇討ちのように彼らは戦うはずだ。そして、魔王軍はベール戦力の殲滅に成功する。
ベールは手駒を処理できた上に、魔力の回収に成功。
枷月葵も殺せて、厄介な始まりの獣まで始末成功。
完璧な作戦と言えた。
どう転ぼうと、もはやベールの一人勝ちなのだ。
「ふふ……、あぁ、良い気分ですねぇ」
ここ最近のアクシデントが嘘だったかのように、今のベールは上機嫌。
メイがここにいたならば──いや、メイの死が彼女の機嫌を良くしているのだった。
「あ」
そうだ、と。
そこでベールはあることを思いつく。
「余剰な魔力も回収できましたし、置土産くらい、しましょうかね〜」
想定していた魔力貯蓄量を大きく上回る回収だった。
そもそも大事をとった量の想定だったのに、更に大事をとられている。大事の大事だ。
それに、想像より多い魔力を貯蓄しておくのは、少し怖い。溢れ出て来でもしたら、ここら一帯は消し炭──それよりも、ベールの計画が無に帰す。
だから、余剰な分は使ってしまおう。
一部の神々にはバレるが──どうせこれから戦力を整えて攻めに行くのだから良い。それに、守護神に今のベールの戦力が通じるかも試したい。
そうと決まれば────
「結構な魔力の余りですね……。何をしてあげましょうか……」
あわよくば、魔王を倒してしまっても良いのだ。まだ近くに北条海春が居るので、魔王経由で神域に行くことも不可能ではない。
むしろ魔王を倒せれば、こちらに意識を向けさせつつ神域に行くことも可能。────これに関しては神域内の雰囲気もピリピリと警戒的なものになるため、勇者に倒してほしかったのは本音だが、今更彼らに期待はしていない。
余分な魔力は多い。それだけでベールの総魔力量を軽く上回る程度にはある。
魔力量を上回るような大儀式をするのは面倒だ。
予め準備が出来ていて、簡単に魔力を消費できるもの───
チラと辺りを見回す。
当然、ここは執務室なので何もない。
はずだが、一つだけ、この場には場違いなものが置いてある。
「失敗作だったので処理するつもりでしたが、この人形を使いましょうか!」
今から処理予定だったものを、偶然にも処理できるチャンスにもなった。
かなり初期に作った、女神の駒のうちの一つ。すべての駒の原型となったものだ。
美しい天使の羽に、整った顔。目は瞑っているが、開けば翡翠色の透き通った瞳が見られる。
ユーフィリアと違って魔力は入ってないため、動き出す気配はない。
失敗作に魔力を込めるのは勿体ないと思っていたが、今ならばそんな気持ちもない。
「では、彼女を送り込みましょう。魔王軍を一人でも多く殺せれば良し。殺し尽くしても良し。惨敗しても良し。です」
こうして魔力の込められた初期人形は、動き出す。
余剰魔力が多かったこともあり、本来想定されていた以上の魔力を供給されて。
凄まじいエネルギーが解き放たれ、次の瞬間には人形は居なかった。ベールが魔力を込めた一瞬の間に、既にコリンに転移していたのだ。
───さすが、考えて作られただけはあります。
想像よりもパワーのある人形を見て、ベールが抱いた感想は単純なものだった。
◆ ◆ ◆
総帥が裁きの天使を倒したすぐ後、俺たちは倒れたメイの様子を見るため、彼女に駆け寄っていた。
メイが動き出す気配はない。
目を閉じて、安らかな顔で眠っている。
心臓が動いているのか、呼吸をしているのか──それを確認しようとした俺を、総帥は制止した。
「既に、事切れています」
「そうですか……」
やっぱりか、という気持ちは強い。
あの映像を見て、彼女が生きていると考えるほうが不自然なのだから。
「ですが──」
一拍置いて、彼は続ける。
「彼女は人造人間のようです。死んだというより、魔力器官が消滅したことで活動を停止している、に近いでしょう」
「つまり?」
「魔力器官があれば、生き返ります」
人造人間。
女神ベールが作ったものなのか、それとも彼女は利用していただけなのか知らないが。
兎に角、助かる兆しがあることは喜ばしかった。
「魔力器官は?」
「残念ながら、我々の技術では。しかし、古代遺跡に魔力器官がある、という話は聞いています。まだ手を付けていませんので、真偽は不明ですが」
思わず「おぉ」と声が出てしまった。古代遺跡様々だ。
ならば、全員の安全を確認した後、帰ってすぐにでもその古代遺跡を───
「兄上様、申し訳ありません。私としたことが、見落としておりました」
「…………?」
刀を空間魔法に仕舞っていた総帥が、再び刀を抜く。
「彼女を連れて、逃げてください。大丈夫です。私もすぐに行きますので」
「どういうこ────」
総帥が何に気が付いたのか。
俺はそれをすぐに理解することになる。
突如、空が光り輝いた。
裁きの天使──彼も神々しかったが、そんなレベルではなく。もっと、全てを照らすような眩い光が見えた。
威光が天を覆う。
眩しさに目を細めながら、俺は空を見上げる。
───なんだ、あれは!?
視界に映ったのは、天使。それが天使なのかは分からないが、象徴たる純白の翼を彼女は持っていた。
「早く! 出来る限り遠くへ逃げてください!」
その視線がこちらに向いていることに、総帥はいち早く気付いていたのだろう。
鬼気迫った総帥の様子に、俺は咄嗟にメイをおぶって駆け出す。
あの天使から離れるように、遠くを目指して。
メイは想像していたよりも軽かった。──そんなことはどうでも良い。疲労はあるが、ステータスをフルで活用して逃げていく。
───勝てるわけがない。
それくらい、根源で理解できる。
体が、心が、魂が、アレは別格だと告げているのだ。
そして、その時。
背を向けて走っていた俺でも分かるくらい、眩しく何かが煌めいた。
その正体も分からぬまま、俺はひたすらに駆け続けた。