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第133話 裁きの天使、魔王の右腕

「貴様、何者だ?」

「魔王軍にて総帥をさせて頂いてます。名は───」


 総帥は話しながら、こちらに向かって歩いてくる。

 その様は優雅で、余裕があった。ベルゼブブを倒した存在であることなど気にもしていないように、強者ゆえの態度を見せている。


 そんな彼が、チラと視線を俺に向けた。

 本当に一瞥しただけだが、彼の瞳にはどう映ったのだろうか。


 強大な魔王を信仰する彼にとって、床にへたり込む魔王の兄の姿など。


「───いえ、やはりあなたに名乗る必要はないでしょう。下賤な天使風情には勿体ない」

「……思い上がるなよ、魔族程度が……」


 ベルゼブブといい、彼といい、ナチュラルな煽りスキルが高いような気がする。

 それに簡単に乗ってしまう赤髪も赤髪で問題なのだが……。


 返された赤髪の言葉は、総帥には届かない。総帥はそれを無視して、俺に向き直った。


「兄上様、救援が遅れて申し訳ありません。ここは私にお任せください。

 …………何も気にすることはありません。矮小なこの身で魔王様の役に立てる──そう思えば安いものです」

「あ、あぁ……。ありがとう」

「その言葉一つで救われます」


「俺を無視するとは、随分と礼節の弁えぬゴミだな」


 とはいえ、相手はあの短気な赤髪天使。

 俺たちの少しの会話さえ、許してくれるはずはないのだ。


 赤髪の後ろから立ち上がった炎柱が、総帥に向かって伸びていく。

 その標的は近くにいる俺にも向いているが────


「右足に回復魔法の痕跡があります。それも、随分と派手なものです。それは、あの天使に?」

「え? えぇ、はい」


 その炎柱が、俺に──俺たちに到達することはなく。

 何をしたのか、俺が認識することもできない速度で処理されていた。


 尤も、総帥が何かをしたのだろう、ということは理解できている。

 そんな総帥は全く気にしている様子もなく、それよりも重要なことだと、俺の右足にその魔眼()を向けていた。



 魔力の痕跡というのは、ハッキリしているようで曖昧なものだ。

 確かにそこにあると分かっていても、形を捉えるのは難しい。


 俺には彼の持つ魔眼の力はわからないが、それが彼の観察力を強化していることは分かった。普通であれば分からない”回復魔法を使った魔力の痕跡”を、彼は正確に知ることができるのだ。


 そしてそれは、彼の心に怒りの火を灯すことになる。


───あれ……? 魔眼の知識なんてどこで……?


 ベルゼブブの記憶、な気がしなくもない。記憶が同期しているような、不思議な感覚だった。


「そうですか。よく分かりました」


 ただ、そんな感覚に陥っていたことを忘れるほど、明確な”怒り”を感じた。

 総帥から放たれているもので──向けられる先は赤髪天使。


 向けられていない俺でさえも、背中にぞわぞわとしたものが走るような嫌な感覚だ。


 ”殺意”の範疇を通り越し、”死”を体現しているかのように。右手に持つ刀を、ゆっくりと赤髪へと向ける。


「なんだ? 下劣な魔族が、俺に刃を向けるの────」

「戦闘中におしゃべりとは。感心しませんね」


 何が起きたのか。


 余裕の態度で仁王立ちをして話をしていた赤髪の男。

 それに刀を向けていた総帥の姿が、一瞬ブレた。


 「体勢を変えたか、構え直したか、そのどちらかではないか」と、心の中では思っていたのだが、いかんせんそれにしては不自然な挙動だとは思っていたところ。

 ボトリ、と、不穏な音が前から聞こえてきたのだ。


 その音の方向へと振り向く。

 発生源は、赤髪の男。彼の腕が地面に落ちる音だった。

 妙に鈍く生々しい音と共に、彼の左腕は断ち切られていたのだ。


「な──にをぉ…………!」

「相手が私で良かったですね。魔王様でしたら、この間に百度は死んでいる」


 激昂する赤髪の次の手も単純なもの。

 人は怒りに飲まれると冷静な判断力を失うと言うが、それは天使も同じことのようだ。


 咄嗟に現れた4つの炎柱。

 彼の怒りを示すように燃え盛るソレは、仕返しをすべく一直線に総帥へと向かう。


「──遅い」


 しかし、そんなものが彼に傷を与えられるだろうか。


 答えは分かりきっている。

 素早く振るわれた彼の刀は、非実体の炎であろうとも斬り裂く。


「<気高き織天使の抱擁アル・ミッド・ガヴ・リエラ>」


 とはいえ、赤髪も赤髪。

 一度冷静になったのか、単純な炎柱による攻撃では総帥に傷一つ付けられないことに気が付いたようだ。


 使うのは、獄炎の光線。

 彼の右手に収束したエネルギーが、あらゆるものを焼き払う熱線となって解き放たれる。


「────」


 そんな光線に対し、総帥は刀を横薙。

 たったそれだけで、迫っていた熱線は真っ二つに斬れ、総帥を避けるように明後日の方向へと飛んでいく。


 ──飛んでいった方向には同情せざるを得ない。屋敷がどんどんと壊れていくが──アルフレッドも今は亡き人だし、良しとしよう。


「……魔族の割にはやるではないか」

「あなたこそ。天使というにはあまりにも脆弱です」

「貴様────」


 留まることを知らない総帥の怒涛の煽りに、赤髪の男ははたまた怒りを顕にする。

 すぐ怒るから乗せられる──とも思うが、彼のプライドの高さはそれを許さないのだろう。


「フッ! 貴様には俺の本気を見せてやろうではないか! あぁ、誇るが良い。魔族相手にこの姿を見せるのは初めてだ」


 ただ、このままでは埒があかない──不利になるだけだと気付いたのだろう。


 それを認めたくない赤髪は、まくし立てるように言葉を紡ぎ、宣言した。


 右手を天に伸ばした男の背中には、魔力の粒子が集まって何かが形作られていく。

 それは天使の羽のような形で──神々しく光り輝く、まさに天の権能に相応しい代物だった。


 光を帯びるその翼は、大きくはためくと彼を包み込むように羽を閉じる。

 成人男性一人を容易に包み込めるくらいには巨大なサイズの翼だが、不思議とアンバランスさは感じなかった。


「天の威光をとくと目に焼き付けるが良い!!!」


 眩しいほどに輝いている「天の威光」に、俺はつい目を閉じてしまう。プライドの高い赤髪のやりそうな演出だな……と思いつつも、感じる凄まじいエネルギーは本物だ。


「冥土の土産に教えてやろう。俺の名はセルケト。裁きの天使セルケトだ。覚えておくが良い」


 ベルゼブブにさえ名を明かさなかった彼が、総帥には名乗った。

 短いやり取りではあったが、彼の実力を見抜き、本気を出すに相応しいと判断を下したのだろう。


 ベルゼブブの力不足は俺の魔力のせいではある。それでも、総帥は凄まじい実力を持った魔族だ。

 ベルゼブブが■■(エデッセ)にて受け止めていた熱線を、剣技だけで容易く弾いたのだから。それも、俺に飛び火しないように配慮までしていた。


「天の光を仰ぎ見よ。その身に愚かさを刻め。貴様らに裁きを与える。<裁炎狂舞踏会ヴァーミリオン・ワルツ>ッ!!!」


 そんな彼だからこそ、セルケトは本気を出すと決めた。

 集まっていく魔力は、先程とは桁が違う。

 これが天の使いの本気だと示すように、大気の魔力が震え始める。まるで付近の魔力が彼に従っているようだった。



 瞬間、セルケトから放たれる終末の炎。

 右手から、なんて小洒落たこともなく。全身を使うように、彼の目の前から熱線は撃たれる。


 それは俺と総帥を飲み込むには十分な範囲で、更にはエネルギーも<気高き織天使の抱擁アル・ミッド・ガヴ・リエラ>とはレベルが違う。


───結界を…………。


 そう思って、ふと総帥を見る。

 当然、いつもの無表情だ。手があるのか、諦めているのかも分からなかった。


 そんなことをしている間にも、視界を赤く染める炎は迫る。

 触れれば──掠っただけでも全身が溶解するだろう一撃を前に、自分が使える結界など無力であることは悟っていた。


「──温いですね」


 そんな中、ボソッと声が聞こえた。

 あるいは、それは幻聴だったのかもしれない。死を直感した俺が都合よく解釈しただけだったのかもしれない。





「くだらないお遊びです」



 視界を染め上げる赤に、一本の線が加えられた。2本、3本と、それは瞬く間に数を増やしていく。


 やがて数十本にも増えた線は、それらが集合するかのように赤を消し去った。

 先程まで蹂躙していた赤は、数十の光によって、綺麗さっぱり消え去ったのだ。



「なに…………?」

「この程度の温い炎、魔王様の使う<火炎(ファイア)>にも及びません」


 そんなわけがない──と言おうとして、踏みとどまる。

 彼の言葉、特に雫に関する話は、ヨイショなのか事実なのか不明だからだ。もしかしたら事実かもしれないという可能性が残っている以上、安易に否定はできまい。


「──何をふざけたことを言っている。タネはなんだ? ゴミらしい下劣な小細工か?」


「あなたがそれを知る必要はありません。なにせ、ここで死にますので」


「フン! くだら────ンッ!!!???」


 声にならない悲鳴と共に、俺のすぐそばでは砂埃が舞った。

 かつて総帥が立っていた場所には、既に彼の面影はない。


 ではどこに────そんなのは当たり前にセルケトだ。

 咄嗟にセルケトに視線を戻せば、彼の立派な翼が消滅していた。……斬られたのだろう。


「貴様ァッ!!!」

「死になさい」


 それを認識し、総帥が目の前にいると感知した頃にはもう遅かった。

 セルケトの視界が捉えたのは、既に剣を振るい始めている総帥の姿。防ごうにも、今からでは何もかもが遅い。



 ザシュッ!!


 軽快な音と共に、セルケトの首が宙を舞う。

 表情は屈辱に染まり、瞳には怒りの色を宿している──が。


「まったく、薄汚い顔です」


 更なる総帥の追い打ちによって、細かく──サイコロ状に斬り刻まれてしまった。

 残念ながら、これでは彼の表情は拝めない。


 首を失ったセルケトの体は、無様に倒れていく。なんとか腕を構えようとした形跡はあったが、全く間に合ってはいなかった。


 総帥はそれを一瞥すると、次の瞬間には俺の隣に戻ってくる。

 瞬きをしている間に移動をされるので、俺はいちいち驚いてしまうが、仕方ないだろう。


「お待たせしました」

「あぁ……うん」


 何が起きたのか? というのが正直な感想だ。全てにおいて総帥がセルケトを上回り、圧倒していただけなのだから。


 呆気に取られ、今の俺はアホ面なことだろう。

 空返事のような返事ではまずいと思い──


「お疲れ様、です」


 ──最後に絞り出した、覇気のない言葉。


 それでも総帥は頭を下げてくれた。

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