第132話 裁くモノ、喰らうモノ
「あぁ? なんだ、助っ人か?」
俺を殺すべく放った一撃が防がれたからか、赤髪の男は不機嫌そうに声を上げる。
ただ、それをベルゼブブが気にする様子はない。
その瞳は真っ直ぐと俺を見つめ、少し泳いだかと思うと、不機嫌そうな表情になる。
「何が?」と思ったのもつかの間。彼女は右手を俺に向け、魔法を放った。
「<暴食・完全治療>」
魔法陣から現れる温かい魔力が、俺の右足再生していく。
失った足を丁寧に撫でるように過ぎ去っていく粒子たちは、一瞬で俺の足を再生させた。
──ガーベラの拷問を思い出してしまったのは最悪だったが。
「ありがとう、ベルゼブブ」
「どういたしまして、葵」
それでも、助けられたことは事実。
礼を述べれば、彼女も真っ直ぐと返礼をしてくれた。
「ゴミ程度が! 俺を無視するな!!」
「煩いなぁ、全く」
「なんだと、貴様──」
「そもそも君レベルの存在が、矮小な私たちが話している間も待てないのかい? そんなことはないだろう?」
「……………………」
言葉の端々から感じる”自信”を、ベルゼブブは気にも留めずに言い返す。
物怖じも、強がっている様子もない。本当に、赤髪の男を脅威だと思っていないようだった。
「……それもそうだな。存分に話せ。ゴミらしく、最後くらい仲良くすることを許してやる」
「どうも」
説き伏せ──てはなさそうだが、話をつけることは出来ていた。
短気そうな赤髪のことだ。無視して話し続ければ何をしでかすか分からない。
「助けに来るのが遅れてごめんね」
「ああ……いや、それはいいんだ。迷ってたのか?」
「恥ずかしながら、そういうことになるね。私と君の繋がりは希薄なんだ」
「希薄……?」
契約、について詳しくは分からないからどうこう言えないが。
たしかに、ベルゼブブがどこにいるか、を自然に知ることはできなかった。知ろうと思えば知れたのかもだが、ベルゼブブに意識を向ける必要はあった。
それを、「希薄」と表しているのか。ならば、希薄でない繋がりもあるということになる。
「支配能力の代償だね。多くの者を従える代わりに、1つ1つとの繋がりが希薄になってしまう。器が広い故、とも言えるかな」
「器……?」
「あぁ、まあ気にしないでくれ。要するに、支配する対象が増えれば増えるほど、君は一人一人を認識しにくくなる」
言われてみれば、そうかもしれない。
戦士長やガーベラ、はじめは強く認識できていた彼らも、段々と認識が薄くなっていった。
一人一人に割けるリソースが減っていくのだ。雫の言っていた「<支配>の限界」にも関係しているだろう。
「そんなことはどうでもいいんだけどね。何より、間に合ってよかった。君が人間である以上、アレには勝てない。後は私に任せて」
そういったベルゼブブは、そのまま赤髪の男に向き直る。
「訣別は済んだか?」
「お待ちいただきどうもありがとう。一応、君の名前を聞いておこうか」
「ゴミに名乗る名などない。悪魔らしく地を這いずっていろ」
「言うねぇ……」
辛辣な赤髪の言い草に、ベルゼブブも思うところがあるようだ。
ただ、特に気にしている仕草もなく構え始める。
「愚かなる────」
「────■■」
魔力が喰らわれる。
放たれるはずだった赤髪に収束した魔力は、ベルゼブブのスキルによって綺麗に消え去る。俺の<暴食>と同じように、魔力自体を喰ってしまったのだ。
「貴様ッ!!」
「<暴食・火愚鎚炎>」
それに狼狽する赤髪の隙をついて、ベルゼブブは<火愚鎚炎>を使う。
紅の魔法陣から3匹の炎の龍が現れ、赤髪を食らうべく進んでいく。
「雁物の分際でッ!!!」
先程は意味がなかった<火愚鎚炎>は、今度は全力で彼を焼き尽くすべく迫る。
それらは赤髪を包み込み、全身を燃やしていく。
「────効かぬ! 効かぬぞ!!」
だが、やはり意味をなしていない──わけではないようだ。
俺の時より威力が高いことが要因か、多少はダメージを負っている。
「<暴食・海神乱槍>」
「愚かなる魔法を罰せよ!」
続いて、巨大な水の槍が魔法陣から現れる。ただ、それは男のスキルによってすぐさま消滅してしまった。
<暴食>と違い、魔力が霧散した感じだ。
「へぇ、便利だね」
「舐めるなよ! 小娘ッ!!!」
続いて、赤髪の反撃だ。
彼の周囲から4本の炎柱が立ち始める。
それらは意思を持っているかのように、ベルゼブブに向かっていくのだが。
「■■」
自身に近づいてきた灼熱の炎柱さえ、彼女は喰らっていく。
その名が”暴食”を冠することを証明するように、あまりにも軽々しく。地獄の炎とも思えた赤髪のスキルは、ベルゼブブの前には無力だった。
「■■」
更に、暴食の追撃だ。
あらゆるものを喰らう権能が、一直線上に放たれる。
彼女の腕が伸ばされる軌道上は、いわば必殺の射程範囲。いかに赤髪の男が強かろうと、正面から戦うにはあまりにも分が悪い。
「チィッ!!!」
とて、結界で太刀打ちできるものでもない。それを即座に感じ取った彼は、避けることを選択した。
彼女の腕の軌道は、ちょうど赤髪の頭部に当たる部分だ。
彼は避けるべく、体勢を少し崩し、体を倒すが────
「やぁ」
「小娘がァッ!!!」
その先に移動していたベルゼブブの拳が、無防備な彼の腹部に見舞われた。
余裕を持って溜めていたこともあり、威力は絶大だ。魔力も乗せている分、よく効くだろう。
殴られた本人は、そのまま吹っ飛んでいく。
なんとか姿勢は保っているのは、彼の矜持というものだろう。
「■■」
そんな彼に、ベルゼブブはまたもや追い打ちを試みる。
無防備な状態で殴られてもなんとか姿勢を保った彼ではあったが、流石に吹き飛ばされている時では回避手段がないと踏んでだ。
「<気高き織天使の────」
しかし、それもまた甘い考えだった。
赤髪の男は、不自然な動きで■■を回避する。
まるで翼が生えているかのように、宙を自在に移動して。およそ人型の生物では不可能と思える挙動で、見事に軌道上から脱した。
更に、彼はベルゼブブに向けてスキルを放とうとする。
先程俺に放った必殺の一撃だ。高密度のエネルギーが彼の右手に収束していき────
「────抱擁>ッ!!!」
解き放たれる、至高の炎。
獄炎はベルゼブブを飲み込まんと射たれた。
「■■」
それでも、結果は前回と同じもの。
その炎さえ、ベルゼブブは喰らっていく。
”暴食”の冠者である彼女の権能は、いかに至高の炎といえど、喰らい尽くせぬわけがない。
「良い、良いぞ! 全てを喰らう権能!! ベルゼブブか、貴様は!!」
「今更どうしたのかな? 人しか裁けない天使様?」
───テンシ……? 天使、か…………?
ベルゼブブの言葉に表情を歪める赤髪を傍目に、俺もまた困惑していた。
悪魔が想像していた姿と違ったように、天使も──なんか違うからだ。
それも、悪い意味で裏切られているような気分である。
「フッ。人しか裁けない、とは俺も見下されたものだ。過去の俺とは違うぞ? 悪魔よ」
「そうかい? 口先だけでなく、行動で示して見せて欲しいものだけどね」
「抜かせ。直ぐにそうしてやるさ。<気高き織天使の抱擁>」
またまた放たれる、獄炎の光線。
「……またそれかな? ■■」
当然、その炎は喰らわれる。
俺であれば以前のように”悪魔化”が進んでしまうのかもしれないが、悪魔であるベルゼブブにとっては無制限に使えるスキルだ。
消耗戦は赤髪に不利なだけで───
───本当に「無制限」なのか?
そこで、ふと疑問が浮かぶ。
ベルゼブブの使うスキル──■■と■■は、本当に無制限に使えるのか?
元が気まぐれな悪魔という種族。いかに最強たるスキルを持っていようと、魔界に引きこもっていることもあり得るだろう。
ただ、本当に彼女のスキルは”最強”なのだろうか。
もちろん、強力であることは疑いようのない事実。
それでも、今まで、強さには代償がツキモノだった。
そう考えれば、彼女のスキルにも制限があるんじゃないか、という疑問は浮かんで当然だ。
チラと見える横顔に苦しげな様子はないが、それも痩我慢かもしれない。
「<気高き織天使の抱擁>」
その疑念を深めるように、赤髪は涼しい表情でスキルを連発する。
彼はベルゼブブを知っているようだったし、能力の限界を知っての行動かもしれない。
そうだとすれば───
「■■」
ベルゼブブは、獄炎の光線を同じく防ぐ。
何の捻りもない単調な攻撃だ。防ぐのは造作もないに違いない。
「<暴食・海神乱槍>」
「<天織護>」
そのまま、巨大な水の槍で反撃に出る。
現れた3本の水の槍は赤髪を突き刺すべく発射されるが、それは天使の加護によって防がれてしまった。
そして、彼女の取った行動は、俺の疑問を確信に変えるには十分なものだった。
───暴食の限界…………。
■■、■■が消耗も少ないスキル──代償のないスキルならば、彼女は防戦一方で良いはずだ。
無理に反撃に出ず、赤髪の魔力が尽きるのを待てば良い。
にも関わらず、反撃に出た。
それは、反撃に出ざるを得なかったからだ。
何かしら、彼女には限界がある。ずっと防いでいるだけでは自分が不利になることを悟ったからこそ、致し方なく反撃に出た。
「──<気高き織天使の抱擁>」
「■■……!」
それに気が付いたのは俺だけではないはずだ。
赤髪も気付いただろう。
だから、攻撃の手を緩めない。
防がれることを分かっていようと、彼女の限界を待つべくスキルを使い続ける。
「終わりだよ、暴食の悪魔」
「何がかな? 君が負けるという意味に聞こえるけど?」
赤髪が確信を得ようと、ベルゼブブはとぼける。
彼女とて、自分の限界が相手にバレていることには気が付いているのだ。それでも、それを認めるわけにはいかない。
そんな彼女を、赤髪は鼻で笑う。
「空虚な見栄に意味などあるまい。なに、すぐに終わりを見せてやろう。──<智を得て堕つ咎への罰>」
<気高き織天使の抱擁>とは違う。
ベルゼブブを囲うように、上空に3つの魔法陣が現れた。
紅に染まる魔法陣には、一つだけでも<気高き織天使の抱擁>と同等の魔力を孕んでいる。
「■────…………ッ!!」
「限界だ。今の貴様の体ではそれ以上持つはずがない。主人の魔力は枯渇、更には大罪の咎まで背負っているとはな」
「こんな…………ところで…………か…………」
■■にて防ごうとしたベルゼブブが、唐突に吐血する。
体の限界を急に超えたかのように、突然だ。
元気に立っていた脚も、膝から崩れ落ちたように動かない。
魔力の枯渇──それによる能力の限界が来たというわけだ。
そもそも、顕現している悪魔の体は契約者の魔力によって作られる。
それがある程度枯渇しているということは、ベルゼブブも弱体化するという事にほかならないのだ。
限界を迎えた彼女に、抵抗の術はない。
咳き込むほど吐き出される血を両手で抑えながら、うずくまっている。
「死ぬが良い」
そんなベルゼブブに、容赦なく赤髪はスキルを使った。
───助けなきゃ…………
と思っても、体は動かない。
足が治ろうと、疲労が消えたわけではない。それに、俺が行っても犠牲が1つ増えるだけというもの。
ベルゼブブの体は俺の魔力で出来ている──今すぐにはできないが、後で再召喚すれば良いのだから。
そんなことを考えている最中、三方から放たれる炎に、ベルゼブブは焼かれていく。
全身を容易に包み込み、一瞬でその体を溶解していく。
「フン。俺に逆らうから死を迎えるのだ。ただ、安心せよ。すぐに主人も同じ場所へ向かわせてやる」
「再度召喚すれば良い」とは言ったが、それはあくまで俺が生き伸びればの話。
抵抗手段のなくなった俺に、赤髪はゆっくりと視線を向ける。
「貴様は矮小な人間だ。ただ、かの悪魔に免じ、痛みなく死を与えてやろう」
右手が俺に向けられる。
そして、魔力が収束していく。
───防がなきゃ……。
そんな思いから、俺も右手を前に出す。
防げる気はしないが、考えるのは<妖護界決>。
──いや、そもそもそんな魔力もない。炎の中、魔力の枯渇も促されていたのだ。
異世界に来て、何度目か。
死を感じる、この瞬間。
何度味わっても慣れないものだ。
「名も知らぬ悪魔でしたが、よく時間を稼いでくれました」
そんな時、聞き覚えのある声が、後ろから聞こえる。
つい反射でその方向を振り返る。
視界に映る、見覚えのある姿。かつて、魔王城で目にした一人の魔族。
魔王軍総帥が、彼の武器を片手に。
そこには佇んでいた。




