第131話 それぞれの戦い(4)
俺は目の前に立つ男を観察する。
赤髪──中肉中背──西洋風イケメンな顔──全てが普通だが、語気だけは非常に強気。
その正体は分からないが、女神サイドの人間であることは疑いようのない事実だ。
───それにしても……
聞いていた話だと、メイは女神のメイドだったと言う。
それが目の前で、自分の意志でなく自害を選んだところ。そして、彼女に集まっていく謎のエネルギー。
察するに、メイは女神に利用されていた立場か。あの女神のことだし、平気で他人を利用するだろう。それも、言葉巧みに操って。
メイの死が、女神にとってどんな効果を及ぼすのかは分からない。
それでも、ろくでもないことだというのは理解できる。
───助ける、か……。
結局。
ラテラに助けられたことから始まり、メイにも悪魔の石を貰った恩がある。
紫怨に手助けされ、魔族領域では幾度となくルリに命を助けられた。
なんやかんや、他人の手助けなくては生きてこれなかったのは事実だろう。
<支配>、などという卑怯な手段もあることにはあるが、それでも限界はあった。
「固有スキルが弱い」それは事実なのだ。
そんな俺が、今度は誰かを助ける。
今目の前で倒れている、ろくでもないことに巻き込まれそうになっている、一人の女の子を助ける。
メイに特別な感謝がないと言えば嘘になる。あらゆる人を無差別に助けようとは思わない。
それでも、メイを助けたいと思ったのは事実だ。
だから、俺は立ち塞がるこの男を殺す。
「準備はできたのか? 随分と俺を待たせやがって」
「ああ、直ぐに殺してやるよ」
そうして、戦いは始まった。
とはいえ、男は何もする気がない。ズボンのポケットに手を突っ込んで、余裕な表情でこちらを見つめている。
「<暴食・炎闘牛鬼>」
ならば、俺から攻める。
暴食の力で、<炎闘牛鬼>の威力は通常の3倍増しだ。
魔法陣から現れた3つの牛頭が、赤髪の男を燃やし尽くさんと勢いよく迫っていく。
「………………」
ゴォ、と音を立てながら進むそれらを、男はただ黙って見つめている。
抵抗もしない彼に、<炎闘牛鬼>が到達するのにそう時間は要らない。
直ぐに彼へと迫った炎の牛頭たちは、赤髪の男を丸呑みしてしまった。
全身が炎で包まれる。並の人間であれば耐えられない高熱は、威力が3倍なこともあり、燃え上がる炎の中にいる男の姿は見えない。
上手く調整してメイに被害が及ばないようにはしたが、それでも全く影響範囲にいないのは、男の配慮もあるのだろう。
敵同士とはいえ、メイを五体満足な状態で持ち帰りたいのは同じ。半歩ズレることで、完全に効果範囲から出してくれたようだった。
そんな配慮をするほど余裕があるということは、<炎闘牛鬼>の効果も大して受けてないわけで────
「ほう、悪くない炎だ。誇るが良い」
炎の中から声がすれば、やがて炎の威力も収まっていく。
中から現れるのは、人型。全く傷を負った様子のない、赤髪の男だった。
結界を貼った様子もなく、無傷で炎の中から生還した。俺にはとても出来ないことだが──防御関連のスキルがあるのか。
「──だが、それだけだ」
「<暴食・火愚鎚炎>」
あの余裕な態度から効くとは思わないが、一応より高位の魔法を使う。
今度は現れた3匹の焔の龍が、赤髪の男へと向かっていく。
男はそれを避けようとはしない。
<炎闘牛鬼>の時と同じく、炎に正面から向かっていく。
「温いな」
「…………」
結果は、同じ。
炎に対する耐性か、それとも単純に魔法に強いのか。効いている様子は全くない。
結界を貼っている様子はおろか、防御の姿勢を何一つ見せていないのだから。
そんな男も、ただやられっぱなしというわけではない。
反撃に動くべく、その右腕を前に突き出し────
「愚かなる人類に贖罪の火を焚べよ」
「なッ……!」
俺の周り4方向に、巨大な炎柱が立つ。
天高く聳えるそれらからは、<火鎚炎>など比にならないほどの高熱を感じた。
魔法陣の予備動作も、なかった。
つまり、これはスキル。──およそ固有スキルだろうが、威力は恐ろしいものだ。
兎に角、この中に居てはまずいと逃げ出そうとする。
しかし、高熱のせいか、体力の失い方が尋常ではない。動くのも億劫なほど、脚には気怠さが溜まっている。
「炎の檻よ、愚者を罰せ」
4つの炎柱が横に広がり、炎の壁が出来上がる。
その広がりは上部も同じようで、やがて俺は炎の箱に閉じ込められることになった。
それだけでも熱で体力を奪われていくのだが、彼のスキルはそれで終わりではない。
炎の壁の各所から、炎柱が飛び出してくる。
それらは俺を目掛けていて、燃やし尽くさんと迫ってきた。
「喰らえ、<暴食>ッ!!!」
避ける気力がなくとも、魔力に余りはある。
俺の持つ最大の防御手段──攻撃手段でもあるのだが──である、<暴食>を使い、炎柱を喰らっていく。
あらゆる方向から、炎柱が迫りくる。
その1つ1つに対応するよう、俺は<暴食>を連続で使用していく。
のだが────
「ぐッ──!」
────その炎柱に終わりは見えない。
持久戦に持ち込まれれば、体力を奪われていく俺に勝ち目はない。
<暴食>が漏れたせいで、炎柱の一部が頬に掠る。
その程度ではあるが、孕む熱量の大きさから、尋常ではないほどの痛みが走った。
そして、一度崩れれば一気に崩れ始める。
ドミノ倒しのように、一つの綻びは破滅へと繋がっていく。
痛みへの動揺。それによる体勢の崩れ。
ギリギリだった精神も乱れ、集中力が著しく低下する。
「<暴────」
容赦なく迫りくる炎柱を裁こうとスキルを使うが、後ろから迫っていた炎柱に脚を焼かれる。
「ああぁあぁぁぁぁぁッッッ!!!」
脚が焼かれる痛み──骨まで直ぐに溶けていく痛みに、絶叫する。
右足は膝から先が溶けてなくなっており、そのせいで立つこともままならない。
「───この程度か、勇者というのも。大口を叩いていた割には、やはり俺の足元にも及ばぬゴミに過ぎない」
「あ……ぐ…………」
更なる追撃が予測された次の瞬間、炎の檻が消えてなくなる。
綺麗さっぱり、始めから何もなかったかのように、消滅していた。
そうすれば、目の前にいる赤髪の男も見えてくるわけで。
「始めから何もなかった」なんてことはないのだと、無情に告げてくる。右足の痛みも容赦なく、俺を襲ってくる。
「まぁ良い。支配の女神に言われて来てみたが、戯れもこれまでよ。惨めに死ね、<気高き織天使の抱擁>」
高密度の炎エネルギー。
それが彼の右手に収束していき、膨大な魔力に空気が震える。
───<暴食>で……防げる、か……?
そんな考えが頭を過るが、それが無謀であることもなんとなく理解できていた。
「楽になると良い。人類が俺に勝てないのは道理だ。ゴミはゴミらしく死ね」
「べるぜ…………ぶ、ぶ……」
無慈悲な言葉が告げられると同時に、赤髪の男のスキルは発動された。
放たれる、高熱のエネルギー。
辺りを──地面さえ溶かしながら迫りくるそれに、俺は<暴食>を使おうとする。
ただ、それは叶わなかった。
疲労、魔力消費、集中力の低下──そういったあらゆる原因があるのだが、そもそも万全であってもアレを防げていた保証はない。
───死ぬ、か。
死ぬギリギリの場面というのは、今まで幾度か遭遇してきた。
しかし、今感じているそれは、今までのどれよりも濃密だ。
抵抗する気力さえ削いでしまうくらい。斬首を待つ囚人のように、俺は迫りくる死を受け入れていた。
次の瞬間には死ぬだろう。
そんな予感だけはしている。
だが、いつまで経っても死が訪れることはない。
炎の光線が、俺に到達することはない。
恐る恐る、俺は前を見る。
そこには、”何か”があった。
”何か”が炎に照らされているからか、俺の座り込む場所は影になっている。
「────あぁ…………」
「今度は助けたい」、そんな素朴な願いでさえ、俺には叶える力がない。
こうやって、また誰かに助けられる。
「お待たせ、枷月葵。全く、呼んでくれないから迷っちゃったじゃないか」
軽い調子で炎を受け止める悪魔が一人、俺を庇うように立っていた。