第130話 選定せし神(2)
自身の胸を貫く剣を見る。
白銀の美しい剣は、獣の血によって穢れていた。本来の美しさが損なわれていても、それでもやはり美しいと思えるデザインだ。
ルリが隕石の到来から守り切った騎士のうち1人の叛逆。
他の7人は、何も無いかのように跪いたままだ。
「……な、に…………」
この世界のルールに従うことを決めた以上、彼女の能力──自動回復が発動することはない。
自身の胸を貫く激痛に耐えつつ、状況を整理する。
隕石は、もう無い。ルリが切り裂いた先、世界の境界にて消滅も確認した。
ラルヴィアはずっと世界の端にいる。何をすることもなく、無表情でこちらを見つめ続けている。
後ろには、7と1人の騎士。その1人がルリを刺している正体だ。
「──叛逆の騎士が現れる。此は、生涯最大の試練」
紡がれるラルヴィアの言葉を聞けば、今何をすれば良いのか、を理解できる。
ルリが今すべきこと──それは、後ろにいる裏切りの騎士を殺すことだ。
「……はぁっ!!」
咄嗟に脚を後ろに突き出し、騎士の腹部を蹴飛ばす。
剣を握ったまま、騎士は後ろへと飛んでいった。もちろん、ルリを貫いていた剣も抜けていく。
───…………。
剣が抜けると同時に襲い来る痛みがルリの全身を駆け巡るが、気合でなんとか耐えきる。力を振り絞って選定の剣を構えつつ、蹴飛ばした騎士を視界に捉えた。
騎士は悠長に起き上がりつつ、美しい剣を構え直す。
顔は鎧兜によって見えないが、どこか復讐心を抱いているように──見えなくもなかった。
血液が体外に放出されていくのも感じる。
身体強化のために、血液には魔力が混ざる。血が大量に出ていくということは、魔力も失うことに等しかった。
選定の剣に吸われていることもあり、目に見えるほどルリの魔力は消耗されている。
隕石の件もだが、足りない剣術スキルを補うために、むりやり魔力で身体能力を強化して戦う必要があったためだ。
回復魔法は禁じられている。失血死するよりも早く、この世界からの脱出が求められていた。
そんなことを考えている間に、裏切りの騎士は剣を構え終えている。
真っ直ぐにルリを捉えるその剣先には、迷いがない。
───来る。
スチャッ、と。鎧にしては軽々しい音を上げながらが迫りくる。その音から想像できる通り、動きも軽々しいものだ。
剣を振り下ろすように迫る騎士に対して、ルリは受け止めるように剣を構える。
勢いよく振り下ろされる白銀の美しい剣は、ルリの構える選定の剣目掛けて振り下ろされた。
───……フェイント!?
ように見えたが、実際はそうではないらしい。
剣の衝撃に備えていたルリにそれが訪れることはなく、裏切りの騎士の姿勢は低いものとなっている。
剣は振り下ろす様ではなく、突き出す体勢だ。
「愚かな父に、死を」
静かに囁かれる、騎士の言葉。落ち着いた、若い男の声には、後悔と憎しみが込められている。
しかし、ルリは死ぬわけにはいかない。
上に構えていた剣を咄嗟に持ち直し、ルリの頭を貫こうと狙っている裏切りの騎士の右腕を捕捉する。
突き出される、美しい剣。
それを少し頭を捻ることで紙一重で避ける。剣閃は速いが、ルリの動体視力であれば余裕で捉えきれた。
それでも、動きの鈍っているルリでは避けきれない。思い描いた回避行動に体は追いつかず、掠ってしまう結果となった。
ただ、攻撃をした裏切りの騎士には、隙ができている。この一撃に全てを賭けていたかのような気迫だったが、それ故に隙も大きい。
───首を飛ばすッ!!!
半分以下にまで減ってしまった魔力だが、惜しまずに剣に込める。選定の剣は魔力の通りが良いのか、抵抗されることなくルリの魔力を宿すことができた。
次いで、身体能力のためにも魔力を使う。剣術スキルのレベルが低い彼女では、全身鎧を貫いて首を刎ねられる自信がなかったためだ。
「……死んで」
そうして、全ての準備が整ったルリは、剣を横に一振り。始まりの獣の持つ膨大な魔力の一部を惜しむことなく使っているからか、まるでバターを切るように、騎士の首は刎ねられた。
あまりの勢いだったからか、飛んだ首から鎧兜が外れ、騎士の顔が顕になる。
死を悟っていてもなお、復讐の色を宿した瞳は大きく見開かれ、ルリを捉えていた。
その不気味さに惹かれていたこともあるのかもしれない。
ルリにも、攻撃の隙は出来ている。
飛んだ生首の口が、動いたような錯覚を得た。瞬きはしていない。にも関わらず、時が止まり、口だけが動いたかのような感覚に陥ったのだ。
「…………死を……!」
次の瞬間、耳元に声が聞こえる。
この世を呪うかのような、怨念の言葉。裏切りの騎士がその生涯で培った、恨めしい父への叛逆の意志。
それらが集約された言葉には、言葉だけではない力があったのだ。
ルリに突き出された剣先が、動き出す。首無しになった裏切りの騎士が、最後の力を振り絞るかのように、剣を横薙した。
その力強さは、今までの比ではない。人生という呪いを込めた至高の一撃と言えるだろう。
掠る程度の距離にあったルリに、それを避ける術はない。
横に振るった剣を構え直すのには、時間が足りない。
一瞬でそれを理解したルリは、頭だけは守るべく、咄嗟に左腕で剣を受けようとする。
振るわれた一撃を己が左腕で防ぐため、頭を守るように腕でガードを作った。
なんとか、彼の剣が首を断ち切る前に、左腕は到着する。
しかし、その剣は強力だ。ルリの左腕ですら、スルリと斬り裂こうとする。
それに対してルリができることは、魔力による補強。少ない魔力を左腕で練り、硬度を増していく。
呪いの一撃と、始まりの獣の魔力を纏う左腕。
それらは拮抗しながらも、削れていくのはルリの腕だった。
激痛に顔を顰めながらも、勢いの衰えていく一閃を防ぐ。
それでも上回る裏切りの騎士の怨念は、やがてルリの左腕を完全に切断した。
「…………」
始まりの獣としての能力を封じられているために、走るのはとてつもない痛みだ。
ただ、その甲斐もあったというもの。騎士の剣は勢いを失い、ルリの首ギリギリのところで止まった。
最後の力を使い果たした裏切りの騎士は、崩れ落ちていく。それでも手に持つ剣は離すことなく、誇りとともに朽ちていった。
「──お見事」
「……ラルヴィア…………」
眺めていたラルヴィアは、裏切りの騎士の死を確認すると、歩み寄ってくる。
「最大の試練」というだけあって、試練はこれで終わりなのだろう。世界が魔力の粒子へと変わっていきます、ボロボロと崩れ落ちていく。
選定の剣も、騎士たちも、全て魔力へと帰っていった。ラルヴィアの心象風景が具現化されたものなのだから、当たり前だ。
歩み寄るラルヴィアは、ルリから数メートル離れた場所で立ち止まる。
その頃には、世界の崩壊も終わっていた。
「全ての試練を乗り切った勇者に、祝福を与えましょう」
世界が崩壊したことで、ルリを縛っていたルールもなくなっていく。
自動回復は発動しているし、気怠さも──魔力を失った分を除けば、問題ない。
胸の傷も埋まっていくルリだが、失った魔力は戻ってこない。かなり消耗した状態だ。
しかし、それをラルヴィアが気にする様子はない。相変わらず無表情で、右手をこちらに向けている。
「──<剣王の祝福>」
「<相反>」
「祝福」と言ってはいるものの、どこか嫌な予感を覚えたルリはそれを拒否する。
スキルを使い、祝福を否定しても、それ以上何かをしてくる様子はない。
「選定の雷を受けなさい。<選定雷轟>」
と思ったのも束の間、今度は無表情で魔法を放ってきた。
強力な雷の魔法──それがルリを狙い撃ちするように、3方向から飛んでくる。
魔力の流れを感じ取り、ルリはそれを後ろに跳ぶことで避ける。やはり、ルリのいた地点に雷は集中砲火されており、地面は焦げるように黒くなっていた。
「<選定雷轟>」
避けた先にも、魔法は撃たれる。
またもや3方向に金色の魔法陣が現れ、魔力が収束していくのを感じた。
「<妖護界決>」
「選定します。その結界は悪であると」
合わせて使った結界だが、選定神の言葉とともに、消滅してしまう。
だが、そのスキルを彼女が使ったこともあり、<選定雷轟>の発動に一瞬の遅れが出る。その一瞬があれば、ルリがこの場を離れるのは容易い。
ルリが離れた矢先、その地点に雷が放たれる。先程と同じく、着弾点は黒く焦げていた。
───魔力がない……面倒…………。
ルリとしても反撃をしたいのだが、魔力がない為に無闇に行動ができない。残り僅かな魔力は大切に使いたいのだ。
「<選定雷────?」
そんなルリの様子などお構いなしだと、<選定雷轟>を使おうとするラルヴィアだが、その詠唱が途中で止まった。
「────」
その表情が、一瞬困惑に染まる。かと思えば、次の瞬間には表情は戻っていた。
「────」
そして、何かを理解したような顔になり、ルリを見つめる。再度手を伸ばすも、魔力が集う気配はない。
───魔力切れ……?
魔力切れならば、もっと突拍子もなく倒れるはず──そんなことを思った瞬間、ラルヴィアは前向きに倒れた。
「えぇ……」と困惑しつつも、一応は聖女ラテラの身体。
ルリは走って彼女の元へと向かった。
余談だが、世界に閉じ込められた時、ルリがラルヴィアに辿り着かなかったのは空間魔法に過ぎない。
選定の剣を引き抜いたことで、ルリが自ら世界のルールに従ったことになったのだ。
彼女がそれに気付き、選定の剣を抜くことがなければ、ここまでの苦戦を強いられることはなかったのかもしれない。