第124話 メイの記憶
それは、ある日の記憶。
意識などない肉塊。
赤子であったような気もするし、そうでないような気もする。
覚えているのは、射し込む温かな光。
自分を包み込むその光の正体も分からぬまま、私は手を伸ばした。
果たして、あの時の私は何だったのか?
生物──ではあったと思う。
お母さんは? お父さんは?
自我がハッキリした時には、もう居なかった。
それは、なぜ? 誰かが説明してくれたような────
誰か──それは誰?
そもそもこれは、誰の記憶?
私は、どうやって生まれた?
────分からない。
確かに覚えているのは、あの時誰かが私に手を差し伸べてくれたこと。
その手が私に触れて、彼女はその時──
「──」
と、包み込むように。
なんて言ったのか、覚えてないけど。
その言葉で、私は安心した。
でも、それは本当に正しかったのか?
私は本当に、”安心”していたのか?
彼女が──女神ベールが私に与えたものは、本当に安心だったのか?
「私は…………」
父と母が居ないのは、当たり前。
そうだ。
それが当たり前なのだ。
なぜか?
私は人間じゃないから。
神によって作られた、人造人間だから。
襲いかかる頭痛とともに、全て、思い出した。
欠陥した私の記憶。今まで、そのことを微塵も不思議に思っていなかった。
まるで、誰かに操られていたかのように。
支配されていたかのように。
不思議と、自分を包み込んでいた”何か”から解放されていくような感覚を覚える。
「──女神の駒、だった」
「メイさん?」
多分、今までの自分はそれに何も疑問を持っていなかったのだろう。
それが女神の固有スキル「支配の女神」の能力の1つ、<支配>による効果。
支配下に入っていたせいで、今までのメイは、まるで女神ベールを尊敬しているかのような錯覚に陥っていた。
それが今、無に帰したのはなぜだろう?
魔族領域に入って、女神の効力が小さくなったから──?
目の前にいる支配能力者──枷月葵の効果を無意識に受けたから?
他の原因な気もしないでもないが、今はそんなことはどうでも良い。
大事なのは、女神の支配から逃れたであろうこと。
そして、葵と戦う必要はないということ。
「葵さん」
「はい」
決心する。
いや、決心というまでもあるまい。そもそも、メイの意識は女神ベールに乗っ取られていたもの。
最近の疑心で効能も薄くなっていた<支配>では、葵を前にした彼女の本当の意思を引き止めることなどできない。
「私は──女神ベールには従いません。今、決めました」
「えっと……つまり?」
「私たちが戦う必要はありません。ですので、今は早急に────ッ!」
とはいえ、そんなハッピーエンドを女神ベールが許すはずもないわけで。
メイは、己の右腕が自身の心臓を貫いている──その事象に驚きを覚える。
遅れて痛みも感じるが、今はそれよりも<支配>が残っていることへの驚きだ。
まるで、このタイミングでメイの<支配>が解けてしまうことをベールが予想していたかのような、完璧なタイミング。それゆえに、なんの警戒もしていなかった。
「メイさん……!?」
葵が慌てて近付いてこようとするが、それを阻止する。
なぜか、本当に感覚的なものだが、今彼に近づかれるのは良くない気がしたからだ。
「うっ……ぐっ…………あああぁあああぁぁぁッッッ!!!」
右腕が、心臓を握りつぶす。
高性能な人造人間だったからか、それだけでは中々死なない。そもそも、心臓が潰された程度では死なないだろう。
ただ、痛みは当然ある。想像を絶するほどの痛みが、メイに襲い掛かっていた。
「なにが──」
葵も困惑しているのが見て取れた。
ぱっと見、彼にはメイが自殺しようとすているようにしか見えないのだから────と、見ているところが少し違う?
そこで、メイも気付く。
自分に向かって、なにか負のエネルギーが大量に舞い込んできているような──?
───まさか……。
それらの目指す先は、心臓。
心臓がなくても死なないメイに、なぜ心臓が作られたのか?
その答えを見ているような気分だ。
心臓に大量の魔力が蓄積されていく。凄まじい速度で流入してくる負のエネルギーは──押し寄せてきた魔獣から取ったものだろう。
「やめ……なさい…………」
右腕は、心臓を握り潰してはくれない。
未だ、エネルギーの貯まり続ける心臓を守るように、優しく包み込んでいる。
この心臓に十分なエネルギーが溜まった後に、握りつぶすようなことをすれば?
ここら一帯は更地になるだろう。それほどのエネルギーを秘めている。
「葵……さ────ぐぅッ!!!」
「メイさん!? 大丈────」
「女神の傀儡よ。貴様の役目は十全に果たした」
後ろから、高慢な男の声。
援軍──この場合、援軍は敵軍であるのだが。
一気に流れ込むエネルギーに、メイの身が耐えられそうもない。
今は胸を貫かれた痛みより、内側からなにかに圧迫されるような痛みが強い。
声にならない悲鳴をあげながら、メイは未だ集まるエネルギーに耐え続ける。
そして、それから2、3秒後ほどだろうか。
────世界が黒く染まった。
◆ ◆ ◆
「さて、貴様が枷月葵だな?」
「誰だ、お前」
負のエネルギーがメイに収束していったかと思うと、メイは急に倒れた。
糸が切れたようにバタリといくものだから、当然驚きだ。負のエネルギーも消滅していて、不思議現象である。
問題は、メイの方。心配で近づこうにも、どこかから現れた赤髪の男によって道を塞がれている。
「ふん、貴様程度に名乗る名など無い。俺が名乗るに相応しい存在であることを証明してから言え」
嫌味ったらしいやつだ。
ただ、強いことだけは分かるのがまた悔しい。
力ずくで突破してメイに駆け寄りたいが、そうはいかない。
───面倒だが……
「やるしかない、か……」
「ほう? 俺に逆らう気か?」
「お前がそこをどいてくれるなら話は別だがな」
「俺が貴様程度に道を開けると思ったのか? 思い上がるなよ、ゴミが」
こうなることは予想できてたわけで。
俺は謎の赤髪との戦いを余儀なくされることになった。