第123話 押し寄せる魔獣の群れ
始まりの獣がラテラとの戦いに挑む一方で、夏影陽里もまた別の危機に立ち向かっていた。
調教師──すなわち魔獣使いとして、彼女は魔獣の気配に敏感である。ルリを見ただけで魔獣と見抜けたし、魔獣の気配であれば正確な数や距離までも探知できるほどだ。
それでも、かつて同行していた同郷の勇者──空梅雨茜には遠く及ばないのだが。
そんな彼女が察した危機。それは、コリンの屋敷にありえない程の魔獣の群れが集まってきている、ということだ。
魔獣の集団での異常行動を放置しておくわけにはいかず、葵とメイから離れるついでで解決しに来た。
「<召喚・疾黒狼>。<召喚・魔爪鷹>」
彼女の固有スキルは、魔獣の使役と使役した魔獣の強化だ。彼女の”器”をいっぱいまで使い、合計9匹の魔獣を使役している。
大抵が戦闘向きではあるのだが、やはり対集団となると適正も関わってくる。一度に召喚する魔獣が多いと消耗が多いため、とりあえずは2匹だ。
「疾黒狼は屋敷の周囲1キロを駆け回りながら魔獣を遊撃。魔爪鷹は取り残しの処理をしなさい。スキルの使用は許可するけど、屋敷に被害を及ぼさないように」
ガルルゥっ!!
キュルゥッ!!
魔獣の群れは四方八方から迫りつつある。
さらなる大軍が西の平原から迫っているのも感じるが──今は目前の魔獣の処理が先だ。
多種多様な魔獣の入り乱れた集団が、屋敷を包囲するように、気付けばそこに居た。
夏影陽里の索敵範囲に入りながらも、かなりの速度で屋敷を目指している。
───目的はなに?
本来、異種間での仲は良くない魔獣が、協力して屋敷を目指しているように見えた。魔獣が統率力を発揮するのは、群れに強力な個体が現れたときか、魔獣使いが背後にいるとき、だが──。
───どちらかしらね?
あいにく、断定には至らない。
ボス的個体が現れたにしてはその気配はないし、魔獣使いがいるにしてはお粗末な包囲網だ。
現に、視界を召喚した魔獣たちに移せば、既にハイペースでの殲滅作業が始まっている。
───魔獣使いによるステータスの強化は見られない、と。
疾黒狼がスキルを使いながら駆け回る。
黒き風を纏うその姿は、他の魔獣を寄せ付けない。疾黒狼が近くに来れば、漆黒の風に切り刻まれて死ぬのみだ。
魔爪鷹も上空で待機している。疾黒狼の狩り残しがあれば、ヒットアンドアウェイ方式で空からの攻撃を繰り出していた。
疾黒狼の移動速度もあってか、四方八方にいようとも、かなりの効率で殲滅ができている。流石は固有スキルで強化された魔獣だ。
陽里も一応剣を抜いておく。異常な行動を起こした魔獣がいるのだから、それだけで終わるとも限らないという考えであった。
「……かなりの大群だけれど、弱いわね」
不自然なのはそこだけだ。
作為的に起きたことにしては、あまりにも無意味なのだから。まさか、この程度の魔獣に対処できないと思われているわけでもあるまい。
「まるで別の目的があるみたい、そう思うわけさ?」
「──ッ!?」
疾黒狼と魔爪鷹の様子を見つつ、思考に耽っていた時、どこかから声が掛けられる。
油断していたとはいえ、気配には全く気付いていなかった。だが、剣を抜いていたのは良い判断だ。すぐに剣を構え、どこからするか分からない声の持ち主に警戒を向ける。
「後ろだよ、後ろ」
「な────ッ!」
耳元で声がしたかのような錯覚に、咄嗟に後ろに振り返る。
しかし、そこには誰もいない。いや、正確には、陽里が想像していたよりも遠く──5メートルは離れた場所に、少年が立っていた。
見た目は、幼い。小学一年生──それくらいだろう。
だからこそ、恐ろしい。力を持つものが少年の姿をしているだけ。幼子の皮を被った化け物と、彼女は相対していた。
「何者だ!」
焦げ茶色の髪を持つ少年に、叫ぶように陽里は問いかける。
彼は抵抗する意思がないことを告げるかのように、ぷらぷらと腕を上げた。
「何者だったとしても、ボクは君と戦うことはしないから。それで良いよね?」
「<召喚・堕天────」
「良いよね?」
召喚を行使しようとすれば、その瞬間に魔法陣は切り裂かれた。
目の前に立つ少年が何かをした気配はない。いや、それをただ陽里が確認できなかっただけかもしれない。
茶髪の少年は、多分魔獣の異常行動の黒幕だ。そして、彼は陽里以上の強さを持っている。
堕天龍の召喚を行う前に、それが封じられてしまったくらいには。
もちろん、疾黒狼と魔爪鷹が既に召喚されていることによるデバフは存在している。
使役する魔獣が多ければ多いほど、必要な魔力も、精神力も重くなる。結果として、召喚に遅れも発生する。
疾黒狼と魔爪鷹を仕舞い、最速で召喚すればなんとかできるかもしれない。ただ、それでは魔獣の対処ができない。
要するに、実質的な詰みであった。幸運なのは、相手に戦う意志がないことくらい。本気で陽里を殺そうとしてきた場合、彼女は選択を迫られていた。
「──目的は何?」
故に、陽里も戦う意思を無くす。無理に戦おうとしても、それは無意味な敗北を招くだけに終わってしまうことくらい、理解できている。
「さあ? 謎の襲撃に謎の少年。そういう感じで良いと思うんだよ」
「あなたは────」
「そうそう。そういう焦った表情が好きなんだ」
ゾワッと。背中に嫌なものが走る。
悍しいほどの悪意。それを隠す冷たい笑顔の仮面。
それらが陽里の頭を駆け巡り、得た答えは──”異常”。
目の前の少年、いや、化け物は、人類にとって最悪であると、彼女の直感は告げる。今起ころうとしている”何か”を示唆するように、魔獣の襲撃では終わらない何かがあるかのように、錯覚させる。
「あんまり警戒しないで。今はただ、ボクも時を待っているんだ」
緊迫感にそぐわない、爽やかな風に髪が揺れる。
それをやや不快に感じながらも、目の前の少年から目を離せない。
疾黒狼と魔爪鷹に魔獣の処理はさせながら、警戒だけは緩めないようにする。
「でも、そろそろ彼らも加わってくる頃だろう?」
「何を────。まさか──!?」
西の平原から向かってきていた、別の大群。
それらが丁度、付近までやってきた。
陽里が感じ取った危機。それは、その大群が全て土竜であったこと。
つまり、本来平原にておとなしくしている大量の土竜が、コリンの屋敷目掛けて襲撃を開始していた。
◆ ◆ ◆
ガルルゥッッ!!!
キュルルリァ??
疾黒狼と魔爪鷹は、西の平原から攻めてくる魔獣の大群を察知する。
それが上位の存在であることも分かっていた。さらに言えば、”竜”と呼ばれる種族であることも分かっている。
だからこそ、2人──2匹の間にはコミュニケーションが必要だった。
屋敷の周りにいた雑種の処理は終わっている。つまり、後は攻め入る土竜だけが課題なのだ。
数は分からないほど多い。
そして、各個体がそれぞれ強力。
もちろん、疾黒狼と魔爪鷹であれば、各々土竜よりは強い。それでも、2対1、ましてや10対1となっては勝ち目はないだろう。
要するに、今の彼らは非常にピンチな状態であると言える。
助けを求めるべく主に連絡を試みたが、なぜかそれが遮断されている。主に異常が起きた可能性もあるが、死んでいないことは分かるので、一先ずは目前の問題だ。
ガル、ルルゥ?
キュゥ、キュルッ!
翻訳すると、こんな感じ。
「土竜の群れが攻め入ってくる。我ら2人でどうにかなるか?」
「さあ? 厳しいように思えるね。増援を申請できれば良いのだが」
諦めムードである。
遠目にも見えてくる大量の土埃──土竜が地面を刳りながら進んでくる様を見て、2匹だけでどうにかできると思う方がおかしいのだ。
ガルルゥ? (この街に住む民はどうしているのだ?)
キュルッ! ルルゥッ! (どうやら防音の結界やらが張られているみたいだね。それだけじゃなくて、この街から外には出られなくなってるみたいだ)
近隣の魔族の力も借りられない、と。
そうなれば、本格的に自分たちでどうにかする必要が出てくる。
ガルルッ!! (とりあえず、我が一撃お見舞いしよう。それで暫く牽制できれば良いのだが)
キュゥッ! (おまかせします)
ともあれ、いつまでもここで足踏みをしているわけにもいかない。
ここから先へは通さないため、一秒でも長く時間を稼ぐため、疾黒狼は立ち塞がる。
上空に待機する魔爪鷹を一瞥し、お互いにアイコンタクトを交わす。
そして、己の牙に魔力を集中させて────
ガルルルルァァァッッッ!!!!!
魔獣というのは魔法陣を用いた魔法を使うことはない。
疾黒狼の周りに巨大な風の渦が発生し始める。先程同様、黒き風が勢いよく渦巻き、あらゆるものを切り裂かんと口を開けている。
<漆黒嵐>。漆黒の狼が使う種族固有の魔法であり、制限こそあれどその威力は凄まじい。
巨大な竜巻は、疾黒狼を離れて土竜の群れへと向かう。
ズドドドドドッッッ!!!
と、煩すぎる音を立てながら進む土竜たちに、真正面から挑むべく、だ。
何百体もの土竜の群れは、疎らながらコリンを目指し、止まる気配はない。
対するは、万物を引き裂く漆黒の嵐。
凄まじい勢いを持つ両者がぶつかるのは、それからおよそ1秒後だろうか。
土竜の皮膚は非常に硬い。そのせいか、ズシャシャシャッ! と奇怪な音を立てながら、嵐は土竜を巻き込み続ける。
その時、竜巻の黒に赤が垣間見えた。
一瞬ではあったが、確かに赤く染め上げられた一角がある。
その正体は、土竜の血液だ。
<漆黒嵐>は見事に土竜を殺すことに成功していた。さすが、多大な魔力の消費を惜しまなかっただけある。
しかし、それでも土竜は止まらない。殺せた土竜もいるが、多くの土竜は生きたまま嵐を突破してくる。
ガルルゥ……
キュルッルゥッ!!!
しかし、相棒の努力を決して無駄にはしまい。
続いて放たれる、魔爪鷹からの一撃。無数の風の刃が上空から降り注ぎ、嵐で削られた土竜たちに留めを刺していく。
疾黒狼が削り、魔爪鷹がとどめを刺す。土竜の攻め入ってくる方角が限られているからこそ、彼らの範囲攻撃で対応できていた。
ただ、それも長くは続かない。
ズドドドドドッッッ!!! と、相変わらず地面から轟音を立てて進む土竜の大群に、終わりが見えない。
ガルゥゥゥ………… (これ、やばい、よな?)
キュ、キュルル………… (ええ、まずいですね。ジリ貧で負けが見えます)
あまりにも単純な数の暴力。そこそこ強い竜種がここまで集まられると、いくら勇者の施しを受けた彼らでもどようもない。
魔力も枯渇気味になってきて、土竜の討ち漏らしが出始める。
風の刃を突破した土竜は疾黒狼との接近戦へと移行し────
ガルルッ!!!
────まだ、疾黒狼の体力が完全に切れたわけではない。
接近戦でも、有利なのは疾黒狼の方だ。
が、先を眺めれば気が遠くなるほどの土竜の群れ。自分たちが勝利する未来は、見えなかった。
ガル?
そんな、絶望の波が押し寄せる最中。
遠くから、黒き輝きが見え────
疾黒狼にも、魔爪鷹にも、その光の正体は分からない。
それでも、それが邪悪で、強力無比であることは理解できる。圧倒的な力の波動が、遠くで土竜たちを殲滅しているのを感じる。
ガルルッッ!!! (援軍か!!)
キュルッッッ!!! (そうみたいだね!)
無駄に温存せず、最初から全速力で魔法を使って良かったと思う2匹であった。
◆ ◆ ◆
「アオイ、さん……」
「メイさん、俺たちが戦う理由はあるのか?」
メイの心の中で、様々な思いが渦巻く。
ベールに命令されたから、自分は勇者枷月葵を殺さなければならない。そんな使命感。
それでも、いざ目の前に立つと、彼を殺したくないと思う──恋心?
果たして、どちらが大切なのか。
分からない。でも、なぜ自分が葵を殺さなければならないのか、ひどく疑問に思う。
───どうして私はベール様に仕えているんだっけ?
ベールに命令されたから、殺す。
今まではそれで良かったはずなのに、その前提が間違っているような──?
「私は……?」
メイにとって、ベールとは?
メイにとって、アオイとは?
彼女の頭の中に、ぐるぐると。今まで考えもしなかったようなことが渦巻く。
それをただ見守る勇者枷月葵を一瞥して、想いに耽り。
メイの思考は、より深くへと誘われていく────。