第122話 神の鎌
聖女を勢いのまま誘拐し、葵から離れる。
メイと呼ばれた女とどんな関係だったかは分からないが、邪魔しそうなこの女の対処はしなければならない。
ルリから見て、目の前に立つ女──聖女ラテラは、歪な存在だった。
力を持っていないと言われればそうも見えるし、ただ、莫大な力を秘めているようにも見える。
力の底が見通せないとかではなく、力のあり方が曖昧なのだ。
不安定ともまた違う。
ルリでも、こんな状態を見るのは初めてだった。
「あなたはなんですか?」
ラテラが、真っ直ぐとルリの瞳を見つめて問い掛けてくる。
その目に曇りはない。今、ルリに連れ去られてるというのに、困惑さえ見られない。
「……あなたこそ」
「私は女神様に命令されて、始まりの獣と枷月葵を殺しに来ました」
「……私が始まりの獣」
「女神に命令されて」、そんなことはルリにも予想はついていた。
かつての葵と関係がありそうだが、殺さずに勝利を収められるか……。
相手の力量が上手く測れない今では、なんとも言えない。
「では、殺させて貰いますね」
淡々としていた。
そんな物騒な言葉を残しながらも、ラテラはニコッと笑うと、空間魔法から武器を取り出す。
巨大な白銀の鎌だ。
神々しく見えるが、ルリにはそれがかえって邪悪に見える。なぜだか分からないが、命の危機を感じるような────
「はっ!」
ラテラが鎌を振りかぶりながら、地面を蹴って接近してくる。
速度は──大したことはない。
鎌の威力も大したことはないだろうが、ルリはそれを横にズレることで避ける。
当たったらまずいと、本能が訴えているからだ。
勢いよく振られた鎌は、避けられたことで地面へと思い切り突き刺さる。
その隙を見逃さず、ルリはラテラの脇腹を蹴った。
「ぐへっ!」
情けない声を上げながら、ラテラは飛ばされていく。あまりにも軽快で、軽い蹴りだったにも関わらず、20メートル近くは吹き飛んでいた。
さらに、地面に着地後もゴロゴロと転がりながら離れていく。それほどのステータスの差だった。
───弱い……?
ふと危機を感じたのも、ラテラではなく、突き刺さっている鎌に対してだ。
鎌が強力な魔道具で、それを隠し持っていたから力が曖昧に見えたのかもしれない。
───とりあえず……
この鎌はろくなものではない。
壊してしまおうと、拳を振りかぶり、勢いよく殴る。
ガギンッ!!!
「……ふーん」
が、弾かれる。
そこそこ本気で殴ったにも関わらず、鎌に付与されている結界のようなものに弾かれてしまった。
「私は……始まりの獣を……、殺す……!」
そうこうしている間に、ラテラは起き上がったようだ。
既に満身創痍に見えるが、やる気だけは十分に見える。絶対に殺してやる──そんな殺意を瞳に込めて、ルリを睨んでいる。
「戻って……、来てください」
ラテラの声に、鎌が反応する。
それを見て咄嗟にルリは鎌から離れたが、結果としてそれは正解だったと言えた。
地面に刺さっていた鎌が抜け、ラテラの手へと舞い戻ったのだ。
持ち主を選定する魔道具ではよくある光景だ。意思を持つためか、持ち主の声に反応して自分から動くことがある。
「はぁっ!!」
「……ん」
満身創痍だったはずのラテラだが、鎌を手に取ると、再びルリに向かってくる。
しかも、先程よりも格段に素早い動きだ。多少の驚きはありつつも、ルリは再度回避を試みる。
「<聖縛鎖>」
だが、同じ手をただ速くなっただけで使ってくるラテラではなかった。
魔法が唱えられ、ルリの両脇に2つの魔法陣が描かれる。
そこから出てきた光の鎖がルリの脚に絡みつき、逃げることを許さない。
力ずくで振り切ろうとするが、どれほどの魔力が込められているのか、千切れる気配がない。
そうしている間にも、ラテラはすぐ目の前まで迫り、鎌を振り下ろさんとしている。
致し方なしと、ルリは腕を構えることで防御の姿勢を取ることにした。本来であればあの不吉な鎌は避けきりたいところだが、ルリの知らない謎の魔法によって拘束されている今、それは叶わない。
「死ね、始まりの獣ッ!!!」
振り下ろされた鎌は、ルリの腕とぶつかる。
先程ステータスが強化されているとはいえ、所詮はラテラの力。大した威力もあるわけではなく、ルリの腕で弾けるはず────
ザシュッ!
「え?」
────だったが、結果はそうではなかった。
勢いよく振り下ろされた鎌はルリの腕を引裂き、そのまま地面まで突き刺さる。
幸運だったのは、ラテラが距離感を見誤ったこと。被害はルリの腕だけで、胴体まで切り裂かれることはなかった。
しかし、貫通されたルリの腕は完全に地面へと落ちている。肘から先、ルリの右腕は存在していなかった。
丁度その時、ルリを縛っていた光の鎖が消滅する。
それに気づいたルリはすぐさま地面を蹴って、ラテラから離れた。
───再生しない……。
始まりの獣として備わっていた自動回復の能力も発動しない。本来ならば腕も再生できるはずだが、その機能を阻害されている。
およそ、始まりの獣としての能力を把握している女神が考えた対抗手段だ。
対ルリ性能だけを考えたラテラの投入──そう考えると、中々不利な勝負だ。
「<聖縛域>」
ラテラを中心に、半径20メートル程度の円が描かれる。
周りは神々しい光で縁取られている。見るに、結界──ルリを逃さないための結界だ。
「……ちっ」
それだけではない。
ルリの能力が大幅に低下している。これもルリへの対抗手段として考えられていたわけだ。
途端に不利になったルリである。
ステータスもスキルも魔法も、何もかもがルリの方が上だろう。しかし、その全てが相手よりも下にさせられている。
ルリの固有スキルは<厭離穢土>。
その主な能力は、”ある2つのものを離す”ことにある。
レベル1で獲得できるスキルは、<相反>。これが、”2つのものを離す”という基本のスキルになる。
ぶっちゃけ、固有スキルとしては強くない。何より、使い勝手が悪いのだ。
地面とルリを離すことで、擬似的な浮遊を果たすことができる。
離す勢いを調整することで、勢いよく飛び出したり、相手を吹き飛ばしたりできる。
考えれば使い道も思いつくが、それは技術が要求されることであり、更には考える機転も問われる。
使っていれば強い、などという強力な固有スキルとはわけが違うのだ。
今までの戦いの中で、あの鎌とラテラを引き剥がすことは考えた。
だが、やはり対策されていることもあり、それは意味を為さなかった。
となれば、そもそもこのスキルがラテラ自身には通用しない。応用を効かせて自分に使うくらいしか使い道はないわけだ。
「はぁッッッ!!!」
デバフも十分と見たか、鎌を構えて突撃してくるラテラ。
次はルリ本体を引き裂くべく迫ってくるはずだ。
「<創造>」
迫りくるラテラを前に、妙に重い体を動かし、魔法を使う。
使ったのは創造魔法。自分が弱体化されていることもあり、弱体の影響をあまり受けなさそうな魔法の選択だ。
地面から、ルリ3人が隠れられる程度の壁を作る。
そして、すぐさま後ろに飛び退く。
「<聖縛鎖>」
それに対して、同じように光の鎖を出すラテラだが、その先にルリは既にいない。
ラテラの魔法が座標を参考にしているからこそ、視界を遮ることで失敗に終わらせたのだ。
後は、作られた壁をラテラが断ち切るだろう。
───その間に……
<相反>、とスキルを使い、まずはルリと魔獣の性質を切り離してみる。
目先の目標は、弱体効果から逃れることだ。相手がルリの対策を考えてきているのならば、対策された要素と己を切り離してやれば良い。
ルリと魔獣という性質を離してみたが、弱体が解除される予感はない。
となると、この弱体フィールドは魔獣に対して効果を発揮するものではない、と。
「始まりの獣、逃げ回るのはやめなさい!」
壁を壊したラテラは、また同じようにルリに迫ろうとしている。
弱体フィールドの中ということもあり、ルリの魔力を削りきればいいと思っているのかもしれない。
が、魔獣という性質でないのならば、ルリを対象に強力な弱体がかけられる性質は1つだけだろう。
弱体や強化というのは、対象が狭ければ狭いほど強力になる。このレベルの弱体となれば、”始まりの獣”という存在に掛けている、としか考えられない。
「<創造>」
またもや馬鹿正直に突撃してくるラテラに、今度は先程よりも2回りほど大きい壁を創造。一応というやつだ。
「小賢しいですねッ!!!」
今度は無駄な魔力を消費せず、と考えたのか、魔法は使わないようだ。
そんなことはどうでもよく、ルリは始まりの獣という性質を己から引き剥がす。
「おぉ……」
途端に再生し始める右腕と、軽くなる体。<凶獣化>等の始まりの獣としてのスキルは使えなくなるが、それよりも大きなリターンを得れている。
「はぁっ!!!」
壁を壊すために突撃してくるラテラは、今回もルリが逃げ回っていると思っているのか、無防備にやってくる。
のであれば────
「……ふっ!」
──壁が壊れる瞬間、再生した右腕を振りかぶり、やってきたラテラの顔面に拳を入れる。
「ぐッ────!?」
逃げ回っていると予測していたラテラの顔を驚愕に染めながらも、容赦なく叩き込まれる顔面への拳。
弱体化が解除されていることもあり、更には対始まりの獣の効果も関係ない。かなりの威力なはずだ。
「……本当に始まりの獣対策しかしてないんだ……」
「なぜ…………?」
殴り飛ばされたラテラは、再生されている右腕を見て驚愕をさらに深いものにしている。始まりの獣への対策を完璧だと考えていたのであれば、それも仕方ない。
───ということは?
始まりの獣への対策しかしていないのであれば、スキル──<相反>が弾かれたのも、それが原因だと考えられる──か?
「……<縮地>」
とりあえず、膝をついているラテラへと接近する。
驚きのせいか、何も抵抗する気配がないのだから、やるなら今だろう。
「……おやすみなさい」
「待っ────」
首を後ろからトンっと叩き、ラテラを気絶させる。
それでもなお継続されている結界を見ると、この鎌が自立しているものだと分かる。
───自立する魔道具……。
まず、ラテラに触れながら<相反>を発動。今回はなんの抵抗もなく、すんなりと鎌とラテラを離すことに成功した。
「……それでも結界は継続中」
一応、もう一度鎌を殴ってみる。
ガギンッ!
が、やはり弾かれる。となると、鎌自体は始まりの獣への対策──というわけでもないのかもしれない。
「……まぁ、いっか」
現状不都合があるわけでもないし、放置で良い──そんな甘い見通しで、ルリは鎌を放置しておくことにした。
それが後にどう転ぶのか──今は神のみぞ知ることである。