第121話 内乱は終幕へと
美しい青髪を伸ばした女魔族──ロザリアは、寝込んでいる参謀の護衛をすべく、彼のいる部屋にて警戒態勢を敷いていた。
戦が本格的に始まってから、大した時間が経っているわけではない。だが、敵としても参謀を狙うなら早いほうが良いはず。この時点で狙われないということは、ロザリアの護衛も杞憂に終わるものだろうと思っていた。
ベッドにて寝込む参謀を見る。
相変わらず性格の悪そうな顔をしているが、彼の活躍も見事なものだった。それだけは認めなければならない、とロザリアも思っている。
部屋はそこそこの広さがある。
既に見慣れているが、定期的に異常が無いか見るのは大切だ。
木で出来た立派な扉。
シンプルな机、上に飾られている花瓶──添えられているのは赤い一輪の花。
天井にある簡素なシャンデリアが部屋を照らし、リッチな雰囲気を醸し出している。
扉から離れた場所には、大きなベッドだ。ふかふかのベッド──魔王の創造魔法製──である。
そして、その上に寝ている参謀。
ロザリアがその方向を見たこともあってから、ベッドに横たう参謀と目が合った。
目が合った────?
「きゃぁッ!?」
「カハハッ!!! ロザリアくんも乙女らしい声を出すではないか!!!」
当然、幽霊なんてことはない。
残念ながら、気のせいなんてことも、ない。
いつから意識が戻っていたのか、参謀は目をぱっちりと開けていた。
未だ完全ではないのか、横になったままではあるし、どこか元気もなさそうだ。ただ、参謀にしてやられたロザリアからすれば、そんなことに気遣う優しさは消滅している。
「参謀、驚かすのはおやめください」
「いやはや、すまんすまん」
口では謝りながらも、ニヤニヤとした口元を隠しきれていない。
イラッと、心の奥に怒りが生まれるのを感じるが、ロザリアは努めてその感情を押し殺そうとする。
───今なら殺せるかもしれませんね……。
飄々としながらも、普段は隙のない参謀だ。直接戦闘ではロザリアの方が強いのだろうが、なぜか殺せる気がしない。
それでも今なら殺せる気がした。もちろん、ただの怒りでそんなことをする気はないが、意外にも彼女は短気なのである。
「それより、お目覚めになられたのですね」
「ちょうど戦も終わる頃かと思ってな。状況はどうだね?」
「はっ。アルテリオ平原にて行われた本戦では、我が軍が内乱軍を制圧完了。現れた敵軍将のド・ジンも総帥によって倒されたようです。魔王様、赤龍様については──」
「ちょうど帰ってきたところだ!!」
バタンッ!
と、勢いよく扉が開かれ、そこから入ってくる赤龍。
見た目に反して元気な動きをする老人……と思いつつも、ロザリアは決して口にすることはない。
ただ、それに続いて入ってくるアルトゥラも呆れた顔をしていることから、ロザリアの考えは決して間違っていないのだろう。
「カハハ、赤龍サマではないか」
「ふむ、参謀。かなりの無茶をしたと聞いたぞ」
赤龍は一直線に参謀の元へ向かい、二人は話し始める。
元来仲の良かった印象はないが、同じ魔王軍の重鎮。もしかしたら意外と交流はあったのかもしれない。
「魔王様の願いとあらば、この程度は無茶に入らないとも」
「それくらいが丁度良いがな。いつもサボり過ぎな分、働くことを覚えよ」
「そういう赤龍サマこそどうなんだね? まるで逃げるように帰ってきたではないか」
痛いところをつかれ、表情が固まってしまう赤龍。
参謀ともあろう男がその隙を逃すはずもなく────
「まぁ、お互い全力で頑張っている、そういうことで良いのではないかね? 赤龍サマ?」
「フハハハハッ!!! 全くもってその通りであるな!!!」
こうして懐柔されてしまうのが赤龍の弱さだ。単に、参謀の口が上手いだけ、というのもある。
「それで、そっちはどうだったのかね?」
「ふむ、こっちは────」
と、話を続けている二人を遠目に見ているのが、アルトゥラ、ロザリア、エリスの3人である。
「アルトゥラ様、あの2人はいつもああなのでしょうか?」
「赤龍様はおかしな方ですので。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
ペコリと頭を下げるアルトゥラを慌てて止めようとしながらも、後ろで立っているエリスに目がいく。
ロザリアからすれば、この女はよく分からない。ぽっと出てきては何の努力もせず、この場にいることを許されている魔族だったからだ。
───たしか、狼人族。
魔族の分類から見た話だが、決して強い種族ではない。
尤も、種族的に有利がないのはロザリアも同じなのだが。
ただ、目の前にいるエリスからは力を感じる。赤龍の加護によるもの、それくらいはロザリアでも見抜けた。
ベッドで話す2人とそれを見守る3人。そんな様子なはずなのに、まるで2対2対1のようだ。
エリスという女からは、疎外感・孤独感──周りを己を隔絶しているような雰囲気を感じた。
幾度となく戦場を駆けてきたロザリアから見て、今のエリスの心境は簡単に分かった。
誰かと縁を深めるのが”怖い”のだ。
魔族にはよくいる。戦で大切な者を失った──そんな時はこうなりやすい。
自然と周りから離れてしまい、やがて1人になってしまう。
「エリスさんから見て、赤龍様はどんな人に見えますか?」
「え? 私ですか?」
だが、ロザリアはそんなことを許さない。
いつだって、皆を救い続けてきた魔王様のように。その偉大な背中を追うように。
どんな些細なことであっても、目の前で寂しそうな顔をするエリスを放っておくことはできなかった。
話を振られたエリスは、まさか自分に話が回ってくるとは思っていなかったのだろう。驚いた表情になりながらも、それを瞬時に笑顔に変えて答える。
「そうですね……。いつもはあんな態度ですが、いざという時は頼りになる方です」
「エリスがそうやって甘やかすから赤龍様がまた駄目になるんですよ。もっと厳しくしましょう」
ダメ魔族生成機──アルトゥラがそれをいうか。
赤龍に甘いという話では、アルトゥラも中々甘いと思う。
「そういえば、エリスさんは魔王様のお兄様と話したことがあるとか? どんな方だったのですか?」
「どんな方、ですか……」
「それは私も気になる」と興味津々なアルトゥラも交えて、エリスは考え込むように俯く。
ロザリア的には、エリスを気遣って振った話題というよりは、ロザリア本人も気になる話だった。
「誠実で、真面目な方、ですね。己の信念を貫き通しながらも、優しさ──脆さがあると言いますか。一見達観しているように見えても、感性は年相応、そんな一面も見られる方です」
やがて少し考えた後にエリスは話し始めた。
「アオイさんからすれば、私を見捨てればもっと安全な手段を取れたはず、なんです。ですが、私を助けるべく、身を削ってくださった。優しいですよね」
言いながら、優しく柔和な笑みを浮かべるエリス。
先程までの作り笑いとは違い、心の底から笑っているように見える。
ロザリアの知っている魔王と、エリスの話す魔王の兄。
かなりの優しさを持っているところは、やはり兄妹なんだ、と思う。
「エリスは魔王様のお兄様のことが好きなのですか?」
「ふっ……」
急に饒舌になるものだから、魔王の兄──葵に対する特別な感情があるのは確実だ。
ただ、あまりにもストレートなアルトゥラの質問に、ロザリアは笑いを堪えられなかった。
対するエリスは、この手の話に慣れていないのか、タジタジだ。
「す、好きとかではないんです……。ただ、弟のような存在、と言いますか……」
「つまり、エリスが我が姉になるということか?」
「それだとまるで私とアオイさんが結婚する、みたいではないですか。そういうことではなく────なく……?」
あまりにも自然に会話に入ってきた4人目の存在に、3人は一瞬戸惑ってしまった。
だが、事実をすぐに理解する。理解したとなれば、取る行動は1つなわけで────
「「「魔王様!!!」」」
跪き、敬意を示すことだ。
「良い。先程のようにせよ。我も女子会のような雰囲気に混ざりたかっただけだ」
「そうは言われても……」と躊躇う3人を無理やり立たせ、魔王様はご満悦の様子。
機嫌が妙に良いのは、エリスから見た葵の評価が高かったからだろう。それに、恋愛感情でなかったことも大きい。
ちなみに、邪神と邪神クローンは異空間にて待機中だ。
「エリスから見た兄さんはそんな感じなのだな」
「はい。魔王様から見たアオイさんはどういう存在なのでしょうか?」
「うむ、よく聞いてくれた」
ここまで機嫌の良い魔王を見れたことに、ロザリアはウキウキだ。
アルトゥラも珍しいものを見たと目を丸くしている。
「とにかく優しい人だ。かつてより、幾度となく我は救われた。そうだな……少し、昔話になるのだが……」
「我の幼い頃の話だ」と付け足して、話し始める。
それは、ある日のこと。
ひたすらに暑く、しかもその日の雫は体調が優れていなくて。
用事(学校)があったのだが、休んでしまったらしい。
葵はその日は大切な用事(学校のテスト)──絶対に外せない、外せば未来に関わるような用事があった。
家に雫一人残して、両親は仕事へ。兄は用事(学校)へと行ったのだが……。
そんな時、雫の体調が悪化したのだ。
あまりにも苦しくて、意識も途切れそうで、辛くて、怖かったという。
とりあえずは……と、両親に連絡をした。しかし、仕事中の両親が雫に連絡に気付くことはなかった。
ダメ元で、兄にも連絡をした。
丁度休憩時間だった葵はその連絡にすぐ気付き、大事な用事を蹴っぽって、猛暑の中全力疾走で家に帰ってきたのだ。
今考えてみれば、連絡にすぐ気づくことがおかしい。
葵は、雫が連絡を寄越すかもしれないと、常に気を張っていてくれたわけだ。
そうして、帰宅した兄。
それからは覚えていないが、目が覚めたときには葵は雫の手を握ってくれていたとか。
その優しさに触れた時、雫自身も優しくなろうと決めた。
魔王はそう語った。
「なるほど……。魔王様の行動の起源となるような素晴らしいお方だった、と」
「自慢の兄である」
己を犠牲にするような優しさ。
今も昔も変わらないんだな……と、エリスは思う。
交流時間が長いわけではないが、それでも。
彼を誇らしく思う自分がいるエリスだった。
「ご歓談中申し訳ありません、至急報告したいことがございます」
扉が開いた気配はないが、扉の前に1人の女が立っていた。
黒ずくめの忍者のような格好で、魔王からは影と呼ばれている存在だ。
任務は、葵の追跡だった。正確には、ガリアとコリンの様子を魔王に伝える役目だ。
部屋全体に声が通るように、落ち着きながらも透き通った声で言う影に、部屋にいた5人は一斉に振り返る。
「申してみよ」
「はっ。コリンに向かい、土竜がおよそ300匹、向かっております。激昂状態のようで、理性があるようには見えませんでした」
「……コリンには…………」
「はっ。葵様がいらっしゃいます」
始まりの獣が付いてるから大丈夫──そんな考えが頭の片隅に追いやられる。
なぜかは分からないが、雫は危機感を覚えていた。
始まりの獣が居るにも関わらず、上手くやられて葵が殺される未来。そんなものを幻視する。
「至急、向かう。とてつもなく嫌な予感がする」
「カハハ、土竜が急に暴れ出したか! 愉快なこともあるではないかっ!」
「参謀はガルヘイアに戻り──いや、やめよう。赤龍と共に土龍に会いに行ってこい」
「了解だ、魔王様」
赤龍も素直に頷く。魔王の言いたいことも理解しているし、最適が赤龍なのは間違いない。
参謀をつけるのは万が一だろう。赤龍と土龍では、土龍に分がある。
「我はすぐにコリンに向かう。影はガルヘイアにいる宰相に伝えよ」
「魔王様、お言葉ながら1人では危険です」
魔王をよく見ていたからこそ、ロザリアには分かる。
今の彼女は焦っている上に、テンパっている。表面上でも取り繕えていないほどだ。
「ならば、ロザリア。同行を許可する。エリスとアルトゥラはガルヘイアに戻り、警備に当たれ」
「「かしこまりました」」
「ありがとうございます」
何者かが手を引いているのは確実だ。
しかし、それ以上に兄の身に危険が迫っていることが心配だ。
何者か、は後で見つければ良い。
とりあえず、葵を助けなければならない──黒幕探しに夢中になっていては最悪を招く予感がした。
「行くぞ、ロザリア!」
「はっ!」
居ても立ってもいられなくなった雫は、すぐに部屋を出る。
いつもの彼女からは想像できない様子を見て、心配を抱いてしまうのはロザリアだけではなかったらしい。
「赤龍サマよ、少し総帥の元へ寄ろうではないか。我らが魔王様が今回は危なっかしい。なに、魔王様も総帥については命令していない。総帥をコリンに向かわせたところで問題あるまいさ」
「我も賛成だ」
参謀の気遣いによって、雫とロザリア、追加で総帥がコリンへと向かうことになるのだった。