第120話 邪神クローン
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「ありえない……」
目の前で起きた光景を目の当たりにし、バルデスの脳は理解を拒否した。
しかし、だからと言って放心していいことにはならない。なんとか踏み留まり、今起きたことを理解しようとするが、それでもやはり分からない。
現象を説明することは容易だ。
魔王が右手を握ったかと思えば、潰れたのはアリアとマイラだったと言うだけ。
原理はわからないが、それだけは事実だった。
問題なのは、そんなことが出来るのかどうか。
魔道具であれば──もしかしたら可能かもしれない。
ただ、魔道具というのも万能では無い。
そもそも魔道具も誰かの手によって作られたものであり、造り手にとって可能な範囲──あるいは、その範囲を少し逸脱した程度の能力になるのだ。
バルデスから見ても強力な魔族であるアリアとマイラを、2人同時に瞬殺する。そんなことが可能なレベルの魔道具を、バルデスは知らない。
つまり、高度な魔道具によるものか、魔王自身の力によるものというわけである。
バルデスは考える。
「自分ならばそんなことは可能なのか」と。
答えは当然、否だ。
バルデスの力であったとしても、アリアとマイラを瞬殺することはできない。尤も、時間さえあれば殺すことは可能だろうが。
───これほどか、魔王。
正直、舐めていた。
魔王程度であればバルデスでもなんとかなる──そんな気持ちもあった。
それを訂正しよう。
魔王はバルデスよりも格上であり、強力だ。
一筋縄ではいかないどころか、バルデスの力では打倒できまい。
しかし、諦めるにはまだ早い。
バルデスには、手が残っている。
最強の切り札が、まだあるではないか。
「内乱軍のトップと見えるが?」
「いかにも、私がバルデス──内乱のトップに立つ悪魔王だッ!!!」
それを考えると、安堵が湧いてくる。
魔王の言葉に意気揚々と答えながら、バルデスはその体を邪神へと向け──
「邪神!!! 魔王を殺せ!!!」
──声高々に命を下す。
それだけ。それだけで十分だ。
魔王がどれだけ強かろうと、所詮それは魔族のレベルでしかない。
神には及ばないのだから。
「ん? わかった!」
邪神はどこまでも無邪気に返事をする。
あの現場を見ていながらこの態度が崩れないのは、どこか薄気味悪いが。それでこそ邪神とも言えるのだろう。
ド・ジンの椅子に座っていた邪神は、ぴょんっと椅子から飛び降りる。
綺麗に着地した後に、魔王と向き合った。
「ふむ。相手をするのか?」
「魔王のおねーさん、倒させてもらいますッ!!」
戦いは、一瞬にして始まる。
邪神が地面を蹴ったかと思えば、その身は既に魔王へと接近している。
「滅びよ」
が、魔王も魔王。
それを見越してか、凄まじい魔力が彼女の右手に収束していた。
描かれているのは、漆黒の魔法陣。
そして、そこから放たれたのは黒き炎だった。
「えいっ!!」
至近距離で放たれた炎は、邪神を焼き尽くすべくその身に迫るが、それは邪神に対する攻撃とはならなかった。
可愛らしい声と共に、何かを持ち上げる動作をした邪神。
それと同時に、漆黒の焔も上へと軌道を変えたのだ。
放たれた炎は天井を目指し──容易に突き抜けていく。
天井が灰塵と化すのは一瞬のことで、会議室には太陽の光が差し込み始める。
「ふっ」
見事回避に成功した邪神だが、防御に手を回せば攻撃に隙ができる。
それを逃さず、魔王は距離をとる為に上空へと飛び上がった。飛行関連のスキルか魔法は使っていることだろう。
「<堕星屑>っ!!!」
魔王を追撃するように、邪神はスキルを使う。
直径1メートルはありそうな岩──何故か煌めいている上に、高密度の魔力を秘めている──を10個作り出し、それを魔王目掛けて飛ばす。
「<双影暗奏>」
そんな危険なものを飛ばされては堪ったものではない。
標的である魔王は、対抗するように巨大な獣の腕の形をした影を生み出し、それらに岩を迎撃させていた。
ズンッ、と音がして、会議室の床が抉れると共に、邪神も上空へと跳び上がる。
その跳躍力があの華奢な体のどこにあるのか疑問に思うより前に、凄まじい速度で邪神は魔王に肉薄していた。
対する魔王も、いつ抜いたのか剣を手にしている。
黒紫を貴重にできた、禍々しいというよりは美しい剣。刀身に続く漆黒は、恐ろしながらも人を魅了する力がある。
「挑んでみせよ」
「うりゃーっ!!!」
振り下ろす剣に、ぶつかるは少女の拳。
どれほどの力が込められているのか、遥か上空で行われているやり取りであるにもかかわらず、ぶつかった拳と剣から生まれた衝撃波は会議室を揺らしている。
轟音が鳴り響き、空気が振動する。
大気中に満ちた魔力でさえ、それを恐れているかのように震えていた。
───レベルが違う……。
バルデスがそんな感想を抱くのも仕方がないことだ。
悪魔王である彼は、世界的にも強力な部類。にも関わらず、この戦いに参戦すれば即死する自信があったのだから。
邪神の強さもだが、それと拮抗する魔王もまた恐ろしい。これでまだ余裕な態度なのだから、底がしれない。
───魔王の方が強い……?
そんなことは無いと思いつつ、幾度となくぶつかる拳と剣を見ると、そんな考えも頭に浮かぶ。
ぶつかる度に揺れる周囲。それだけでなく、邪神の方が徐々に引いているように見えるからだ。
───まさか……。
と心の中で呟きながらも、身体は後退していた。
無意識に、一歩、また一歩と後退っているのだ。
「もし魔王が勝ったら」。そんなことを考える。
死のうと魔界に戻れるから、やり直すチャンスはあると思っていた。しかし、あの魔王から魂からがら逃げ切れるのだろうか。
ツーと背中に流れる冷や汗と、止まらない鳥肌。
死というのが目の前に迫っていることを、ここに来てようやく自覚した。
───逃げッ…………
なきゃ、と。
後ろを向いて走り出そうとした時、後ろに”なにか”がいて、その進路を拒まれたのだ。
反射的にビクッと体が震えたが、今も絶え間なく会議室を揺らす衝撃波は健在。
つまり、邪神も魔王も未だ上空にて戦闘継続中なはずだ。
では、何者か? そう思い、顔を上げれば、目が合った。
長い黒髪の、美しい女性。バルデスがかつて見たことがないほどの美しい女性でありながら、その魔族の正体を彼は知らなかった。
ただ、とりあえずは命の危機でないことに安心する。
「ふむ、どこへ行くのじゃ?」
ぶつかりそうになった女性から一歩引けば、声がかけられる。
答える義務はない、と突っぱねたかったバルデスだが、それができない”力”が言葉に込められていた。
そこで、ようやく気づく。
こんな場所にいる魔族が、ただの魔族なわけがないということに。
収まった震えが再発するのを無理やり抑えつつ、答えないのはまずいと口を開いた。
「ちょっと……そこまで……」
「何、その必要はないじゃろう。見てみよ、あの戦いを目に焼き付けぬは勿体ないとは思わんかえ?」
───何を言っているんだ!
尤も、この言葉には怒りの感情が多い。
早く逃げたいバルデスとは裏腹に、彼女はバルデスが逃げることを許そうとしないのだから。
「私は用事があるんだ! そこをどいてくれ!!」
確かに目の前の魔族もヤバいか、それ以上に邪神と魔王はヤバい。
一刻も早くこの場から離脱を──
「それは妾の娘の活躍を見るより重要なことかえ?」
「お前の娘など知らん!! 早くどいてくれっ!!!」
作戦の失敗。
それから来る焦り。
そして、理外の化け物たち。
バルデスにとっての”最悪”のフルパーティーだったせいだろう。
正常な判断力を欠いていたバルデスは、強気な態度になってしまった。
「どうでも……いい……じゃと?」
ただ、ある意味では正解だったのかもしれない。
逃げたところで、どうせ逃げられないのだし。
今、ここで痛みなく死ねたのは、良い誤算だろう。
尤も、二度と彼が蘇ることはないのだが。
◆ ◆ ◆
ついついバルデスを殺してしまった邪神だが、これは仕方の無いことだと自分に言い聞かせる。
───雫が怒っても……妾は悪うないぞ!!
という強い意志を胸に、上空を見上げる。
未だ、殴り斬りを続けている2人だ。雫は手加減をしているのだろう。
邪神クローンということもあってか、雫は手加減しているようだ。
殺してしまっても良いのか、そういう配慮が伺えた。
そういう優しさ──甘さがあるのは、雫の弱いところでもあり、良いところでもある。
とりあえず、上で行われている戦いを止めるべく、邪神も飛び上がる。
衝撃波の大元にみるみる近付いていき、2人の視界にも映るか、といったところで足を止めた。
「いい加減やめよ」
発したのは、なんの力もない普通の言葉だ。
ただ、邪神が視界に映っている2人は、不意に止まってしまう。
雫は、何かを理解したように。
邪神クローンは、驚いたような表情で。
先程までの激しい戦いが嘘かのように、2人は動きを止めていた。
「まま?」
そんな中、初めに言葉を発するのは邪神クローン。
彼女にとっては初めて会った相手でも、どこかに既視感──懐かしさがあった。それは、クローンのできる元である存在だからだろう。
「まさか妾のクローンが作られるとはのぅ」
バルデス、意外と凄い人物だったのか? と思ってしまうが、殺してしまったものは仕方ない。なにせ、邪神は悪くないのだ。
「まま、どうしてここにいるの?」
「無駄な争いを止めに来たのじゃ」
「魔王のおねーさんとは戦っちゃダメってこと?」
言動こそ幼いが、さすがは邪神のクローン。
理解力は高く、言葉と状況をすぐに飲み込んだ。
「うむ、そうじゃ。妾たちが敵対する意味はないからのう」
「そうだな。助かった」
「もっと感謝せよ」
図々しい態度をとってみるが、雫には完全に無視されてしまう。
「とりあえず、下に降りるか」
「はーい!」
無邪気というか、天真爛漫というか、先程まで殺しあっていたにもかかわらず、その必要がないと知ればすぐに心を入れ替えている。
元から仲良しでした、と言わんばかりに、雫と邪神クローンは2人で下へと降りていった。
「……やれやれ……」
疎外されたことに不満を感じつつも、邪神もそれを追うように地面をめざした。
戦闘の跡地となったせいで、会議室が廃墟のようになってしまったのは言うまでもない。
ただ、アルテリオ平原ということもあり、周りに何も無かったことは幸いだったかもしれない。
被害は最小限──しかし、これ以上同じような戦いが起こらないことを、目撃した魔族たちは願うだろう。