第12話 魔術師ギルド(1)
ギギィ……
重い音を上げ、木でできた扉がゆっくりと開く。
扉に隔たれていた魔術師ギルドの中が見えてくる。レンガ造りの巨大な建物にしてはやけに狭さを感じた。
それは、この空間に人が多くいることも影響しているだろうが、机が置かれていたり、道具屋と思われる店があることが大きな要因だろう。
中にいる人の多くはローブを着用している。色は様々だが、地味目な色が多い印象だ。
───それはそうか。
好き好んで目立つ服を着ようとする人間はいない。少なくとも、死が隣にある世界では自己顕示よりも命が大切に見える。
扉からまっすぐ進むと、受付がある。カウンターのような形になっていて窓口は5つ。それぞれ受付嬢が座っていた。
俺はそこを目指し、歩を進めようとする。だが、そこでふと周りの視線に気づいた。
見ない顔だからか、それとも、ローブを着ていないことが変なのか。流石に勇者”枷月葵”だとバレていることは考えられない。
───なんだ?
敵対的な視線というよりは、物珍しいものを見るような視線。それも、面白半分ということはない。
むしろ、周りの表情は真剣そのもの。どこかでごくりと喉を鳴らす音もする。
───後ろ?
それらの視線に疑問を覚えてる時、もしかしたらこれは俺以外の人に向けられたものなのではないか、と思う。”自分への視線”という潜在意識をなくすと、この視線は俺の後ろに集中しているように思えるのだ。
バッと、後ろを振り返る。
そこには、黒いローブを着た女性がいた。身長は170くらいで大きい。髪は深い青のロング。丁寧に手入れされているのか、サラサラとしていて美しい。
案の定、視線の向いていた先が俺でなかったことに安堵する。それと同時に、なぜ彼女に視線が集まっていたのか、疑問も抱く。
「新人か?」
しばらく見つめていたからか、声がかかる。声の主はもちろん前の女性だ。
「え、あ、はい」
急に声をかけられたせいでつい吃る。ただ、彼女はそれを気にした様子もなく話を続けた。
「見ない顔だったからな。魔術師ギルドへ登録に来たのか?」
凛としたやや低い声で聞く彼女に対して、俺が思ったことは一つ。
───わからない。
なぜ、彼女が俺にこんな質問をしてくるのか。その目的が何なのか。
全く分からない。
周りの視線は収まらず、むしろそれはエスカレートしてひそひそ話を生み出していた。
俺は必死に聴覚を研ぎ澄ます。少しでもヒントになりそうな情報を聞き出す為に。
ここでの俺は完全な部外者だ。一つのミスが何に繋がるのか、予想もできない。
だから俺は、彼女の質問に対する最適解を編み出さなくてはならない。
「久しぶりに見たよ、俺」
「というか、新人に話しかけるんだな」
「今日は何しにきたんだろ?」
「中々ここに来ないよね」
違う。推測には役立つ情報だが、今必要なのはそれではない。
もっと実用的な情報は──ないのか。
「ていうか、あんな美人なんだね」
「わかる、憧れだよね」
「というか俺、ギルマス初めて見たかも」
あった。
ギルマス。多分、ギルドマスターの略称。
つまり彼女は──魔術師ギルドのギルドマスター、魔法使いのトップである存在。
───視線の原因はそれか。
納得する。
そして、答えは───
「はい。登録をしに来ました」
ギルドマスターなら、魔術師が増えることは嬉しいはずだ。彼女が上位者で、どんな人物か分からない以上、機嫌を損ねるような真似は避けたい。
「そうか。ならば歓迎しよう。ようこそ、魔術師ギルドへ」
表情の変化が少ない。感情が全く読めない。
ただ、”歓迎”という言葉、およそ嫌がってないと見て良いか。
「異国からの移民も大歓迎だ。私はギルドマスターのガーベラ。君の名を聞こう」
異国の人間であると、それは理解されている。容姿や言動の違いから感じ取ったのだろう。
そしてそれが今、ガーベラの発言によって周知された。
多少の粗相や怪しい挙動は”文化の違い”として誤魔化すことができるようになったのだ。しかもアマツハラの大陸から来たと思われている以上、その違いは大陸をも超えている。
───つまり、こういうこともできるわけか。
「アオイです。よろしくお願いします」
俺はそう言いながら右手を出す。握手を求めるポーズだ。
初対面で握手をするのは私の国では常識です、と言わんばかりに手を出した。それもあってか、ガーベラが怪しんでいる様子はない。
彼女が身に着けているのは、ローブと、腰に小さな杖のようなものが一つ。手は素手だ。
俺がガーベラに握手を求めたことが驚きだったのか、周りはより一層騒がしくなった。目上の人に握手をするという行為は、少なくともこの国では一般的なものではないのだろう。
ガーベラが周りの声を気にする様子はない。一瞬チラと周りを見たものの、すぐに興味を失ったのか視線を戻していた。
そして、俺の右手に応えるように、彼女も右手を俺の方に差し出す。
握手が交わされる。
それと同時───
「<支配>」
スキルを使う。
魔術師ギルドマスターという上位者を<支配>する為、僅かな隙を利用して放つスキル。
あまりにも唐突な展開に、ガーベラは反応できない。<支配>と呟く瞬間、手を離そうとするも、離せなかった。
───勝った。
そう、確信した。
だが───
いつまで経ってもスキルが成功した感覚が来ない。
背中に冷や汗が流れる。何かの異常。スキルを使ったのに、効いていない。
そもそも、確実に成功するという事自体が慢心だった。無意識中で、他の勇者も特別だから、自分も特別だと勝手に思い込んでいた。
俺は恐る恐るガーベラの顔を見る。
そして──恐怖する。
彼女の顔には凍てついた笑みが作られていた。それは、目の前にいる俺への明確な敵意が込められている。
───まずい。
戦士長に使えたことで調子に乗っていた。もしかしたら、対人での<支配>の成功は確率によるのかもしれない。それを試さずに上位者に使うなど──なんと愚かなことか。
本能は直ぐに働いた。
この場にいるのは危険だと、心が訴えかけてくる。
だが、未だ握ったままの手は離さない。いや、離せない。
俺が何かした瞬間、彼女は俺の命を奪い去るだろう。獣とは違い、確実に。
俺が何をしたのか理解していない周りの魔術師たちも、ガーベラの笑みに慄いて言葉を失っている。先程までの騒がしさは欠片も見られない。
それも合わさって、俺は自分の失敗の大きさを知る。
───早くここから逃げ………
それでも本能は警笛を鳴らした。だから、その手を離し走り出そうとした。
だが、彼が理解していた通り、ガーベラという人物はそこまで甘くない。冷静且つ慎重で、彼を黙って見過ごすほどの優しさも持ち合わせていない。
彼が知覚するよりも早く、枷月葵の意識は闇へと落ちていった。
・ ・ ・
「ん────」
手足に妙な冷たさを感じ、目を覚ます。うまく状況が掴めず、眠気も取れていない。
椅子に座っているのか、腰と背中にひんやりとした木の感触を覚える。
俺は、ゆっくりと目を開ける。
視界に入るのは木で出来た天井。電気のようなものはなく、どことなく薄暗い。
───ここはどこだ?
記憶を辿る。
魔術師ギルドへ向かっていたことは覚えている。
何事もなく魔術師ギルドに着き、それから、────
「俺は…」
「おはよう、起きたかい?」
どこかで聞いた声で話しかけられる。
それは、魔術師ギルドマスターであるガーベラのものだ。
その声が耳に入り、意識が急速に覚醒する。
見渡すが、腰に付けていた剣は没収されていた。
そして、手足の冷たさの正体に気付く。
「枷……」
「あぁ、すまないね。暴れられたら困るから」
身動きが取れないように手錠のようなものが両手両足に付けられていた。それは椅子に繋がれ、俺の体から自由を奪っている。
暴れる気はない。そうする意味もないし、先程、知覚不能の一撃によって意識を刈り取られたことが、鮮明に脳裏に焼き付いているからだ。
「なぜだ…?」
故に、疑問も覚えた。
それは、<支配>が通用しなかったことへの疑問。
「なぜ、というのは、君の能力が通じなかった理由かい?それなら私の固有スキルによるものだろうね」
固有スキルは勇者以外も保有しているのか。
女神の言っていた、「強力な固有スキル」というのは、”固有スキル自体が強力である”ではなく、”固有スキルの中でも強力なもの”という意味だったのだろう。
「そうか…」
「それでね、君に色々聞きたいことがあるんだけれども、答えてくれるかな?」
抵抗する気はない。
あくまで、表向きには。
この状況で、ただ質問に答えるだけで解放してくれるならば良い。が、拘束までした相手をみすみすと見逃すことがあるだろうか。
魔術師ギルドにとって拘束行為が普通ならばともかく、そうでないのならば言いふらされたくないはず。言いふらす可能性のある俺を無事に帰すとは思えない。
尤も、記憶操作のような魔法があれば話は別だが、そんなものが誰でも使えるならば、女神は俺たちの記憶を操作するだけで良かったはずだ。
───あったとしても、大きな改竄はできないとか、都合良く変えるのは難しいとかなのか?
「…もし、答えないと言ったら?」
概ね想像は出来る。手足についた枷、これは俺を逃がす気が無いということ。
拷問してでも聞き出すつもりだろうと思っている。
だが、圧倒的な力を持ち、魔術師である彼女がわざわざ物理的に拘束をしてくる意味が分からない。
そして、俺から数歩離れた立ち位置。
まるで、
───彼女は俺の能力を警戒している?
女神の話では、格上には<支配>は効かないとのことだったが、これが完全には当てはまらないだろう。対人では確率での成功だと思ったが、ガーベラがスキルで防いだということはそれも考えにくい。
「その答えは分かっているんじゃないか?────サブギルドマスター」
「はっ」
後ろから足音が聞こえる。
もう一人、人員が追加だ。
それも、正面と背後から、挟み込む形で。
───ガーベラは<支配>は格下にしか使えないと思っている、よな。
ならば、警戒しているのは<支配>ではない。
───単純にガーベラより俺の方が格上である、と。それを警戒しているのか。
「その枷、魔力を封じる魔道具だ。お前は魔法は疎か、魔道具ですら使えない」
魔力を封じる枷、か。
ただ物理的に拘束するだけでなく、魔法まで奪う。完全に抵抗の余地を無くしてきている。
「何も答えないと言ったら…?」
俺から数歩離れた場所にいるガーベラを睨めつけるように、俺は言う。
後ろにいるサブギルドマスターなる人物は目視できない。声からして男だということは分かっている。
「本当に分からないようだな…。サブギルドマスター、こちらへ」
「はい」
背後から足音が近づいてきて、俺の横を通り過ぎる。
俺の視界に映ったのはやたら図体の大きい男。筋肉量が人のものとは思えないほどで、魔法使いというよりは戦士のよう。
そんな男がガーベラの元まで歩いていき、何かを受け取った素振りを見せた。
───なんだ?
男が振り返る。
男の手に持たれていた物。
それは、鉄球だった。
直径15センチほどの、銀色の球体。鉄製かは分からないが、重量感は伝わってくる。
そんな物騒なものを手に持って、何をするのか。
考え得ることは、最悪で、残酷な光景。
男が鉄球を片手に近づいてくる。
歩くだけで床が揺れるような重量感が俺に迫り、つい息を飲んだ。
身長は、190センチほどか。
腕の太さは俺の首以上だろう。
「最後にもう一度聞く。答える気は?」
冷や汗。
背中にそれがツーとつたり、服が張り付く。
若干の不快感を覚えるが、それは気にならないほどの緊迫感に迫られていた。
目の前の男が腕を振るえば、俺の頭は吹き飛ぶだろう。
目の前の男が鉄球から手を離せば、俺の足は潰れるだろう。
だが、それでも、今ここで答えるわけには行かない。
女神は勇者に「戦闘の訓練をさせる」と言っていた。彼女にとって勇者が頼りであることは明らかだろう。
ならば、この大陸屈指と思われる魔術師ギルドマスターとコネクションを持っていて、彼女に指導役を頼む可能性、派遣してもらう可能性も高い。
俺が生きているということが女神の耳に入ることだけは、絶対に避けたい。
「分かった、答える。だからその物騒なものはしまってくれないか?」
「それはお前の回答次第だ。ちなみに、嘘をついても無駄だ。判定する魔道具がある」
本当にあるのか、それともないのか。
俺には分からない以上、警戒せざるを得ない。
適当なことをでっち上げて脱出しようと思ったが、それも上手くいかなそうだ。
「嘘をつこうとしていたのかもしれないが、それは無駄だ。さて、答えるか?」
嘘だと判定されないレベルに事実を織り交ぜ話を作るという手はある。だが、それを実行するには考える余裕も時間もない。
それに、嘘を判定する魔道具の精度が分からない以上、不用意に踏み込んだ真似はできない。
ならば、どうする?
どうやってこの危機を脱する?
「───遅い。やれ、サブギルドマスター」
「待っ!」
サブギルドマスターの手が離される。
鉄球が、落ちる。
グシャッ
空気の抵抗など気にもしないという速さでそれは俺の左足に向かって落下し──俺の足に着地した。
ただ、それは着地という言葉より、着弾という言葉の方が適切なもので。
異様にグロテスクな音を上げ、鉄球はゴトンと床に転がった。
「ああああぁぁぁぁぁぁ────────ッ!!!」
鮮血が飛び散る。
銀色だった鉄球は、血を上塗りされ、赤黒い球体へと変色している。
俺の足は指の先から潰れ、血肉は飛散し、機能を失った。
───痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
乱れた早い呼吸で、痛みを統制しようとする。
落下した瞬間の爆発的な痛みは過ぎ去っても、そこから続く継続的な痛みがある。
飛び散った自分の肉を見ては、痛みを感じ。目を瞑ってもまた、痛みを感じる。
そんな中でも目の前にいる二人は至極冷静で、焦っているのは俺だけのようだった。
「ああああぁぁぁぁ………く……そっ………いでぇよ…………」
人生で感じたことの無い痛み。
骨が折れ、肉が飛び散り、流血し続ける痛み。
「これで分かったか?答えるまで、何度でもこれを行うぞ?」
「はぁ………おれが……答えるの…が、先か。それとも…拷問する場所がなくなるのが先か、やってみる…か?」
「<上位回復>」
俺の言葉を受けて、ガーベラは右手を俺の左足に向けた。
彼女は魔法名を呟く。
緑色の魔法陣が彼女の手の前に現れ、それと同時に俺の左足は緑色の粒子に包まれた。
───足が…再生している?
緑色の粒子たちは、俺の左足をみるみる再生していった。それが進むに連れ、痛みも和らいでいく。
「こういう手段がある。分かるか?」
数秒経った頃には、俺の左足は元通りになっていた。もちろん痛みも完全に引いている。
だが、飛び散った血肉はそのままだ。
つまり、再生というより、左足を再構築したのだろう。
「さて、答える気は?」
「ない」と言えば、再び同じことをされる。最終的には痛みも傷も無くなるとは言え、その時は痛みを感じることに変わりはない。
この世界での拷問に、終わりはないのだ。
「答えるわけ無いだろ?」
それでも俺は、ひたすらに沈黙を続ける。
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