第114話 逆転の一手
女神の執務室。
そこにいるのは、女神、メイ、ラテラの3人だった。
いつもの机に座る女神ベール。
その机の前に跪くメイ。
そして、扉の前に無言で佇むラテラ。
そういう配置だった。
「──ベール様」
「どうかしましたか? メイ」
言葉こそ穏やかに見えるが、今のベールは荒んでいる。
指は机を叩いているし、語気も強めだ。
そうなった原因は、夏影陽里と空梅雨茜にあった。
女神の目的はヒュトールの討伐というより、アルフレッドの討伐だ。その為に勇者を派遣する必要があったのだが、やはりそれにはリスクが伴う。
枷月葵の生存。そして、それによる支配。
これらのリスクを考慮してでも、アルフレッドの討伐は成さなければならないことだった。
竜魔法の天使魔法化。
その研究にベール自身も協力していたが、必要だったのは技術のみ。アルフレッドがその技術を持つことには反対だった。
本当は<支配>して実験を進めたかったのだが、それで上手くいかなかった前例がある。対照実験の一環として、<支配>せずにアルフレッドにやらせたわけだ。
成功とは言い難かったが、その兆しは見える結果が出ていた。
あとはベール自身でどうにかできそうだったので、アルフレッドは殺しておこうという判断を下したわけだ。
勇者を使うリスクとして、殺されること、支配されることが挙げられた。
故に、二人を使った作戦。夏影陽里と空梅雨茜ほどの力があれば大丈夫な予定だった。
それと、枷月葵との接触を禁ずることも忘れない。どんな手段を使って<支配>してくるか分からないためだ。
しかし、結果はどうか。
先走った空梅雨茜は枷月葵に突撃し、返り討ちにあった。
夏影陽里は支配され、空梅雨茜は行方不明。ろくでもない結末である。
ベールが怒るのも仕方がない。ベールの落ち度というよりは、彼女らが命令無視したことが大きいのだから。
「いえ」
「そうですか。さて、どうしましょうか」
報告を聞いた時から、ベールの態度はずっとこんな感じだ。
メイもラテラも悪くない。
「早急な枷月葵の処理が必要ですね。それと、始まりの獣もですが……」
厄介なのは始まりの獣もだ。
どういう因果か、枷月葵の護衛として始まりの獣が付いている。魔族領域で彼女と戦うのは分が悪いということは、勇者2人の件でよく分かった。
「──メイ、やれますか?」
「私、ですか?」
焦り、怒り──そういった様々な感情が、ベールの中には渦巻いている。
以前、メイが殺し損ねたところから全ては始まっているのだから、自分で落とし前を付けろという気持ちもあった。
本来のベールであれば、こんな命令は下さなかっただろう。
リスクの割にリターンも少ない。アルフレッドも死んでいるようだし、無理に枷月葵に手を出す意味はないのだ。
それでも、なぜかそれが最善策だと思ってしまう。
目の前に現れた”不安”を取り除かねばならないと、そんな衝動に駆られていた。
「ラテラと二人で、枷月葵を殺せますか?」
「はい」と返事をしようとして、一瞬言葉に詰まる。
本当に、自分には葵を殺す覚悟があるのか。そんな勇気があるのか、と。
今返事を繕っても、いざ目の前に彼が現れたら、また躊躇してしまうのではないか。
ベールの命令に背いてしまうのではないか、と思ってしまう。
「メイ?」
「はっ。必ず、殺します」
ただ、できないとは言えなかった。
一度ミスをしている身。ここでノーと言って、女神に叱責されることを恐れたのだ。
「ラテラ、あなたは?」
「当然、命令ならば従うだけです」
ラテラへの<支配>は、念には念を入れ、かなり強固にかかっている。そのためか、ベールの言葉には必ず従う人間が出来てしまっていたが、それはそれで問題ない。
どちらかというと────
───メイ、ねぇ。
ベールはチラとメイを見る。
目の前で跪いてはいるが、その心の内はどうなのか。少し、女神の思想とは反対側に傾いているように見えなくもない、が。
───まぁ、<支配>は健在です。大丈夫でしょう。
メイにかけた<支配>の効果は、未だ続いている。
であれば、彼女がベールに歯向かうことはないのだ。そう言い聞かせ、安心を得た。
───それにしても、クローン技術でしたか? あれも気になりますね。
人工的な魔族の創造。喉から手が出るほど欲しかった。
クローン技術に加えて、天使魔法の作成。これらがあれば、女神の戦力は一気に増える。
「そういえば、ベール様」
「ん? どうかしましたか? メイ」
「最近、王都の冒険者ギルドの方で、魔獣の被害が軒並み減っていることが話題になっているようです。良いことではあるのですが、不自然だと」
「ああ……」
報告を受け、たしかに不自然かと思い直す。
一応、手は打っておくべきだろう。
「魔王軍の侵略も近いということです。決して気を緩めないよう、冒険者ギルドマスターには伝えておいてください」
「はっ」
適当なことを言って時間さえ稼げれば良いのだ。
魔王討伐の算段はついている。あとはもう少し、時を待つだけ。
それと、いつもベールの作戦を破綻させる少年──枷月葵を処理するだけだ。イレギュラーが起きるとすれば、そこしかない。
それはメイとラテラに処理させる。最悪、その2人が死んでも問題ない。
───そろそろメイの替え玉も使う時期でしょうか?
跪くメイを見ながら、そんなことも考える。
メイは高性能だが、別に彼女に拘る必要もないのだ。やろうと思えば、いつだってメイを殺す手段もベールは持っている。
「さて、コリンまでは私が転移させましょう。遠慮せず、受け入れてください」
「もう行くのですか?」
「ええ、何か問題でも?」
少し意外そうに言うメイだが、彼女になにか準備は必要だっただろうか。
彼女の戦闘スタイルは事前準備が必要なわけではないし、まさか化粧をするわけでもあるまい。
「いえ、問題はありません」
「そうですか。では────」
2人を早急に転移させようとした時、違和感を覚えた。
何か、大きな力の波動のようなものを感じたのだ。
それは、女神ベールの体感したことがないほど禍々しいもの。
そして、力の格は強大──そう確信できた。
しかし、それも一瞬のこと。
既にその気配は全くなく、まるで気のせいなのではないかと思わせた。
───私も疲れてるのでしょうか?
「──<長距離転移>」
なんでもないような態度を崩さず、目の前にいる2人に転移の魔法を描く。
部屋の床に描かれた青く輝く魔法陣が二人を包んでいき──瞬きをした後には、彼女らは既にいなかった。
───少しくらい、休憩しますか……。
机に置いてあるティーカップに手を伸ばし、持ち上げる。そこで、中身が空なことに気付いた。
「メイにお願いすれば良かったですね……」
転移を急ぎすぎたか、と後悔しつつ、己の空間魔法から紅茶を取り出し、注いだ。
◆ ◆ ◆
転移先は、コリン領主館。今はアルフレッドが死んでしまったが、元は彼の館である。
その一室に転移したメイとラテラは、外を見る。
太陽が浮かび始めるコリンの町並みは美しく、何よりもファンタジックだった。同じ場所に葵がいると考えると──少し胸が高鳴るのを感じた。
「メイ様。居場所を」
「──はい。では、ついてきていただけますか?」
「はい」
ラテラの冷たい言葉で我に返ったメイは、<占花>を使い、枷月葵の位置を特定していく。
案外近くにいることは判明した。そこに向かうよう、部屋を出て歩いていく。
後ろには、ラテラ。迷うことなく進むメイの足取りが、いつもより早いことに気づく人物はいない。
それからおよそ5分後、彼女らは再びの邂逅を果たすことになるのだ。