第110話 力の代償
「な、何をしたのですか……!」
「……普通に防いだだけ。見てなかったの?」
力の底が見えたと言った。
ただ、ルリに見えたものはそれだけではない。
「<影呑闇夢>」
「<天織護>!!」
使われる天使の魔法を、よく観察する。
まず目に映るのは、魔法陣の構造。
よく見れば読み取れるのかもしれないが、無駄に複雑なその魔法陣には興味がない。
更に、観察する。
魔法陣に流れる魔力と、その流れ。向き、性質、属性。その全てが見える。
ただ、そんなものでもない。
彼女の抱いた違和感は、そこにはない。
更に。更に深く、深淵を覗くように。
観察眼を光らせ、天使の魔法を観察していく。
構造だとか、そんな単純なものではない。
彼が何をもってこの魔法を完成させたのか、その歪な根本を見るために。
何かが捻じ曲げられた跡。
消しては書いてを繰り返した跡。
そんなものが見つかる。
───なにを?
魔法の発動に、そんなものは必要ない。
これではまるで、別の魔法を下敷きとして魔法を無理やり作ったような。
では、天使の魔法の下敷きになりうる、歪められた魔法の正体は何か。
よく見て、視て、観る。
「……見つけた」
そうして、ようやく見つけた。
この魔法が歪な理由。
未完成な理由を。
威力にムラがあるのは、決してアルフレッドの腕前のせいではない。
「何を……」
「その魔法の根本には、竜魔法がある」
「なッ…………」
図星だった。
これが正解であることは、彼の表情がよく語っている。
天使固有の魔法を使うために、竜固有の魔法を歪めて作ったわけだ。
道理で、あらゆる部分が歪だ。
そもそも、周りの魔力に依存する竜魔法が、全ての魔法との相性が悪い。
天使の魔法が己の魔力を使おうとするところを、基盤となった竜魔法が干渉して阻止する。結果、魔力の制御が難しくなっているのだ。
「そ、それが……」
「まだ気付かない? それが欠陥の理由」
「ど、どういうことですか……?」
研究者でありながら、その領域には達していなかったのか。
使っている本人も違和感を覚えながら、その原因までは探れなかったのかもしれない。
観察眼という魔眼があるからこそ、ルリもそれを解明できたわけだ。アルフレッドがその類の魔眼を持たないのであれば、確かに自力で気付くのは難しいだろう。
「なぜ天使の魔法に固執する? その完成度ならば、竜魔法の方が強いはず」
「それは…………」
「あなたは強い竜人。なぜ竜魔法を捨てた?」
様々な可能性はある。
もちろん、アルフレッドの意思によるものかもしれない。
しかし、もしかしたら女神の意思によるものかもしれない。
竜魔法を天使魔法に改造する手段が欲しい、とか。
女神にとって竜魔法は脅威だから、消し去りたいとか……?
考えても分からないことを考えるのは苦手である。
ルリは思考を放棄した。
「竜魔法を捨てた、ですか」
アルフレッドを倒すのは容易だ。
肉体戦闘もろくにしてこない。魔法も未完成。多分、葵でも圧勝できる。
───やっぱり人質に騙されなかったのが良かった。
人質など気にせぬ! という態度で強気に攻め入ったこと。その判断をした自分を褒めちぎりたい。
欲を言うならば、褒めちぎられたい。
だが、大きな問題が残っていた。
人質を捨てたような行為。葵が褒めてくれるわけがないのだ。
───困った……。
「竜魔法を捨てたのではない。新たな境地へ至ったのです。決して魔族では辿り着けない、魔術の頂へと」
どうしようどうしようと頭を悩ませるルリを傍目に、アルフレッドは魔法陣を描いていく。
魔力に敏感なルリは、即座にそれに気がついた。
「始まりの獣、感謝しますよ。貴女のおかげでこの魔法の欠点の消し方が分かりました」
描くのは、<聖霊福音>の魔法。
白き輝きを放つ魔法陣が構築されていき、彼はその周りに高密度の魔力を放った。
───なるほど。
基幹となる竜魔法が外部から魔力を取り入れようとするならば、その外部さえも自身の魔力で満たしてしまう。
使う魔力は全て自身の魔力となり、発動が安定するというわけだ。
欠点は、消費する魔力が桁違いに多くなること。
ただ、さすがは竜人アルフレッド。容易くその魔力を用意してみせた。
「見ろ! 始まりの獣!! これが天使の力!! 決して貴女では辿り着けない、究極の力ですよ!!!」
「……うーん」
ただ、やはりイマイチ。
ルリから見れば、それも魔法を無理やり実行しているだけで、欠陥だらけで未完成だ。
「余裕ぶってられるのも今のうちだけですよ! さあ、完成したこの力を見なさい!!! <聖霊福音>ッ!!!」
確かに限りなく成功に近いが、アルフレッドの<聖霊福音>は完成していない。
魔力の効率が悪いために、威力も高くはない。ムラはなくなったが、それだけだ。
相性の問題など気にせず、ルリの魔法をもってすれば容易に対処は可能だろう。
ただ、それでは面白くない。
肉体戦闘能力、魔法戦闘能力。どちらにおいても、ルリはトップクラス。
ならば、その力の片鱗を見せつけてやろうと。決して辿り着けぬという言葉を覆してやろうと思ったのだ。
「<聖霊福音>」
アルフレッドが使う<聖霊福音>に対抗して、ルリが使うのもまた<聖霊福音>。
竜魔法を基盤になどしていない、正真正銘の天使魔法である。
「な、なぜだッ!? なぜ天使魔法が使えるっ!!!」
「逆に、なぜ私に使えないと思った?」
アルフレッドの<聖霊福音>が奏でる音は、ルリの奏でるそれに上書きされていく。
練度も威力も、魔法の完成度さえもルリの方が上。
同じ性質のそんな魔法2つがぶつかれば、結果は目に見えている。
アルフレッドの<聖霊福音>は、容易に打ち破られていく。
ルリの使った<聖霊福音>が奏でる音によって、アルフレッドの全身が蝕まれていく。
「ありえないッ!!! あっていいはずがない!!! これは私の全てだぞ!?」
「……ん。あなたの全てが私の足元にも及ばない。それの何が不思議なの?」
「傲慢だ!! その態度はあまりにも傲慢だッッッ!!! 貴様ぁああああ!!!」
ルリに容赦はない。
魔族である彼にとって、<聖霊福音>は弱点だ。どの魔法よりも、数倍以上の効果をもたらす。
「クソっ!!! クソがああぁああああッ!!! 始まりの獣ぉおお!! 絶対に殺してやる!!!」
全身を音に打ち付けられ、そんな痛みの中でアルフレッドは叫ぶ。
美しかった青髪は乱れ、全身はズタボロ。もはや、目を開いていることが不思議なレベルだ。
「あなたはここで死ぬ。おやすみなさい、アルフレッド」
「らすとぉおおおお──────」
叫びは完遂されることなく、彼の命は燃え尽きた。
死体は、あまりにも酷い。全身を何度も殴られたような後でまでついていて、さすがのルリも後味が悪かった。
魔族に対する天使魔法の効き方を体現しているようだった。
「……<火炎>」
そんな遺体を、ルリは焼き払う。
どんなに醜い死体でも、灰となれば全て平等。
白き灰が、宙へと舞って消えていった。