第103話 潮の町、コリン
魚人魔族の言う通りに進めば、”汐風の泊”までは快適に着けた。
道中、露店のようなものも沢山見かけたが、時間が夕方ということもあり、いくつかは閉まっているようだった。
美味しい食べ物が沢山、と聞いているので少し楽しみなのは内緒だ。
部屋を取るために、俺たちは宿に入る。
外観は白いレンガで出来た風通りの良さそうな建物だった。中も同じく、清潔感に溢れている。
受付にいるのは魚人ではなかった。綺麗なお姉さんだと思い見ていると、ルリの視線が痛いので視線を逸らす。
タラスの時のように、エントランスと酒場が一体となっていることはない。完全に受付だけで、脇にはオシャレな植物や水槽まで置いてあった。
「こんばんは。宿泊ですか?」
サッパリしたショートカットの受付お姉さんが、俺たちに問いかける。透き通った聞きやすい声は、接客業が天職と思わせるほどだ。
「はい、お願いします」
「かしこまりました。ファミリールームが一部屋でよろしかったでしょうか?」
確認されて、俺は陽里の方を振り返る。
彼女と同じ部屋で寝泊まりするのもどうかという考えだ。ルリは……大丈夫だろう。
その意図を汲み取った陽里は、溜息をつきながら言葉を発する。
「それでお願いします」
「かしこまりました」
やれやれと呆れているように感じた。
受付のお姉さんは、手際よくフロント付近から鍵を取り出す。
銀色の鍵に番号の書いた札がついているそれを丁寧に俺に渡した。
「お部屋は32番になります。階段を登って真っ直ぐ、突き当りを右側にすぐです」
部屋の場所を説明しながら、お姉さんが指で示す場所には階段があった。
俺はそれを確認すると、お姉さんに礼を言って部屋へと向かう。
陽里とルリもそれに従った。
「葵くん」
「はい……」
怒気の含まれている声色に、ついかしこまってしまう。
夏影陽里、怒ると怖いのもイメージ通りだ。
「家族として来てるんだから、遠慮しちゃダメよ。ちゃんとやりきりなさい」
それが呆れた理由だったか。
確かに、挙動不審になるのも変な話だ。
家族であれば、妻と同室というのは当たり前であるのだから。
「そうだな。気を付ける」
そんな軽い反省会を行いつつ、俺は部屋の鍵を開けた。
・ ・ ・
「おお……」
リゾート地のホテル、そんな言葉が脳裏に過る。
どこか非現実的で、幻想的。白を基調とした壁にアクセントを加えるように、家具は青で統一されていた。
しかし、城のように華美なわけではない。自然の豊かさ、海の壮大さとマッチした控えめな内装は、吹き抜けの窓から入る潮風によって爽やかさを演出していた。
「綺麗ね」
呟く陽里の気持ちも分かる。
魔族領域、と聞くだけで多少は偏見を抱いてしまうものだ。大して人族と変わらないと知った時は驚くのも無理はない。
女神の屋敷は知らないが、俺が知っている人族領域の宿よりも豪華であるのは確かだ。
セキュリティ面は知らないが、日本生まれの俺としては断然こちらの方が嬉しかった。
「ベッドはどうする?」
ベッドは3つが順番に置かれていた。
ベッドとベッドの間には隙間がある。人一人入れる程度だ。
ベッドのサイズも大きく、のびのびと寝られるくらい。その上で、誰がどのベッドを使うかは重要だった。
「葵くんが真ん中を使うってのはどうかしら」
「……ふざけてるのか?」
「冗談よ。真ん中はルリちゃんで良いわね」
ところどころ冗談を挟む陽里だが、生真面目な口調は変わらないので冗談か判断し辛い。
本気と言われても俺は拒否するだけなのだが。尤も、本人もそれは分かっているだろう。
「……待って」
真ん中のベッドはルリが使うということで話を進めていたら、不満そうな顔でルリがこちらを睨んできた。
子供扱いしていることか、と思うも、どうやらそうではないらしい。
「どうしたの?」
「あなたと葵が同じ部屋で寝泊まりするのはおかしい」
───たしかに。
サラッと流されていたが、おかしいか。
特別仲が良いわけでもない高校生の男女が同じ部屋で寝る。よろしくないと思うルリの気持ちも分かる。
「私と葵くんはそんな関係じゃないわよ?」
「関係がどうとか、そういう話じゃない。同じ部屋で寝泊まりをする、それ自体が問題」
正論だ。
ルリがどんな気持ちでこれを言っているのかはともかく、健全な話ではない。
今はそういうことをしている場合ではないのだから。
「それに、あなたみたいな面倒な女に葵が捕まったら困る」
「なっ…………」
面倒な女、ハッキリそう言われた陽里が驚いた声を上げる。
あまり口出しをしてこなかったルリがバッサリ言い切ったことも、その内容も響くものだったのだろう。
───意外と恨んでるのか?
俺のこともあり、勇者たちに良い思いは抱いていないのかもしれない。
一種の敵対心というか、そんな気持ちを抱いてくれているのだ。
俺のことを思って、と考えれば嬉しい話だ。
「なにより、私はあなたと隣で寝たくない。分・か・る?」
───そんなこともないのか……?
別に本気で恨んでいるというわけではないのかもしれない。
俺が踏ん切りを付けているから、彼女も気にしないようにとしてくれているのか。
それでも残る心の靄は、こうして本人にぶつける。煽るような口調ではあるが、本気で嫌われているわけではないと陽里自身が理解するのを手助けすることになった。
「……ふーん。貴女、随分葵くんのことが好きみたいね?」
「そういうレベルの話ではない。葵は私を救ってくれた。私にとっては自分より大切な存在」
「くっ……」
仕返してやろうという魂胆だったのだろうが、その球をルリは正面から打ち返した。
あまりにもストレートな愛の告白に、陽里は逆にたじろいでしまう。
苦虫を噛み潰したような表情で、言葉を詰まらせていた。
「どうしたの? 夏影陽里。葵にちょっかいを掛けたいなら、掛ければいい。けれど、私が許すかどうかは別の話」
「あ、貴女は葵くんの……」
「正妻」
「いや、違うだろ」
キメ顔で言ったところ悪いが、結婚した覚えはない。
すぐにツッコミを入れると、頬を膨らませて睨んできた。
───反応が子供だよなぁ……。
本人に言えば怒られるので、決して言わないが。
精神年齢が実年齢に追いついてない、そんな気がしていた。
「……と、とにかく。あなたみたいな女に葵は渡さない」
「別に、狙ってないわよ……」
「みんなそう言う」
多分、本当に狙ってはないだろう。
魔獣ゆえか、ルリの警戒心が少し強すぎるだけだ。
「俺は床で寝る。それで良いか?」
俺も真ん中で寝るのは嫌なので、これが折衷案だろう。
ルリと陽里は端同士で寝れば良い。
「……私に睡眠は必要ない」
「最初から言えよ……」
そんな案を提案した直後、ルリによって暴露された。
最初からそれを言っていれば、そもそもこの論争が起こらなかっただろう。
忘れてたという感じではない。やはり、陽里に突っかかりたかった、という気持ちがあったのか。
「私が見守ってる。葵は安心して寝るといい」
続いて頼もしさを演出した顔で言うも、全く頼もしく感じなかった。
最初から言えよ!!! という気持ちしか芽生えない上、徒労だったことに余計な疲れも覚える。
「ああ、ありがとう」
とはいえ、これ以上話を拗らせるのも面倒だったので、素直に感謝だけ伝えておく。
陽里も複雑そうな顔をしていたが、同じような心境からか、突っ込むことはしなかった。
「──夕食はどうする?」
ベッドの話も終わり、そういえば取っていなかった夕食を思い出す。
宿に入る際──レストランのような場所はなかったために、宿では出されていないのか。
「ここで食事は出ないわよ。見てなかったの?」
「……ああ、いや、見てたけどな……」
「嘘ね。分かりやすすぎるわ……」
やはり見抜かれるか。
それにしても、ちゃんと周りを観察しているのは流石としか言いようがない。
「で、どうする?」
「せっかくの観光なんだし、どこかに食べに行きましょう。それで良いわよね?」
有無を言わさぬ陽里の質問に、俺もルリも首を縦に振る。
俺たちはそのまま、宿の外に出ることになった。
「意外と普通なんだな」
「街の雰囲気が、てことよね」
街を歩き、レストランを探す。
観光地に来たときにありがちな、その土地の空気感を肌に感じる。太陽が沈み始めているからか、潮風が冷たい。しかし、それすらも新鮮だった。
街の雰囲気は穏やかだ。
少し古めかしいランプに火が灯っていき、その細やかな光が街を仄かに照らす。目に優しい橙の街灯は、街の平穏を体現していた。
こんな時期なのに、という疑問が浮かぶ。
戦争、というともっと悲惨な場面を想像してしまうものだ。
衣食住、あらゆる場面で我慢を強いられるような環境を思い浮かべてしまっていた。
「コリンは内乱にあまり関わりがないのよ」
「そうなのか?」
そんな俺の表情から察してか、陽里が説明し始めた。
心情を読む能力はもちろん、何でも知ってるな、この女……。
「本戦のアルテリオ平原に行くまでのコストが高いからよ。名目上は内乱に加担しているというだけで、兵は出していないらしいわ。食糧支援は少ししているらしいけれど」
「それでこんなに穏やかなわけか」
ガリアはもっと浮足立った感じだったし、コリンが特別なのだろう。
この時期に行う魔族領域観光スポットとしてはピッタリなわけだ。そもそも、この時期にそんなことをするなという話ではあるのだが。
「ここなんてどうかしら?」
「これは……パスタか?」
「みたいね」
立て看板にメニューが書いてあるのは異世界でも共通のことらしい。
書かれているのは、シーフードパスタのような料理だ。
おそらくだが、料理は人族領域から流れてきたものなのだろう。
シーフードパスタ、シーフードナポリタン、エビグラタン……と、どこかで聞いた覚えのある単語が並んでいた。
いくら翻訳があるとはいえ、あきらかに地球の人が考えそうなメニューばかりだったからだ。
地球人が異世界に転生、人族領域に広まったレシピが魔族領域まで普及。そんな感じだろう。
「ルリは?」
「……私はどこでも……」
陽里にペースを握られているからか、やや不満気味に答えるルリだが、店に文句はなさそうだ。
「いらっしゃいませ!」
俺たちは陽里を先頭に、店へと入っていく。
相変わらず綺麗な白塗りのレンガで出来た店内は、内装まで美しい。小綺麗に並べられた木のテーブルに案内され、俺たち3人は席についた。
「お決まりになったらお呼びください」
そう言って、ガラスのコップに入った水を机に置いていく。
ガラスは高級品──そんな印象があったので驚いた。
「私はシーフードパスタで」
「俺もそれで」
「……私はエビグラタンにする」
「かしこまりました。少々お待ちください」
店内にはそこそこ人が居た。
やはり、内乱への意識は低いのだろう。
接客をしていた女の魔族は、注文を聞き終えると厨房へと入っていく。
厨房は見えないように扉で仕切られていた。細かな徹底だが、雰囲気づくりの一助となっている。
「そういえば、こういう場所は久しぶりだな」
「そもそも葵くん、こういう場所に行くイメージがないわ」
───そんな印象なのか、俺。
振り返ってみると、納得もいくような。
復讐のための行動ばかりしていたから、そんな余裕もなかったわけで。
そう考えると可哀想な奴だな、俺。
いざ他人に言われてみると、自分にいかに余裕がなかったかが分かる。
「葵、大丈夫。私もこういう店には行かない身」
隣から、ルリのフォローが入る。
ありがたい、んだが、今はそれがかえって虚しく感じた。
───良いけどな。
今みたいに時間に余裕があることが少なかったのだ。
そもそも敵地のど真ん中にいるような状況だったし。
今度、雫を誘ってなにか美味しいものでも食べに行こうと決意した。
「お待たせしました。シーフードパスタがおふたつと、エビグラタンになります。こちら、器が熱いのでお気をつけください」
そんな話をしていると、料理が出来たらしい。
豪快に魚介の盛られているシーフードパスタに、エビがたっぷり使われたグラタン。
どちらも熱々で美味しそうだ。
「伝票置いておきますね」
「ありがとうございます」
清潔感のある白い皿に盛られたシーフードパスタ。正直、異世界で食べた料理の中で一番美味しそうだ。
魚介がふんだんに使われていることもあり、中々値も張りそうな一品だが、観光地に来たのであればこれくらいは食べねばと思わせる。
「私が出すから、気にせず食べていいわよ」
「……いいのか?」
「見逃してもらったお礼、ね。ただ、一度は遠慮すべきよ」
それはそうだ。
目の前の料理に夢中で遠慮という言葉を忘れていた。陽里をあまり異性として認識していないのもあるかもしれない。
「それじゃあ、いただきます」
「「いただきます」」
目と鼻の先に美味しい料理があって、我慢できる俺ではない。
俺が一足先に挨拶をすると、二人も続けた。そのまま、俺たちは料理を食べ始める。
びっくりするほど、美味しかった。