第100話 赤龍一行
「エリスよ、身体の使い方には慣れたか?」
「はい、赤龍様のお気遣いのおかげです」
「なに、謙遜せずとも良い。それはお前の才能だ」
「赤龍様が褒めることは珍しいことです」
アルテリオ平原で戦が始まろうとしている中、平原の南側をさり気なく横断しようとする3つの影があった。
赤龍、エリス、そして赤竜山岳の受付嬢──アルトゥラだ。
目的地はないが、とりあえず敵陣に乗り込もうという短絡的な考えで歩いていた。
赤龍によってエリスの魔力が上昇したこともあり、心配の声をかけていたのだ。魔力が急に上昇すると、その影響で体を上手く操れなくなることがあるためだ。
しかし、それが杞憂だと知った赤龍は、すぐにエリスから視線を逸らした。
「ふむ。それにしても、こんなに長かったか? アルテリオ平原は」
「赤龍様、アルテリオ平原は魔族領域最大の平原ですよ」
「ほう! 土竜の巣窟よりか!」
「はい」
長く生きているためか、やや記憶が曖昧な赤龍であるが、それをアルトゥラが上手くカバーしている。
彼女は昔から赤龍に仕えていたこともあり、彼のことは十分に熟知していた。
よく分からないところで抜けている彼のサポートということもあり、彼女もよく分からないところに無駄に詳しくなっている。
「赤龍様、目的地はあるのですか?」
「エリス、赤龍様がそのようなものを設定しているはずがありませんよ」
「……アルトゥラ、我をなんだと思っておる」
考え無しです、と素直に言えるはずもなく、アルトゥラは口を噤んだ。
エリスもそれを察してか、これ以上の言及はしない。
結局、赤龍率いる3人組は、目的地もなくアルテリオ平原を歩いていた。
「……ふむ。かなり歩いたと思うのだがな?」
「まだ7割ほどです、赤龍様」
「7割も歩けば十分だと思ったのだがな」
「と言いますと?」
赤龍の思わせぶりな発言に、アルトゥラが疑問を持つ。
そしてそれには、狙いがあったならば最初から説明しろという意図も含まれていた。
エリスとアルトゥラに先導して歩く赤龍は、背中越しにその視線を感じ取る。
努めて振り返らぬよう、歩く速度を少し速めながら答えた。
「これほどの準備をしていた内乱軍が、我の対策を考えないと思うか? 野放しにしておくと思うか?」
「いえ、それはないでしょう」
「そうだ。我がここを抜ければ内乱軍の懐に潜り込んだも同然。易々とそれを許すか?」
「……それは本当に元から考えておられましたか?」
と、実は真面目な理由がありましたと説明してもこの様だ。
「アルトゥラ……我のことを考え無しの馬鹿だと思っておらぬか?」
「馬鹿だとは思っておりませんよ」
赤龍の疑いに顔色一つ変えず答えたアルトゥラではあるものの、決して「考え無し」という部分は否定しなかった。
エリスはそれに気が付いたが、赤龍はどうやら気が付かなかった様子。
「それならば良いが」と、納得して話を終わらせてしまっていた。
「尤も、ここを歩いているのに深い意味は無いがな」
───やはり考え無しではあるのですか……。
エリスが心の中で思ってしまうのも仕方がないことだ。
アルトゥラがこっそりと溜息をついているのを横目で見つつ、堂々と言い切った赤龍の頼もしい背中に付いていく。
何か問題が起きれば赤龍がなんとかしてくれるだろうし、無理な心配はしなくて良いのだ。
同じ族の仲間が全滅し、多少の不安を抱いていたエリスだったが、不思議と今はその不安がなかった。
エリスが黒蟲の呪いに蝕まれ、その解呪後に目覚めた時、目の前にはアルトゥラがいた。
フカフカの布団に横になっていて、看病するようにアルトゥラが付いていてくれたのだ。
はじめは何が何だか分からなかったが、アルトゥラから事情を聞いて色々と理解した。
後になって考えてみれば、アオイを集落に入れる際、族長が色々と勘繰ってきたのにも目的があったのだろう。
部族が全滅したと聞いたが、未練はなかった。
相棒が死んだ時から、深く関わりを持っていなかったからだろうか。そのせいで、彼らからも煙たがられていた一面もあったからだろうか。
表面上は彼らはエリスに明るく──それこそ、本当に明るく接してくれていたが、それが逆におかしかった。だからこそ、自分が好かれていないという自覚を持てていたのだろう。
エリスが他者と深く関わりを持たないのは、失うのが怖いから。
再び、大切なものを失ってしまうのが怖かった。
そう考えるうちに、他人との関わりに壁を一枚隔てるようになった。優しく、穏やかな狼人族の女。そんな仮面を被っていたのだ。
それよりも、目覚めた時は状況に焦っていた。
アオイが自分のためにここまでしてくれたこともだが、何よりも赤龍という存在に、だ。
アルトゥラの対応もどこか冷たい。彼女曰く、「エリスの世話をしているのは赤龍様に命じられたから。赤龍様にそれを願ったのが葵」だそう。
迷惑なのでは? とも思ったし、何よりも見たことのない強者──赤龍が怖かった。
それから少し経って、赤龍と会うことになった。
呪いに蝕まれていた感覚がないほど、目覚めた時から気分は快調だったが、アルトゥラが「一応」と看病を申し出てきた。
彼女の世話は完璧なもので、このままでは自分がダメ魔族になってしまうと、そんな気がした。
赤龍は、少し怖そうな初老の男性の姿をしていた。
てっきり龍の姿を想像していたが、この部屋で龍の姿になれるわけはない。
わざわざ魔族のような姿で、エリスが看病されている部屋まで出向いてくれた。
「……体調はどうだ?」
これが、赤龍の最初に放った一言だ。
この言葉で、赤龍は優しいのだと思えた。
それからは、色々と話をした。
まず、エリスに赤龍の加護を与えること。
次に、行く宛がないならば赤龍と共に来ること。
最後に、これからの予定だった。
その話の中で知ったことなのだが、どうやらアルトゥラの世話は自主的なものだったらしい。
アルトゥラの方から「まだ体調が優れないかもしれない」と言ってきたらしい。
ああ見えて優しいんだ、と知れたいい機会だった。
あれから、体調は大丈夫と伝えても世話を焼いてくるダメ魔族生成機ことアルトゥラに看病され、アルトゥラと赤龍に結構な信頼を置いている。
隠しきれないお人好し感というか、そういうものを感じ取れたのだ。
赤龍の加護を貰ったエリスは、自分のうちに湧き上がる力も自覚している。
戦への不安も、アルトゥラが問題ないと遠回しに伝えてくれていた。
「……ふむ」
そこで、先導していた赤龍の足が急に止まる。
アルトゥラとエリスもそれを見て歩を進めるのを止めた。
「なにかありましたか?」
「いや、ようやく来たと思ってな。あまりにも遅かったではないか」
赤龍の婉曲表現に疑問を覚えるが、なんのことかは大体理解できた。
内乱軍の持つ、対赤龍の何か、だろう。
「<妖護界決>」
赤龍が手を上に向け、結界魔法を使う。
それも、第5階級。最高レベルのものだ。
薄く透明な結界が上部に広がっていくのを感じた、次の瞬間。
前方上空から、何かが飛来してきていた。
赤い光を放ちながら高速で飛来するそれは、赤龍たち一行を目掛けている。
ドドドドドッッ
が、赤龍の作った結界に拒まれ、ぶつかって爆発を起こした。今のは爆撃だったというわけだ。
「随分と派手な一撃ではないか?」
「赤龍様、あちらを」
アルトゥラが指をさしたところには、竜の形を模した人形があった。
機械人形のような、不気味な動き方だ。空を飛んでいるのは、何かの魔法によるものだろう。
魔獣には見えなかった。
どちらかといえば人工物──魔道具の類に見える。
「初めて見るな? 古代遺跡の産物か?」
「はい。複数の魔法が組み込まれており、かなり高度な文明の産物と思われます」
「人工的に竜を作ろうとしたか? まぁ、何でも良いが……。我への対策にしては弱過ぎると思うのだが?」
エリスは赤龍の力を知らないが、彼が言うのならばそうだろう。
しかし、内乱軍はかなりの準備をしてきたと聞く。つまり、目の前に現れた竜型魔道具は、囮──赤龍の力を無駄に割かせるのが目的ということだ。
「排除の許可を」
「ふむ。それでも良いが、なに、丁度良いタイミングではないか。エリス、あれを壊してみよ」
突然の指名に驚く。
先程までは目を逸らしていた赤龍が、今はエリスの目を見据えて言っていた。
「わ、私ですか?」
「うむ。我が直々に力を与えているのだ。その力を試す良い機会ではないか」
そうは言うが、面白そうに笑う赤龍には含みがある。
自分の力を与えた魔族の力を見てみたい、的な。
こういう一面があることを、エリスもアルトゥラも知っていた。
こうなってしまった赤龍を説得するのは面倒だ。
アルトゥラはおとなしく引き下がり、エリスに出番を譲る。
「そ、それでは……。<炎闘牛鬼>」
エリスの前に紅の魔法陣が描かれ、そこから焔の牛頭が飛び出す。
それは凄まじい勢いで竜型魔道具に一直線に向かっていく。炎の激しさも、<炎闘牛鬼>にしては激しい。
赤龍の加護を得ているために、炎属性の魔法の威力が上昇しているのだ。
牛頭は竜型魔道具に突撃──する寸前に、かき消えた。まるで竜型魔道具の前に見えない壁があるかのように、<炎闘牛鬼>は消滅してしまった。
「え……?」
「ほう。厄介だな」
困惑するエリスの傍で、赤龍は笑っていた。




