第99話 美学に反する。
「ちょっと、バルデス様っ!? これはどういうことかしらぁ!」
報告にはじめに反応したのはアリアだった。
その感情は怒りで、矛先はバルデスに向いている。
彼女の考えはバルデスにも理解できた。
バルデスが自分たちを謀ったと考えているのだろう。そうした目的など、後から考えればいくらでも思いつく。
しかし、バルデスにもこの事態は理解できていなかったのだ。
上辺だけは平静を取り繕っているが、それがアリアには裏切りに見えたのかもしれない。実際には、何も理解してはいない。
「その報告に嘘はないか?」
「はっ! 事実であります!」
十中八九、魔王軍の仕業だ。
クローンが倫理に反するという理由で、神が手出しをしてきたとは考えない。
「とりあえず、落ち着け、アリア」
「どうしてそこまで落ち着いていられるのかしらぁ? 分かってたかのようだけどぉ」
「本当に予想外だ。だが、それでも兵には2倍の差がある。落ち着いて戦えば負けることはないはずだ」
マイラは軍師としての才に秀でている。兵に2倍の差があれば、敗北することは考えにくかった。
「どうしてそこまで冷静なのかねぇ?」
「これが魔王軍の仕業だとするならば、動揺するのは相手の思う壺だからだ」
確かに一万二千は大きな数だが、切り札はそれだけではない。
魔道具に、邪神クローンだってまだある。有象無象の兵が殺された程度で、焦る必要もないのだ。
「気にせず、進軍させよ。マイラ、お前の手腕を見せてみよ」
「……分かりましたがねぇ……」
バルデスの反応には、アリアもマイラも懐疑的な様子だった。
しかし、疑っていては事が進まないと、踏ん切りを付けたのだろう。まだ不満は持っていながらも、速やかに作戦の開始を考え始める。
───クローンの完全消滅、か。
適当な一万二千の兵が殺された可能性もあったが、一万二千という数から考えるに、クローンだけを殺していそうだ。
そうなると、邪神クローンの無事も確認したくなる。
「マイラ、一度部屋に戻る。すぐに帰ってくるから気にするな」
どこか急いた様子で部屋を出ていくバルデスに、アリアとマイラの持つ疑いの心は一層増していた。
◆ ◆ ◆
「バルデス様の裏切りなど、考えたくはないですがねぇ……」
報告に来ていた兵も帰り、部屋には3人の魔族だけが残っている。
バルデスを除いた3人──ド・ジン、アリア、マイラである。
話をするのはアリアとマイラ。ド・ジンは黙って話を聞いていた。
「なぜあそこまで冷静なのかしらぁ?」
「それは言ったとおりかもしれませんねぇ……。実際、魔王軍の仕業だとすれば動揺しては思う通りですから」
「だからって、あんな冷静になれる?」
「それはバルデス様の実力だろうねぇ」
バルデスが冷静なのは、バルデスの賢さゆえだと言いたいわけだ。
今までバルデスが焦っている場面に遭遇してこなかったマイラからすれば、その可能性も十分否定できない。
それに、クローンがいなくとも、戦争には意外と影響力が少ないのも事実だった。
一見、一万二千は大きい数字だが、よく考えてみると大したダメージではないのだ。
バルデスがそれを咄嗟に理解した上での反応だと考えれば、納得がいく。
「マイラがそう考えるならそうかもしれないけどぉ……」
「どちらにせよ、バルデス様が裏切れば我らに勝ち目はないがねぇ……? 対赤龍など、バルデス様が用意なされたものだしねぇ」
確かに、そうだ。
バルデスがはじめから裏切っていた──そう考えると、内乱軍の切り札の多くが使えないこととなる。
対魔王軍における厄介な存在の多くを、それなしで対処するのは難しかった。
結局、バルデスを信じるしかないわけだ。
「まぁ、そうなるわよねぇ……」
それをアリアも理解しているからこそ、異を唱えることはできない。
今はとりあえずバルデスに従っておけばいい。彼が魔王になるならば、媚を売り続けておけばいい。
そうは思っているものの、心の内でどこか、「内乱の失敗」を不安に思う気持ちがあった。
◆ ◆ ◆
急いで部屋に向かい、ドアを思い切り開ける。
なんの抵抗もなく扉は開き、部屋の中が見えた。あるのは、必要最低限の家具と、中央に棺が1つ。
バルデスは急ぐ気持ちを抑えられず、棺へと駆け寄る。棺には邪神の力を封印する効果が施されていて、バルデス一人で持ち上げるのは難しかった。
棺を開けようと思い、思い留まる。封印を安易に解いては女神にバレると考えたからだ。
しかし、これは邪神クローン。
邪神の封印を解いたわけでもないし、よく考えればクローンを作った時点で今更だろう。
棺の蓋に手を掛け、持ち上げるようにして開く。
かなりのSTRがあるバルデスにも重く感じられるほどで、ギギィ……と音を立てながら棺は開いた。
棺の中は、空だった。
「なぁッ…………」
「おじさん、何してるの?」
バルデスが動揺していると、後ろから声がかけられる。
幼い女子の声で、敵意は感じられなかった。だが、バルデスの気付かぬ間に背後を取られていたことに焦る。
「誰だっ!!」
バッと後ろを振り返ると、そこには銀髪の少女が居た。
棺の中に入っていた予定の、邪神クローンだ。
「邪神……」
「それが私の名前?」
自覚していない様子の幼女をよく見る。
長い銀髪とは対象的な黒いワンピースを着用していて、表情は慈愛に満ちているように見える。
しかし、内包する力は並のものではなく、禍々しい。見た目とは反して、彼女が邪神であることを確信できた。
「なぜそこに居る?」
背中に汗が流れるのを感じた。その不快さで鳥肌が立ちそうになるが、なんとかそれを抑える。
あまりにも無邪気。それがまた、バルデスを恐れさせていた。
「なんか、窮屈だったから!」
邪神の力を封じるために作られた棺であるにも関わらず、どうやって出てきたのか。
しかもそれを感じ取ってではなく、ただ「窮屈だった」という理由で容易く出てくるなど。
───ただ、主導権はまだ……
目の前にいるのは邪神クローン。
製作者であるバルデスこそが、その所有者だ。
邪神はバルデスの命令には従う。あまりにも膨大な力ゆえに魔晶石を使ったためか、自我がハッキリとあるようだが、問題はないはずだ。
「邪神! そこで大人しくしていろ!」
空間魔法からタイルを取り出し、額の汗を拭きながら語気強めに命令する。
「はーい!」
邪神は無邪気な笑顔でそれに頷くと、近くにあったベッドに腰掛けた。
それを見て一安心したバルデスは、再び会議室へと戻るべく、部屋の扉を開ける。
「どこ行くの?」
その時、ベッドに腰掛ける邪神から声がかけられる。
あまりの驚きに体がビクリと震えそうになるが、それを隠して邪神へと振り返った。
「仕事に戻る」
「お仕事? 頑張って〜」
どこまでも呑気で無邪気な様子の邪神を傍目に、バルデスは部屋から退出した。
◆ ◆ ◆
<この醜き世界>は、参謀の持つ固有スキルの能力の1つだ。
限定的な事象の改変を可能とするスキルである。
”限定的”であるのにはもちろん理由がある。使用するための制限や条件があるからだ。
まず、魔力効率が非常に悪い。
このスキルによって対象を殺すことは可能だが、ならば魔法攻撃の方が何倍も燃費が良い。ただ攻撃手段として考えるならば、このスキルは不適切だと言える。
次に、条件についてだ。
このスキルには、使用に伴う条件が2つある。
1つ目は、改変する事象を参謀自身が”美しくない”と思っていること。
2つ目は、魔王の許可を直接得ていることだ。
直接というのがポイントで、魔法やスキルなどによる遠隔での会話は含まれない。
2つ目の条件よりも、1つ目の条件の方が厳しい。
それは、そもそも彼が”美しい”と感じることは戦に関することと決まっているからだ。
つまり、このスキルは戦以外では使えない。
逆に言えば、戦争に関してであれば強く使えるということ。
例えば、生きているのが美しくない、と参謀が考えたならば、殺すこともできるのだ。
しかも、ここにおける”殺す”とは、そもそもその存在が”生まれなかった”ということに改変される。結界を使おうと、防げないというわけだ。
今回、参謀がした改変は”クローン魔族が生まれなかった”ことにするというもの。
クローン魔族の数を多く見積もって、魔晶石まで使ってスキルを使用した。
スキルを使ってもなにかエフェクトが現れるということはなく、本当に成功しているのか地味である。
が、敵陣を映す鏡を見れば、効果は一目瞭然だった。
見積もって、およそ一万二千のクローン魔族。
着用していた鎧だけがその場に転がっており、魔族の血肉は一切ない。
しかし、賑わっていた敵陣は寂しくなった。
「よくやった、参謀。ゆっくりと休むが良い」
小さく「カハハ」と笑いながら倒れゆく参謀に、雫は労いの言葉をかける。
ちなみに、倒れる彼の体を支えたのは雫本人だ。
そのままゆっくりと近くにあるベッドに寝かしつける。参謀が倒れたときのために用意していたものだ。
「総帥、軍を動かせ」
そうして、総帥にも指示を出す。
魔王軍の鮮烈な一撃によって、戦争は始まった。
「ロザリア、参謀を頼んだ。私は出向く」
「はっ。お任せください」
本格的な戦いが、今始まった。