第2話『虐げられし民』
取り調べは至って簡素なものだった。
身元不明。出身地不明。
どうやってこの街に来たのかも不明。
その旨を明かすと、俺たちはあっさりと不審人物として投獄された。
俺たちが入れられたのは、他の囚人たちもいる雑居房だ。
見たところ、アカシア人――日本人のような顔立ちをした者が多い。
監獄の中は薄暗く、カビのすえた臭いや、汗や垢の混じったむっとするような悪臭が充満している。
ろくに掃除もしていないのだろう。
房の床はベタついていて、実に不快だ。
「やあ。見ない顔だが、災難だったな。私はキリュウだ」
囚人の一人――キリュウさんが、気さくに話しかけてきた。
白髪の混じった黒髪をオールバックにした、中年の男性だ。
あぐらをかいているので分かりづらいが、身長は恐らく俺以上。
鍛えているのだろう。
首が異様なほど太く、シャツから覗く腕は、鋼のように引き締まっていた。
キリュウさんのほかにも、何人かアカシア人と思しき囚人はいたが、皆女性か子どもだった。
「どうして捕まったか、分からないんです。身なりが怪しいってだけで取り調べを受けて、そしたらいきなりここに放り込まれて……」
「理由なんてないさ。帝国は、俺たちアカシア人は、全員レジスタンスか、その協力者だと思っているんだ。まあ、私は本当にレジスタンスなんだがね」
「レジスタンス……」
日本ではほとんど聞くことのない単語を、俺は反芻する。
想像するに、キリュウさんたちは、無理やり帝国の植民地にされた国の国民なのだろう。
力ずくで国土を奪われ、主権を取り上げられ、支配権を握られてしまった、悲劇の人々。
「でも、帝国の中には、アカシア人以外にも異民族はいるわけですよね。どうしてアカシア人だけが目の敵みたいにされてるんですか」
「目障りだったのさ。異民族でありながら、我々は帝国内であまりに力をつけすぎた。生粋の帝国人――特に、中流や下流の庶民たちの不満を、白翼教と元老院は利用したわけだ。奴らは、帝国が内部に抱えるいくつもの火種――経済格差、食糧問題、軍事的緊張、これら全てはアカシア人に原因があるというデマを広めた。いくつかの象徴的な事件をでっち上げ、完全にアカシア人=悪の構図を作り上げた。あとは簡単さ。少しでも怪しいとされたアカシア人は、すぐに逮捕され、財産を没収される。俺たちは家畜と同じさ。搾り取られるだけ搾り取られ、都合が悪くなれば処分される運命にある」
キリュウさんは悔しそうに拳を握る。
彼の口ぶりからすると、帝国でのアカシア人の扱いは、かつてのナチスドイツにおけるユダヤ人の扱いに近しいようだ。
どうやら俺たちは、とんでもないところに転移してしまったらしい。
つむぎが不安そうに尋ねた。
「わたしたち、どうなるんでしょうか?」
「……万に一つは出られるかもしれないが、期待しない方がいい。大抵は『豚小屋』――収容所送りだ」
暗い顔をするキリュウさんに、つむぎはますます絶望的な顔になる。
収容所がどういう場所かは知らないが、『豚小屋』なんてあだ名がついているあたり、ろくなところではないに違いない。
と、今度はキリュウさんが尋ねてきた。
「君たち、一体どこから来たんだ? どうも、我々の事情にあまり明るくないようだが……」
言葉を濁したが、つまりキリュウさんはこう言いたいのだろう。
俺たちは、あまりにも物知らずすぎる、と。
俺は迷った。
自分たちが、異世界人であると明かすかどうかを。
信じてもらえるかどうかは分からない。
だが、話して損があるとも思えない。
望み薄だが、キリュウさんが異世界転移について何か知っているという可能性もある。
ここは、素直に打ち明けてみるとしよう。
そう結論づけ、口を開きかけたときだった。
遠くから、靴が床を叩く音が近づいてきた。
「しっ! 静かに。看守が来る」
キリュウさんが、人差し指を口の前に立てた。
異世界でも、このジェスチャーは使われているんだなあと、俺は妙な感心をしてしまう。
ほどなくして、二人の看守が俺たちの房の前にやってきた。
扉を開けて中に入ると、キリュウさんに手招きした。
「そこの男! 来い」
無精髭の看守の声に、キリュウさんは無言でうなずく。
そのこわばった面持ちは、これから自分に待ち受ける運命を覚悟しているようだった。
「キリュウさん……」
「気をつけて……」
「そう心配するな。何も殺されるわけじゃない。そうだろう?」
他のアカシア人たちをなだめながら、キリュウさんは房を出ていった。
すると、房の中の雰囲気が、一段と暗くなったような気がした。
他のアカシア人たちにとって、キリュウさんは心の支えのような存在だったのだろう。
『あの人がいれば大丈夫だ』と思えるような。
そんなキリュウさんが連れて行かれたアカシア人たちの心労は、推して知るべしだ。
だが、今は他人の心配をしている場合ではない。
俺は、隣のつむぎの様子をうかがった。
つむぎは俺にぴったりとくっつき、スカートを抱え込んで体育座りをしている。
顔の下半分を膝の間にうずめ、目はどこか遠くを見ているようだった。
「きっと、お父さん、心配してるよね」
「だろうな。お前の親父さんなんか、特に心配性だし。お前の家の門限、確か夕方の六時だっけ? 早すぎだろ」
「あはは……でも、ちゃんと事前に電話すれば過ぎても許してくれるから」
「一回、中二の体育祭の準備で遅くなったときなんか、学校まで迎えに来てくれたよな。サイドカー付きのどでかいハーレーに乗って」
「もう、本当に恥ずかしかったんだよ、あれ。絶対あんなので来ないでって言ったのに……」
当時のことを思い出したのか、嫌そうに眉をしかめるつむぎ。
本人的にはあまり愉快な思い出ではないようだが、それでも、少しでも気を紛らわせることはできたようだ。
俺は脳みそを振り絞って、他のエピソードを検索してみた。
「ああ、あとさ。合唱コンクールの――」
そのときだった。
「――ぐああああ――ッ!」
血も凍るような叫び声が、どこかから響いてきた。
キリュウさんの声だった。
せっかく、気分がほぐれてきたように見えたつむぎも、真っ青な顔で声の方向を見つめている。
その後も絶叫は断続的に響き、やがて静かになった。
キリュウさんがどんな目に遭わされているのかは、容易に想像がついた。
「ぐすっ……ひっく……」
小さくしゃくり上げ始めたつむぎの肩を、俺はぎこちなく叩いた。
「大丈夫だ。俺たちはただ、怪しそうにしてるアカシア人だから捕まったってだけだ。拷問なんてされるはずがない」
「うん……ありがとう、しおくん」
自分で言っていて、実に空々《そらぞら》しい気休めだと思ったが、つむぎはなんとか泣き止んではくれた。
慰めたつもりが、逆に気を遣わせてしまったようだ。
本当に、情けない男だと自分で思う。
だが、自己嫌悪に浸っている場合ではない。
今は、少しでも情報を集めて、ここを脱出する方法を探さなければ。
俺は同じ房のアカシア人の人たちの会話に耳を済ませた。
「イブキの奴、ロータスさんのところに着いたのかね?」
「あの子の足なら大丈夫じゃない? まあ、どのみち馬車に乗れてたとしても、隠れ家に着けるかどうかは五分五分ってとこだけど」
俺はすぐさま、その会話に食いついた。
「その、ロータスさんって人、どんな人なんですか?」
「え? アカシア人の国外離脱を支援してくれてる帝国人だけど……」
「その人には、どうやったら会えるんですか?」
「街の東にある停留所の近くに雑貨屋があって、そこの店主に『メラノから来た蓮の花の彫刻はありませんか?』って聞けば……って、何でそんなこと聞くの?」
「もしここを出られたら、その人に会いに行こうと思ってるんです」
すると、アカシア人の女性は呆れたように首を振った。
「……出られるわけないよ」
「そうかもしれない。だけど、ほんの一瞬でもチャンスがきたら、俺はそれを必ずものにしたいんです」
そうだ。諦めてはいけない。
情報はあってありすぎるということはない。
どんなささいなことでも、きっと何かの役に立つはずだ。
すると、それまで黙っていたアカシア人のおばさんが、俺に話しかけてきた。
「……アンタ、その服どこで手に入れたんだい?」
「俺の故郷だと、若者なら普通に着てる服ですけど、それが何か」
「その詰め襟、滅んだあたしらの国――アカシア皇国の古い軍服そっくりなんだよ。そんなの着て歩いてたら、私は反帝国のアカシア人ですって言って回ってるのと同じさね」
現代風にいうと、軍服を来た過激派の右翼活動家みたいな目で見られていたということか。
それは確かに、怪しまれても仕方ない。
その会話を皮切りに、俺たちはお互いの故郷の思い出話に花を咲かせた。
アカシア皇国は、かつては帝国の東部に位置する大国だったらしい。
しかし、今では名目上アカシア人収容所という形で、実質的には植民地として扱われているのだとか。
「あたしゃ本当に悔しいんだよ。帝国の犬どもが、神聖な皇都の地を土足で踏み荒らしてるってことがね!」
「仕方ないよ。大僧正様が、あれ以上の戦いをお望みにならなかったから……」
「どれもこれも、あの裏切り者の一族のせいだよ! あいつらさえ帝国に寝返らなきゃ、まだ何とかなったかもしれないのに……!
鼻息を荒らげながら、おばさんは熱い口調で語る。
祖国を喪ったことに、未だやりきれないものを抱えているのだろう。
と、また看守の足音が聞こえてきた。
「おら、ちゃんと歩け!」
「うう……」
「キリュウさん!」
アカシア人の人たちが、悲鳴を上げた。
看守二人に腕を掴まれ、キリュウさんは半ば引きずられるようにして房に連れられてきたのだ。
房の扉が開き、投げ捨てるように看守はキリュウさんの腕を放した。
「ひどい……」
つむぎが両手で口元を抑える。
相当手ひどく殴られたのだろう。
キリュウさんの顔は二倍以上に腫れ上がり、目も満足に開けられない有り様だった。
くの字に曲がった鼻から、鼻血が出た跡があり、乾いた血が顎の下にまでこびりついている。
よく見ると、両手の爪は全て剥がされていた。
恐らく、絶叫を上げたのはこのときだろう。
アカシア人の人たちの間に怯えが走る。
次の犠牲者は一体誰なのかと、顔に書いてあるようだ。
しかし、無精髭の看守が指名したのは、彼らではなかった。
「次は新入りの二人だ! ついて来い!」
「ひっ……!」
息を呑むつむぎ。
その整った顔には、ありありと恐怖の色が浮かんでいる。
俺はとっさに看守と彼女の間に立ちふさがった。
「尋問するなら俺だけにしろ。この子は何も知らない」
看守は下からこちらの顔をにらみあげ……やおら俺の腹を殴りつけた。
身体の奥にまで届くような衝撃。
意思とは無関係に息が吐き出され、俺は何度も咳き込んだ。
「俺に命令するな。アカシア人め」
ペッとツバを吐き捨てると、看守たちは問答無用で俺たちを連れて行った。