決意182日前 常識
工事開始後に現場で私たちがする事は、大きく分けて二つだ。
一つは他作業会社と現場との打ち合わせなのだが、今回は自分たちの業者で全て作業が完結できる工事範囲だったので、細かい打ち合わせは必要なかった。しかし現場によっては、屋根の工事が終わった後に足場を組み替えを待ち、外壁に窓枠がある場合それが付いてからこちらで外壁工事に取り掛かったり。業者Aの〇〇が終わったら、自分たちの××に取り掛かり、自分たちの××が半分終わったら業者Bと業者Cが作業を開始して…。このようにかなり細かい打ち合わせが必要になってくるらく、工事課の全員が「そういう現場が一番イヤ」と言っている。
そしてもう一つは現場の記録残し。実際の工事がきちんと図面通りになされているか、使用されている部材が最初の契約通りのものが使われているか等を写真に残し、必要に応じて監督に提出する。現場によっては監督が全部やってしまう事もあるのだが、逆に全部押し付けてくる監督もいるらしい。公共施設の工事だとこういう記録を完璧に残す必要があるので、大変だったりする。今回は監督が全部やってくれる現場だった。
結局何が言いたいかというと、工事が始まってからは若干余裕ができて安心したという話。オーダーが通った後は、キッチンでシェフが料理を作っている最中、ホールスタッフがやれる事は皆無なのと同じである。
初日は確かにバタバタしていたが、そこも何とかなった。あの後玄田職長には「そんぐらい知っとけ!」怒鳴られ、木村さんには「そんぐらい知っとけ」とイヤミを言われたが、それ以外は何も滞りがない。工事1日目は搬入とデッキ取付、2日目はボード取付、3日目はシート貼付。今日と明日で細部を仕上げて、屋上の工事は完成予定。
「実際の作業はなるべく見とけ」という安斎課長、進藤さん両者のアドバイスを受けて、昼過ぎまでは現場で作業を眺めていた。
進藤さんは前に「工程が軌道に乗ると、基本ラクになる」と言っていた。確かにその通りであ、これを実感している。ただ、加えて「デカイ現場の方が軌道に乗ってる時間長いけど、小さい現場はすぐ終わってすぐ次が来るからその方が疲れる」とも話していた。実際私自身、安斎課長からすでに次の現場の図面を渡されていた。
次の現場の準備も始まり作業量も多かったが、毎日のように社内の誰かしらから怒られていた以前よりマシである。金曜日は20時には会社を出られたし、土曜日に至っては現場作業が終わると定時で帰宅できた。今現在、16時半、となると今日も20時には一旦終えられる。
どこかで聞いた話だが、社内で誰かが怒られていると、その本人以外も仕事へのモチベーションや効率が下がるらしい。「自分も怒られるかもしれない」とか「怒られないように気を配ろう」とかそういう方向に意識が向かい生産性が下がるとか。となると、怒られない環境に身を置くのも大事なはずだ。
なんとなく、いつもよりオフィスが静かに感じていたのだが、そこに私の携帯電話の着信音が静寂を独占した。
現場監督からだ。
「山本さんの番号だよね?」
「はい、そうです。お世話になっております」
「君さ、アレどうすんの?」
「アレというのは」
「はあ、ゴミだよゴミ!」
「ゴミというのは、詰所に昼ごはんのゴミとか置きっぱなしにしてしまってたとかですかね…」
「ちげーよ、廃材だよ廃材! お前多すぎんだろあんなん!」
「え、えっと、すみません!」
私は慌てて、最初の取り決めを確認する。そこには『ゴミ処理などの料金は現場で持つ』という旨の記載があったのだが。
「お前現場の管理初めてなんだよな? じゃあ先輩とかに聞いてみろ! ゴミの廃棄のお金いっつも現場に出してもらってましたか、って。みんな自分たちで出すって言うぞ? 現場側で払うわけねーだろ! 常識を考えろ常識を!」
「すみません、先輩に聞いてみます」
私は携帯電話のマイクを押さえて進藤さんに尋ねた。
「あの、ゴミ処理代ってどっちが出すものですか?」
「まぁ大体は現場じゃない? モノとか量にもよるけど、現場がまとめて捨ててくれてる現場が大半だったなぁ」
「…ありがとうございます」
量は、問題ないはずだ。作業ミス等を想定してほんの少しだけ予備部材を入れるのはよくある話だが、それでも大量の余りが出ないと思う。
再び監督に声をつなげた。
「もしもし、あの、先輩も大半は現場が出してると言ってます…」
「はぁ? そっちにとっての常識、押し付けんじゃねーよ! みんながみんな、自分にとっての常識を通せるわけじゃないんだよ!」
「…すみません」
「支払いの時、ゴミ代は引いて相殺した金額にするからな!」
『常識を押し付けるな』と言った貴方も、同じように常識を押し付けているのではとも思ったが、腹にしまっておいた。
いくら私たちにとっての客とはいえこんなに簡単にお金を取られるのかという事、自らの常識を押し通しているのに気づかない人がいる事、そして社外の人間の取引相手にもこんなに本気で怒鳴ってくる人がいる事。
これらを私は今日学ぶことができた。