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決意186日前 長い1日


 今日が始まってまだ4分しか経っていない、そんな中で私は車を走らせている。車を走らせている理由は、ものを運ばなくてはいけないから。


 TTワークスに部材を納入した翌日、TTワークスは私の工事を請けられなくなった。理由としては他の現場に人を割かなくてはいけない事態になったから。こういう、直前で工事会社を変更するというのはよくある話だ。他の現場の作業状況や、天候、あるいは体調で工事スケジュールが変更されてどうしても新しい現場の工事開始日に合わせられない事はある。仕方のない事なのだ。結局人数に余裕がある玄田板金工業が作業員を分けて対応する運びとなり、そのまま依頼を受けてもらう流れになった。こういうのは、よくある話。仕方ないのは、分かっている。


 しかし仕方が無いからといって、このしんどさも無くなる訳ではない。


 工事を依頼するにあたって予定を抑えてもらう事は電話一本で出来るのだが、それ以外の業務は大量に発生する。

 まずは、依頼金額を提示した契約書を支店控えと工事会社控えの2枚を作成し、両方の書類を送り、支店控えの契約にサインと印鑑をもらって、それを送り返してもらい、書類が返ってきたらそこでやっと「其方の提示した金額で工事を実施します」という契約を成立させる、という業務。結局工事開始日までにこれらの過程が間に合わず、途中まで契約書無しで作業してもらうことばかりなのだが。これに加えて安全書類という現場への提出物があり、どの業者に工事を依頼したのか、会社登記簿は存在する業者なのか、作業員のそれぞれの名前、それぞれの連絡先、それぞれの緊急連絡先、それぞれの有資格、これら情報をまとめた書類を作成するという業務。こちらは工事開始前に必ず提出する必要がある。

 大まかにこの二つの業務を終えてやっと、職人は作業に取り掛かる事が正式に可能になる。

 今回の工事を始めるにあたって、工事業者の変更があった。という事は、この二つを、二回。依頼書のやりとりをやり直して、安全書類を作り直して。

 工事前の準備は他にも色々とあり、部材発注、現場納品物の運送業者とのやりとり、図面の修正、会社製品の作業手順書作成、その他諸々。とにかく、量が多い。


 工事前日夕方、部材受け取りをしなければならない事を思い出す。慌ててTTワークスの真島さんに電話をして、TTワークス事務所玄関に部材の箱を置いてもらうようにした。玄田板金職長の玄田さんには明日の朝直接現場に持っていくと伝えた。

 22時30分ごろに車で支店を出て、TTワークスで箱を全て拾いに行った。帰りの道中のここで24時を超える。おそらく24時20分ごろには家に着くだろう。業務上必要な移動時間は仕事中とみなされると聞いた。21時、22時まで長時間仕事をするのはザラだったが今日で記録更新だ。


 配属されてからは、社宅での一人ぐらし。いくら帰りが遅かろうと誰にも迷惑はかからない。


 道路灯は私だけを照らしていた。

 私は一体何のために信号を守っているのだろうか。そんな事も考えた。


 家について、シャワーだけ浴びて、寝た。結局寝たのは何時だったのだろうか。






 そして、朝5時に目を覚ます。

 30分足らずで身支度をして、車で直接現場に向かう。途中のコンビニで朝食を買い、ハンドルを握りながら惣菜パンを頬張る。4時間も寝ていないと思うのだが、妙に目が冴えていた。


 工事現場は通常、朝8時から作業が朝礼を行いその後作業が開始される。これに間に合わせるために現場に向かうのは当然なのだが、それより前に玄田板金工業の職長である玄田さんに直接の挨拶しておきたい。書類と電話でやりとりしただけなので、打ち合わせも足りていないかもしれない。

 現場に着くと、でかいラフタークレーンと、何台かの車と、そして玄田板金工業株式会社と黒文字で書かれてた銀のハイエースがあった。中で人がタバコを吸っている。窓をノックすると、その人はタバコの火を消して出てきた。


「よう、お前が山本か」

「はい、よろしくお願いします。玄田さんでお間違いないでしょうか」

「そりゃそうだ、他に人おらんしな」

「そうですね、すみません」

「新人だよな?」

「そうですね」

「だよな。とりあえずモノさえ入れてくれたらこっちでやるからよぉ、そこは頼むぞ」

「はい、ありがとうございます」

「おいおい、動きが硬えな」

 玄田さんは、私の方を小突いた、と思う。小突いた、と表現するにはなかなか鈍い音がなっていたとも思うが。


 玄田さんは、明らかにヤンキー上がりだ。喋り方、立ち方、笑い方、動き方で分かる。

 真島さんはどんな人だったのだろうか。


 玄田さんへの挨拶を済ませ、現場監督の元にも二人で挨拶に行く。

「今日から現場に入ります玄田板金の玄田です。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします、多分小さい工事なのですぐ終わっちゃうかと思いますけどもね」

「そうですね。短い間でもすぐ終わりそうですね」

「何人で来たんですか?」

「今日は3人ですね。今日は、って言っても今回はずっとこの人数ですけど」

「わかりました了解です。あと、ついでに今から現場教育もしちゃっていいですか?」

 現場教育とは、それぞれの現場における細かいルールを説明のことである。

「わかりました、山本、車にいる二人呼んできてくれ」

「あ、はいわかりました」

「じゃあ、下の詰所で説明するから、準備できたら呼んで下さい」


 私は先程の駐車場に戻りながら思う。

 何もかもが人生で初めての体験であるが、この人たちにとっては今までやってきた沢山の仕事の中の一つでしかない。進藤さんも、最初は職人さんに負んぶに抱っこでいいから経験することが大事だと言っていた。職人さんをきちんと頼れば、なんだかんだ上手くいくのかもしれない。


「安全帯の使用は徹底を——」

「地図のここが駐車場で——」

「コンビニがここにありますが、長時間たむろしたりするのは——」

「敷地内は全部禁煙で、車の中でも——」

 玄田さんが小さい声で、「やべ」と言っていたのが聞こえた。


 現場教育が終わると、木村さんが現場にいた。

「流石に初現場だからな。来といたわ」

「あ、ありがとうございます」

 なんだかんだ、面倒見のいい人である。


 朝8時。

「おはようございます、朝礼始めます。各自3分間、準備運動お願いします」

「それぞれ職長、作業内容お願いします」

「本日の注意事項伝達します」

「足場使う会社さんはそれぞれでチェックお願いします」

「他連絡事項ある会社さんいますか」

「それでは本日もよろしくお願いします」

 現場監督はルーティンのように決められた言葉を発すると、現場の事務所に戻っていった。


 現場直接納品の資材が来るまでの間は、玄田さん木村さんは現場状況と作業内容の確認、そして私と他の作業員は道具の準備。夜の間に取りに行ったモノも、今日から使用する。これが終わればあとは玄田さん達が全部やってくれる。


 私の携帯電話が鳴った。搬入業者からだ。

「あと5分で着きますのでー」

「わかりましたー」


 こちらも問題なく、予定通り届いた。ラフタークレーンで順番にものが屋上まで運ばれていくのを、地上から見守っていた。現場に直接入れたのは、シート屋根の下を支えるデッキプレート、屋上断熱材用のボード、屋根用のシート本体。そして以前TTワークスに入れたのは①デッキプレートと建物鉄骨を止めるビス②ボードとプレートを止めるビス③ボードとシートを止めるビスの三つである。デッキプレートの設置を最初に終えてそのプレートの上に他のものを置いておく計画なので、①のビスは初日必須だった。

 かなり色々な面倒をくってしまったが、計画通りに進められそうだ。


 いや、進められそうだったのだが。屋上で作業する玄田さんから電話が鳴った。


「おい山本、①のビスねーぞ」

「え、いや、三種類全部持ってきたと思うんですが」

「ちげーよ、①のビスが足りてねーんだよ」

「個数ですか? えっと、計算して2ケース用意したんですけど」

「そうじゃねぇよ、これじゃパーツがたらねぇんだよ」

 静かな声だったが、明らかに苛立ちが籠っているのがわかった。


 ①のビスは二つのパーツに分かれており、どうやら片方のパーツが足りてないらしい。進藤さん曰く、職人さんは工事無駄に遅れさせると本当に怒る、らしい。それをまざまざと実感した。実感したところでどうする? 今から発注をかけるか? いや発注をかけても届くのは今日中じゃない。何か代用品は? そんなものはない。そもそも、シート防水関連のビスはほとんど代用が利かない。心臓を直接握られ、そこにあった血液が背中と頭の後ろに追いやられたような感覚が走った。


「山本、電話代われ」

 木村さんが私の携帯電話を受け取った。

「どうしました? ええ、本当ですか。わかりました。すぐ対処します」

 木村さんが私の携帯電話を返した。

「お前バカだろ? なんで①のビス片方しか入れてねーんだよ」

「いや、多分発注自体は問題ないと思います」

「じゃあなんで持ってきてねーの?」

「①の箱に全部入ってると思ってたのと、そもそもパーツ分かれてるとは思ってなくて」

「仕様書見れば分かるじゃねーの? それぐらい」

「すみません」

「すいませんじゃねーよ、何とかしろよ?」

「…もしかしたら、TTワークスさんのところにまだあるかもです」

「昨日の夜取りに行った時に確認しとけよ」

「すみません」

「すいませんじゃねーよ、ったく」

 木村さんはケータイを取り出した。

「ああ、真島さん、忙しいところすみません。デッキ用のビスなんですけど…そうですか、わかりました。取りに行かせます」

 そしてケータイをしまう。

「今真島さんたち三浦市で工事やってるからそこまで事務所の鍵取りにいけ。んで、事務所で①のビスとって、こっち来い。鍵はポスト入れといて良いってよ」

「…はい」

「何してんの? 早くいけよ?」

 私は車まで走った。


 急な変更が色々とあった。それでも頑張って間に合わせたのは何だったのだろうか。真島さんは「全部外に出しておいた」と言っていた。あの確認は何だったのだろうか。深夜であろうと仕事のために車を走らせた。私の昨日の夜は何の意味もなかったのだろうか。


 ここから三浦市までは2時間、そこから事務所まで1時間半、事務所から現場まで1時間。長い運転だった。現場に戻ってからは、ただ作業を眺めているだけだった。




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