決意196日前 ブーメラン
夏。
初めて現場を請け持つプレッシャーから、土日は全く落ち着かなかった。
先週の打ち合わせは大したことを決めていなかった。挨拶をして名刺を交換して、私が新入社員だと紹介をされて、木村がサポートしつつ現場を対応していくとか、あとは暑い時期の工事だから熱中症対策を万全にするとか。他の内容はあまり覚えていないが、熱中症とは何かを知っているので、ここだけはしっかり理解できた。休憩室はクーラーをガンガン効かせて冷蔵庫に麦茶を常備し熱中症対策用の塩飴も置いておくらしい。
そしてもう一つ覚えていたのが、「足場が組み上がっていないので今日はまだたくさん打ち合わせしてもしょうがない。なのでまた後日にしましょう」という会話。何故覚えていたかというと、現場の帰り車中に木村さんから「次の打ち合わせはお前一人で行ってみるか」と言われたからである。次の打ち合わせは山本一人で行ってみる事、それだけはしっかり理解できた。
週が明けて月曜日。私は木村さんの宣言通り一人で現場に向かわされた。
現場には車で向かったのだが、免許取得時以来二年ぶりの運転は恐怖にまみれていた。
工事現場に着くと、足元の鉄板が直射日光をガンガン吸収しているのが、安全靴の底からでもわかる。
木村さんからの指示はこうだった。
「足場の組み上がる時期はいつか、ラフタークレーンが現場に入る日はあるか、ラフタークレーンが入らない場合いつなら手配してもらえるか、もしラフタークレーンが入る場合はどのぐらいの時間ラフタークレーンをこちらで使う事が可能か、をとりあえず確認してこい」
ラフタークレーンは、工事現場において資材を高所に引き揚げるための建設車両であり、屋根・外壁工事には必須なのだ。
私は訳も分からないまま現場監督にアポをとり、そして赴いた。私は本能的に理解していた、この打ち合わせがどうなるのかという事を。
「あの、監督さん、打ち合わせよろしいでしょうか」
「あ、はい、もうそんな時間か」
「えっと順番に確認したいんですけども、足場ってあとどのぐらいで組み上がりますか?」
「多分来週末かな」
「来週末ですね、わかりました。次に、ラフタークレーンが現場に入る日はありますか?」
「それがね、今のところないのよ」
「であれば、いつごろなら手配して頂けますか?」
「あれ、そもそもこっち手配だっけ?」
私は詰まった。誰が、何を用意するのか、それすらも理解していなかった。監督に断りを入れ、早急に盛岡さんに電話する。「それはね、現場側が手配してもらえるよ。最初の契約で監督さんにも話してるし、料金もそれ考慮してるから大丈夫よ」と、即座に確認が得られた。
「あ、最初の契約で、現場手配ってなってるみたいです」
「そっかそっか、じゃあ逆にいつ頃がいい?」
私はまた詰まった。またも盛岡さんに電話すると、「そこから先は、工事課の人と話した方がいいよ。職人さんの兼ね合いもあるし」と言われ、今度は早急に木村さんに電話する。木村さんは電話に出なかった。
「えっと…」
何も答えられなくなった。
「あのさ、そのぐらい考えてから打ち合わせに来たら?」
「すみませんでした」
ほとんど何も分からなかった。知れたのは、足場が来週末に組み上がる事だけ。
現場を後にしようと車に乗ったとき、木村さんから連絡がきた。
「ごめんね電話出れなくて。どうだった? クレーンいつ入るかわかった?」
「すみません。わかりませんでした」
「は? 何でそんなことも聞けなかったの? どういう打ち合わせしてんの?」
「すみません、打ち合わせをどう進めればいいか分からなくなってしまって」
「ごめん、どういうこと?」
正直なところ、この言い草にはムッとした。こんなふうに丸投げして、知識が何もなければ話し合いも上手く行くはずがないのも想定できないのか。木村さんが呆れているのはすぐにわかったが、私にはそんなふうに呆れる木村さんの頭はわからなかった。
「お前さ、教わらなかった? 分からないことは聞けって。教わったよな? 指示された内容がわかんなかったら、分かるまで質問したり確認するんだよ。いいか、足場の組み上がる時期はいつか、ラフタークレーンが現場に入る日はあるか、ラフタークレーンが入らない場合いつなら手配してもらえるか、もしラフタークレーンが入る場合はどのぐらいの時間ラフタークレーンをこちらで使う事が可能か、たったこれだけ確認するだけじゃねーか」
「あの、逆にいつならいいかっていう話になってしまいまして」
「そんぐらいわかんだろ、工事初日に必要なんだから。他の現場がいつ終わるかを職人さん達に聞いたり、こっちの現場に人数割いて初日の搬入だけやってもらたりをお願いしたら自然とわかるだろ」
「…すみません、教わってなかったので」
「だから、分からないことは聞けってって言ったじゃん」
「…すみません。わかりました、となると自分の確認することは、職人さん達の他の現場終わるかどうか、だったりこっちに来てもらえるかという部分ですかね」
「まぁ、そうなんだけどさぁ、言ったことぐらい一回で覚えろよ」
ここで私は、素直に謝るべきだった。覚えられないことを謝れば済む話だった。しかし、私は思ったことや気づいたことをつい口に出してしまうタイプの人間であったのだ。
「あれ、でも木村さん、分かるまで質問したり確認しろって言ってましたよね」
自分でもわかっていた。言うべきでは無い、表に出してはいけない、と。
「…あー、そういう事言う。いいよ、だったらお前には何も教えねーわ」
私は、今度こそ謝るのだった。
「すみません、そんなつもりは。すみませんでした」