宣戦布告
クララの後ろにいたのは、背が高くガタイの良い、無表情な男性だった。
グレイの短髪にダークブルーの瞳、厳めしい目つきに眉間の皺。不機嫌であることを一切隠すつもりのないその様子に、クララは静かに息を呑む。
「殿下!」
そう言って膝を付いたのはシリウスだった。コーエンは軽く首を傾げたまま、憮然とした表情を貫いている。クララは慌てて膝を折り、他の騎士たちと同じように頭を垂れた。
(殿下…………ってことは)
今目の前にいる男性。彼こそがこの国の第1王子、カールなのだろう。
「シリウス、おまえは俺の側近だろう。この男に負けるとは何事だ?」
「はっ。申し訳ございません!」
シリウスの声は小刻みに震えていた。
カール王子は軍事力を重要視する王子だ。
つい百年ほど前まで、この国は小さな内乱が頻発していた。今は内乱も落ち着き、他国から攻め入られることも無い。けれど、この平和は確固たる軍事力あってこそだ。――――それがカールの考え方である。
側近に文官ではなく近衛隊長を重用している所からも、彼がどんな国を目指しているのかは明らかだった。
「こんなナヨナヨした男に負けて、恥ずかしいと思わないのか?そんなことでは国は守れん。領土を広げることもできない」
「殿下の仰る通りでございます」
元より反論させる気など一切ないのだろう。ひたすらに暴力的な言葉でカールはシリウスを詰っていく。
(失礼な人。コーエンはすごく強かったのに)
その事実を一切考慮しない、頭の固さ。一連の発言には、シリウスだけでなく、コーエンへの配慮も全くない。シリウスを責めるようでいて、コーエンのことを遠回しに非難している。
本当は今すぐに頭を上げ、彼等の代わりに反論したかった。けれど、相手は王子だ。厳格で慈悲もない、話の通じない人間。今のクララの身分では、どうすることもできない。
「それからそこの女。顔を上げろ」
唐突にそんな言葉が聴こえる。
(そこの女って……)
この場にいる女性はクララだけのはずだ。腹立たしさを感じながらも、クララはゆっくりと顔を上げた。
ピリリと張り詰めた空気。感情を感じないダークブルーの瞳がこちらを見下ろしている。
「名は?」
端的に問われ、クララはぐっと唇を噛んだ。
「クララ・スカイフォールと申します」
聞かれたことにだけ答えると、クララは再び頭を下げる。早くこの場から立ち去りたい気持ちだが、クララには選択権はない。
未だコーエンは、無表情のままカールを見つめていた。
「ふん。なるほど――――フリードはおまえを選んだのか」
じろじろと品定めされながら、クララは唇を尖らせる。不躾な視線は慣れっこだが、こんな風に見下される謂れはない。
「ようやく役者が揃ったというわけだ。なぁ、イゾーレ」
「はい、殿下」
カールの背後で高く冷ややかな声が響く。
(イゾーレ?)
そっと顔を上げると、そこにはクララの想像通りの女性が立っていた。
少し青味がかったプラチナの長い髪の毛に、夜の闇を映したような深みのある青い瞳。くっきりとした目鼻立ちだが、その美しい顔からは感情が全く読み取れない。イゾーレ・メンゼル侯爵令嬢だ。
「ご無沙汰しております、スカイフォール様」
まるでお手本のような完璧な動作でイゾーレが礼をする。クララも同様に礼を返した。
メンゼル侯爵はこの国における軍事のトップ、大将位にある御方だ。その娘、イゾーレは幼い頃から剣を握らされていたらしい。大変厳しく躾けられた結果、今のような人格が出来上がったというわけだ。
「このようなところであなたにお会いすることになるとは、想像もしておりませんでした」
クララはそう言ってイゾーレを見つめる。
イゾーレは決して社交的な人柄ではない。けれど、幼い頃から父親同士を通じて多少交流があった。とはいえ、屋敷に来たところで互いに殆ど会話はなかったのだが。
「ふん、どうせすぐに決着はつく。イゾーレはすぐにおまえの手の届かぬ存在になるさ」
カールはそう言ってイゾーレを抱き寄せた。さり気なく為された勝利宣言。クララはひっそりと眉間に皺を寄せた。
「それはどうでしょう?」
これまでずっと黙っていたコーエンが、ようやく言葉を発する。その挑戦的な口調に、クララは目を見張った。
「案外良い勝負になるかもしれません。……いえ、そうなるようこちらも努力しましょう」
先日ヨハネスにしたのと同じような慇懃な口調で、コーエンは笑う。クララを庇うように後に隠すと、ほんのりと汗と香の混ざり合った臭いがした。
「フリードがようやく本気になったということか。――――いいだろう」
コーエンとクララを交互に見遣りながら、カールはニヤリと笑った。
「そちらの方が面白い。すぐに敗北を思い知らせてやろう」
楽し気な笑い声を上げながら、カールが踵を返す。イゾーレも彼の後に続いた。
騎士たちが安堵のため息を吐きながら、鍛錬に戻っていく。後に残るのはクララとコーエンの二人だけだ。
「……良かったの?」
「何がだ?」
クララが尋ねると、コーエンはいつもの口調に戻っていた。大きく伸びをしながら、凝り固まった身体をポキポキと鳴らしている。
「殿下に相談もなしに、勝手に……あんな宣戦布告みたいなこと言って」
クララがそう言って首を傾げると、コーエンは目を丸くした。
「なんて、わたしは正直スカッとしたんだけど」
気恥ずかしさからコーエンを直視することができない。けれど、どうしても伝えたかったことだ。
コーエンはプっと小さく吹き出しながら、クララの頭を無遠慮に撫でた。知らず頬に熱が集まる。心臓がドキドキと鳴り響いた。
「よし、そろそろ戻るか。クララ――――これから忙しくなるぞ」
真っすぐにクララを捕らえる挑発的な笑み。それがこんなにも好ましく思える日が来るなんて、思ってもみなかった。
身体がフワフワと浮かび上がる様な心地。血液が興奮で騒ぎ出す。何がこんなにもクララを駆り立てるのかは分からない。けれど、こんなにも何かを楽しみに思うのは初めてだった。
「はい!」
クララは満面の笑みを浮かべると、力強く地面を蹴った。




