表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/39

【番外編】王太子婚約者の恋愛事情(後編)

 ヨハネスとクララは、宮殿までの道のりを並んで歩いた。クララは王太子の婚約者で、密室で異性と二人きりになるべきではないし『内緒話をする時は外の方が良い』とヨハネスが言うからだ。



「コソコソするから怪しまれるんだよ。堂々としている方が余程良い。もっとも、今から君に話すのは機密事項ではないけどね」



 勿体つけた言い方に、クララは僅かに片眉を上げる。



「機密事項じゃないけど提供したい情報? 一体どんな?」


「もうすぐ隣国の王女が来訪することはクララも知っているだろう?」


「ええ、それはもちろん」



 四方を海で囲まれたシャルゾネリア王国。渡航には大きな危険を伴うため、外交には大使を立てられることが多い。

 けれど今回、コーエンの王太子即位と、クララとの婚約を祝うため、王女アリスの来訪が決まっていた。



「アリス王女はね、絶世の美女らしいんだ」



 ヨハネスはそう言って、悪戯っぽく瞳を細める。それで?と視線で先を促してみても、彼はニコニコと微笑むばかり。



「…………へーー、そうなんですね」



 思っていたよりずっと、情報の重要性が低い。クララの眉間がピクピク動いた。



「大事なことだろう? 美しいっていうのは大きな武器だよ。なんでも、世話役にフリードとジェシカが指名されたらしいし、警戒しておいた方が良いんじゃないかなぁと思って」


「コーエンとジェシカ殿下が?」



 これにはクララも驚いた。コーエンは婚約を祝われる側であり、世話役に指名されることは通常ありえないからだ。



「意地が悪いですね……情報提供するならそっちを先に言ってくださいよ」



 クララの言葉に、ヨハネスは扇で口元を隠す。どうやら笑っているらしい。クララはムッと唇を尖らせた。



「本来なら、僕やカールが世話役を務めるべきだし、実際そのように準備をしていたんだ。だけど、先方の希望じゃ仕方ない。今頃父上がフリードに打診をしている頃だろうよ」


「なるほどね」



 先程のジェシカとのやり取りを思い返しつつ、クララは小さく唸り声を上げる。


 祝われる対象であるコーエンを世話役に立てる意味――――しかもコーエンは王太子で、相手は隣国の王女だ。



「隣国はアリス殿下とコーエンとの結婚を望んでいる?」


「……そうだね、その可能性が高いと僕は思っている」



 クララと婚約を結んだばかりで考えたくないが、あり得ないことではない。

 事は王族の婚姻。ひいては国同士の力関係や友好度合いにも関わってくる。己の知らぬ間に、全てが根底から覆されてしまう――――そんな可能性だって大いにあるのだ。



「情報を持っているのといないのとじゃ、戦い方が違うだろう?」



 ヨハネスはもう笑っていなかった。淡々と意見を述べつつ、クララの表情を窺っている。



「そうね。教えてくれてありがとう」



 きっとコーエンは、クララには何も言わないだろう。クララは日中王妃教育を受けている時間が長いし、国賓の接待は大事な公務だ。仰々しく構えられたくはないだろう。



「何かあったら、遠慮なく僕を頼ると良い」



 ヨハネスはそう言って、クララの頭をポンと撫でた。明るい表の顔とも、ほの暗い裏の顔とも違う真摯な表情。どんな表情を返せば良いか分からず、クララは思わず俯いてしまう。

 けれど、次の瞬間



「――――隣国の王女なんて、いかにも利用し甲斐が有りそうだからね。元々は僕が取り入る予定だったんだし、そちらの方が丁度いい。王太子でなくとも、金と権力は持っておいた方が良いだろう?」



 ヨハネスは妖しく目を細め、口の端にニヤリと笑みを浮かべた。すっかりいつも通りのヨハネスだ。



(何よ。ちょっとだけ、動揺しちゃったじゃない)



 ほっと胸を撫でおろしつつ、クララは居住まいをただした。



「状況は分かりました。わたしもそのつもりで動きます」



 言えばヨハネスは満足そうに微笑み、ヒラヒラと手を振った。



***



(とはいえ)



 もしも王女が本気でコーエンとの結婚を望んでいるなら、クララにはどうすることも出来ない。



『クララじゃないとダメだから、ずっと俺の側にいて欲しい』



 求婚の際、コーエンはそう言ってくれた。

 けれど、状況は刻一刻と変わっていく。プロポーズの言葉と国益とじゃ、後者の方が圧倒的に重い。

 コーエンがクララとの婚約を破棄したとしても、誰も彼を責めないだろう。クララとて受け入れるしかないと思っている。



(思っているんだけど)



 理性と感情は別物だ。

 本音を言えば、コーエンにはクララを選んで欲しい。クララ以外を愛する気はないと。唯一の妻だと言って欲しい。



(まだ、アリス殿下がどんな腹積もりかは分からないけど)



 ついついため息が漏れてしまう。



「クララ、戻ってる?」



 その時、執務室の扉が開き、コーエンが顔を覗かせる。クララは微笑みつつ、急いでコーエンを出迎えた。



「お帰りなさい、コーエン」



 二人きりの執務室内、ギュッと力強く抱き締められる。コーエンの温もりが、香が、酷く懐かしい。ヨハネスの情報提供のせいだろうか。目頭がほんのりと熱い。



(もしかしたらわたし、情緒不安定なのかも)



 そんな自分を誤魔化すかのように、クララはコーエンの胸に顔を埋めた。



「陛下のお話は? 何だったの?」


「ああ――――なんでも、近々ジェシカと剣舞を披露しなきゃいけないんだってさ」


「剣舞を?」



 てっきりはぐらかされると思っていたため、クララはいささか驚いてしまう。



(もしかして、アリス殿下の話じゃ無かったのかしら?)



 本当のところは分からないが、ヨハネスの勇み足ということも十分にありうる。情報とはそういうもの。収集、分析、取捨選択し、適切に動かなければならない。

 為政者は我慢強くあれ、とはヨハネスの教えだ。もう少し踏み込んでみたいところだが、これ以上の詮索は無用だろう。



「公務ばっかで身体が鈍ってるし、感覚も忘れてるから練習しなきゃな」



 コーエンはそう言って、小さくため息を吐く。



「頑張ってね、コーエン」



 頬にそっと口づければ、コーエンは至極嬉しそうに笑った。



***



 ヨハネスの事前情報通り、アリス殿下は大層美しい姫君だった。

 真っ白な肌にシルクのような光沢を放つ髪、紅い瞳が神秘的で、同性であるクララでさえ思わず息を呑んでしまう。



「この度は御即位、ご婚約、おめでとうございます」



 恭しく祝辞を述べられ、コーエンと共に笑顔で応える。



「本来ならば発表の折に参るべきところ、こうしてご挨拶が遅くなってしまったこと、父に代わってお詫び申し上げます」


「とんでもないことです。長旅でお疲れになられたでしょう? まずはごゆるりと身体を休めてください」



 コーエンはそう言って、スッと腕を差し出す。傍らには男装姿のジェシカが並んだ。

 アリスはパッと瞳を輝かせると、コーエンの腕を取り、美しく微笑む。クララの胸がツキンと痛んだ。



「わたくし、行ってみたい場所が沢山あるのです! 是非、お二人に連れて行っていただきたいわ!」



 三人の後をしずしず歩きながら、クララの表情は次第に曇っていく。

 『二人』とわざわざ言及したのだ。その中にクララは含まれていない。本当ならば同行したいが、叶わないだろう。


 チラリとコーエンを見上げれば、アリスと会話をしながら、楽しそうに微笑んでいた。それが正解だと分かっているが、モヤモヤはする。



(コーエン、わたしは?)



 何度もそう尋ねたくなったが、クララは必死に口を噤んだ。



 ヨハネスの情報は正しかった。

 世話役――――という言葉が正しいかは分からないが、アリスは連日に渡って、コーエンとジェシカを連れまわした。


 歴史的価値の高い神殿や離宮、湖等を見て回り、食事やお茶を共にする。まるで恋人――――いや、婚約者であるクララよりも余程親密だ。クララとコーエンは、滅多にデートなど出来ないのだから。




「――――こんなことをしている場合か?」



 尋ねたのはカールだ。

 イゾーレと共に汗だくになるまで、クララはひたすら走り続ける。腹筋、腕立て伏せ、剣の素振り等々、毎日クタクタになるまで身体を動かした。



「鍛えろって仰ったのは殿下でしょう?」



 そう言って唇を尖らせれば、カールは無言でため息を吐く。


 痛々しいことは重々承知。

 けれど、執務室に一人で居ると悲しくなる。苦しくなる。王妃教育を受けていても、何だか虚しく、無駄に思えてきて、どうにもやり切れないのだ。


 その点、身体を動かしている間は、嫌なことを忘れられる。夜、クララに会いに来たコーエンに対して強がりも言える。




「君は存外不器用だよね」



 五日が経過した頃、ヨハネスがクララの元を訪れた。イゾーレやカールは公務があるため、今日はクララ一人きりだ。

 ヨハネスの言葉に応えぬまま、クララは静かに汗を拭く。



「困ったときは僕を頼れって言ったのにな」



 呆れたような笑い声。クララは俯いたまま、グッと眉間に皺を寄せた。



「フリードとの結婚がダメになったら、僕のところに来れば良いだろ?」



 ヨハネスの胸に顔を押し付けられ、クララの目頭が熱くなる。ずっと堪えていた涙が零れ落ち、喉が焼けるように痛くなった。



「――――まだ、ダメになってない!」


「知ってる」



 ポンポンと背中を撫でられ、クララの口から嗚咽が漏れる。



「知ってるけど、僕は狡いからね。好きな子が弱っている時に漬け込むのは当然だろう?」



 胸が痛む。

 けれど、これまで一人で抱えていた重荷が一気に軽くなった気がした。



「君も少しぐらいズルを覚えた方が良いよ。人の好意を――――僕を利用して良いんだ。覚えておいて?」



 クララには頷くことも、首を横に振ることも出来なかった。



***



 その晩、クララはバルコニーで一人、風にあたっていた。



(コーエンは一体、どうする気だろう?)



 もうすぐアリスの帰国の日。けれど、彼からは何も――――婚約解消を匂わせるようなことは言われていない。


 けれどコーエンは、ずっとアリスの側に居る。


 自信なんて全くない。コーエンがクララを選んでくれること。コーエンの考えを直接尋ねるだけの勇気も。



「クララ!」



 けれどその時、扉をドンドンと喧しく叩く音が聞こえた。



「コーエン?」



 切羽詰まった声。急いでドアを開ければ、コーエンは勢いよくクララのことを抱き締めた。



「コーエン!? 一体どうしたの!?」


「行くなクララ! 頼むから、婚約破棄なんてしないで! 俺はクララが居ないとダメなのに!」


「……え? なに? どういうこと?」



 今にも泣きだしそうなコーエンの様子に、クララは戸惑い首を傾げる。



「どうすれば良い? どうしたら俺と結婚してくれる? ヨハネスじゃなくて、俺と――――」


「ちょっと、待ってよ! 婚約破棄だなんて……そんなこと考えてないわ。そもそもわたしの方からそんなことが出来る筈ないじゃない」



 あまりにも訳が分からず、胸が騒めく。



「大体、婚約を破棄しようとしているのはコーエンでしょ!」


「俺が!? そんなこと、する筈ないだろう?」



 コーエンは驚きに目を見開き、クララをまじまじと見つめる。



「一体どうしてそんなこと……」


「だって、コーエンったらアリス殿下に気に入られちゃったんでしょう!? 結婚を迫られてるんでしょ!? そしたらわたしは用済みじゃない! 王族同士の結婚の方が、国にとってもメリットが大きいもの!」



 堪えていた筈の感情が爆発する。ずっと抑え込んでいたのに、最早我慢が出来なかった。涙がポロポロと零れ落ち、クララの頬を濡らす。コーエンは呆然としながら、クララのことを眺めていた。



「クララ――――俺さ、王太子であることより、クララと一緒に生きることの方が、ずっとずっと大事だよ?」



 優しく涙を拭われ、クララは顔をクシャクシャにする。



「もしも隣国が『王太子との婚姻を望む』って言うなら、俺は喜んで王太子の位をカールかヨハネスに明け渡すよ。だけど、クララのことは渡せない。俺はクララじゃないとダメだから」



 ずっとずっと欲しかった言葉。不安や葛藤が涙に溶けて、胸を優しく温める。



「嘘……本当に、それで良いの?」


「もちろん。大事なのは王太子の地位じゃない。クララと一緒なら何だってできる。そうだろう?」



 コーエンの問い掛けに、クララは肩を震わせる。それからグッと背伸びをし、コーエンの唇を塞いだ。



「コーエン……わたし、すごく寂しかった」



 抱き締め、抱き締められる。コーエンは片手でクララを撫でながら、腕にグッと力を込めた。



「俺も。……好きだよ、クララ。クララが好きだ。絶対、放さないから」



 コーエンが愛し気にクララを見つめる。二人は微笑み合い、もう一度唇を重ねたのだった。



***



「ジェシカ殿下のファン!?」


「そう。正確には、ボクとフリードのセットが好きなんだってさ」



 ようやくアリスが帰国し、すっかり平和の戻った執務室。コーエンとジェシカとお茶を飲みながら、クララは呆気に取られていた。



「何でも、先の宴で大使が持ち帰ったボク達の絵姿が好みで、ずっと来訪の機会を狙ってたんだって。おかげで剣舞も披露する羽目になったし、結構大変だったよ」



 アリスが二人を世話役に指名した理由――――事の真相に辿り着き、クララは脱力してしまう。



「だから殿下は、出迎えの場でも男装をしていらっしゃったんですね」


「うん。そういうオーダーだったからね。だから大丈夫。あの子に恋愛感情はないよ。もちろんフリードにも。暇さえあれば『クララに会いたい』って漏らしてたぐらいだから、安心して?」



 揶揄するように微笑まれ、クララの頬が紅くなる。同時に、思わぬ形で自分の行動がバレてしまったコーエンは、照れくさそうに顔を背けた。



「それにしても、フリードは言葉足らずというか、不器用というか……クララを不安にさせるとは、まだまだ修行が足りないねぇ。ヨハネスの所に弟子入りでもして来たら?」



 その瞬間、ピクリとコーエンの身体が跳ねた。眉間にグッと皺を寄せ、不機嫌そうに唇を尖らせる。

 あの夜以来コーエンの前で『ヨハネス』は禁句だ。言えばクララを抱きすくめ、警戒を露に周囲を見回す。



「ねえ、コーエン。どうしてあの夜『わたしが婚約を破棄する』って勘違いしたの? そう言えばあの時、ヨハネス殿下の名前を口にしていたけど……」


「…………」



 事情を話したくないのだろう。コーエンは口を噤んだまま、そっぽを向いている。



「コーエン」


「実はね、あの夜ヨハネスから手紙が届いたんだ」


「ジェシカ! 勝手にバラすなって!」



 コーエンは真っ赤に顔を染め、バツが悪そうに頭を掻く。



「【クララは僕が貰う。君とは結婚させない。既にクララの承諾は得た】なんて書かれてあってさ。いやぁ、中々に情熱的な手紙だったなぁ。どっかの誰かとは大違いだ」


(そっか。そんなことが……)



 コーエンをけし掛けるため、前回同様ヨハネスは策を弄したらしい。

 もしも彼が『アリスがコーエンとの結婚を望んでいるわけではない』と知っていたのなら、本気ではなかったのだろうが。



(あれ?)



 気づけばクララの頬は真っ赤だった。胸がドキドキ鳴り響き、何だか居た堪れない気持ちになる。



「なっ……クララ!? ダメだからな! 絶対、俺と結婚してくれないと!」



 コーエンが大慌てで、クララの元に跪く。ジェシカがニヤニヤと笑いながら、二人のことを見つめている。クララは思わず口の端を綻ばせた。



「そうだ、クララ! 今から俺とデートしよう!」


「え? デート? 今から?」



 公務は既に終わったが、辺りは薄暗く、出掛けるには向かない時間帯だ。



「ああ。これまで会えなかった分、クララとたくさん一緒に居たい! 俺がどれだけクララのことを想っているか、伝える機会が欲しいんだ!」



 コーエンの必死の形相。何だかとても微笑ましくて、心臓が穏やかにときめく。



「どうしようかなぁ~~?」



 ヤキモキさせられた分、このぐらいの意地悪は許してほしい。それにコーエンだって少しぐらいは危機感を抱くべきだ。

 口の端をニヤニヤさせつつ、クララは颯爽と立ち上がる。



「クララ!」



 追いすがるコーエンを前に、クララはクルリと振り返る。それから満面の笑みを浮かべ、コーエンをギュッと抱き締めるのだった。


 番外編を読んでいただきありがとうございました。

 もしもこの作品を気に入っていただけた方は、ブクマやいいね!、広告下の評価【☆☆☆☆☆】や感想をいただけると、今後の創作活動の励みになります。


 どうぞ、よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ブレないところ。 [一言] 最初の段階でフリードが偽物、中盤辺りでコーエン=フリードって言うのはわかったけど偽フリードが男装で王女ってまでは読めなかった。だってコーエンさんクララさんに近す…
[良い点] ああぁ…番外編ありがとうございます!ありがとうございます!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ