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【番外編】王太子婚約者の恋愛事情(前編)

「……なるほどね」



 煌びやかな夜会会場の中、ヨハネスは僅かに目を細める。


 明るく社交的な第二王子――――それが世間からの彼の評価だ。人当たりが良く華やかで、御しやすい金蔓。貴族達はこぞって彼の元へ向かい、ごまを摺る。


 だけど、貴族達は知らない。

 先の財務大臣の失脚に、彼が大きく関わっていることを。



(表の顔は明るければ明るいほど良い)



 その方が、ほの暗い裏の顔をビックリするほど綺麗に隠してくれる。

 ヨハネスはそうして、容易く情報を手に入れてきた。



「如何しますか、殿下?」


「――――そうだね。取り敢えずは様子見、かな」



 これが一体どう転ぶのか――――それを判断するには情報が足りない。すぐにどうこうなる話でもないから、ゆっくりと状況を見守って差し支えないだろう。


 この点ヨハネスは、兄のカールや弟のフリードとは違っている。二人はとにかくせっかちで直情的だから、情報を扱うには向かないのだ。



(まさか僕がこんな役回りを続けることになるとはね)



 優秀だがやる気のない弟。そんな弟も、この数か月で随分変わった。


 けれどそれは、ヨハネスも同じ。

 王太子にならないと決まったのだし、積極的に諜報活動を続けるつもりなどなかったというのに。



(惚れた弱みって奴かな)



 脳裏に浮かぶのは勝気で愛らしい少女の笑み。ヨハネスは苦笑し、静かにため息を吐く。

 それからとびきり明るい表情で、貴族達の輪へと戻っていった。



***



 肺が痛い。汗がダラダラ流れ、酷く息苦しい。



「ちょっ……ちょっと待って! イゾーレ!」



 前方で、青味がかったプラチナのポニーテールが跳ねる。同じ時間、同じ距離を走っているというのに、息一つ乱れておらず、汗も掻いていない。実に涼やかな顔つきのイゾーレが、チラリとこちらを振り返った。



(良かった、止まってくれそう!)



――――そんなことを思ったのも束の間



「だらしないぞ、クララ! そんなことでどうする!」



 野太い声音に檄を飛ばされ、クララの身体がビクリと跳ねた。


 鍛え抜かれた大きな体躯。その膝の上には、小さな仔猫がチョコンと乗っかっている。彼の手は絶えず仔猫を撫で、毎秒表情を綻ばせている。

 見た目と中身のギャップが激しい――――第一王子、カールだ。



「殿下がこう仰っているのです。このままもう一周走りますよ、クララ様」


「そんな!」



 止まるどころか寧ろ先程よりもペースを上げるイゾーレに、クララの絶望が増す。

 ヒィヒィ言いながら走り続け、ようやくゴールを許された時には、クララはビックリするほどへとへとになっていた。



「クララ様、大丈夫ですか?」



 柔らかな手ぬぐいに水筒を差し出し、イゾーレが尋ねる。相変わらず無表情だが、心配していることは伝わって来た。



「全然……大丈夫じゃない!」



 対するクララは、芝生の上に寝転がり、指一つ動かすことが出来ない。情けないことこの上ないが、クララは生まれてこの方、運動を殆どしたことが無い。



(貴族女性の体力の無さを舐めて貰っちゃ困るわ)



 父親が軍部のトップであり、幼い頃から鍛えられているイゾーレとは状況が違う。悪いのはイゾーレではないけれど。



「やはり、このままではいかん!」



 大きな影がぬっと現れ、クララは慌てて起き上がる。



「フリードはおまえを甘やかしすぎだ。王妃教育のカリキュラムとして、体力トレーニングは必須だろうに!」


「殿下……そんな王妃教育、聞いたことがありません」



 項垂れつつため息を吐けば、仔猫が小さくミィと鳴く。仔猫はカール殿下の腕をすり抜けると、クララの膝へとやって来た。そのまま頬を舐められ、小さく息を吐く。



 第三王子であり、王太子となったフリード殿下――――コーエンと正式に婚約をしたクララは、内侍の仕事と並行し、王妃教育を受け始めた。礼儀作法や社交術、算術や歴史、帝王学など、学ぶことはたくさんある。


 とはいえ、クララは実家である公爵家で、ある程度の教育を受けてきたのだ。王妃教育など味付け程度。足りない知識、経験を補うための機会に過ぎない。


 そんな状況に一石を投じたのが、カールとイゾーレの二人だった。



『これからの時代、妃とて強くあるべきだ!』



 カールはそう言って、クララに剣を差し出す。『振ってみろ』と言われたものの、重たくて、まともに持ちあげることすらできない。


 呆れたカールは、クララを鍛えると言い始めた。


 走り込みもそう。最初はカールがクララを先導していた。だけど、カールのペースにはとてもじゃないけど追い付けない。このため、イゾーレが代わりにトレーナーを務めるようになったのだ。



「お前はイゾーレを退け、王太子妃になるのだろう? ならば、それ相応の努力が必要だ」



 カールはクララから仔猫を取り上げ、フンと大きく鼻を鳴らす。どうやら仔猫がクララを選んだことが不服だったらしい。真剣な表情を浮かべつつ、仔猫に頬擦りをしている。



(にゃんこを愛でながらそんなことを言われてもねぇ)



 彼の猫好きは健在だ。

 この子のお陰で、カールがただ怖いだけの人じゃないと分かったものの、未だに違和感は拭えない。熊みたいな巨体に手のひらサイズの仔猫が乗っかっているのだから、尚更。



「努力はします。だけど、さすがにキャパオーバーで」


「限界は超えてこそ! それでこそトレーニング! そのためのトレーニング、だろう! さあ、もう一度走るぞ! 今度は先程の倍の距離を――――」


「カール! 俺の婚約者をいじめるなよ」



 ため息交じりの声音。クララの心臓がトクンと鳴る。

 振り返れば彼女の婚約者――――コーエンことフリードがそこに居た。



「コーエン!」


「ただいま、クララ!」



 コーエンは微笑み、クララのことを抱き寄せる。ふわりと漂う汗の匂い。絶対、コーエンにもバレている。焦って身を捩れば「ダメだよ、クララ」と言って、コーエンは殊更クララを抱き込んだ。



「会いたかった」



 耳元で甘く囁かれ、胸がときめく。



「わたしも会いたかった。コーエンと一緒に行きたかったなぁ」



 コーエンは王太子として、これまで以上に忙しい日々を送っていた。陛下直々に後継者教育を受ける他、王太子として、割り当てられた公務も増えている。

 この数日間は地方への視察に出掛けていたため、会うのはかなり久しぶりだ。王妃教育や城内の仕事の兼ね合いから、クララは一人、留守番を余儀なくされたのである。



「クララに会いたくて、真っ先に宮殿に向かったんだ。それなのに部屋に居ないから驚いた」



 コーエンは言いながら、非難がましい視線をカールに送る。対するカールは、コーエンの視線を平然と受け流すと、フンと小さく鼻を鳴らした。



「帰るぞ、イゾーレ」



 イゾーレの肩を抱き、カールは颯爽と踵を返す。

 けれど、その刹那。一瞬だけ見えたカールの表情が『絶対、また扱いてやる』と如実に物語っていた。



(困ったなぁ……カール殿下は頑固だもの)



 ついついため息が漏れる。そんなクララを、コーエンはもう一度抱き締めた。



「カールには俺からキツく言っておくよ。ただでさえ、仕事と王妃教育の両立で大変なんだし、勝手にああいうことするなってさ」



 ポンポンと頭を撫でられ、胸が甘く疼く。

 けれど、クララは小さく首を横に振ると、真っ直ぐにコーエンを見上げた。



「ありがとう、コーエン。だけどね、もう少し頑張ってみようかなって思っているの。カール殿下の言う通り、わたしの体力が無いのは確かだし。いざという時に自分の身を護れた方が良いでしょう?」



 イゾーレ程強くなることは出来ないだろうが、せめてもう少し強くなりたい。心の中で意気込めば、コーエンは悪戯っぽく目を細めた。



「ねえ、それってもしかして、俺のため?」



 揶揄するような口調。クララの頬が真っ赤に染まる。



「そうよ――――当たり前でしょう?」



 コーエンに相応しい女性、王太子妃になるために努力をしている――――そう実感できることが、クララは堪らなく嬉しかった。下地が全く無いが故、余計に。だからこそ、散々な目に遭うだろうと予想しつつも、カールの提案に乗ったのだ。



「まあ、ちょっとペースが早すぎるし、いきなりスパルタ教育されても身体が追い付かないから、そこは何とかしてほしいところだけど」



 そう言って微笑むクララを、コーエンは愛し気に見つめる。頬を撫で、目を細め、それからゆっくりと唇を寄せる。チュッと小さな音が鳴り、頬が熱を帯びていく。

 もう一度、今度は唇同士を重ね合わせ、二人は互いを抱き締めた。トクトクと響く鼓動。温もりは大層心地良く、安心する。



(ずっとこうしていたい)



 再会の余韻に酔いしれつつ、クララは満面の笑みを浮かべる。

 だけどその時、



「あの~~~~」



 遠慮がちに響く声に、弾かれたように顔を上げた。



「ジェシカ」



 バツの悪そうな表情を浮かべ、ジェシカが二人の前へとやって来る。

 フリードの振りをしていた頃と同じように、麗しい男装姿。何も知らない人間は、彼女が女性――――しかも王女であるとは気づけない。下手な男よりもずっと男らしい、凛々しい女性だった。



「折角の再会に水を差して申し訳ないんだけどさ、陛下がフリードを呼んでるんだ。ボク達二人に頼みたい仕事があるんだって」



 ジェシカはそう言って、気づかわし気な視線をクララに送る。残念ながら、クララの同席は認められなかったのだろう。未来の王太子妃とはいえ、コーエンと全てを共有できるわけではない。



「ごめん、クララ。また後で」



 そう言ってコーエンは、クララの額にキスをする。



「いってらっしゃい」



 微笑めば、コーエンは名残惜し気にもう一度口付け、ジェシカの後に続いた。



(帰って早々、慌ただしいわね)



 ため息を一つ、クララはコーエンの後姿を見送る。


 コーエンはクララと結婚するために、王太子となることを選んだ。

 優秀だが、権力欲の無かったコーエン。そんな彼が、こうして意欲的に公務を熟しているのを見ると、誇らしさと同時に一抹の寂しさを覚える。



(もっとコーエンと一緒に居たい)



 すれ違いを経て、ようやく想いが通じ合ったのだ。愛を育む時間が欲しいと思ってしまうのは致し方ない。彼を王に望んだのは自分だし、当然、クララはワガママを言える立場には無いのだけど。



「――――もしもしお嬢さん」



 その時、誰かがクララに声を掛けた。以前耳にしたのと全く同じセリフ、同じ声音。確信を胸に、クララは静かに振り返る。



「ヨハネス殿下」



 そこに居たのは予想通り、第二王子であるヨハネスだった。



「何かお悩み事かな?」



 優雅な所作で首を傾げつつ、ヨハネスが尋ねる。扇子を片手に口元を隠しているものの、その表情は何処か楽し気だ。クララは唇を尖らせると、ふいと顔を背けた。



「別に、悩んでなんかいないわ」



 ただ少し、いじけているだけ。

 それをヨハネスに気取られたのが悔しいけれど。



「つれないなぁ。一時は結婚を約束した仲なのに」



 ヨハネスはクスクス笑いながら目を細める。



「約束じゃなくて『取引』でしょう? それだって、本気で履行する気はなかったくせに」



 それはコーエンが王太子に即位する直前のこと。


『フリードが王太子の位を手にできなかったその時は、君は僕と結婚する。そう約束してほしい』


 そんな条件と引き換えに、クララはヨハネスと取引を結んだ。不正の証拠を掴む為に必要な資料を閲覧できる人間が、ヨハネス以外に居なかったからだ。


 その時のクララは、コーエン=フリードだと知らなかった。けれど、ヨハネスがこんな取引を持ち掛けた理由は明白。


 弟――コーエン――の本気を引き出すため――――ヨハネスは本気で、クララをどうこうする気は無かった筈だ。



「心外だなぁ。僕は君のこと『気に入っている』って伝えた筈なのに」



 クックッと笑いながら、ヨハネスがクララに手を伸ばす。サラリとそれを躱しつつ、クララは小さくため息を吐いた。



「それで? 今度は何を企んでいるんですか?」



 明るく華やかなヨハネスの表の顔。その裏にほの暗い影があることを、クララは既に知っている。

 打算的で人を信用しないという彼がこうして擦り寄ってくる時、そこには絶対、隠された思惑がある。



「――――少し、情報提供をしようと思っただけだよ。未来の王太子妃様に、ね」



 ヨハネスはゆっくりと目を細め、クララを見つめる。数秒間の沈黙。クララは小さく息を吐く。



「良いわ。聞いてあげる」



 そう言って尊大に胸を張れば、ヨハネスは今度こそ声を上げて笑った。

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