罪と罰
辺りは騒然としていた。
広場の北側からは騎士たちが、西側からは文官たちが押し寄せる。
スチュアート伯爵はコーエンに腕をねじり上げられ、ガクリと両膝を突いていた。けれど、彼の頬は怒りで真っ赤な上、瞳は爛爛と輝いている。とてもじゃないが、『観念した』という人間の表情ではない。
「クララ、大丈夫か?」
騎士に伯爵を引き渡しながら、コーエンは尋ねた。
(全然、大丈夫じゃない)
足はガクガク震えているし、伯爵に掴まれた辺りがズキズキと痛む。
あんな風に剥き出しの悪意に触れるのは、生まれて初めてだった。敵意を向けられることはあっても、直接的にクララを害そうという人間はこれまでいなかったのだ。
未だ、まともに返事もできずにいるクララを、コーエンはそっと抱き寄せる。ふわりと漂う汗の香りに、何故だか涙が溢れた。
「貴様では――――太子の位も得ていない人間では話にならないと!先程もそう言っただろう!?何故、私の邪魔をするんだ!」
唾を撒き散らしながら、伯爵は吠えた。両腕を拘束され、頭を押さえつけられているにも関わらず、すごい勢いだ。
コーエンは冷ややかな瞳で伯爵を見下ろすと、クララを庇うようにしながら、前に躍り出た。
「何故?……本気で理由が分からないのか?」
ゾクッと震えあがるほどに怒気を孕んだ声。クララはコーエンを覗き見ながら、ゴクリと唾を呑み込んだ。
「始めに言っておくが、クララは今回のことに関係ない。スカイフォール公爵もだ」
「せっかく穏便に――――出来る限り内密に済まそうと屋敷に出向いたんですが、わざわざ衆人環視の断罪を望むなんて……義父上は相当な目立ちたがり屋ですね」
振り向けば、クララのすぐ隣に、ヨハネス王子が佇んでいた。柔和な笑みを浮かべてはいるが、瞳が笑っていない。彼の後には、青白い顔をしたレイチェルが立っている。
「貴様っ!私を裏切った分際で『義父上』などと……白々しいっ!大体、断罪とはなんだ!私は何もしていない!大臣職を解任される謂れもない!分かったら、さっさと陛下に取次を――――」
「できぬと言っているだろう!」
ヨハネスの反対側から響く、力強い声音。見ればそこにはカールがいた。騎士たちを率いるように背を向け、真っ直ぐに伯爵を睨みつけている。
「自分がどうしてこのような扱いを受けているのか、本当に分からないのだな?」
コーエンを中央に、ヨハネスとカールが脇を固める。それぞれが放つ独特なオーラに加え、三人揃えば圧巻だ。物凄い威圧感である。
「当然だっ!全く、身に覚えがない!」
伯爵はそう言ってニヤリと笑う。けれど、彼の額には汗が滲んでいた。
「――――仕方がない。では、この場であなたの罪を詳らかにしよう」
コーエンはため息を吐きながら、ゆっくりと目を瞑った。
「伯爵。あなたには公金横領、脅迫等の嫌疑が掛けられている」
ピクリ。ほんの僅かだが、伯爵の表情が固まる。
けれど、それは本当に一瞬のことで、彼はすぐに大きく首を横に振った。
「何を仰るかと思えば。この私が、そんなことをするはずがないでしょう」
伯爵はクックッと喉を鳴らして笑う。先程まで真っ赤だった彼の顔が、今は土気色をしていた。
「財務大臣の私が公金横領?御冗談を!まさか、そんなくだらない疑いのために、私は大臣職を解かれたのでしょうか?冤罪もいいところです。いくら殿下とはいえ、看過できませんよ」
少しずつ、少しずつ、声から覇気がなくなっていく。
コーエンはニコリと微笑みながら、伯爵の側に屈んだ。
「冤罪?そんなこと、あるわけないだろう?」
その瞬間、伯爵はカッと目を見開き、今にも噛みつかんばかりの勢いで身を乗り出した。けれど、騎士たちに押さえつけられた身体は、ピクリとも動きはしない。伯爵の唇からは、だらりと血が流れだした。
「キッカケはそう――――マッケンジー家の領地で、密猟が複数確認されたことだった」
コーエンの言葉に、クララはカールを仰ぎ見る。
こんなにも大勢の前で、マッケンジー家の名が――――密猟の件が明らかにされることは本意ではなかったのだろう。眉間に薄っすらと皺が刻まれていた。
「始めは、領民たちが己の判断で密猟を始めたのだと思っていた。生活に困り、致し方なく手を染めたのだと――――。けれど、話を聞いていくうちに、マッケンジー家が密猟の許可を与えたのだと分かった」
コーエンの説明を聞きながら、クララも一連の出来事を思い返す。
ふとレイチェルを見れば、彼女は涙目で伯爵を見下ろしていた。
「マッケンジー家は何代にもわたる王家の忠臣。とても、そんなことをするとは思えない。だから俺たちは、ここ数年分のマッケンジー家の資産状況を調べた。密猟の許可を与えるならば、そこから得た収益の一部を領民たちに要求して然るべきだからだ。けれど、マッケンジー家の収入状況は変わらない。寧ろ減少していた」
「財務資料を検めたのか!?あの資料には、閲覧制限が……っ!」
「まぁまぁ、義父上。そこらへんの事情は、もう少し後で解説しますよ」
扇で口元を隠しながら、ヨハネスが微笑む。
(そこら辺の事情?)
ヨハネスは資料を借り受けた張本人だ。何やら含みのある物言いに、クララは唇を尖らせる。すると、ヨハネスはクララを流し見ながら、小さく笑った。
「一方、数年前を契機に、とある貴族の収入と資産が大幅に増加していた。他の資料と照らし合わせて見ると、明らかに数字がおかしな部分が幾つも隠れている。もう、誰のことかお分かりですね?」
伯爵がブルブルと震えている。クララの心臓がザワリと騒いだ。
「俺は密猟をしていた民に尋ねた。『密猟で得た収益を、誰に渡しているのか』と。皆が口を揃えて、あなたの名前を上げたよ。しかも、法外なノルマまで課していたとか――――」
「でたらめを言うな!そんなバカなことが……」
「ここまで分かればもう、言い逃れはできない。マッケンジーは教えてくれた。――――最初は生活に困った領民の一部に、一時的な密猟の許可を与えただけだった。けれど、それがあなたにバレた。そして、国王に罪を明かさない代わりに、密猟の継続と、広範化、収益とマッケンジー家の収入の一部をあなたに納めるように強要されたのだと」
コーエンはそう言って眉間に皺を寄せた。
キッカケは些細だとしても、道を誤れば、大きな罪と成り得る。
コーエンは本当はマッケンジー家を――――シリウスを救いたかったのだろう。苦し気な表情が、クララの心を抉った。
「脅されていたのはマッケンジー家だけじゃない。複数の貴族が脅迫を受けて、あなたに献金をしていた事実を認めている。手口も密猟に限った話じゃない。資料も証言も、全て俺が手に入れている」
「そんなバカなことが……誰が……誰が資料を殿下に…………っ!あれは陛下と財部の人間のみが閲覧を許可された資料だ!殿下が確認した資料など、偽物に決まって――――」
「資料は僕が借り受けました」
そう言ってヨハネスが手を上げた。
伯爵はいよいよ顔を真っ赤にし、ガチガチと歯を鳴らしている。
「財部の子に頼んだら、快く貸してくれましたよ。どうか、お検め下さいって」
「裏切者!私がお前を王太子にするためにどれだけ……っ!」
「やだなぁ。僕はただ、資料を借りただけだもの。まぁ、財部の子は、本当の資料の借主がフリードだって分かっていたみたいだけど」
ヨハネスはそう言って、チラリと後方を振り返った。よく見れば、そこにはクララの閲覧申請を退けた、若い文官が立っている。
「真面目に仕事をやっていたら、当然分かるよね?自分たちのトップである財務大臣が不正をやっているって。だけど、それを公にすることは難しい。皆自分の身が大事だし、大臣本人に罪を追及すれば、マッケンジーのように脅されるか、揉み消されるだけ。何とかしたいと思っていても、頼みの綱のフリードとカールへの資料の貸し出しは禁止されている。だから、僕に資料を貸してくれた文官は、本当に必要な資料を、出来る限り多く提供してくれたんだよ。真実を明らかにするため――――僕等に助けを求めるために」
「そう。そのおかげで、マッケンジー家への脅迫だけじゃなく、伯爵が財部の資料を改竄して、公金を横領していることも確認できたんだ」
(ふぅん、そうなの)
何ともつっけんどんな対応をされたと思っていたが、どうやらあの文官も、彼なりに苦しんでいたらしい。根が真面目な分、不正を見逃すことで、自身も罪の片棒を担いでいた気がしていたのだろう。
「分かった!金は……金は全て返そう!それで良いだろう?」
伯爵はダラダラと汗を流しながら、笑顔を浮かべた。
絶望と希望の狭間でグラグラ揺れた、見苦しい笑み。直視に堪えない酷い表情だった。
「これまで私はずっと、国のために尽くしてきた!これから先だってそうだ!あと少し!あと少しで私の娘が全てを手にする……っ!王太子妃となり、この国をもっと、豊かで潤った国に変えられるんだっ!だから――――」
「そんなの全部嘘っぱちよ」
ポツリと呟くような声。レイチェルが涙を流しながら、己の父親である伯爵を睨んでいた。
「何が国のために尽くしてきた、よ!何が王太子妃よ!国を豊かにする?そんなの全部……全部自分のためじゃない!自分が良い思いをするためでしょ!?私には分かるわ!親子だもの!私も一緒だもの!」
レイチェルは目の縁を真っ赤に染め、声を荒げる。
「利己的で、ずる賢くて、どうしようもない!この期に及んで返金すれば許される!?私が王太子妃になる!?無理に決まってるでしょ!お父様はね、私と一緒に地獄に落ちるの。お父様のせいで苦しんだ人のために、罪を償わないといけないのよ!」
父親だけでなく、己をも断罪する凛とした声。次いで二人分の嗚咽が、広間に響き渡る。
(伯爵は自業自得……そう思えなくもない)
関係のない自分にも害を及ぼそうとした利己的な人間。脅された貴族や、今ここにいる文官や騎士の中にも、ざまぁ見ろと思っている人間が、少なからずいるだろう。
(でも)
レイチェルは目の前で床に蹲り、体を震わせて泣いている。
クララは遣る瀬無さを胸に、そっと目を伏せたのだった。




