Heroes show up late
それは、レイチェルとのやり取りから数日後。
クララが伝令役として、本城へと向かった時のことだった。
(なんだろう……城内がやけに騒がしい)
行き交う騎士や文官たちの多さ、彼等の表情から、何か常ならぬことが起こっているのだと分かる。誰かに事情を聞きたいが、とても話し掛けられるような雰囲気ではない。
(フリード殿下は何も仰っていなかったしなぁ……)
この状況が元々予期されていたものだとすれば、フリードは一言そう、教えてくれただろう。教えてくれなかったということは、フリードも何も知らなかったということだ。
コーエンは未だ、執務室に顔を出していない。どこにいるのか、何をしているかもクララは知らぬままだ。
(お父様なら、何か御存じかしら)
有事の際、それらの情報は宰相の元へ真っ先に集まる。幸い、クララのお遣い先は、宰相である父親の執務室にも近い。
(んーー……とはいえ、本当に大事だったら、わたしがいると邪魔になってしまうか)
内侍として働いているとはいえ、ことは国家を揺るがすような大事の可能性もある。そうすると、クララは足手まといになりかねない。連絡役として側に控えるという選択肢もあろうが、勝手にフリードの指揮下から離れることも憚られる。
ひとまずフリードの宮殿に帰ろうと、クララが踵を返したその時だった。
「スチュアート様、お戻りください!」
「ここから先はお通しできません!」
(ん?)
広間に複数の男性の声が響いた。
「黙れ!誰に口を利いていると思ってるんだ!」
見れば、喧騒の中心には、恰幅の良い男性が一人。周囲に集まった騎士たちをものともせず、闊歩している。
「陛下と話がしたいと言ってるだろう!取次は済んだのか!?」
「ですからなりませんと!」
(あれは確か……)
いつかの夜会で、クララはあの男がレイチェルと共にいるのを見かけたことがある。騎士たちが頻りにスチュアート、という呼んでいることからも間違いないだろう。
財務大臣――――レイチェルの父親であるスチュアート伯爵だった。
「何をボサッとしている!これは命令だ!さっさとしろ!聞かぬなら――――」
「大臣職を解任されたあなたに、私たちへの命令権はありません」
騎士たちはピシャリとそう言い放つと、伯爵の行く手を阻んだ。
(大臣職を解任された!?)
思わぬことに、クララは目を見張った。
大臣の罷免権を持つのは、国王のみ。けれど、権利を行使できるのは、余程の不正や不信任行為があった時だけだ。
下級官の場合にも、通常、人事に関することは、先にじわじわと噂が広まり、後から何かしらの処分が下されることが多い。だからこそ、今回のことは、寝耳に水だった。
レイチェルの父親は、娘とは違って処世術に長けていたし、王の信頼も篤い。そのために、レイチェルがヨハネスの内侍として上がったのだろうし、こんな形で解任に追い込まれるとは、想像もしていなかったのだ。
(一体なにがあったんだろう)
クララは一人、首を傾げる。
見れば、スチュアート伯爵は顔を真っ赤に染め、悔し気に歯を食いしばっていた。騎士たちが進路を遮っているというのに、今にも飛び出していきそうな様子である。
その時、クララの視線に気づいたのか、スチュアート伯爵がこちらを見た。狂気に満ちた血走った眼差し。クララは思わず後ずさりする。
すると、スチュアート伯爵は目をカッと見開き、拳をブルブル震わせた。
「……っおまえ!おまえは、たしか宰相の…………」
スチュアート伯爵はそう口にすると、クララ目掛けて走ってくる。
「えっ!?」
驚くべき速さでクララの目の前に躍り出た伯爵は、乱暴な手つきでクララの胸倉を掴んだ。
「そうか……分かったぞ!全部おまえと宰相の差し金だな!レイチェルが!娘が王太子妃の座に就けないよう、私を罠に嵌めたのだろう!?」
(罠!?なんでそういう話になるの!?)
当然クララはそんなことをしていない。
それに、クララの父親だって、クララが王太子妃になることを望んでいるわけではない。地位もこれ以上上がりようがないのだし、伯爵を陥れる理由など、あるはずがなかった。
「違います!わたし、そんなの知りませ……っ」
「とぼけても無駄だ!現にこの私が大臣の職を追われたのがその証拠!そこまでして王太子妃になりたいのか!?父親の地位を守りたいのか!?こんな性悪女のために、私は……!」
スチュアート伯爵は口を荒げながら、クララに向かって思い切り手を振り上げた。
駆けつけた騎士たちが、クララと伯爵を引き剥がそうとしている。けれど伯爵がそれを許さない。
拳が真っ白になるほど、力を込めて掴まれた胸倉。クララの踵が宙に浮く。呼吸だって苦しくなった。
恐怖とパニックのためだろうか。音という音がうまく聞こえない。まるで時が止まってしまったかのように、周囲がゆっくりとコマ送りに見える。
(やだ!)
ヒュッと風を切る音だけが、やけに大きく耳に届く。ゴツイ大きな石の嵌まった指輪でコーティングされた拳が、騎士たちの間をすり抜けて、すぐ目の前に迫っている。クララは思わずギュッと目を瞑った。
(…………あれ?)
待てど暮らせど、痛みは襲ってこない。怖くて目も開けられぬまま、クララはブルブルと身体を震わせる。
その時、クララの頭を温かな何かが掠めた。それは、ゆっくりと宥めるように、少しずつ触れ合う面積を増やしていく。
この温もりの正体を、クララは知っていた。
それと同時に、心を蝕んでいた恐怖も、あっという間に消えていくのが分かる。
「遅くなって悪かった」
久方ぶりに聞く声。怒っているのだろうか。いつものように穏やかで優しい声ではない。けれど、クララはとても嬉しかった。
「コーエン」
クララの瞳に涙が滲んだ。




