涙に濡れたプロポーズ
「……よく財部が許可を出したな」
コーエンはクララが持ち帰った資料を眺めながら、感嘆の声を上げた。
今回閲覧許可が与えられたのは、各地の財政状況だけではない。貴族の収支状況の資料も貸し出しが認められた。
正直、コーエンもフリードもここまでの結果を期待していなかったのだろう。膨大な資料を前に、ただただ目を丸くしている。
「一体、どうやって説得したんだ?」
「なにも。ただ、時間をかけて口説いただけよ」
ふふ、と目を細めてクララは笑う。
クララは何も、嘘は言っていない。ただ、口説いた相手が違うだけだ。
ゆるく束ねられたクララの髪の毛の中で、ピンク色をしたダイヤモンドが人知れず輝く。
かつてヨハネスに貰い、コーエンを通じて返却した髪飾りが、契約の証として、クララの手元に返って来たのだ。
『もう外しちゃいけないよ。王位継承戦の結果が出る、その時まで』
耳元で囁かれたその言葉を、クララは一人噛みしめる。
クララの願いが叶うこと――――コーエンが王としての権利を手にすることはすなわち、クララがヨハネスと結婚することを意味している。
(少しずつ、心の準備を始めないとね)
コーエンとの間に残された時間があとどれぐらいあるのか、クララにはよくわからない。けれど、時計の針が止まることはもうない。
クララは資料とコーエンとを交互に見ながら、穏やかに微笑んだ。
それからの数日間は、膨大な資料を読み込むために時間を費やした。
資料を読んでわかったのは、マッケンジー家の財政状況も、彼の領地の財政状況も思ったよりは悪くない。かといって、密猟で儲けたという事実も読み取れない。どうして密猟に手を染めたのか、その理由はちっとも分からなかった。
おまけにそれから数日後、シリウスの両親は刑部の取り調べに対して、自分たちが領民に密猟の許可を――――指示をしていたと認めてしまったのだ。
「さすがにお咎めなし、ってわけにはいかないだろう」
コーエンとフリードは苦々し気にため息を吐く。クララも胸が強く痛んだ。
「マッケンジー家は密猟を行った者たちへの減刑と引き換えに、自分たちへの厳罰を望んでいる。里の住人は何も悪くない。全て指示を出した自分が悪いのだから、と」
「だけど、密猟者の罰って――――」
「良くて体罰。最悪死刑だね。少なくとも王都を追われることは間違いない。貴族が密猟の許可を出したという事例が無いから、どうなるかはわからないけど」
まるで心臓が握りつぶされるかのような心地。眉間に皺を寄せ、クララは浅く呼吸を繰り返す。
フリードは、シリウスを見捨てるのだろうか。彼にそんなつもりはなくとも、『仕方がない』と言われているような気がして、クララは拳をギュッと握った。
「密猟って――――そんなにも悪いことなの?」
クララの声が、身体が震えた。ドレスの裾を握りしめ、立っているのもやっとだった。
「ごめんなさい。わたしには分からない。命をもって償わないといけないほどの罪なのか――――そもそも、この世にそれ程の罪があるのか」
ここで言っても仕方がないことは分かっている。罪を、罰を決めているのはフリードたちではない。けれど、どうしても吐き出したかった。
「クララ……ボク達も同じ気持ちだよ。だけど、密猟は王に対して盗みを働いたのと同じ。全くお咎めなしってわけにはいかない。罰の程度が問題なだけで」
そんなこと、クララだって分かっていた。
けれど、気持ちはそう簡単に割り切れないのだ。
「フリード」
「――――あぁ、うん。ボクはこれから、カールと話をしてくるよ。これからのこと、相談しなくちゃならないし」
そう言ってフリードは、静かに執務室を後にした。
残ったのはクララとコーエンの二人きり。
その途端、先程まで堪えていた涙がクララの瞳に溢れ出した。
「ごめっ……。本当は分かってるの。こんなの八つ当たりだって。だけど、だけど――――」
「良いから。俺の前でまで我慢するな」
コーエンはそう言ってそっとクララを抱き締める。慣れ親しんだ温もりに、心が身体が安心する。
「コーエン」
ポン、ポンと背中が撫でられて、クララの心が満たされる。
コーエンならばきっと、こんな不条理を正してくれる日が来る。王となり、クララのために――――皆を守るために戦ってくれると信じられた。
「コーエン……好きっ。大好きっ」
縋るようにしてコーエンを抱き締めながら、クララが感情を吐露する。耳のすぐ側でバクバクと音が聞こえる。コーエンの心臓の音だった。
「好きなの……コーエンのことが。すごく」
好き、と続くはずだった言葉は、コーエンの唇に呑み込まれてしまう。
心臓が甘く、切なく軋む。
絡めるように繋がれた手のひらが温かくて、とても優しくて、苦しかった。
「――――っ、あんまり煽るな。抑えが利かなくなる」
熱い吐息と共に吐き出されたセリフ。聞きながら、クララはポロポロと涙を零す。
「抑えなくていいよ」
その言葉が何を意味するのか。貴族の令嬢として、どれほどはしたないことなのかを、クララはきちんと理解していた。
だけど、誰に後ろ指を指されようと構わなかった。
今、この時だけでも良い。コーエンのものになりたい。愛された記憶が欲しい。
そう思ったところで、誰がクララを責められよう。
「~~~~~~っ!~~~~~~~~~~~~っ‼」
コーエンは声にならない叫び声を上げながら、唇をギザギザに引き結ぶ。顔を真っ赤にして、何度もクララを見下ろしながら、フルフルと首を横に振る。
「コーエン……」
「あーーーーーー‼だめっ!ダメったらダメ!やっぱり、何度考えてもダメなものはダメだ!」
コーエンはそう声を荒げながら、深々とため息を吐くと、じっとクララの瞳を覗き込む。ほんのりと紅く染まった頬と濡れた瞳。眉間には苦し気に皺が刻まれている。
(もしかして、呆れられた?)
不安に駆られてそっと見つめ返すと、コーエンは困ったように笑いながら、ギュッとクララを抱き締めた。
「コーエン?」
相変わらず、コーエンの吐息は熱い。聞いているだけで、クララの胸を熱く焼いてしまう。
コーエンは少しだけ身体を離すと、もう一度クララの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「変なこと言ってごめんなさい……だけど、わたしは」
「違う。違うんだ、クララ」
沈黙に耐え兼ねて零した言葉を、コーエンは優しく否定する。
真摯な眼差し。心が騒いで堪らなくなる。
「俺はただ――――クララのことを物凄く大事に想ってる」
胸の奥がツンと痛い。喉が瞳の奥が、熱くて堪らない。
「多分俺はクララが思うよりずっと……クララ以上にクララのことを大事に想ってるんだ。だからそういうことは――――ちゃんとクララを妻にしてからにするって、心に決めてた」
「…………え?」
コーエンの言葉の意味が呑み込めないまま、クララは目を見開く。
(今、コーエンはなんて)
クララの手のひらがそっと握られる。見ればコーエンはクララの前に跪き、熱っぽくクララを見つめていた。
「クララ――――俺と結婚して?絶対に幸せにする。毎日クララを笑顔にするって約束するから」
この感情を何と呼ぼう。
嬉しくて、嬉しくて堪らないのに。それ以上に悲しい。
涙がボロボロと溢れてきて、止められない。
「クララじゃないとダメだから。ずっと俺の側にいてほしい」
あぁ、なんて。
なんて幸せで、なんて残酷な――――。
「ごめん、コーエン」
クララはコーエンの手を引き立ち上がらせる。拭っても拭っても溢れかえる涙のせいだろうか。コーエンの表情が歪んで見える。
「わたし、コーエンとは結婚できない」
その瞬間、何かが音を立てて崩れ落ちた気がした。




