閲覧制限とキーパーソン
クララは放心状態のまま、城の中を一人、トボトボと歩いていた。
(事前に聞いてはいたけど、ここまでとは……)
ついついため息まで漏れてしまう。
というのも、クララは今しがた国家の予算を司る『財部』と呼ばれる部署へ赴いていた。
財部は国や王族の予算、収入や支出の使途や配分の全てを取り仕切る部署だ。各部署から上がって来た予算案を査定するのも、ここで働く人間の仕事である。
けれど、彼等の査定は毎回えげつない。真っ赤になって返って来た予算案を見て、涙を流す人間が後を絶たないらしい。
クララもいずれ予算を担当する予定だが、要求時期はもう少し先のことだ。その上、これまでに財部と関わる仕事も無かった。
このため、財部に関する情報は、他の部署の人間から事前に仕入れた。
『あいつらには感情なんてない。数字が恋人って人間の集まりだよ』
クララが話を聞いた礼部の文官は、こう言って唇を尖らせた。
『どんなに必要性を訴えても、年々うちへの予算は減らされちまう。他の部署もそうだ。そのくせ、自分のとこの予算はしっかり確保してるんだから頭にくる』
余程酷い目に遭ったのだろうか。普段は温厚な文官だというのに、その時ばかりは拳を握りしめ、悔し気に身体を震わせていた。
『エリート意識っていうの?同じ文官なのに、財部に配属されてるってだけで、立場が上だと思ってる。自分たちは選ばれた人間だって勘違いしてやがるんだ。その上、情に訴えたところで、あいつらにとって大事なのは数字だから意味がない。クララ嬢にもすぐに分かるよ」
苦々し気な忠告。けれど、現実はもっと苦かった。
クララが財部に行ったのは、ここ数年間の貴族たちの懐事情を確認するためだった。
この国の貴族は年に一度、己の収入と資産の状況を報告する義務がある。そして貴族たちから上がって来た報告書を管理すること。それが財部の役割の一つである。
クララの目的は、シリウス――――マッケンジー家とその分家筋の報告書を財部から借りることだった。
とはいえ、調査対象がマッケンジー家だとバレれば、シリウスの謹慎処分とその理由を勘繰られかねない。このためクララは、全貴族の報告書を借りようとしたのだが。
『ダメです。資料をお貸しすることはできません』
クララを待っていたのは、取り付く島もない拒絶の言葉だった。
無機質な冷たい声音。イゾーレのおかげである程度免疫があるつもりだったが、心は簡単に抉られてしまう。めげそうになりながらも、クララは己を鼓舞するために拳を握りしめた。
『けれど、ご覧ください。ここにフリード殿下からの申請書があって――――』
『貴族の収入資産状況については、たとえ王子であっても閲覧を許可することができません。報告書を検められるのは国王陛下と財部の人間のみです』
閲覧制限については、クララだって事前に把握していた。今からずっと昔、とある貴族が、己の懐事情を周りに知られたくないがために作った規定らしい。それが、一定以上の貴族に支持され続け、今日に至るまで残っているのだ。
財部の人間は頭が固い。規定がある以上、申請したところで十中八九退けられる。そうと分かっていて、コーエン達はクララを送り込むことにしたのだ。
『あの、貸出じゃなくて……この場で少しの間、閲覧させていただくだけでも良いんですけど』
甘えるような声音でクララが首を傾げる。
この場で求められるのは、女性らしさだ。そうでなければ、クララが一人で赴く意味はない。
(とはいえ、正直めちゃくちゃ苦手分野……)
口の端が引き攣りそうになるのを感じながら、クララはそっと目の前の文官を見上げる。
お転婆とまでは思わないが、クララはお淑やかな令嬢とは呼び難い。おまけに容姿に自信があるわけもなく、こんな初対面で相手を篭絡できるとは思えなかった。
『ダメです』
(…………やっぱりダメ、か)
結果は完敗だった。何やら普通に断られるよりも敗北感が強い。がっくりと肩を落としつつ、クララは急いで気持ちを切り替えた。
『分かりました。だったら、各都市の財政状況について分かる資料を貸してください。そちらは閲覧制限がありませんよね?』
クララは文官を真っ直ぐに見上げ、もう一度フリードからの申請書を差し出す。
貴族が上げる報告書には、己の収支報告とは別に、もう一つ種類がある。
それは、領地を持つ貴族が、領地内の税収や流通品目、経済の状況等について記したもので、こちらは基本的に身元が確かであれば閲覧が可能らしい。
この報告書があれば、密猟が確認された土地の住人の暮らしぶりが見えてくる。彼等がどうして密猟を行ったのか、その理由も推測が可能となるはずだ。
『そちらもダメです。お見せすることはできません』
けれど文官は、鬱陶しそうに眼鏡を上げながら、そう言い放った。
『どうしてですか!?』
クララにはもう、上品に振る舞うことなどできなかった。グッと文官との距離を詰め、眉間に皺を寄せつつ唇を尖らせる。
すると、文官はクララから顔を背けながら、小さくため息を吐いた。
『大臣が――――スチュアート様がダメだと仰っているからです』
『はぁっ!?』
(何それ!?なんなの、それ!?意味が分からないんですけど!)
クララは開いた口が塞がらなかった。
財務大臣のスチュアートとはつまり、レイチェルの父親だ。とにかく金に目がないことで有名で、役職柄、国に与える影響も大きい。
『理由は――――大臣が閲覧制限を設けた理由を御存じですか?』
ピンと背筋を伸ばし、クララは尋ねる。
これでもクララは宰相の娘だ。最近は政について父からも学んでいる。
(だってこれは、貴族だけじゃない。本来、国民全員に公表して然るべきものだもの)
非公表とするならば納得のいく理由が必要だ。ただで引き下がるわけにはいかなかった。
『大臣が仰るには、王位継承戦において不正があってはいけないから、と』
『王位継承戦に不正……?』
言われた言葉の意味が分からず、クララはしばらく放心状態のまま佇む。
(意味が分からない!どうしてそういう話になるの?)
この場でクララは、王位継承戦の話など一言だってしていない。おまけにレイチェルの父親はここにはおらず、文官が大臣に判断を仰ぎに行くこともなかった。
だとすれば、残る選択肢は一つ。
レイチェルの父親はかなり前から、フリードやカールへに対する財政資料の閲覧制限を言い渡していた、ということになる。
『いいですか?財政資料というのは、ただの数字の羅列ではありません。どの貴族がどのように力を持っているのか、どの土地にどれ程の価値があるのか、人々がどんな暮らしをしているのか――――その全てが詰まっています。無暗に閲覧させれば、フリード殿下やカール殿下は、王位を手にするため、力を持った貴族や商工会と手を結ぼうとするかもしれない。私腹を肥やそうと企むかもしれない。ならば、少なくとも王位継承戦の間は、殿下方に資料を閲覧させるべきではない。それが大臣の考えです』
悦に入ったかのような口調に、クララのイライラは頂点に達する。
『ヨハネス殿下だけが数字の恩恵を受けることができるなんて、不公平じゃありませんか!』
有力な後見を手にしようとすることは、何ら悪いことではない。そのために、クララたちは王子たちの内侍として務めているのだし、己の益になる人物を見定めることも、王として必要な能力だろう。
彼は先の説明において、閲覧制限の対象を『フリードとカール』と限定した。つまり、ヨハネスならば、資料を閲覧させることも、そこから得られる恩恵を受け取ることも問題がない。そう思っているらしい。
『どうしてヨハネス殿下だけ、そのような優遇を受けられるのでしょう?そちらの方が余程おかしい!正当性がないと――――』
『正当性?ヨハネス殿下はスチュアート家を外戚に選ばれました。それが一番『正しい』ではありませんか?』
さも、真理を語るかのような瞳で、文官は首を傾げた。
クララが一刻も早く、財部を後にしたいと思ったことは言うまでもない。
(しかし、これからどうしよう)
もう一度、同じ切り口で財部に突撃したとして、戦果を挙げれるとは思えない。
他のルート――――シリウスの家に保管されていた財政資料は、刑部の人間に全て持ち出されてしまった。調査の妨げになるため、こちらも現状、閲覧申請をすることはできない。
また、極秘に行われた事情聴取にはカールも立ち会えたようだが、シリウスの両親は謝るばかりで、それ以上の情報を話そうとしない。
(謝るってことは、不正の意図があった、って考えられなくもないけど)
聞けば、マッケンジー家の王家への忠誠心は篤く、本来このようなことに手を染めるような家系ではないらしい。仮に不正を犯していたとしても、相当の理由があるはずだ――――というのが、カールやコーエン達の考えなのだが。
(分からない……どうしてそんなこと)
「もしもしお嬢さん」
クララはハッとして、思わず足を止めた。
テノールのどこか柔らかな声。振り向けば、クララを見つめる鳶色の瞳がゆっくりと細められる。
「何かお悩み事かな?」
金色の刺繍が入った扇子を片手に、ゆっくりとクララの元へ近づいてくるのは、今後の鍵を握る人物。クララが今、一番憎らしく、そして求めていた男だ。
「ヨハネス殿下」
クララは恭しく頭を垂れつつ、密かに周囲を窺う。
ヨハネスは今、レイチェルも、他の供人も連れていないらしい。
「僕で力になれるかな?」
一房掬ったクララの髪の毛に口付けながら、ヨハネスは首を傾げる。何処か色っぽい、含みのある表情。ざわりと音を立てて草木が揺れる。
クララはゴクリと唾を呑んだ。
「もちろん。……聞いていただけますか?」
ゆっくりと瞳を細め、ヨハネスの手に己の手のひらを重ねる。
ヨハネスはニヤリと微笑むと、クララの手を引いて、どこかへ移動を始めた。




