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休暇

 雲一つない空に眩しい日差し。本来ならば汗ばむほどの陽気だが、高台のためか幾分過ごしやすい。



「大丈夫、クララ?疲れたんじゃない?」


「平気です。遠出なんて久しぶりで、すごく楽しみにしていたんです」



 フリードの問いかけに、クララはニコリと笑って答える。


 城に出仕して以来初めて迎える、少し纏まった休暇。

 クララたちは今、王都から少し離れた所にある、とある貴族の所有する森に来ていた。


 城とも王都とも違う清々しい空気。鼻腔を擽る葉や土の臭いが新鮮で、クララは大きく息を吸う。漂う非日常感に心が躍った。



「ねぇ。日差し強すぎじゃない?こんなパラソル一つでちゃんと防げるものなのかしら」



 折り悪く背後から聞こえる不機嫌そうな声音。クララが振り返れば、第2王子ヨハネスとレイチェル一行が馬車から降り立った所だった。



「良いよ良いよ、レイチェルは室内で休んでいて。君の綺麗な肌を傷つけたらいけないからね」

「ありがとう、ハンス!そう言ってくれると思ってた!頑張って来てね」



 そう言ってレイチェルはヨハネスの頬に手を伸ばしキスをする。何やら見ていて艶めかしい触れ合いだった。



(あぁもう……折角の良い気分が台無し)



 クララは思わず唇をへの字に曲げる。モヤモヤと行き場のない感情が身体の中心を蠢く。



(そういうことは、人のいない場所でしてほしいものだわ)



 頬へのキスは挨拶の一つ、という国もあるようだが、この国では違う。

 盛大な貰い事故に、クララは大きなため息を吐いた。



「なぁ、俺らもする?」


「へ!?」



 その時、耳元で囁かれた艶を含んだ低い声。思わず振り返れば、コーエンが意地の悪い笑みを浮かべ、クララの手を握っていた。



「さっきヨハネスとレイチェルのこと見てただろ?羨ましいのかなって思って」


「そんなこと、あるわけないでしょう!?」



 コーエンはグローブを嵌めた手のひらで、驚くほどしっかりとクララを掴んでいる。ブンブン振ったところで、放してくれる気はないらしい。それでも必死に手を振りほどこうと藻掻きながら、クララは頬を紅く染めた。



(ホント、腹が立つなぁ)



 コーエンは今、クララを揶揄いたいだけなのだろう。ヨハネスたちに、『クララがフリード以外の男性を想っている』と感じさせてはならないからだ。


 王位を継承するにあたり王子たちに必要なものは、己自身の実力と後ろ盾、そして王妃候補との関係の築き方だという。


 ならば、公の場では特に、クララはフリードとの親密さをアピールすべきだ。コーエンだって当然、そうと認識しているはずである。



「……ねぇ、一体何考えてるの?」



 クララが思わずそう尋ねる。

 すると、楽し気に細められたコーエンの瞳が、キラリと光った。こちらの心情にちっともそぐわぬ反応に、クララは唇を尖らせながら、眉間に皺を寄せる。



「何ってクララのことだけど」



 コーエンは何のためらいもなく、サラリとそう言い放った。まるで1+1に答えるかの如く、当たり前、といった表情だ。



「また!そういう冗談を……っ!?」



 けれど、クララの言葉は不自然に遮られた。


 言葉を飲み込むように重ねられた唇。すぐ目の前に、コーエンの青い瞳が光る。あまりの驚きにクララは目を見開いた。



(コーエン!?本気で何考えてるの!?)



 身体中に周囲からの視線を感じる。ドンドンとコーエンの胸を叩いてみても、コーエンは何食わぬ顔をして口付けを続けている。



(ありえない!こんな、たくさん人がいる前で!)



 フリードの王位継承戦への影響は。クララ自身やスカイフォール家の名誉は。溢れ出さんばかりのこの羞恥心は。コーエンへ言ってやりたいことを考え出したらキリがない。


 けれど、考える度に、それらは甘美な温もりにずぶずぶに溶かされて、ちっともクララの頭の中に残ってはくれない。


 そうして思う存分唇を味わいつくしてから、コーエンはようやくクララを解放した。



「なっ……にを…………!」



 ワナワナと身体を震わせながら、クララは拳を握る。


 けれど、コーエンが熟れた己の唇を舐める様はあまりに扇情的で。再び湯水の如く湧き上がる言葉たちを、クララはグッと呑み込んでしまった。



「コーエン、その辺でやめとこう。クララが困っているだろう?」


「でっ……殿下!ごめんなさい!わたし、殿下に多大なるご迷惑を……!王位継承が……殿下の未来が……!」


「大丈夫大丈夫、落ち着いてクララ?」



 フリードはそう言ってクララの背をポンと撫で、ニコリと微笑む。そして、混乱と焦りで殆ど酸欠状態だったクララの瞳に滲んだ涙を、そっと拭った。



「ボクが迷惑を掛けられるとしたらコーエンだけだから。クララは何にも悪くないよ」



 そう言ってフリードはコーエンを軽く睨んだが、それは怒っているというより、どこか事態を楽しんでいるような、そんな瞳で。クララは胸の中にわだかまりを抱えつつ、ようやく冷静さを取り戻していた。



「このぐらいの迷惑料、今からの狩でチャラになるだろ?」


「うん……まぁそうだね!期待しているよ」



 パン!と手のひらを重ねながら、コーエンとフリードは笑う。



(まったく……人の気も知らないで)



 ちっとも反省している様子のないコーエンに、それを咎めるでもなく受け入れているフリード。クララは小さくため息を吐いた。


 休暇とは名ばかり。

 今回クララたちは、陛下の指示を受け、この森へ狩猟に訪れていた。


 狩猟は王族や一部の貴族だけに許された特権で、レジャーとしても人気がある。

 けれど、今回の狩猟は『王位継承戦』の一つだ。明確にそうと告げられたわけではないが、国王の意図は誰の目にも明らかだった。



「ふん、狩で俺に勝てると本気で思っているのか?」



 その時、背後から響いた太く響く声に、クララたちは一斉に振り返る。



「カール殿下――――お久しぶりです」



 声の主は第1王子、カールだった。


 丁寧に挨拶をしながらクララは微笑む。彼に会うのは、コーエンに定時報告の現場を押さえられて以来、実にひと月ぶりだった。



「ん。おまえは相変わらず元気そうだな」



 そう言ってカールは穏やかに目を細める。先程の挑発的な発言とのあまりの温度差に、クララは小さく笑った。



「あの子は――――仔猫は元気か?」


「はい。変わらず元気に過ごしていますよ。たくさん悪戯をするようになって、侍女たちは困ってますけど」



 あの後、カールとフリードとの間に、どんなやり取りがあったのかは分からない。けれど、クララたちが部屋に戻ると、何故かフリードが仔猫を引き取ることになっていた。


 クララは担当から外されたため、たまに様子を見に行く程度だが、仔猫は今も侍女たちに可愛がられ、すくすくと育っている。


 時々はカールも面会に来ているらしい。クララと鉢合わせしないように、フリードが調整をしているのだと、こっそり侍女が耳打ちしてくれた。



「そうか。それで――――」


「――――ストップ。それで?あなたはわざわざ、俺たちに宣戦布告しにいらっしゃったんですか?」



 コーエンはそう言ってクララの腰をグイッと引寄せると、己の背後に隠す。先程までの楽し気な表情から一転、慇懃で不敵な、宮廷用の顔つきになっていた。



「当然だ。この狩で俺は、己の戦闘能力と統率力、王者としての貫禄を示す!この国に今必要なものは軍事力!そのことを陛下に理解いただくつもりだ」



 カールはいつも通り、自信に満ち溢れた表情でそう言い放つ。途端に漂うビリビリとした緊張感。やはり、仔猫の絡まないカールは気迫が違って見えた。



「ヨハネスの奴はもう、この勝負を投げている。奴は剣も弓もからっきしだからな。けれど不戦勝などつまらん!どうせなら俺は良い勝負をし、その上で王座を取りに行きたい」



 勝利を確信して上向く唇。確固たる決意を感じる眼差しに、クララは武者震いを覚える。



(でも)



 きっとフリードやコーエンは、不戦勝を喜んで受け入れるだろう、とクララは思う。


 今回は、誰も傷つく人間がいないので、フリードもコーエンも争うことを躊躇いはしない。けれど、回避できる争いは回避し、被害を最小限に食い止める。それが彼等の戦い方だ。



「分かりました。では、こちらも全力でお相手しましょう。ちょうどあなたとは、因縁もあることですし」



 コーエンはそう言って、チラリとクララを振り返る。

 意地悪に細められた瞳が妙に魅惑的だ。クララは思わず心を震わせた。



(何よ)



 この面子では、嫌でもあの日の出来事を思い出してしまう。



『クララは――――クララは俺のものだ!』



 今の慇懃な口調とは異なる、捻りも余裕も全くないコーエンの言葉。宮廷で大人たちと対等に渡り合うため、己の本音を巧妙に隠してきたコーエンの本心。それが嫌でもクララの心を熱くする。


 誰にも見えないよう繋がれた、コーエンとクララの手。勝利を約束するかのような力強い手のひらに、クララは静かに微笑んだのだった。

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