向けられた敵意
(外から見てるだけじゃ分からなかったけど、やっぱりお城の中って広いのね)
美しく、無駄に広い回廊を歩きながら、クララは小さく息を呑む。まるで物語に出てきそうな、趣のある建物や庭園。本当はもっとゆっくりと見て周りたい。
けれど、あまり視線を彷徨わせるのは行儀の良いこととは言えないだろう。折悪しく隣でコーエンが馬鹿にしたように笑ったので、クララはキリリと気を引き締めた。
「ここが侍女の控室。茶とか、食事とか、王子の身の回りのこととか――――なんでもここに頼めばいいから」
ふあぁと気の抜けた欠伸をしながら、コーエンはそう言う。
「それ、わたしの仕事じゃないんですか?」
クララが想像していた内侍の仕事は、今まさにコーエンが口にしたようなものだった。だから、内侍としての仕事が決まって以降、クララは屋敷の侍女たちが仕事をしている様子を観察したり、手伝ってみたりしていたのだが。
「あんたの仕事はもっと別」
コーエンは小さく笑いながら、再び歩き始めた。
クララはこれまで、ありとあらゆる書物を読んで来たのだが、こと城の中、その仕事内容が書かれたものは、殆ど存在していない。
おそらくは在職中、退職後であっても、城での出来事について口外を禁じられているのがその理由だろう。けれど、分からないことがある、ということはそれだけで気持ちが悪いもので。
(知りたい……ムズムズする)
もう少し詳しいことを教えて貰えないだろうか。クララは期待の眼差しをコーエンに向けた。
「……内侍ってのはさ、王族の私生活にまつわるお金とか、侍女とかの人事を担当するんだよ」
コーエンは大きく伸びをしながらそう口にする。気だるそうにはしているが、きちんと教えてくれるあたり、案外面倒見のいい人なのかもしれない。
「あとは、王族とは気軽に話せない身分の奴ら――――位の低い騎士とか文官あたりの要望を聴いたり、逆に命令を伝えたりとかね。主人が直接動けなかったり、判断を下せない状況にあるときに動く役。それが内侍ってわけ」
クララは思わずへぇーーと唸り声を上げる。
王族を表とするならば、内侍とは裏の存在。王族の仕事を影ながら支えたり、城の、外からは見えない部分を動かす役割ということなのだろう。
(思っていたよりもずっとやり甲斐がありそう。だけど)
気づけばトクン、トクンと心臓が鳴っていた。何やら足が竦むし、息がうまくできない。
(それ、本当にわたしに務まるの?)
これまでクララは男性にも負けぬよう、一生懸命勉強をしてきた。けれど、知識は日常や仕事に活かすことができなければ、なんの価値も持たない。
おまけに、今自分が持っている知識で十分なのか、誰にも分からないのだ。能力を試してみたいなんて、烏滸がましい発言だったのではないか。
「さっき、さ」
「ん?」
唐突に話を切り出したクララに、コーエンは首を傾げる。俯きがちに何度も瞬きをしながら、クララはそっとコーエンを見上げた。
「…………色々と生意気なことを言って、ごめんなさい」
少なくともこの男は、クララよりも前からフリードの側にいた。側にいて、彼の仕事を支えていたのだ。きちんと敬意を払うべきだったというのに、ひどい態度を取ってしまった。
コーエンは目を丸くして、クララをまじまじと見つめる。しばらくの間、気まずい沈黙が二人の間に横たわった。
(何か言ってよ)
クララはそっと唇を尖らせる。すると、コーエンはややしてから声を上げて笑った。
「ん~~?何がどう生意気なのか、俺にはちっとも分からねぇな」
先程までの意地悪い笑みとは異なる満面の笑み。
コーエンは、せっかく綺麗にセットしたクララの髪の毛を、ガシガシと撫でながら、遠慮なく乱していく。
「ちょっ、ちょっと~~~~」
必死で手を振り払いながら、クララは頬を染めた。
(変な人)
気にするな。遠回しにそう伝えてくれる辺り、案外優しい人なのかもしれない。クララはコーエンに気づかれぬよう、小さく笑った。
「ハンス、見て」
その時、クララのものとは異なる、若い女性の声が響いた。
顔を上げると、少し離れた所に人影が二つ見える。双方がゆっくりと歩み寄り、段々とぼやけていた人物像がハッキリとしてきた。
一人はフリードとよく似た栗色の髪の毛に、彼よりも少し恵まれた体格。左目の下にある涙ボクロが特徴的な男性だ。
もう一人は、オレンジ色の裾の長いドレスに身を包んだ、小柄な女性。蜂蜜のような色をした長いブロンド髪、大きな青い瞳、バラのような色の頬が愛らしい。年のころはクララと同じか、一つ下ぐらいに見える。
(あれ?ハンスって確か……)
クララはそっと膝を曲げ、淑女の礼をする。
「ははっ、さすがフリード。よく躾けられているね」
そんな声が頭上で響く。コーエンの声とは異なるため、これはハンス――――第2王子、ヨハネスのものだろう。彼の顔は、以前出席した夜会で見かけた第2王子の顔と一致していた。
クララは頭を垂れたまま、ひっそりと唇を尖らせる。
フリードとは今日初めて会ったのだ。躾けられたもクソもないのだが、相手は王子だ。反応せずに黙っておくのが得策だろう。
しばらくして「楽にしていいよ」と再びヨハネスに声を掛けられてから、クララはゆっくりと頭を上げた。
「名前は?フリードの婚約者なんでしょ?」
許可なしに答えてもよいものだろうか。そう思ってクララがチラリとコーエンを見ると、彼は小さく頷いた。どうやら問題はないらしい。
「――――クララ・スカイフォールと申します」
クララが名乗ると、ヨハネスはニコリと微笑んだ。
「なるほど、スカイフォール公爵の娘さんね。さすが父様。対戦相手として申し分ない……だろ?レイチェル」
「ええ」
レイチェルと呼ばれた少女はそう言って、その可愛らしい容姿に似合わぬ勝気な笑みを浮かべる。
「レイチェル・スチュアートです。以後お見知りおきを」
目の前の少女を見つめながら、クララは自身の記憶を辿っていった。
スチュアートというのは伯爵位を持つ貴族であり、大層な資産家一族だ。現伯爵は財務大臣の職に就いていると聞いている。この国において、もっとも力を持つ貴族の一人と言っても過言ではない。
(なるほどね。だからわたしが選ばれたのか)
公爵であるクララの父は、この国の宰相だ。パワーバランスを考えれば妥当な線だろう。
一人でそう納得しながら、クララは恭しく頭を垂れた。
「ところで、どうしてお二人はここへ?ヨハネス王子の宮殿からは随分離れておりますが」
そう口にしたのはコーエンだった。
先程までの不敵な振る舞いは一変し、慇懃な物言いに態度を取っている。真面目で誠実さすら窺えるその表情は、まるで先程とは別人のようで、クララはドギマギしてしまった。
「あぁ、レイチェルがフリードの宮殿を見てみたいって言うからちょっとね。お邪魔だったかな?」
「いえ。俺もクララに城を案内している途中なので。――――今日はこれで失礼します」
コーエンはヨハネスたちに向かって小さく礼をすると、クララを先導するように歩き始める。クララも二人に礼をしてから、コーエンの後を追った。
するとすれ違いざま、レイチェルとクララの視線がかち合う。クララは淑女らしく穏やかに微笑もうと、そう思っていた。けれど、そうは出来なかった。
レイチェルの可愛らしい瞳のその奥に、言葉で表しがたい熱い何かが見えたからだ。
(これは――――敵意だわ)
自覚した瞬間、クララはゾクリと身体を震わせる。
それがフリードに向けられたものなのか、クララ自身に向けられたものなのかはわからない。けれど、あの可憐な見た目とのギャップはあまりに大きい。得体の知れない不気味さを感じて、クララはそっと、自分自身を抱き締めた。




