俺のだから
会場は奇妙な熱気に包まれていた。
宴の参加者は決して多くはない。けれど、まるで何千人もの人間を集めたかのような興奮が渦巻いている。
「まさか、殿下方があのような披露をなさるとは」
クララの父親ワグナーはそう言って感嘆の声を上げている。クララはコクコクと頷きながら、心地よい余韻に浸っていた。
これまでもクララは二人が練習する様をこっそり見守って来たものの、気迫も技の完成度も今日とは段違いだった。
ふと見ると、舞を終えたフリードとコーエンは、主賓へ向かって挨拶をしている。
先程まで、近づくだけで火傷しそうな熱気を発していた二人だが、今はケロっと涼やかな顔だ。これには使節たちも大層驚いている。二人を称賛し、畏怖の念を抱いている様子が見て取れた。
(良かった……コーエンの目論見は上手くいったみたいね)
彼の読みが外れることはあまりないが、結果を見るまでは安心できない。けれど、今回は大成功と言って良いだろう。クララはほっと胸を撫でおろした。
「じゃぁ、お父様。わたしはこれで」
クララはそう言って踵を返す。宴への出入りを許されているのは、二人の舞の間だけだ。早くこの場を去らなければならない。
けれど、本当は何よりもコーエンに会いたかった。
会って、労をねぎらいたい。クララの胸を打った、この大きな感動を伝えたかった。
「クララ、少し待ちなさい。さっきの話の続きを――――」
そう呼びかけるが、クララの足取りは軽く、彼の声はもう届きそうにない。ワグナーは小さくため息を吐きながら、先程のクララの言葉を反芻していた。
(コーエン――――――)
クララの耳元で光るエメラルドのイヤリング。その贈り主の名を、クララは『コーエン』と、確かにそう言った。
「誰なんだ、その男は」
娘のいなくなった方向に向かい、ワグナーは思わずそう漏らす。
宰相である彼の聞き覚えのない名。ワグナーは一人、首を傾げた。
(来ちゃった)
クララは今回の宴のために臨時で設置された、フリードの執務室の前にいた。コーエンとフリードの二人はまだ宴の会場だろうか。部屋の中はシーンと静まり返っている。ノックをしようか逡巡しながら、クララは頬を紅く染めた。
(あんなに会いたいって思ってたのになぁ)
いざとなったら、何を話せば良いか浮かんでこない。頭の中で何度もシミュレーションをしているのに、会話が上手く成り立つ想像ができずにいるのだ。
(これまでわたし、どんな顔してコーエンに会ってた?)
思えば、かなり前からクララはコーエンに恋をしていた。無自覚に心をときめかせ、ずっと彼のことを目で追っていた。けれど、きちんと自分の気持ちに向き合ったのはこれが初めてで。
(すごかったって。感動したって伝えて。それから、それから……)
その時、クララは心臓がドクンと大きく鳴り響いた。
クララの背をすっぽりと覆う大きな温もり。細いのに逞しい腕がクララを抱き寄せている。相手のことは見えないけれど、鼻腔を擽る香りはもう慣れ親しんだもので。
「ーーーーちゃんと見てた?」
耳元でそう囁かれて、クララの身体は一気に熱くなった。
(コーエン……!)
声を出さずコクコクと頷きながら、クララは必死に心を落ち着かせる。
(ダメダメ!一旦リセットして……)
クララの鎖骨辺りを抱いた腕が、脈動を敏感に察知するのではないか。こんなにもバクバクと心臓を高鳴らせて、コーエンにバレずに済ませるなど、不可能ではないか。そんなことを考える。
「――――見てた。すごかった」
やっとの思いでクララはそう呟く。相変わらず心臓はうるさく騒いでいて、治まりそうな様子はない。
本当は今、クララを抱き締めている優しい腕を、そっと抱き返したい。好きだと伝えてしまえたら良いのに、とそう思ってしまう。
(でも、そうしたらコーエンは?)
もっとクララを夢中にさせるよう、振る舞うだろうか。それとも、素っ気なく距離を取るだろうか。大切な人が棲むその心の一部を、クララにも分け与えてくれる――――?
あくまでクララは王太子選の駒の一つだ。
けれど、クララは今なら、どんな駒にだってなりうる。
それに駒を活かすも殺すもコーエン次第。今後の盤の運びに応じて、コーエンは必要な策を講じていくのだろう。
(でも、今はそれで良い)
生まれて初めて抱いた恋心。それが仕組まれたものだとしても、大切にしたい。駆け引きや打算でボロボロにしたりせず、どんな形であれ守っていきたいと思う。
「クララ、こっち向いて」
少し掠れたコーエンの声に心が切なく軋む。
恐る恐る振り返れば、コーエンは穏やかに笑っていた。
「舞ってる間、ずっとおまえのこと考えてた」
クララを再びギュッと抱き寄せながら、コーエンが言う。
ふわりと香る汗の香り。燃えるように熱い身体。顔の辺りにあるコーエンの胸からは、クララに負けず劣らず早い、心臓の音が聞こえる。
「…………え?」
コーエンの発した言葉が信じられなくて、クララはひっそりと息を呑む。
「……クララのことだけ考えてた。おまえに俺がどう見えるのか。どう思ってるのか考えてた」
瞼の奥が燃えるように熱い。気を抜けば、今にも泣いてしまいそうだった。
コーエンの本当の気持ちは、彼自身にしか分からない。だから、今発せられたコーエンの言葉は、クララが信じる限りにおいて、真実になるのだと思う。
「わたしも」
蚊の鳴くような小さな声で、クララがポツリと漏らす。けれど、それでもコーエンには聞こえたのだろう。スリスリとクララの肩に頬擦りをしながら耳を寄せてくる。
「コーエンがわたしのために舞ってくれてたら良いのに、って……そう思ってた」
コーエンの背を抱き締めながら、クララは恥ずかしくて堪らない。けれど、本音の一端が吐き出せて、心が少しだけスッキリする。コーエンに触れられることを嬉しく思う。
「あぁーーーーーーもうっ」
コーエンは盛大なため息を吐き出したかと思うと、己の身体からクララを引き剥がす。
やっぱり迷惑だったのだろうか。そんな風にショックを受けたのは一瞬のことだった。
困ったように、けれど嬉しそうに頬を染め上げたコーエンが、クララを真っ直ぐに見つめていた。
チュッと音を立てて二人の唇が重なる。
触れた部分から甘さが広がり、心と身体を満たしていく。一度だけじゃ足りなくて、二度、三度と回数を重ね、互いを味わうように角度を変えて。熱を分け合うように繰り返す。
こんなとき、どうしたら良いのかなんて、クララには分からない。分かるのは自分がどうしたいのか、己の気持ちだけだった。
「もっと」
熱い吐息とともにコーエンが小さくそう漏らす。クララの頭をコーエンが掻き抱くと、シャラッと音を立てて、何かが揺れた。
「ん……こんなの着けてたっけ?」
言いながらコーエンは、クララの後ろ髪を纏めた髪飾りをそっと触る。
「あぁ、これならさっきヨハネス殿下に戴いて」
最後の打ち合わせはバタバタしていたし、気づかなかったのだろう。クララはヨハネスに髪飾りを貰った経緯を話す。
すると、コーエンは眉間にこれでもか、という程皺を刻み、唇をぐっと尖らせた。
「ねぇ、これどうしたら良いと思う?お返しするのはやっぱり角が立つかしら?」
「……別に、返さなくて良いんじゃねぇの?そのぐらいの宝石、遠慮なく貰っておけば?」
クララから顔を背けるようにして、コーエンは言う。心なしか機嫌の悪そうな声に、クララの心臓が不自然に疼く。唇がフルフルと震え、今にも笑ってしまいそうだ。
「~~~~~~っ、嘘!やっぱ今の取り消し!その髪飾りはヨハネスに返却することで決定!」
コーエンは悔し気に顔を顰めながら、クララの髪の毛からするりと髪飾りを抜き取った。
見れば、イゾーレが褒めるのも納得できる程の立派なピンクダイヤが、キラキラと輝きを放っていた。
「わっ、綺麗~~!わたし、こんなの身に着けてたんだ!ねぇ、ちょっともう一度……」
「ダメ、却下!あいつに返すのも俺がするから!」
普段の無駄に大人びた表情や言動からは一変。まるで子どものように声を荒げ、頬を紅く染めるコーエンからクララは目が離せない。
「っていうか……クララにはこれがあるだろう?」
コーエンはそう言って、そっとクララの耳に触れる。クララからは見えないけれど、彼女の耳元では緑色をした美しいエメラルドが、まるで熱を孕んだみたいに光り輝いているのだろう。
「俺の贈った宝石だけ身に着けてろよ」
そう耳元で囁かれ、クララの身体が大きく跳ねる。
いつものように、勝ち誇ったような笑顔だったらどんなに良かっただろう。今のコーエンは、まるで拗ねた子どものようだ。彼が本音を吐露していると錯覚してしまいそうになる。
「あっ、そうだ!ゴメン、コーエン」
何とか空気を変えたくて、クララは唐突に話題を変える。
「ゴメンって何が?」
「あのね、レイチェルにこのイヤリング、フリード殿下からの贈り物って言っちゃった」
「…………なんでそんなことを?」
コーエンは怒っているというより、むしろ心底ビックリした、というように目を丸くした。
クララは控室での経緯を話しながら、そっと首を傾げる。
(なんか、変な反応)
困ったようなコーエンの表情。ちっとも理由が分からなくて、クララは眉間に皺を寄せた。
「なんだ、気づいたわけではないのか」
クララから全部を聞き終わると、コーエンは小さな声でそう漏らした。
(やっぱり、イヤリングの贈り主はフリード殿下なのね)
クララの心が音を立てて軋む。
この場にクララを縫い留めるための宝石。けれど、クララは聞こえていない振りをした。
「ん……まぁ、そこは気にしなくて大丈夫。そっちの方が色々と都合がいいし」
「そう……んっ」
クララの返事は、悪戯っぽい瞳をしたコーエンの唇に塞がれてしまう。頬を撫でられる感触。額が重ねられ、鼻先を擦り合うくすぐったさに、クララは身を捩る。
「…………俺のだから」
何が?と問いかけたくても、甘く痺れた唇は、しばらくまともに動いてくれそうにない。
何度も何度も唇を奪われながら、クララは深淵へと堕ちていく己を自覚していた。




