Upside down
「遅いぞ、シリウス」
コーエンは眉間に皺を寄せつつ、シリウスを見上げる。それからメニューを畳むと、ふぅとため息を吐いた。
「そう言うなって。これでも急いで来たんだぞ?」
シリウスは苦笑いを浮かべながら、額に滲んだ汗を拭った。頬も火照っており、ここまで走ってきたことが窺える。
「あぁ……、直前になって外出がカールにバレたとか?」
「……大正解。あの人、外周100回終わるまで城から出さん!とか言うんだもんなぁ。マジ最悪。俺、今日は非番なのに」
クララの向かいの席に座りながら、シリウスは大きなため息を吐いた。
「あっ、クララちゃん、昨日ぶり!最近よく会うね」
「えっ?えっと……」
確かにシリウスとは昨日も顔を合わせている。けれど、彼の様子は今とあまりにも異なっていて、クララは戸惑いを隠せない。
(カール殿下の前では、あんなに硬派でキツい印象なのに)
今のシリウスは、面倒見の良い近所のお兄さん、といった感じだ。
いつもカールとセットで会っていたため忘れていたが、初めて会った時だって、シリウスは今と同じように、クララに対しても好意的に接してくれた。
「やっぱりビビらせちゃったのかな?」
「自業自得だろ?カールの下に付いたおまえが悪い」
何と答えるべきか迷っているクララを余所に、シリウスとコーエンがそんなことを話す。
「付きたくて付いたわけじゃないって知ってるだろ?親父と陛下の采配じゃ断れねぇもん。本当は俺だって、お前の方に付きたかったさ」
口をへの字に曲げながら、シリウスはため息を吐いた。
どうやらシリウスは、己の意思でカールの側近になったわけではないらしい。彼の従順な仕事ぶりを見ているクララとしては、意外な気がした。
「とにかく!そういうわけだからクララちゃん!俺、カール殿下の前ではあんな感じだけど、仲良くしてよね?ね?」
シリウスはそう言って唐突にクララの手を握った。大きくて温かい手のひら。男性と触れ合うことに耐性のないクララは、こんな些細なことでも簡単にドキドキしてしまう。
コーエンが何故か、咎めるような視線でこちらを睨んでくるが、クララは必死にコクコクと頷いた。
「それで?会場設営はどんな感じになる予定?」
それからしばらくした後、コーエンは徐に本題を切り出した。
「多分お前の予想通り。まっっったく飾り気なしで、如何に設営を素早く、確実に遂行するかが第一って感じ。その代わり、宴の最中の警備体制なんかは万全だと思うけど」
シリウスは注文したケーキをフォークで突きながら、唇を尖らせた。
「やっぱりなぁ……だからあいつに設営任せたくなかったんだよ。カールの手にかかりゃ、楽しいことでも、全部軍隊の訓練みたくなっちまうんだ。饗宴どころか葬式状態だろ?」
コーエンはそう言って腹立たし気に頭を抱える。
他国から要人を迎えるのだ。当然厳戒な警備が求められる。
けれど、ピリピリと張り詰めた緊張感の中で楽しめる人間は、きっと極僅かしかいない。自国を侮らせない、という効果は僅かながら期待できるものの、相手に与える印象は最悪だ。
「良いか?大事なのは、相手を楽しませること。その上で国力を見せつけることだ。どっちも欠けたらいけない。意味がないんだよ」
「分かってるよ。でも、相手はカールだぞ?俺たちの話なんて聞かねぇよ」
半分涙目でそう訴えかけるシリウスに、クララはついつい同情する。
(本当、どうやったらあの堅物を懐柔できるのか、わたしにも教えてほしいわ)
クララがカールに接しているのはほんの短時間だというのに、毎度ビックリするぐらい疲弊してしまう。それを毎日、長時間続けているのだから、シリウスは相当我慢強い人物だ。クララは思わず、尊敬の眼差しをシリウスへと向けた。
「んーーーーまぁ、あいつの説得は元より出来ると思ってないよ」
コーエンは困ったように笑いながら、ティーカップの中身をグビッと煽った。
「えっ、だったらどうするの?」
クララが思わず口を挟む。
ならば二人は、何のために城を抜け出し、シリウスとこうして話しているのだろう。カールを説得するためなのだと、クララは思っていたのだが。
「あいつは頭がものすごーーーーく堅いけど、その分自分の興味ある方向ばっかり見る奴なわけ。だから、上手いことあいつに気づかれないよう、根回ししたら良いんだよ」
「具体的には?装飾とかはどうやってもバレるし、「無駄なことするな!」って怒られるのは多分間違いなく俺なんだけど」
コーエンの説明に、シリウスは不満げに呟く。何だかクララは、本気でシリウスが気の毒になってきた。
「会場は基本いじらない。そりゃぁ本当は趣向を凝らしたほうが良いんだけど、今回は諦める。その代わり、シリウス」
「ん?」
コーエンはシリウスに向けてビシッと指を指す。クララはシリウスと一緒になって、小さく首を傾げた。
「おまえ達――――警備の騎士を飾りとして使う」
そう言ってコーエンはニヤリと笑う。
「騎士だけじゃない。儀礼担当の文官も、クララたち内侍や侍女達も、俺の指定した通りに着飾ってもらう。少し値は張るけど、本来なら会場設営に使う筈の金だし、必要経費だろ」
コーエンの説明を聞きながら、クララはそっと目を瞑った。
きっと彼の頭の中には、もう当日の画像が浮かんでいるのだろう。クララにも同じものが見えないだろうか。そんなことを考える。
「カールは基本、自分が着るものに頓着しないから、用意した衣装を渡せば着るし。他のメンバーは何とかなる。俺がなんとかするよ」
「……まぁ、宴に派手な衣装ってのは常套手段だと思うけどさ。全員の衣装のコンセプトを揃えるわけ?今から仕立て間に合う?」
シリウスは残された日数を指折り数えながら、首を傾げた。
「そこはクララの父親に協力してもらうことにするよ」
「……えぇ?お父様に?」
思わぬところで父親を引き合いに出され、クララは目を丸くした。
「確か、おまえん所の領地は織物が名産だったよな」
「う……うん。そうだけど」
クララは答えながらコーエンを見上げる。
領地で作っている織物は、とても良い品で、大量生産が可能だ。今の時期は丁度衣の入れ替わりの時期で、出荷前の品が沢山あるはずだし、仕立屋にも顔が利く。その点にコーエンは目を付けているらしい。
「任せたからな」
コーエンはそう言って、真っ直ぐにクララを見つめてくる。まだ具体的に何をすれば良いのか、何をするつもりなのか分かっていない。けれど、コーエンの押しの強い笑顔に、気づけばクララは頷いてしまっていた。無意識の行動だった。
それから3人は、衣装のコンセプトやデザイン、今後のやり取りの方法等について話し合った。
女性の意見も重要ということで、コーエンはクララの意見もきちんと採用してくれる。クララはそれが、とても嬉しかった。
何度も紅茶のお代わりをし、3人が店を出ると、既に夕陽が地平線の向こうに沈みかけていた。
「城に帰るか。色々名残惜しいけど」
コーエンは伸びをしながら、チラリとクララを見た。
(次、城を出ることができるのはいつになるだろう)
クララも少し残念に思った。
「あっ、俺はここで失礼するわ。寄り道して帰るからさ」
そう口にしたのはシリウスだった。何やらソワソワとしながら、楽しそうな含み笑いを浮かべている。
「なんだよ。またどっかに女でも作ったわけ?」
「まぁね。こういう機会でもないと会いに行く時間も取れないからさ。忘れられないようにしないと」
女性には立ち入れない会話に、クララはそっと目を逸らす。
(シリウスって結構誠実そうな人に見えたのに……)
案外人は見かけによらないのかもしれない。そうクララが思ったその時だった。
「なぁ、お前が色々動き回ってるのって、やっぱり『ジェシカ』のためか?」
コーエンの耳元でシリウスが囁く。本来ならばクララには聞き取れないほどの声音。けれど、風のいたずらか、やけにハッキリと耳に届いた。
「…………まぁな」
コーエンはそう言って、ぶっきら棒に笑った。
その途端、クララは時が止まったような気がした。賑やかな王都の喧騒は消え、目の前の二人しか見えない。クララの心臓がドクンと疼いた。
「おかしいと思ったんだ。俺はフリードが王太子争いに乗るなんて、ちっとも思ってなかったから」
シリウスはそう言うと、目を細めて笑った。
「ジェシカは喜ぶだろうな、フリードが王太子になってくれたら。お前が本気になるわけだ。……まぁ、手紙に書いてたもう一個の事情の方の理由は俺には理解できないけど」
シリウスの視線が一瞬だけクララへと向けられる。ビクリと身体を震わせながら、クララは視線を彷徨わせた。
「聞いたってどうせ教えてくれないんだろ?」
「まぁね」
コーエンはそう言ってチラリとクララを見つめた。
彼に向けられたのはどこか優しくて穏やかな笑みだというのに、受け入れがたい。それどころか、先程から呼吸すらうまくできないし、心がズキズキと痛む。
生まれて初めて感じる痛みに、クララは顔を歪めた。




