第一話 基礎訓練課程終了
お手柔らかにお願いします。
「集合ッ!」
ライラ軍曹の鋭い声が、グラウンドに響いた。すると、疲れ果て地面に倒れ込んでいた少年たちは弾かれたように起き上がると、上官の元へと直ちに集合を完了させた。
その中には、今期の訓練生では最年少である十五歳の明るい茶髪の少年――ジーク=クライスの姿もあった。ライラの真っ正面に立った彼は、直立不動の姿勢で彼女の言葉に耳を傾ける。
「貴様らにいい知らせがある」
単刀直入に告げられたその言葉に、ジークを含む訓練生達は自分の顔が少し引き攣ったのを感じた。教官の『いい知らせ』はちっとも良くないことを彼らは過去の経験から知っているからだ。
そんな訓練生の予感を読んだのか、ライラは苦笑して。
「安心しろ、今日は本当にいい知らせだ」
それを聞いて、ジークはホッと胸をなで下ろした。ライラは間違いなく鬼教官であるが、根っからの畜生ではない。この半年で、ジークは彼女が優しく、誠実な人柄の持ち主であることを見抜いていた。そんな人物が念を押して言うのだから、そういうことなのだろう。
(けど、具体的にいい知らせって何だ? いいってことは俺たちが嬉しがるようなことだよな……まさか!?)
短い思考の果てに、ジークははっとしたような顔になった。一つの予想が脳裏に浮かぶ。
ライラは目の前の少年たちの顔を見回して。
「ふ、どうやら何人かは察しがついたようだな。ああ、その通りだ」
もったいぶるように一拍置いて、彼女はこう告げた。
「今日で基礎訓練過程は終了だ。明日からは魔甲を用いた訓練に移行する」
それは、この場に残った全て少年たちが待ち望んだ言葉だった。この半年間、地獄もかくやという訓練の毎日だった。吐きに吐き。泣きに泣き。実際に、脱落していった者も多い。始めは三十人ほど居た訓練生達も、今では九人を残すばかりであった。
だが、彼らは去っていった者達を軽んじることは出来なかった。何処かで歯車が少しでも狂っていれば、自身もこの場に残っていないだろうという確信があったからだ。
些細なきっかけで折れてしまいかねないほど、過酷な訓練だったのだ。
だからこそ、喜びも一入だった。訓練生の中には眦に涙を浮かべる者すらあった。流石に涙は出なかったが、ジークも内心で深く喜びを噛みしめていた。雄叫びを上げたい気持ちをぐっと堪え、代わりに己の拳を強く握る。
(……やっと、たどり着いた。アイツ等をぶち殺せるところまで)
確かに、基礎訓練は重要だ。体力、銃器の扱いや格闘術、座学にて学ぶ知識。そういった諸々は、軍隊に身を置く以上修得しなくてはならない。
しかし、それらを身に付けただけでは敵を殺すことは出来ないことも事実だ。おや、と思ったかも知れない。体力や知識は兎も角、銃器や格闘は立派な武器だろう、と。
無論、それらにもきちんと殺傷能力は備わっている――その矛先が人や只の獣に向いている限りは。
――魔獣。
それこそが、少年達――否、人類が駆逐するべき敵の名であった。
二十年ほど前、この世界の『外側』より襲来した魔獣は、瞬く間に『プラント』と呼ばれる拠点を世界中に築き、その勢力を拡大していった。
奴らはあらゆる面で特異な存在であったが、中でも既存の兵器がほぼ無効であるという事実は人類に大きな衝撃を与えた。戦場であれほど多くの死を振り撒いてきた銃や戦車は、対魔獣戦においては戦力たり得なくなったのだ。
だが、不幸中の幸いと言うべきか、人類サイドには魔獣に対抗する術が残っていた。
『それ』は遙か昔から存在していたものの、表舞台には姿を現さず、世界の裏側で発展を遂げていたモノ。
この世に遍く物理法則に囚われない、第二の法則とでも呼ぶべき技術体系。
即ち、魔術。
それが、鉛も拳も爆発すら通じぬ異形を殺すに能う唯一の手段の名であった。そして、その魔術を、魔力というエネルギーを用いて行使する者たちを魔術師と呼ぶ。
これらの存在のおかげで、為す術もなく人類絶滅などという最悪のシナリオは回避された訳だが、逆に言えばそれだけだった。
魔術には、ある大きな欠陥があったのだ。魔術を扱えるか否かの線引きは先天的な資質に全て委ねられており、またそれを備えて生まれてくる確率は極めて低いという欠陥が。
この辺りは、これほどの奇異が(魔術業界自体が秘密主義的だったこともあるが)表の世界に知られていなかったという点からも察せれるだろう。例え、一般人に魔術を見られたとしても彼らにその実在を証明する能力は無く、そもそも魔術師の数が少ないため、その機会にすら恵まれないことがほとんどだ。
致命的とも評せる欠陥。いくら対抗手段があろうとも、それを扱える者が少なければ元も子もない。特に、魔獣は各個体の精強さもさることながら、その物量も大きな脅威だった。『数』は戦において最重要のファクターである。その原則だけは、例外まみれの異形であろうとも変わらない。
この問題を克服しない限り、人類は勝機を見出すことは出来なかった。
だから、造った。
人類は人類たる叡智を動員し、見事一つの回答を導いてみせたのだ。
それこそが、ジーク達訓練生が焦がれに焦がれたモノ。 魔術代理執行装甲――人々の間では『魔甲』と通称される新時代の武装。魔術とは対照的に、表の世界で広く浸透している科学技術によって製造された『魔術を発動する為』の機構を組み込んだ鎧型の兵器である。
魔甲を装着し魔術を行使する者は魔甲師と呼ばれており、現在、全世界の対魔獣戦力の七割以上を占めている。
ジーク達の教官であるライラも、当然魔甲師であった。
そんな彼女が、口を開く。
「私がお前たちに受けさせた訓練は、大人でも音を上げるような過酷なものだった。だが、お前たちはそれを見事耐え抜いてみせた。……よく頑張ったな」
最後に付けられた言葉に、訓練生達は目を見開いた。彼らは、ライラからここまでストレートな褒められたことはなかったからだ。
そんな少年たちの驚愕を感じつつ、ライラは続ける。
「喜ぶ気持ちは分かる。しかし、勘違いするなよ。お前たちの最終目標は、一端の魔甲師として魔獣を駆逐することだ。お前たちは一つの壁を越えたに過ぎん。これまでと同等或いはそれ以上にハードな訓練が待っていることを忘れるな! 決して気持ちを切らすんじゃないぞ! 分かったか!」
「「「はい!!」」」
ライラの忠告にジーク達は全力で応えた。上官の言葉だからというものあるが、それ以上に彼女の語る内容に心底同意したからだ。
「では、今日のところはこれで解散とする。各人、明日からの訓練に備えておくように。以上!」
そう締めくくると、ライラは踵を返し、グラウンドから去っていった。遠ざかる彼女の背中が見えなくなるまで見送ったジーク達訓練生は、その直後。
『いよっしゃあああああああああああああッ!!!』
腹の底から雄叫びを上げた。
ジークも今まで抑え込んでいた激情を思いっきり吐き出した。彼の周りを見渡してみれば、誰も彼もが歓喜に打ち震えていた。ハイタッチを交わす者、拳を突き合わせる者、よく頑張ったと互いの肩を叩き合う者など様々だが、その晴れやかな表情だけは皆同じだった。
そんな中、ジークに近寄る人影があった。
「おい、ジーク!」
「痛ぇ!?」
背中への強烈な一撃と共に、興奮気味な呼び声がジークの鼓膜を叩いた。ジンジンとした痛みを感じながら、少年は声の方へと首を巡らした。
視線の先にたっていたのは、ジークよりも頭一つ大きい短髪黒髪の少年だった。彼の名前は、ナギサ=シドウ。ここ、ヘイブンの地で実施されている『魔甲師早期育成プログラム』に参加した少年たちの中で唯一のオリエット圏からやってきた男であった。その証拠に、ナギサの顔の彫りは他の参加者に比べ浅い。まぁ、ジークも人のことを言えた義理ではなかったが。
「あ、強過ぎたか。悪い悪い」
「……謝るなら、ちょっとくらいは申し訳なさそうな顔をしろ」
「そいつは出来ない相談だな。何故なら俺のテンションは未だかつてないほどにブチ上がっているからだ! 今なら全裸で基地の中を走っても笑顔でいられる自信がある」
「ライラ教官に追いかけられてもか?」
「……」
その状況を想像したのだろう、ナギサの顔色が少し青ざめた。流石、我らが教官殿。この半年間で味わった彼女の恐ろしさは、この喜びを以てしても拭えないらしい。
だが、彼の立ち直りは早かった。ブンブンと嫌な想像を振り払うように頭を左右に揺らしてから。
「いや、そんなことよりもだ! やったな、ジーク! 俺たちはなれるぞ、魔甲師に!」
「なれるって確定した訳じゃないけどな。……だけど、そうだな。挑戦する権利は得たんだ。魔甲師に繋がる道はちゃんと続いてる」
最初は三十人居た訓練生も、最終的にこのステージまで残ったのはその三分の一に満たない。そのことを鑑みれば、挑戦権の獲得がいかに至難であるか明らかだろう。
少なくとも、ジークの力だけではここまで届くことはなかった。
だから、彼はナギサにこう言った。
「それも、アンタのおかげだ。ありがとう」
「ん?」
唐突に掛けられた感謝の言葉に、ナギサは不思議そうな顔つきになった。
「いきなりどうした? というか、俺のおかげってのはどういう意味だ?」
「そのまんまの意味だよ。俺がこの過酷な訓練を乗り越えられたのは、アンタがいたおかげってことだ」
「すまん、ますます意味が分からん。訓練を踏破したのは、お前自身の足だろ。俺がお前の分を肩代わりした訳でもあるまいし、感謝される謂れは無いぞ」
「いや、あるさ。あんたには、この半年随分と励まされた。言葉や態度でな。それが無ければ俺はとっくの昔に折れてたよ」
実際に、ジークは何度も折れかけた。肉体的にも精神的にも、度々限界を迎えていたのだ。
だが、その度にナギサが励ましの言葉をかけて、彼を踏み止まらせた。あるいは、どれほど辛くとも決して弱音を吐かない彼の姿を見て、自身を奮い立たせた。いずれにしろ、ナギサ=シドウの存在はジークに力を与え続けたのだ。
「だから、ありがとうだ」
「なるほどな。そういうことなら、感謝は素直に受け取るよ。まぁ、別にそんな意識してやってた訳じゃないんだけどな、ぶっちゃけると。癖みたいなもんだ」
「癖?」
「前に言ったことあるだろ、俺の実家は武術を嗜んでる家系だって。そして、その関係で俺はガキの頃から鍛錬を受けさせられてな」
確かに、そんなことを聞いた覚えがあった。そして実際に、ナギサは格闘訓練の成績は全訓練生の中でトップだった。その実力はライラ教官が感心するほど。
「それは、俺の二人いる弟たちも同じだった。うちはそこまで格式の高い家って訳じゃないんだけど、鍛錬だけはやたらと厳しくてな。俺はまぁ大丈夫だったんだが、弟たちはあっぷあっぷでさ。泣き言を言うアイツらを励ますのが俺の日課になってたんだよ」
なるほど、とジークは納得した。
「んで、俺がその弟たちと重なって見えたと?」
「ああ。お前の場合、顔立ちがオリエットのそれだから余計にな」
世界の多様な分け方の中に、世界をある地点で区切り、その東側をオリエット、西側をオクシデットと称して捉える考え方がある。
そして、オリエット人とオクシデット人の間にはいくつもの差違がある。それは、言語であったり文化であったりと多岐に渡る。顔立ちはその最たるものの一つだった。
全員がとまでは言い切れないが、平均的にオリエット人の顔の彫りはオクシデット人よりも浅く、平坦である。それ故か、オリエット人は実年齢よりも若く見られることが多く、事実、同期の訓練生の中では最年長組のナギサだが、他の十八歳と比べると大分幼く見えてしまう。
それは、ジークも同じだった。そもそも最年少のくせに、オリエット風の顔立ちがそれに拍車を掛けることとなったのだ。訓練が始まった頃は、それをネタに馬鹿にされたものだが、今ではめっきり無くなった。厳しい訓練を共に乗り越える過程で、仲間意識が生まれたことも理由の一つだろう。
だが、もっと単純な、目に見える原因があった。
ジークは周囲を見渡して。
「……それにしても。本当に、数が減ったな」
今日に至るまでに、二十一人が脱落していった。その中には、ジークを良く思わない者たちも含まれていた。そして、その逆もまた。
「絶対に魔甲師になろうって約束したんだけどなぁ」
しかし、その約束を交わした者のほとんどが辞めていった。残った者は、ナギサを含めてほんの数人しかいない。
「……ああ、そうだな」
そう同意するナギサの顔には、やるせない気持ちがありありと表れていた。
彼の脳裏に浮かぶのは、去っていった者たちの顔。そして、その去り際の光景だった。
記憶の中の彼等は、皆泣いていた。
去らなくてはならない己の惨めさや不甲斐なさ以上に、彼等は魔獣を殺す術から遠ざかったことを嘆いた。
それはそうだ。
何せ、彼等はそれを切望し、この育成プログラムに参加したのだから。
どうして、という疑問は愚問だろう。
この時代には、少年すらも戦場へと駆り立てるような悲劇が溢れ過ぎている。
家族を殺された者がいた。友を殺された者がいた。恋人を殺された者がいた。故郷を殺された者がいた。
だから、力を求めたのだ。
自分から大切なものを奪い去った魔獣を殺せるだけの力を。
だけど、結末は残酷だった。
いかに強烈な動機を持っていようと、それだけで乗り切れるほど甘いものではなく。情け容赦なく肉体と精神の両方を削り落とされ、魔獣に殺されるどころか戦場にすら立てずに。
その心境は、いかばかりか。
結局、生き残った側のナギサには真の意味でそれを理解することは出来ない。
だからこそ、と彼は思う。
「あいつ等の分まで、頑張らないとな。んで、一端の魔甲師になって魔獣を倒す。ライラ教官の言う通りだ」
「ああ。ここまできたのに脱落したんじゃ、アイツらに申し訳が立たないしな」
ジークは首肯し、そう言った。
もちろん、不安はある。自分は、魔甲の訓練に着いていけるのか、と。ライラ教官の先ほどの言葉もそれに拍車を掛ける。
だが、不安ばかりに目を向けていても仕方がない。不安は、壁を乗り越える為の力には成り得ないのだから。
必要なものは、己を鼓舞する強い気持ちだ。それさえ持ち続ければ、ギリギリの所で踏ん張りがきく。この半年間で、ジークはそれを身を以て学んだ。
故に、彼は獰猛な笑みを浮かべて。
「やってやろうぜ」
「おうよ!」
闘争が激化するヘイブンの大地。
その夕暮れの中で、二人の少年は互いの拳突きを合わせた……後に訪れる過酷な運命なんて、知る由もなく。
お読みいただきありがとうございます。