猟奇的殺人犯《シリアルキラー》はあなたのために。
宮本栄子はN大学病院の地下にある喫茶店で男と向き合っていた。
男が頼んだコーヒーには一切口を付けずに、周囲の様子を注意深く観察しながら男の質問に耳を傾けている。
「えぇ、待てど暮らせど、一向に来なかった。 だから、殺してやりたいと思ったんです」
栄子は正直にそう答えた。
「それだけですか。 つまり、約束の場所に現れず、そのまま捨てられてしまって殺意を抱いたと」
男は熱いコーヒーをズズ、と啜り、栄子の言葉を待つ。
「ええ、ええ。 そうです。 その通りでございますとも。 私、ずっと待っていたんですよ」
栄子は芝居掛かったセリフを吐いて、満足そうに微笑む。
「しかしね……うん、殺し方が酷い。 あまりにひどすぎる。 こうまでして惨たらしく殺す必要はあるかな? その辺はどう思う? 」
男が【指示書】に視線を落としながら問うと、栄子は目を細めて、ふっ、と息を吐いた。
「なんとも思いませんよ。 だって、それだけの事をしたのです。 あの人が私との約束を破って、どうしたのかは、お話ししたでしょう? 」
「違う女とセックスしていたんでしょう? 」
「そこまでは申し上げておりません」
「あぁ、まぁでも……そういう事ですよね。 貴女を捨ててのうのうと幸せになった。 それは聞いたけどね、聞いた上でなお、これほど凄惨な殺し方をする必要はあるのかと聞いているんだよ」
男は言い終わると、ため息をついた。
対面している宮本栄子という女が、自分の意見に動かされるような人物だとは思えなかったからだ。
「男にはわからないでしょうね。 裏切られた女の気持ちが」
栄子の眼光が鋭くなる。
男は半ば諦めたような気持ちで、手のひらを彼女に向けた。
「わかった、わかったよ。 そうカリカリしないでくれ」
「では、殺していただけるのですね?」
栄子は男に顔をぐっと近づけて、押し殺した声でそう言った。
「あぁ。 殺す、もちろん殺すよ。 エイコさん、あなたは僕が殺しを引き受ける条件は知っている? 」
「条件? 」
「うん。 条件が一つだけある。 僕がターゲットを殺すところを、見ていて欲しいんだ」
「……それは、つまり、殺人の現場に立ち会えと? 」
「その通りだ」
栄子は訝しげに眉をひそめて、何故ですか、と問うた。
「それだけの殺意を抱いているのなら、相手が苦しんで死んでいく姿を、貴女も見たいだろう」
男が言うと、栄子は目を丸くして首を傾ける。
「おかしな事をおっしゃいますね。 それでは、あなたに依頼する意味がありませんわ。 私はあの人が惨たらしく死ぬところなんて見たくありません。 考えるだけで気味が悪いですもの。 私には、彼が惨たらしく殺された、という事実があればそれでいいのです」
栄子は早口でまくし立てる。
これだから女はいけない、と男は思った。
「この条件はね、エイコさん。 正直なところ僕の性癖みたいなもので、絶対条件にしているんですよ。 今までの殺しも、依頼者はみんな立ち会わせた。バレた事だって一度もないんです」
「今までの依頼者がどれだけ狂った人たちだったかは知りませんけどね、私は正常ですから」
正常なワケあるか、という言葉を呑み込んで、男は妥協案を出すことにした。
本来ならこの条件を飲めない依頼はキッパリと断るくらいに重要なファクターではあったものの、この宮本栄子という高飛車な女の容姿が初恋の女性によく似ていたし、なんだかどことなく懐かしい雰囲気で、とても妖艶な魅力を感じていたからだ。
「……じゃあこんなのはどうかな。 僕はスマホを繋いで殺しを実況する。 今も付けているけど、このハンズフリーのイヤホンを付けてね。 貴女は聴きたくない部分では耳を塞いでもいいし……あのね、僕は本来、こんな妥協案を出したりはしないんだよ。 それは理解して欲しい」
「音声だけですか? 」
「もちろん。 連絡先の事もあるし、自分のスマホが嫌ならこっちで用意しますよ」
男は【指示書】をビリビリに破いて、生温いコーヒーが残ったカップの中に沈めた。
「内容は全部覚えました。 用があるときは僕の妹を名乗って、この病院に電話してくれれば。 すぐに繋げてもらうよう指示しておきますから」
こうして男は準備期間に入った。
表の仕事をこなしながら、ターゲットの情報を集め、決行日を決める。 いつもの殺しよりも使う道具や仕込みが多かったため、かなりの時間を要した。
ただ、この殺しにはそれだけの手間をかける価値があると考えた上での行動だったので、ちっとも苦にはならなかった。
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決行当日。
宮本栄子は男に指定されたアパートの一室で、スマートフォンの前にいた。 既に男の端末と通話が繋がっており、そこから低いエンジン音と、軽快な音楽と、男の鼻歌が聞こえてくる。
今から見ず知らずの他人を殺しに行く人間の様子だとは思えなかった。 世の中には狂った人がいるものだと、栄子は背筋が凍る思いで身を震わせた。
【もう着きますよ。 ちゃんと聞いてるかな? 】
「はい」
【よしよし、じゃあ行くね】
サイドブレーキを引く音。 車内の音楽が停止する。 トランクから何かを取り出して、勢いよく締める音が響く。
【はい、今インターホン押しました。 相手が出たらスタートです】
ガチャ。
【あ、こんにちわー! 瀬川運輸でぇす! お荷物お届けに参りましたぁ! 】
【はーい、ちょっと待ってね】
解錠、そして、扉が開く音。
【はい、どうもねー】
栄子を裏切った男。 その聴きなれた懐かしい声に、栄子は憎しみが沸々と沸き立つのを感じた。
【あ、こちら伝票ご確認ください、お間違えありませんか】
【……え? これって……】
男が指定通りに進めていたなら、伝票には『宮本栄子』と書かれているはず。 栄子はそう考えて、スマホから流れてくる音声にじっと耳を傾けた。
【あの、こういう荷物って受取拒……】
【バチバチッ】
【うぐゥッ】
スタンガンの音。 続いて、唸り声。 人が倒れこむ音。 ドアが閉まり、男の小さな笑い声がスマホから響いた。
【ハハ、白目をむいて泡を吹いているよ】
【では、これから部屋の奥に運んで縛ります】
【ええと、あと20分くらいで女が帰ってくるかな。 それまでにコイツが起きなかったら、爪を剥いで起こしてから、目の前で女を犯します】
【あれ? エイコさん? 聞いてるかな?】
「はい」
【進行に不満は? 】
「ありません」
【通話、どうかな? 音が遠かったりしない? 】
「平気です。 全部聞こえます」
【よし。ここまで指示通り。 進めていくよ】
「お願いします」
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——ターゲットを縛り終えたとき、男はかつてない興奮の渦中にいた。
鼻歌を鳴らしながら、おもちゃ箱をひっくり返すように、ダンボールの中に入れてきた拷問道具をラグマットの上に広げる。
「はい、今ターゲットの口にタオルを詰めました。 拷問は45分コースだったね。 アドリブでやるけど、ちゃんと解説を入れますから」
詰め込んだタオルの上から、更に別のタオルを回して、後頭部の下でキツく縛る。
「えっと……女を脅すのはナタがいいね。 包丁なんかより、ずっと相手に絶望感を与えられる」
男はあまりの興奮から、ふっふっ、と断続的に息を漏らしていた。けれど臨場感が伝わるだろうし、この新しい試みは、立ち会って見てもらうのとはまた違った趣きがあるな、と男は感じていた。 今後は立ち会いを拒んだ依頼者全員に、この方法を提案しようと考えていたほどだ。
——玄関の方から鍵を開ける音がした。
「お、帰ってきましたね。 ここで上手く行くかが勝負の分かれどころです」
男は電話越しの宮本栄子を意識して、なるべく臨場感が伝わるよう努めた。
「ただいまぁ。 あれ? 居るんでしょー? 」
バタン。ガチャ。
「あれ? 何この革靴? 誰か来てるのかな」
パタ。パタ。パタ。パタ。パタ。
男は足音が近づいて来たのを見計らって、女に飛びかかった。
「声を出すなよ? 出したら即殺すからな。 お前のダンナは気持ちよく失神中だ、これから爪を剥がして起こしてやる。 状況はわかったか? わかったらそのままベッドに上がれ」
そこから男は、夢見心地で仕事を遂行した。
息を切らし、スマホ越しの宮本栄子を想いながら、ひたすらに、事細かに実況中継を続けた。
イヤホンから栄子が拷問方法を提案してくる声が聞こえたり、女を犯している時に卑猥な言葉を放ったりしてきた時には、あまりの愉快さにこらえきれず声を出して笑ってしまう事もあった。
その度に戦慄している二人の男女が実に滑稽で、終始上機嫌のまま残虐の限りを尽くした。
「はぁ、良かった。 終わりましたよ、宮本栄子さん。 どうです? ……アハハッ、結構ノッてましたよね? やっぱり立ち会えば良かったと思ったでしょう? 」
【お疲れ様です。 いいえ……電話越しで良かったと思います。 大きな悲鳴なんかなかったですし、ちょうどいい具合に現実感が薄まって……胸がスッとしました】
「それは何よりですね。 じゃ、僕とあなたはこれっきりです。 さようなら」
【……あの、バレたりしないでしょうか】
「僕が貴女のような人から依頼を受けて、何十人殺してきたと思ってるんですか。 例えバレて貴女の名前を出しても僕に得はない。 なんせ、僕はあなたの偽名以外のことは何も知らないんですからね。 安心してくださいよ」
男は、甘ったるくて心地よい余韻をこれ以上邪魔されたくないと思い、返事を待たずに通話を切った。
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男は、N大学病院の地下にある喫茶店で新たな依頼者を待っていた。 約束の時刻はとっくに過ぎていて、苛立ちから貧乏揺すりが止まらなくなっていた。
「あの、先生。 御一緒してもよろしいでしょうか? 」
声をかけたのは、男の後輩で、芦沢という若い女性だった。 あまりに唐突で初めてのことだったので男は戸惑ったが、苛立ちを紛らわせるにはちょうどいいかもしれない、という思いで受け入れる事にした。
「…… あぁ、構わないよ。 約束をすっぽかされてガッカリきていたところだ。 ……何か楽しい話でも? 」
芦沢はサンドイッチとコーヒーの乗ったお盆を机に置いて、男の対面に座った。
しばらく他愛もない雑談を交わし、彼女はサンドイッチを平らげると、
「……先生、宮本栄子ってご存知ですか? 」
——そう言った。
「……宮本栄子だって? 」
「あ、えぇ、昔ちょっと話題になった女優です。 先生の世代ではないですけれど」
——女優の名前を使っていたのか。
男はそう考えたものの、芦沢から唐突に出されたその名前に、どうも薄気味の悪さを覚えた。
「それがどうしたの? 」
「宮本栄子って、この病院で死んでたんですね。 全然知りませんでした。 私、結構好きだったんですよねぇ、宮本栄子」
「僕も知らなかった。 ……どうして死んだんだい? その女優は」
「それが、男と心中を図ったらしいのですが、彼女だけ死んでしまったそうなんです。 もう8年も前の事ですけれど」
「……なぜ、その話を今、僕に? 」
「え? 単なる世間話ですよ。 なんでもですね……」
芦沢は周囲の目を気にしながら、声のトーンを一段下げる。
「先週ウチの病院で検死をした死体が、8年前に宮本栄子と心中を図って生き延びていた男だったらしくて。 そりゃもう酷い拷問を受けたような死体だったそうなんです。 杉並区の殺人事件、ニュースご覧になってないですか? 拷問については、報道規制が入ってるみたいですけど」
男は軽い目眩がして、ぬるくなったコーヒーを一口煽った。
「……あぁ、僕はテレビを見ないからね。 知らなかった。 ……いや、そろそろ行かなきゃな。 今日は突然君に声をかけられてびっくりしたよ。 どうしたんだい? 本当は、なにか聞きたいことでもあったんじゃないか? 」
「……いえ。 先生はこの喫茶店にいる時、いつも難しい顔で電話をしていらっしゃるので……今日みたいに退屈そうにしてていただけるとお声がけしやすいってものです。 よかったら、その……えっと……プライベートでもお話をしてみたいのですけどね……」
芦沢はそう言って頬を赤らめる。
「大変お待たせ致しました。 遅くなって申し訳ありません」
明瞭な声を放ったのは、約束をしていた新しい依頼者の老婆だった。 芦沢のすぐ隣でにっこりと微笑んでいる。 男は呆然として、その老婆の姿に釘付けになった。
「……あれ、どうしたんですか? 先生。 急にぼーっとして……」