1.dawn
1.
【電脳事変 Erectronic incident】
コンピューターエンジニアの花村俊弥、美智子夫妻により起こされた史上最悪と言われる電子テロ。国内の中枢となるコンピューターをハッキングされ、国内のほとんどの事業がストップし、アキハバラを中心に爆破事件が起きた。また、コンピューターの停止による二次災害も深刻であり、全ての死傷者は12000人を超える。アキハバラ事変と呼ばれることもある。
「双葉、一緒に行きましょう」
「お母さん、お父さん、?」
「さあ、早く」
お母さんが私に手を差し出す。
「どうなっているの?家が、街が、ねえ、お母さん」
「どうってことないわ。大丈夫よ、安心して」
「未央はどこ?おばちゃんはまだ家の中で、お兄ちゃんもさっきまで一緒だったのに」
「そんなことを心配しなくていいの。お母さん、双葉が一番大切なのよ。ねえ、お父さん」
「そうだよ、双葉。お父さんもお母さんも双葉が無事ならそれでいいんだよ。だからほら、双葉、早く」
「行くって、どこに?こんな、外も中も地獄みたいな時にどこに行くっていうの?」
泣き叫ぶ私とは対照的に母と父はずっと笑っている。母は私の質問に曇りない眼差しでこたえた。
「楽園を作るの。あなたにはそれができるわ」
「だから、ほら、早く!父さん達と一緒に。双葉、僕らの宝物」
「っ、私は、私は、」
ハッとしてベッドから起き上がる。夢か。分かっていても汗と震えが止まらない。恐怖と後悔が私の血液を駆け巡る。私はベッドの隣の棚の引き出しを開いて、錠剤を二粒手にとる。それから、薫を起こさないようにゆっくりと扉を開く。ソファーの上で薫は大きな犬の人形とタブレットを抱えたまま寝ている。私はその横をそっと通り、キッチンへ向かう。コップに水を入れて薬を飲もうとしたが、水だけを飲み込み薬は三角コーナーに捨てた。コップを持った手が震えているのが分かった。私はその場に座り込んだ。
「早く朝が来ればいいのに」
口から出た言葉は思っていたより弱々しい。パジャマの中に入れたスマホが震えた。開くと、時計はまだ三時半を指していた。
「次はアキハバラ、アキハバラ」
電子音が淡々と告げる。ドアの前にはアキハバラという文字が日本語、中国語、英語で書かれている。俺は開いていたタブレットを閉じて鞄にしまう。時計を見れば画面が目の前に浮かび上がり、大して可愛くも無い熊のキャラクターが「次、降りるよ」と話す。
「足元にご注意ください」
アンドロイドが可愛げもなくアナウンスをする。一人、二人、三人と電車を降りる。俺もそれに付いて電車を降りる。駅のガラス張りの壁の奥には、昼間には汚く見えるネオンの看板がいくつも並ぶ。この街は不思議だ。新しいのか古いのかわからない。電子的で退廃的な独特な雰囲気がある。階段を降りれば電光掲示板に「電気街口▼」と書かれた水平型エレベーターがあり、俺はそれに乗った。再び、電子時計に目をやり目の前に画面を浮かべる。指先でいじり、チャット型SNSアプリを開き、三芳先輩の欄を開く。用がなければ決して立ち寄りたくは無い、いや、用があっても自分では立ち寄ろうとはしないアキハバラに来たのはこの先輩のお遣いだった。寮で隣の部屋でよくしてくれる三芳先輩はうちの学校の電子工学科の人だ。普通科の俺にはよくわからないが、課題に追われているらしくてお遣いを頼まれた。引き受けたのはもちろん普段の礼もあるが、一番の理由は目の前でチラつかされた千円札だ。ケチな三芳先輩が金を出すなんてよっぽど課題に追われているのだろう。先輩から送られた地図を開けば、指定された店は大通りからだいぶ外れたところにある。
「安請け合いしたかな」
そうは言っても、無常にも水平エレベーターは止まり、俺は泣く泣く改札を出た。
「まじ、これどこにあんだよ」
地図を見ながら、かれこれ二十分ほど格闘するが、お目当の店には一向に辿り着く気配はない。あの人、いつもどこで買い物しているんだ。店で三芳先輩の名前を出せば問題無いとは言っていたが、そもそも店にたどり着けない。五分前くらいまでは、メイド服やチャイナ服といった、アキバらしいといえばアキバらしい格好をした女の子の客引きに合ったりもしていたが、今はそれもない。というよりは、さっきから通っているのは道というよりは路地裏だ。アキハバラはあまり治安の良い土地では無いからあまりこういうところには男の俺だって来たくない。
「テッメ、待て!」
女の怒号が聞こえて振り向くとと同時に三軒ほど先のビルのガラスが飛び散る。ガラスを破り、スーツの男がビルの二階から飛び降りる。まじかよ。映画みたいなその光景に度肝を抜かれていると、男がまっすぐ逃げればいいものの、一瞬怯えたようにひるみ、立ち止まる。しかし、今度は彼が飛び降りた二階の窓から「止まれ!」と怒鳴りながら、メイド服を着た少女が男を見下ろす。彼女は何故か手に持っている鉄パイプで中途半端に割れている窓を綺麗に割っていく。ガシャン、ガシャンという音に男は怯みながら、目の前の道と俺の方を見つめる。少女は自分で割り、もはやガラスのなくなった窓に足をかけて飛び降りようとする。それに気がついた男は意を決したように俺の方に走ってくる。
「マジかよ、そっちに何があるんだよ」
男は俺の方に全速力で走ってくる。これはどうするのが正解だ。俺が立ち竦んでいると、窓から飛び降りて、無事に着地した少女が今度は俺に向かって叫ぶ。
「その男を止めろ!」
俺は決心なんてしていなかったけれど、その少女の声に体が勝手に反応した。俺の横を通り過ぎようとする男の姿が、先ほどとは打って変わりスローモーションで見える。ああ、この感覚は随分久しい。さっきまでの自分とは違う身体であるかのように軽い。俺は通り過ぎる男の手首を引っ張り、そのまま腕を掴む。次の瞬間には男は俺の足元で寝っ転がっていた。
「でかした、少年!」
その声でふと我に帰れば、メイド服の少女が俺の方に駆け寄ってくる。
「君は怪我ない?」
「私は丈夫だから大丈夫。それより、」
彼女が何か言おうとすると、彼女の耳に入っているインカムのようなものから音が漏れる。俺たちの頭らへんにドローンのようなものが降りてくる。彼女は「わかった、わかったよ」と言いながら、ウエストポーチに手をかけた。そこから出てきたのは、フリルがついたりクマのマスコットがついたファンシーな見た目には全く合わない手錠と足枷だった。彼女は慣れた手つきでその手錠と足枷を男の手首と足首にはめる。
「任務完了っと」
彼女は上空を飛ぶドローンに向かってそう言った。
「あの、これは一体どういうこと?俺、よくわからないままこの人投げちゃったんだけれど」
「君、すごいね!何か格闘技やっていたの?」
「昔、少し。違くて!この状況はどういうこと」
話が微妙に噛み合わないメイド服の少女に困惑していると、後ろから「お見苦しいところをお見せしてすまない」という声が聞こえる。そっちは確か、さっき男が見つめて怯えていた方だ。俺は恐る恐るそちらを振り返る。そこにいたのは、色白で華奢な、細い眼鏡をかけた背の低い少女だった。
「あ、双葉」
「桃、ちゃんと人の話は聞かないと」
そう答える姿は一見良識のある人間に見えるが、その後ろには小さな、しかし、彼女には少し大きな拳銃が握られている。俺はとんでもないことに巻き込まれたのではないか。走って逃げる?自分はこの男をよくわからないままに止めたのに?そう考えている間にも少女は一歩ずつ近づいてくる。彼女はじっと俺の目を見つめてくる。眼鏡で隠れてはいるが彼女は随分と整った顔をしていた。二重の瞼の下にはアーモンド型の色素の薄い瞳が覗く。スッと通った鼻筋。白く消えてしまいそうなのに、薄い唇だけが赤い。気がつくと、彼女は俺の目の前に立っていた。俺を見上げ、彼女は俺の額に銃口を突きつけた。後ろでメイド服の少女が「ちょ、双葉、何して」と戸惑っている。しかし、彼女は目を逸らさない。だから、俺も彼女から目が反らせないでいた。
「逃げないんだ。強いね」
そう囁くように言われる。その言葉は甘美な響きを持っていて、俺の脳は痺れたように機能しない。すると、今度は彼女が笑いながら銃口を離した。
「ごめんね、君が面白いから少し遊んじゃった。私は花村双葉。自警団ハッピークローバーのリーダーだよ」
「自、警団、?」
自警団は聞いたことがある。個人が経営する警察のようなものだ。電脳事変後に急激に増えたらしい。しかし、そもそも警察にお世話になることすらほとんど無い俺にとっては縁も所縁も無かった。しかし、こんな若い人達がやっているものなのか。
「君、名前は?見た所、武理総の生徒みたいだけど」
「ああ、ごめん。俺は高瀬隼人。でも、よく学校までわかったね」
「武理総は有名だからね」
「君の方が有名な制服着ていると思うけれどね」
彼女が着ている上下黒のセーラー服は超名門で偏差値は軽く70は超える、清ヶ丘女学院のものだった。
「それにしても、手間をかけさせてしまって悪かったね」
そう謝ってから、双葉は足元に転がっている男を不敵な笑みで見下ろす。
「悪足掻きは醜いよ」
双葉の声色は明るい。彼女はそして、何もなかったように男から視線を逸らした。
「ちょっと、どういうことなの」
メイド服の少女が双葉に詰め寄る。
「どうって、何が?」
「いきなり銃なんて突きつけたじゃん」
「だから、ちょっとからかっただけだって」
「からかったってレベルじゃないでしょ!?」
「そんなことよりも、桃も自己紹介したら?」
「あ、加賀桃子です。さっきはごめんね」
そう言う表情は先ほどまでの殺伐としたものとは変わり、年相応の明るい笑顔だ。
「御歓談中悪いけれど、もうすぐチャイナ達がこのゴロツキを受け取りに来るって」
「はーい」
桃子はさっきの俺に微笑みかけた表情のままで、手際よく双葉から受けとった縄で縛り始める。男は「辞めてくれ」「助けてくれ」とか細い声で懇願するが、彼女達にはその声は届いてはいないらしい。無常にも彼女はスカートのポケットから取り出した布を男に喰させる。そして、完全に身動きの取れなくなった男を見て、満足気に「完っ壁」と呟く。その間の表情もずっと変わらなず笑顔のままだ。俺にはそれが酷く不気味に見えた。しばらくすると俺の後ろからエンジン音が聞こえた。振り返ると、黒いバンが止まっている。そこから、出て着たのはチャイナ服を着た桃子と変わらないくらいの背格好の少女だった。
「よう、チャイナ。おつかれー」
桃子が砕けた風に手を振るということは知り合いなのだろうか。まあ、見れば分かるがこれがさっき双葉が言っていたチャイナだろうか。
「モモコ、またトチッネ。薫、カンカンおかんむりネ」
チャイナはそう片言の日本語で答える。
「マジ?うっわ、帰りたく無いな」
桃子とチャイナが軽口を叩きあっていると、おもむろにバンの運転席の窓が開く。
「おーい、チャイナ。早くしろ、って、なに?双葉チャンそれ新入り?」
黒い肩くらいまでの髪をハーフアップにしていて、なおかつオレンジの丸いサングラスを掛けた見るからに胡散臭い男が車の窓から乗り出す。
「んー、まあ、そんなとこ」
「そっか。りょー。てか、チャイナ!マジ時間やばいから早く!」
「キョウヤ、うるさいネ。うるさい男はモテないヨ」
「うっせ。俺は充分モテるからいいんだって」
チャイナは男の近くにより、なんでもないように男を俵抱きにする。
「んじゃ、オツカレネ」
そう軽く片手をあげて、バンに乗り込んだ。バンはまた何事もないように走っていった。
「さて、君はどうする?」
バンが通り過ぎた後で、今度は双葉が俺に向き直った。
「どうするって、」
「君は今、大きなものに巻き込まれている。それがわからないほど馬鹿ではないだろう」
「ああ」
「ただ、今回君が巻き込まれているのは、君の意志ではなくて、私たちの不手際が原因だ。だから、君に選択肢をあげよう。一つは君が見たこと全てを忘れることを条件に、今日あったことを無かったことにする。君が今関わった人間はわずかだからね。容易なことだよ。もう一つは、君に本当のことを教えてあげる。君が何をしたのか、させられたのか。そのかわりに君はもう元には戻れない。知らなかったころにはもう二度と」
双葉の選択肢は唐突だった。だって、あの男を投げた俺は、何かを決断して投げたわけではなくて、桃子の声に引きづられたただけだったから。俺は揺れていた。知りたいって本能は叫ぶ。だけれども、理性がそっちに行ってはいけないと叫ぶ。全てを見透かしたような目で双葉が俺を見つめる。
「迷っているの」
「いきなりだから」
双葉はふふっ、と不敵に笑った。彼女には未来が見えているのか?俺がどっちを選ぶかを知っていてこの質問を投げかけたのか。すると、空気を読まずに桃子が声を発した。
「あのさ、立ち話もなんだし事務所でお茶でも飲んで行けば?」
「え、でも、」
「双葉がどうせ意地の悪い質問をしたんだろうけれど、あんまり気にしなくていいからね。双葉がそういうことするのいつものことだし。あと、隼人を巻き込んだのわたしだし。お茶くらいださせて」
先程まで不気味だと思っていた人物とは別人のように桃子は良識的な人間だ。
「桃は残酷だね」
「双葉にそんなこと言われたくないんだけど」
双葉はため息をついてから、俺に向き直る。
「確かに桃の言うことも一理ある。不躾な質問をしてごめんね。事務所でお茶でも飲んで行って」
俺は恐る恐る頷いた。
「ここだよ、ここが事務所」
さっきの路地裏から五分ほど歩いた雑居ビルにその事務所は入っていた。ずいぶん寂れたビルだが、窓にハッピークローバーとゴシック体で書かれているから本当なんだろう。
「ハッピークローバーって文字にするとだいぶあれだね」
「胡散臭いよね。でもさ、双葉がゴリ押しするんだもん」
「親しみやすくていいだろう」
「えー、ぜんぜん。ダサいし」
そう呟きながら桃子はビルの中に入っていく。
「このビルには他に何も入ってないの?」
「うん。まあ、その方が都合がいいしね」
そう言いながら階段を登ると、3階のフロアに『自警団 ハッピークローバー』と書かれた扉がある。桃子はそれを躊躇なく開ける。「ただいま!」という桃子の声に奥から「おかえり〜」と間延びした声が聞こえてくる。桃子に続き、双葉も「ただいま」と呟く。
「どうぞ、入って」
「あ、お邪魔します」
「薫!お客さん!お茶入れてー」
「もう、仕方ないなあ」
そう言ってソファーに寝っ転がっていたノートパソコンを弄っていた人が立ち上がる。綺麗な黒髪は短く、ダボダボのTシャツとカーディガンから覗く手首は細い。声も男にしては高いが、女にしては低い気がする。
「そこに座って。散らかっていてごめんね」
さっきの薫が座っていたソファーの前を指定され、俺はそこに掛ける。双葉はなにやらデスクのようなところに向かい、、その隣に置いてあるプリンターから書類を二枚ほど取って目を通していた。桃子は向かいのソファーを「汚いなあ」といいながらパソコンやら人形やらをどかしてそこに座る。
「お兄さん、コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
そうキッチンに行った薫は俺に尋ねた。
「コーヒーで」
「うん、りょーかい」
なんだか居心地が悪くて桃子に話しかける。
「あの子自警団の一員なの?」
「うん、そうだよ」
そういうと、お盆にコーヒーカップを四つ乗せた薫が来る。
「薫、自己紹介」
「はじめまして、春川薫です。隼人さん?」
「なんで、俺の名前を知ってるの?」
「薫があの時のドローン操縦していたんだよ、インカムで話していたのも薫」
「へ、すごいね、君。若そうなのに」
「お兄さんだってだいぶすごいでしょ。桃子が取り逃がしたターゲットを一瞬で捕まえるんだもん」
「いや、あんなのべつに」
「薫、男子中学生らしく野球でもしてりゃいいのに、ずっとこもってパソコン弄りばっかりしてるから、もやしなんだよこいつ」
桃子は薫を撫でながらそう言う。撫でられている薫は迷惑そうに振り払う。薫はどうやら男みたいだ。確かに言われてみれば男だ。
「双葉、コーヒー飲まないの?」
「ああ、飲むよ」
双葉はそう言って書類をデスクの上に置いてこちらへ来て、桃子の隣に座った。
「すごいね、なんか、自警団ってもっと年上の人達がやってるんだと思った」
「いろいろ事情があってね。電脳事変があってからこの辺りは特にだいぶ変わったからね。こうしないといけなかったんだ」
双葉はコーヒーカップに口をつけながら、伏し目がちにそう言った。彼女の表情は見えないが口調はどこか寂しげな気がする。
「なにかの縁だ、君もここに入らない?」
それはからかうような声色でなく、あくまで真面目な話らしい。桃子や薫も茶化したりはしない。
「君にはさっき助けられたしね。実際男手が足りていないんだ。うちの男はほとんど戦闘向きではないからね」
「できなきよ、そんなこと」
「そっか、残念だ」
双葉が笑った。彼女のその笑顔は、男と対面した時の不敵な笑みに似ている。その時、頭がグラリと鈍器で殴られたように動かなくなる。あれ、意識が、
「双葉!なんで、こんなこと」
「だから、言ったじゃない。桃は残酷だって」
「だからって、こんな、」
遠のく意識の中で、最後に桃子が「ごめんね」と呟いた。