スタッフスペース1
男のことを調べるためにも、更なる調査を行う必要があった。
今まで私が探索してきた場所は水族館の中でも“表の部分”であった。
つまり、アクアツアーのスタッフしか入れない場所はまだ調べていなかった。
スタッフルームへ入るための鍵は事前に裏野ドリームランドのオーナーにお借りしていた。
鍵穴もドアも錆び付いており、鍵を開けるだけでもかなり手こずった。
錆びたドアの先にあったのは、暗闇であった。
懐中電灯で照らしても闇が晴れなかったため、バッグから置き型のコンパクト電灯をいくつか取り出した。
コンパクト電灯を手に持ったまま、スタッフ用スペースに足を踏み入れた。
埃っぽい臭いと澱んだ生暖かい空気に包まれ、長年人が足を踏み入れてこなかったのだと理解する。
手に持っているコンパクト電灯を足元にある程度の間隔を空けながら、置いて行く。
闇に隠れて全く見えなかったスタッフ用スペースが、コンパクト電灯により朧げに姿を現していった。
お客さんが入る表の部分とは大違いで、非常に狭く、僅かに濡れた床にゴミや壊れたバケツなどが散乱していた。
所々に水溜りができており、気を付けていないと滑りそうになる。
少し歩くとすぐにスタッフルームと書かれた部屋が見つかった。
ドアは歪み、半開きになっていた。
キィィーーーーーーー
耳障りな音を立てながらドアを開けると、スタッフルームとは名ばかりの物置部屋があった。
経費削減のためなのか狭い部屋にぎゅうぎゅうにものが詰め込まれており、そこには椅子一つなく、スタッフが休憩できるスペースはなかった。
そこには掃除道具やボール、おそらく魚の治療薬、魚のことが書かれた本、書類、何に使うのかよくわからない道具まで何でも置かれていた。
一通り書類や道具に目を通したが、これと言って目ぼしいものはなかった。
スタッフ用スペースの詳しい地図はオーナーも持っていなかった。
そのため、歩きながら分かったことだったが、狭く薄暗いスタッフ用スペースの廊下にはいくつかの部屋、それぞれの水槽へとつながる梯子、お客様スペースへと繋がるいくつかのドアがあった。
梯子を上ってみると、さっきガラスの向こうから見ていた水槽を上から見ることができた。
さっき謎の黒い物体を見た、巨大水槽の梯子を探すことにした。
薄暗い廊下を足元の電灯が淡く照らし、中学の修学旅行で行った鍾乳洞を思い出していた。
暗い洞窟を照らす光は芸術的であった。
耳元で羽音を立てる虫を手で払いながら、幻影に恍惚としていると、背後で人の動く気配がした。
振り返るよりも先に、背後にいた何者かに体の自由を奪われた。
壁にものすごい力で体の前面を押し付けられた。
押し付けられる時、水臭いにおいがした。
眼だけを動かして、背後の”何者か”を見た。
男が私を押さえつけていた。
「うっ」
痛みで歪んだ顔に、男が顔を近づけてくる。
さっき見かけた男に雰囲気が似ていた。
男の指が私の首を吸い付くように掴んだ。
冷たく濡れた指だった。
「帰れ。
お前がこれ以上ここに留まると言うなら殺すしかない」
老人のような擦れた低い声は、内容とは裏腹に穏やかに私に囁いた。
それでも、一瞬ゾッとするほどの寒気がした。
“殺す”が、単なる脅しではないことを、男の異様な殺気は示していた。
このままここに居続けたら、あの男は本当に私を殺すだろう。
だが、もはや調査をやめることはできなかった。
それは仕事だからだけでなく、オカルトに懐疑的だった私自身があの男の正体を知りたくなっていたのだった。