語る4
水の中に溶けてゆく血液を眺めながら、俺は考えていた。
俺は、一体“何”になってしまったのだろうか。
このままの姿でこれから生活していくことなんて、できるのだろうか。
このまま生きていくことはできるのだろうか。
全身から力が抜けていくような感覚に陥る。
光や音が、世界が遠くへと離れていく。
俺だけが、この世界から置いてけぼりにされたようだ。
俺は多分、この先、生きていくことはできない。
水槽に写ったゆらゆらと揺れる自分の姿をぼんやりと眺める。
水中でも涙が目から零れ落ちるのを感じた。
舌を噛もうと、口を開けた。
その瞬間、目の端に何かが動くのが映り、体に強い衝撃が走った。
イルカだった。
ああ、ここはイルカ達のための巨大水槽だったのか。
「マリン。
俺を助けようとしてくれたのか?」
「キュー、キュー」
いつの間にかマリンだけでなく、何匹ものイルカが俺の周りに集まってきていた。
「ごめんな。
本当にごめんな。
もう分かったから。
もう死なないから」
「キューーー」
姿が魚になっても、イルカの言葉が分かるわけじゃなかったが、イルカ達が俺を励ましてくれているように思えた。
このイルカ達の前では死ねない。
俺は死ぬのをやめた。
水槽の外に目をやった。
大きな柱の立ち並んだ館内は、僅かに朱色に染まっている。
もう夕暮れだろうか。
誰もいない館内はやけに広く見える。
いつもならまだお客さんがいる時間帯だったが、今日は営業を休止している。
それに、魚達も死んでいる。
もうここ以外、水槽の中には生き物はいない。
ふと、この水槽を残して生き物が絶滅してしまったかのような錯覚を覚える。
寂しさを漂わせる館内は、夕日に染まり、より一層寂しく見えた。
水槽の外で、人の気配がした気がした。
咄嗟に岩の後ろに身を隠した。
一人の飼育員がやってきた。
鼓動が早なる。
こんな姿を見られたら、どんなことになってしまうのだろう。
想像するだけで恐ろしかった。
さらに早なる鼓動をよそに、飼育員は水槽の前を通り過ぎていった。
見つからなかった安堵よりも、これから見つかるかもしれないリスクへの恐怖の方が大きかった。
ここにいると、すぐに人に見つかってしまう。
とにかく、すぐにでもここから離れる必要があった。
だが、俺は水中でしか息ができない体になってしまっていた。
水があるところを探さなくてはいけない。
確か、西側の小さな水槽のある一角は使われていない水槽が多数あったはず。
あそこまでなら、この水槽からそんなに距離はないし、息もなんとか持つだろう。
俺は西の小さな水槽に身を隠すことにした。
それからしばらくは人目を避けつつ、水族館で過ごした。
大抵は西の小さな水槽にいたが、次第に陸上にも足を踏み入れるようになった。
部屋の上にある小さな配管スペースから水族館や飼育員達の様子を見たり、人が少なくなる夜間には息が続く限り館内を歩きまわったりした。
そういう生活をしながら分かったことがあった。
陸上で息が続くのは精々2、3分。
何も食べなくてもお腹はすかないし、喉も乾かなかった。
また、水中ではヒレや水かき、尾のおかげなのかかなりのスピードで泳ぐことができた。
だが、一方で陸上では今まで通り人間らしい身体能力しかなかった。
また、俺は陸上では人間の姿でいることができた。
最初に陸上で自分の姿を見たときは、人間に戻れたことに心から喜んだ。
だが、呼吸の苦しさが、そんな幻影を掻き消して、俺を落胆させた。
こうして水族館で過ごすうちに、徐々に自分の奇異な姿にも慣れていった。




