残響Ⅰ
翌日。監視カメラの映像をずっと見ていた進藤は、怪しい連中を見つけた。怪しい連中といっても、そんなものはこの街には溢れている。しかし、その中でも飛びぬけて怪しい連中が居たのだ。
今、進藤は自分の家に居る。布施のパソコンからも監視カメラの映像は見えるようにしてあるから、もしかしたら布施も、この映像を見ているかもしれない。
その連中は、先月この街に来た組織のようだった。
廃ビルを丸々ひとつ買い取って、数人が堂々と出入りしているのだが、仕事をしている様子が見当たらない。
進藤は数時間、そのビルを監視し続けた。過去の映像と現在の映像を交互に睨む。
そして、見た。
ビルの中に入っていく一人の男が、その手に、その外観とはそぐわない可愛らしいキーホルダーを持っていたのを。
それは、進藤と布施が捜索を断念しいたあのキーホルダーであり、つまり武器輸入の領収書であるUSBと同じもの。もしかしたら見た目が同じというだけで、全く違うものかもしれない。それでも、進藤は辛抱強く監視を続ける。
そして、二日前の映像だ。
昨日ヒーローと共に捉えた男が、その中から出て行くのを見つけた。
過去の映像と現在の映像を交互に見ていたのが功を成したのか、これで、このビルを使っている連中が呪受者となんらかの繋がりがあるのは確定した。
進藤はすぐさま布施に電話した。
布施は僅か数コールで応答する。
「見つけたよ」
さっさと本題に入る進藤だがしかし、それが急過ぎたからか、布施は黙ってしまった。
『……ちなみに、どこ?』
「商店街裏にあるビル群だ。駅からは遠くて廃れているから、犯罪者や何か企んでいるやつらには潜伏しやすいだろうね」
答えると、やはり布施は黙った。電話越しのせいで、表情が伺えないのが困り所だ。彼女が何故黙っているのか、進藤には解らなかった。
「どうする? 手薄な時間をこのまま調べてからにする? だとしたら一応、二日くらいは調べたほうが」
『明後日よ』
さっきまで黙っていたはずの布施がふっきれたかのように答える。
『明後日の夜に終わらせるわ。そうしないと、私の決意が揺らいでしまうかもしれないし、明日では逆に、準備が足りないもの』
「……そうだね」
それに、ヒーローが帰ってくる前にケリを付けたいとも思っていた。
だから、明後日というのは期限ぎりぎりで、むしろ約束をするなら明後日しか無いとも進藤は思っていた。
ちなみに明日で丁度、ライブ禁止令から一ヶ月だ。おそらくどこかのライブハウスで、BBBのライブが行われるであろう日。
皮肉だ。
BBB及び音葉のために戦うと決意した布施が、音葉がライブをやった翌日に全てを終わらせに向かうというのだから。
どこかの誰かは音葉の声を聞いて癒され、救われるのだろう。
でも、それを必死で守り、それに最も支えられ、それを最も欲している人間が、それを手に入れられない。
呪いというのは、こんな理不尽を当然のように撒き散らす。
だからこそ、終わらせる必用もあるのだ。
「――やろう。明後日。全部終わりにする」
その言葉には虚偽がある。進藤はそれを自覚していた。
でも、それはお互い様だ。
さっきの会話の中で二人は、どれだけの真実を告げたのだろう。
そう思ってしまうほど、嘘だらけだった。
翌日の夕方。まだ日が暮れ間もなくだ。
もしかしたらどこかのライブハウスで、音葉達がライブを始めているかもしれない。しかし、ライブの時間はその都度違う。結構遅い時間にやることもあるのだが、ライブ禁止令を出して行くつもりが無かったため、ライブの予定などチェックしていない。
そんなことを気にしながら、進藤は廃れた商店街に来ていた。駅近くにモールが出来てからは旧商店街と呼ばれるようになった場所だ。
この裏には、廃れたビル群がある。昨日見つけた、推定三年前の残党が居る場所。
実証は無い。しかし、それでも構わなかった。ただ進藤は、目の前に居る少女と、話をしなければならない。
「約束の日は、明日のはずだけど?」
進藤は、喪服に着替えた布施に向かって、そう言った。
布施は静かに苦笑し、
「それはお互い様でしょ?」
と答える。当然だ。二人はここに居るはずが無いのだから。
進藤は、今までの依頼中にコマメに集めた爆弾達を使い、あのビルを破壊するつもりだった。明後日実行と言ったはずだが、今日、この日に実行しようと。
対して、布施はその手にナイフを握っていた。柄が異様に長いナイフで、彼女が愛用している武器だ。峰打ちのし易さで選んだらしいが、さっきまで隠していたそれを進藤に見せてきたということは、そういうことだろう。それを今、手に持っているという事もまた、そういうことだ。彼女も、明日ではなく、今日、復讐を遂げるつもりだったと。
何故日にちが違うのか、なんて、考えるまでも無い。布施も進藤と同じように、相手を巻き込まないようにしたのだ。
ただ進藤は、自分が準備した爆弾に布施が巻き込まれないように、というものだったが、布施は違う。復讐そのものに、進藤を巻き込まないようにしていたらしい。とはいえ進藤だって、わざとこうなるように仕向けた節もある。
たったひとつの復讐のために二人が命を落とすのは、さすがに馬鹿げているのではないか、という疑問があった。しかし、ここまで二人で来たのだから、最後も二人でやり遂げるべき、という想いもあった。自家撞着する二つの想いを秤にかけたのだ。だから、布施が来るか来ないか、その賭けをした。
結果は、ご覧の通り。布施は来てしまった。
「仲間外れにするつもりだった?」
「ええ。その予定だったわ」
二人の間には笑みがあった。穏やかな空気の中、布施はナイフを服の中に仕舞う。
「だって、敵を殺すつもりで行く今回は、記憶の上書きなんて要らないもの。それなのにこと戦闘においては無能な隼人を連れていっても、足手まといになるだけだわ」
その通りだった。
戦闘において無力とも言える進藤は、復讐のための戦闘ではなんの役にも立たない。しかも布施と気心の知れた中なのだから、盾にさえならない。役者不足もいいところだ。
だが、
「復讐を終えた後に、感情に呑まれているであろう自分をどうするつもり?」
進藤の問いも、的を射ている。
復讐者たる布施は当然、こと復讐においては最大の力を発揮する。しかしそれはつまり、最も呪いに身体と意思の所有権を奪われるということだ。
彼女に、それを抑えることは出来ない。自分で制御できるのなら、そもそも呪いとは呼ばれない。もっと聞こえの良い名前で呼ばれていただろう。
だから、布施は黙った。
その沈黙は、答えられないからの沈黙では無い。
すなわち、暗黙の了解。
布施は、呪いに呑まれた自分をなんとかするつもりは無かったのだ。
呪いによって始まった復讐劇という最悪の舞台を、プロローグで終わらせる。それが、彼女の目的だった。
彼女は先日、これでようやく、自分の始まりが終わると言った。しかしそれには語弊があった。
始まりが終わるのではない。始まりが終わりなのだ。始まりと終わりがイコールで繋がるのが、彼女の描いた物語のプロット。自分の人生ごと終わらせる。それは、自身が闇の一部と化してしまった彼女が、音葉に闇を近づけないようにするために強いた、最後の苦肉の策。
「終始、音葉の事しか考えてないんだね」
進藤は嘆息した。呆れたのではない。失望なんてもちろんしていない。
真面目すぎる彼女が、あまりにも哀れだったから漏れた溜め息。
その意図を汲み取った布施は、笑って言った。
「当たり前じゃない。音葉がすべてのきっかけであり、全ての原動力であり、私の理由なんだから」
彼女は真面目で、不器用だ。不器用過ぎて見ていられなくて、進藤は空を見上げた。青みの強い夕景は、嫌味な程美しかった。
「それが、俺を仲間外れにする理由になる?」
僅かな嫌味を込めた言葉を空に放つ。しかし、その嫌味は通じなかった。いや、通じた上で、無効だったのかもしれない。
「なるわ。だって隼人は、私ほど音葉を想っていないもの。いえ、音葉のことなんて始めから見ていなかったと言えるかもしれないわね」
まさか、彼女の口から、今、そんな言葉が出るとは思わなかった。
進藤の拳に、掌に爪が食い込む程の力が込められる。
「……それが解ってての仲間外れ? 俺はてっきり、鶴技は鈍感なんだと思ってたんだけど」
その言葉に他意は無い。
嫌味でもなんでもない、本音の悪態。
それさえも届かないほど、今の布施は遠かった。
「当たり前じゃない。解ってたわ。でも、私は音葉のことでいっぱいいっぱいだった。隼人の気持ちなんて、知ったこっちゃなかった」
何かが崩れる音がした。
それは、進藤の心が壊れる音だったのかもしれない。
あまりにも冷たい宣告が、進藤から言葉と行動力を奪う。
その様子を見て納得したように、布施が進藤に歩み寄った。
「隼人のことなんてどうでもよかったから、隼人が言ったライブ禁止令も、実は守るつもりなんてさらさら無かったわ。こんなに早くやつらが見つからなかったら、今日のライブ、行くつもりだったし」
そう言いながら渡されたのは、ライブハウスの入場券だ。
場所は、一ヶ月前と同じ場所。BBBが最も多く使っているライブハウスで、そのチケットには、BBBのロゴが刻まれていた。
進藤は、何も言えなかった。
「適材適所といきましょう。例え隼人が言っていた、『俺も音葉を守りたい』という言葉が、私と一緒に居るための口実だったとしても、そう言った以上は責任を持って頂戴」
力の抜けてしまった掌に、チケットが無理矢理握らされる。その手の温もりは心配になるくらい冷たくて、それでも確かな激情を秘めていた。
「隼人が一緒にこっちに来ても足手まといにしかならないけど、でも、またいつ他の脅威が音葉を襲うか解らないわ。この理不尽な世界ならなおさらね。だから、今回は私が行く。その変わり、これからは隼人が音葉を守る。それが一番合理的だわ」
正論のようにも思えた。でも、正論か邪論かを判断する余裕は、今の進藤には無い。
「本当は私が行きたかったライブだけれど、私は多分、もう二度と行けないわ。復讐のほうが優先なの。私は復讐者だから」
冷たい言葉。冷たい口調。
「勿体無いし音葉のライブでは極力空間を空けたくないのよ。私の変わりに、行ってきて。時間は、今から行けば間に合うだろうから」
冷たい選択。冷たい決別。
「そういうわけだから、後はよろしく」
冷たい背中。冷たい空気。
「――それじゃ、さようなら」
冷徹。
目的のために全てを捨ててきた彼女は、ついに、ずっと一緒に居た進藤さえも切り捨てた。
遠くなる背中。進藤の視界が僅かに霞む。その霞んだ視界でチケットを睨むと、出所不明の笑みが零れた。
(甘い。甘いよ、鶴技)
いったいどれほどの虚偽が、今の会話に含まれていたのかは解らない。
だが、ひとつだけ、はっきり解る真実があった。
(購入日付。今日じゃないか……)
彼女は、ライブ禁止令を破るつもりは無かった。
今日復讐へ向かうと決めてから、このチケットを買ったのだ。
その目的はおそらく、進藤をライブに行かせること。
そうすれば、進藤を復讐に巻き込まなくて済むから。
それが解ったところで、布施を説得するつもりも無かった。
彼女は呪受者だ。
呪受者は、まっとうな人生を送ることは出来ない。人間らしい生き様など、夢のまた夢だ。
その中で彼女は、本当に守りたいもの守り、貫きたいものを貫こうとしている。
そんな、人間としてはかっこよすぎる彼女の決意を踏みにじることなど、ずっと布施を見守ってきた進藤に出来るはずが無かった。
(ああ、そうだね)
そのチケットを強く握り締め、口の中だけで、進藤は呟く。
――さよなら。鶴技。
呪受者にまっとうな人生は送れない。
そんな彼らにとっては、悪くない決別だ。
ただひとつ心残りがあるとしたら、その別れ文句が、彼女の耳に触れる事は無いということだった。