音葉Ⅱ
「取り乱したわね。ごめん」
布施が落ち着きを取り戻すまで、三十分程の時間が掛かった。終いには涙まで浮かべられて、それを宥める進藤にとっては大変な気苦労をした。
「いや、仕方ないさ」
その言葉も、嘘だった。進藤は嘘を吐く事が多い。嘘を吐く事に躊躇いは無い。それは、布施も了承している事だ。
「それで、仕事の話、というのは?」
改め、話を修正する。場所は、進藤は住んでいるアパートの近くにある公園だ。公園と言っても、何も無い小さな広場で、ネットで囲まれているというわけでもなく住居と隣接しているものだから、安易に球技をする事も出来ない。故に子供達が使わない公園だ。となれば用途は近所の奥様方の井戸端会議場になるか、不良達の休憩所としてかくらいである。
今は、夜の十時だ。井戸端会議場になるには遅く、不良達が集うには早すぎる。故にこの時間、この場所に人は居ない。
「ああ、まずは、昨日の報告は完了したってこと。依頼人には店主が報告してくれるらしいし、これ、報酬ね」
進藤は封筒を布施に渡した。布施がそれを開くと、中からは五枚の万札が出てきた。
命掛けの仕事の報酬にしては、少なすぎる。しかし、布施にとっては違った。
「……多すぎるわね」
それは、今回の依頼の内容から生じた疑問。依頼人は、闇金によって困らされた家族だ。娘に身売りさせられる寸前まで追い詰められていたという。では、この金はいったいどこから出たのか。
しかも、この封筒を進藤がそのまま渡したという事は、進藤も既に受け取っているはずだ。
およそ十万。金に困っている家庭が、出せるような額では無い。
「気にしないほうがいいよ」
進藤が言った。
平坦な口調。しかし、布施には解る。
進藤が貧乏ゆすりをしていた。これは、進藤の感情が良くないほうに動いている証だから。
「気になるのだけれど」
故に、布施は引き下がれなかった。金の無い家庭。ヤクザから暴力も受け心にも余裕は無かったはずだし、体力的にも追い詰められていたことだろう。もし他の金融から重ねて負債する事が出来たなら、スターに依頼を出す程の問題にもなっていなかったはずだ。
布施は答えに辿り着けなかった。
「十中八九、復讐者が発動すると思うけど?」
「っつ!」
その言葉で、布施は察した。
「相変わらず、この世界は腐ってるわね」
「そうだね」
布施はその金を握り締め、進藤は薄い笑みを浮かべ、下を向く。そうすれば、ごく僅かの間でも、現実から目を背けられる気がしたからだ。その行動が一致する辺り、二人が実は似ているのだということが伺える。
「……意味が無いわ。私は、その娘さんに」「鶴技」
布施の言葉を遮る進藤。
「そこから先は言わないほうがいいよ。言葉に出せば、実感してしまう」
「……っ」
布施は唇を噛んで、なんとか押し黙った。
身体の中で、何かが叫んでいる。
ぶち壊せ、と、本能が叫んでいる。
本能という布施の心の深部に根付いた、復讐者という呪いが。
「あと、期待もしないほうがいいんじゃないかな。しつこいよううだけど、俺達は正義の味方じゃない。社会からは弾圧されるべき存在であり、否定され、拒絶されるような化け物――つまり俺達は悪だ。誰かを救いたいと思うなら、まずは音葉に会いに行く事を辞めないといけなくなるよ? 俺達は、音葉のために、闇である事を誓ったんだから」
そんな最低な言葉で本当に落ち着きを取り戻してしまうのだから、進藤の言う通り、自分は闇なんだなと実感する。
そうだ。音葉。彼女が笑っていられるなら、他の事なんてどうだっていい。
それが、自分達だ。
「ふう、今日はどうかしてるみたいね。昨日の仕事で少し疲れてるのかしら。それともライブではしゃぎ過ぎたとか?」
冗談めかして布施は言う。
進藤は乾いた笑いを出し、
「多分、両方だよ」
そう答えた。
「それにしても、一番後ろからしか見ないようにしてたのに、それでも気付いちゃうものなのね」
せっかく仕事の話をしていたというのに、布施は前の話を掘り返した。
それほどBBBは、彼女の根本にあるから。
「本当、びっくりだよね。その事に関しては、当面はライブに行かず、解禁しても行く頻度を減らす、ってくらいは警戒しないと」
とはいえ進藤も、その話が嫌じゃないため乗ってしまう。
「さっさとメジャーデビューしてくれたら、そんなこと気にしないで済むのだろうけれど……」
「大きいステージなら流石に解からないだろうからね。今度はチケット取るのが大変になって、あんまり行けなくなったりするかもよ?」
「大丈夫よ。公式サイトのファン登録をして、誰より早くゴールドに上り詰めてやるから。もちろん、偽名でね」
「じゃあ、俺は二番目を目指そうかな」
乾いた笑いが重なった。
メジャーデビューが出来たら、という事が前提であるはずなのに。まるでそれが、近い未来、当然訪れることかのように語る。
「音葉が出る番組は全て録画するわ」
「CDは全部、保存用と観賞用と聴く用で三つ買う、とかね」
「いいわね。じゃあ、ライブで可能な限り広くスペースを取れるように、私の周りの席のチケットは全て私が買い取るわ。もうワンフロア制覇しちゃうぐらいに」
「それは目立ち過ぎるよ。せめて左右前後の五つにしよう」
「そうね。そうするわ」
信者を越して、少々気持ち悪い域に達してした。だが、突っ込む者は居ない。
「あ、話、戻していい?」
進藤がハッとして、釣られて布施も、苦虫を噛む。
「現実逃避してしまったみたい。いいわ、戻しましょう」
「はは、まあ、仕方ないさ。それで、次の仕事なんだけど」
ズボンのポケットから、小さなメモ帳を取り出す進藤。自分の記憶力を信じてやれないのだから、、これはもう必需品のひとつとも言える。
進藤はパラパラとページをめくり、メモが書いてある最後の一枚を破って、布施に渡した。
布施はそれを受け取って数秒の睨み合いをする。いくつかの依頼の概要だけが書かれた用紙は、ただの紙切れであるはずなのに、重みがあった。
「詐欺師の誘い出し。不審者の備考調査。ストーカーの撃退。……なによこれ、パッとしないのばかりじゃない」
眉をしかめる布施。それもそうだ。どの依頼も、警察に出せば済むようなものばかりだったからだ。
「最近、警察の威厳も落ちてるみたいだからね。昨日の仕事もそうだったでしょ? ヤクザに買収されてる、とか。そういう噂が結構広まってるらしいよ。だから、警察は信用出来ない。信用出来るのは、金は取るけど実績のあるスターくらいだ、って。店主が言ってた」
「それこそなによ。一応スターって、裏稼業よね」
「まあ、そのはずなんだけどね」
噂はどこから立つのか解からない。きっと、依頼人の誰かが他人に話してしまったのだろうと進藤は考えている。一応契約の中には、スターの事を他言しない、というものもあるはずなのだが……。唯一の救いは、誰が依頼をこなしているのかまではバレていないことくらいだろう。
闇に生きる人間としては、注目されるのは居心地が悪い。
それに、彼らは正義ではない。救われたいと願い、期待し、縋る対象にするには適さない相手だろう。
なにより、誰より救われたいのは……。
そこまで考えて、進藤はその思考を放棄した。
「仕事があるのは良いのだけれど、こんなのばかりが集まるのは困るわ」
布施の不満は、思考を手放すきっかけとしては上等だった。
「そうだね。依頼を受ける人間の数は限られてるし、大事な依頼の時に人が居ない、なんてことになったら大変だ」
スターで依頼を受ける呪受者は、そんなに多くないはずだ。二人が実際に会った事があるのは六人だけで、他にも居るのだろうけど、おそらく十人は越さない程度の人数だろう。
「こういう雑用みたいな仕事は、あの二人にはやらせたくないけれど……。私達にも私達の、本来の目的がある。こういうのばかりはやってられないわ」
「まあ、そうだね」
あの二人、というだけで、誰かが解かる。それほど記憶に焼きついて離れない二人の呪受者が居た。
「あの二人には、雑用なんてやらせちゃ駄目だよ。特に、ヒーローには」
「ええ。彼は本当に呪いを受けてるのかってくらい、素敵な人だものね」
「同性の俺でも、素直に憧れちゃうくらいだし」
はは、と空笑いして、進藤は星の無い空を見上げた。ヒーローというのは、二人にとっては本当のヒーローではあると同時に、その呪いの力と副作用から来た名前でもある。
ヒーローという名の呪い。
矛盾するような響きかもしれないが、進藤と布施にとっては矛盾しない。
だって、この腐った世界を、救わないといけないのだから。
「死神も、あれから一度も会ってないんだよね。やってる仕事の質が違うから当然かもしれないけど」
「そうね。私達では足元にも及ばないくらい、圧倒的だったわね」
記憶を美化しているつもりは無いが、三年前に一度会っただけの死神は、本当に凄かったと記憶している。記憶力の乏しい進藤でも、鮮明に思い出せる程。
「元気かな」
なんとなく、そんなことを呟いたのは進藤だ。
「健康ではあるんじゃないかしら」
どこか虚ろに答える布施。
「だって死神は、銃弾を何発も喰らっておきながら、素手で何十人も倒したのよ?」
「それもそうだ」
あれは、あの記憶の映像は、本当に現実味が無かった。
まるで相手の心を読んでいるかのように攻撃をかわすヒーローと、どんな攻撃を何度喰らおうと立ち上がった死神。
アニメかCGを見ているのだ、と言われたほうがよほど納得出来た。
だが、呪いとは、そういうものだ。
現実的じゃない、確かな現実。
人の心の闇が生んだ、現実の集大成。掃き溜め、とも言えるかもしれない。
「狂戦士も雑用向きじゃないし」
進藤が言う。
「闇医者も肉体労働派じゃないわね」
布施が続いて、
「墓荒は論外で」「魔女は「よくわからない」」
仕事仲間の話題をある程度引き出して、二人は苦笑を向け合う。
そして、少し考えてから、言った。
「雑用はやっぱり」「私達がやるべきかしらね」
結局、そういうことになった。