依頼の完遂と最期の言葉とクリームソーダ
「その命散らせし汝、我に従え――」
ことことこと――
カッカッカッ――
翻る純粋な黒のワンピースと、閃く夜を切り取ったような黒いスーツ。
「待て、京子」
ここ数日で聞きなれた、若いような年老いているような、少女のような少年のような、不思議な声。びっくりするくらい綺麗で、いつも冷静で偉そうで、ちょっと冷ややかで、たまに切なくなるくらい優しい、小柄な女の子の声。
「フラン……!」
ゴシックロリータの『死繋執行人』が、『船頭』の腕を掴んで止めていた。
「どうせ規則違反なんだ。言いたいことを全部、言わせてやったらどうだ」
『船頭』京子さんは切れ長の目でフランを一瞬睨み、ぴんと張った無表情のままで二人の女の子を見て、もう一度フランを見た。
アップにした髪をがりがりとかき、あー、とかうー、とか呻いた後、盛大に溜息をつく。それから、自分の肩辺りにあるフランの頭に手を伸ばし、わしゃわしゃわしゃとかき回した。
右手ではまだわしゃわしゃわしゃと髪をかき回し、左手でフランの背に流れ落ちる星屑色の髪をすくいながら、呆れたように笑う。
「お前は相変わらず、甘いなあ」
ふて腐れたように頬をぷっくりと膨らませたフランは、何も言わずにされるがままになっている。
「よし。三分だ。三分だけ見逃してやる」
小声でにっこりと言った後、京子さんはわざとらしく大きな声を張り上げた。
「あー、大事な道具を忘れてきてしまったー。しまったぁ。あれがないと私は仕事が出来ないぃ。取って来なければー」
……滅茶苦茶棒読み。ここまで演技が下手な人はそうそういないと思う。
とってつけたような台詞を言うだけ言った京子さんがものすごい速度で消えてから、フランがとことこと僕の方へやって来た。疲れきって座り込んだ僕の横にかがんで、そっとTシャツの袖を引っ張る。
僕が声を出そうとすると、フランはちょっと笑って、桜色の花びらみたいな唇に人差し指をあてた。
しー。
それからまた、ちょいちょいと袖を引っ張る。
二人きりにさせてあげよう、って事だろう。僕もよろめきながら立ち上がって、ゆっくり静かにその場を離れた。橋を渡りきった先、自動販売機の前で、茜崎さんがあの少年みたいな笑顔を浮かべて手を振っていた。
「じゃあ、いいな?」
緊張した面持ちの芽衣が、こくんと頷く。京子さんは艶やかな紅の唇にちらっと笑みをひらめかせてから、白く長い指で黒い扇子を引き抜いた。その瞬間から、張り詰めた、川辺の決闘のような空気が周りの世界そのものを塗り替えていく。
すっと刀の切っ先を向けるように扇子を掲げ、真っ直ぐに芽衣を指す。周囲を凍りつかせるような威厳を漂わせた厳かな声が、思いがけない儚さを孕んでほろほろと零れた。
「我は三途川の船頭ぞ――」
始まった。
フランは無言で僕の背中を押し、回れ右をさせる。芽衣の横では、友香が茜崎さんに同じように回れ右をさせられていた。
「『船頭』の仕事は、見てはならない。これも死者・遺者間接繋権で定められた規則だよ」
フランが無理に背伸びをし、僕の耳元で囁いた。それでは到底届かないので、実は少し膝を曲げている。
僕も黙って頷いた。もうこの世にはいない、小さな幽霊を送る、ひそやかな声は続いていく。
そして、最後の一言が紡がれた。
「――彼方へ、彼方へ」
「ありがと、お兄ちゃん達」
微かな笑いを含んだ小さな声が、そっと耳を撫でた。
はっとして振り返りそうになるのを必死で堪え、耳をすませる。
「トモちゃん、またいつか、ね――」
友香は、はらはらと落ちる涙を拭おうともせずに、叫んだ。まるで遠くへ行ってしまう大切な『しんゆう』に、呼びかけるように。
振り向こうとする自分を抑え、震えながら、懸命に。
「またいつか、絶対逢おう! 芽衣が幽霊でも、あたしは探すから! だから、さっきの約束、守ってよね!」
刹那、この世の物ではない川のせせらぎと、朗らかな笑い声が聞こえた気がして――。
フランが僕の汗ばんだ背から手を離したときには、全てが終わっていた。
橋にはすでに、京子さんと芽衣の姿は無かった。『船頭』の京子さんと共に、今頃はあの世と呼ばれるところにいるのだろう。向こうで元気にやっていけるだろうか、なんて、元幽霊に言う台詞じゃないけど。
友香はしばらくの間橋の欄干に寄りかかって泣いていたけれど、やがて小さく微笑んで、川の水面へと暮れていく日を見つめていた。
「――」
前を見つめたまま、最後の一筋の涙と共に、小さく唇が動いた。
何と言ったのかは分からない。
友香はぴょこんと僕らの前に進み出ると、大きく一度、頭を下げた。ポニーテールが大きく揺れ、こげ茶色の大きな瞳がきらきらと輝いている。
「ありがとうございました。それと、ゴメンナサイ」
それだけ言うと、友香は弾むような足取りでもと来た道を駆け出した。
最後に見せた大輪のひまわりのような笑顔は、今まで彼女が見せた表情の中で一番素直で、可愛くて――何故か芽衣の最期の言葉と重なって、泣きそうになって困った。
走っていく友香の姿が見えなくなった後。フランは伏し目がちの蒼い目を橋の向こう――はるか先の川面に沈んでいく夕日に向けたまま、呟いた。
「依頼はこれにて完遂、だな」
「――うん」
「そうだな」
大きく伸びをすると、茜崎さんはカッコつけた、ラフだけどキザな歩調で歩き出した。
「んじゃ、俺は俺の事務所に戻るぜ。可愛い助手が待ってるんでな」
「ああ、ありがとう」
「ありがとうございました」
深く頭を下げる。茜崎さんはひらひらと手を振って、靴音高く橋の向こうへと去っていった。
随分あっさりしたお別れだ。でも、この仕事を続けていれば、またいつか逢うこともあるだろう。京子さんに至ってはまともに話も出来ていないのだから、次の仕事では人見知りせずに頑張ってみよう……と、思う。
それだけじゃない。今回の仕事――僕の記念すべき初仕事は、『死繋執行人』の手で最期の伝言を伝えることが出来なかった。この世から消えていこうとしている人と遺された人、その双方に、癒えない傷を残して。
次は必ず僕らの手で伝言を届けよう。この世から消えていく前に、この世にいた最後の最期の瞬間に、微笑んでもらえるように。
次こそは、きっと――。
フランはふうっと溜息をついて、事務所の方へと歩き出した。
「イツキ。暑い」
「うん。暑いね」
長袖ゴシックロリータでも汗一つかかないフランが暑いだなんて、珍しい事もあるものだ。
不意にフランが、くるんと僕の方を向いた。一瞬だけ鮮烈な光を放つ、闇色の花が咲くように、ふわりとスカートが風を擁く。
「冷たいものが食べたい気分に、ならないか?」
フランが上目遣いで僕を見る。僕は不覚にも、その黄昏時の黄金色をした光を受けて輝く蒼い瞳の美しさに惹き込まれてしまってから、数瞬の後、慌ててぶんぶんと頷いた。
訝しげに細い眉を寄せたフランが、ずいいっと背伸びをして僕の顔を覗き込む。銀糸刺繍のヘッドドレスが、きらきらと最後の残照をはじいて眩しい。思わず顔を背けてしまった。
それと張り合うように、フランがさらにずいいいっと小さな顔を寄せてくる。
ちょっ! 近い近い!
「……顔、赤いぞ?」
「き、きききき気のせいだよ!」
「そうか……?」
「そうだよ!」
気まぐれに顔をフイと離し、ことんと音を立ててブーツの踵をアスファルトに戻す。
「なあ、冷たいものが食べたい気分に、ならないか?」
今度は桜色の唇が、すこぉし、ほころんでいて。それが意味もなく、でもどうしようもなく嬉しくて。
「う、うん。……クリームソーダ、食べに行こうか? 食べたい?」
「もちろんだ。急ぐぞ」
偉そうにふんっと胸を張って、ゴシックロリータをなびかせながら歩く、とっても不思議でとっても綺麗な女の子。
僕は一人笑って、小さな『死繋執行人』の、さやさやと揺れる冴えた銀の髪を追いかけた。




