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闇の華と異物と獣の咆哮

 友香の部屋は、階段を上りきってすぐの小さな部屋だった。可愛らしいパステルピンクのプレートには、丸っこい字で『ともかのおへや』と書かれている。

 妙に緊張するというか、部屋に入るのを躊躇してしまう。女の子の部屋に入るのは初めてだし、今僕汗まみれでクサイし……って、僕は何を考えてるんだ! 別に、フランが連れて行かれちゃったせいだし、仕事関係だし、相手は小学生くらいだし……ああもう!

 部屋の前でもじもじしたり、頭を抱えたりと忙しい僕を押しのけて、茜崎さんはものすごくあっさりとドアを開け放った。

 何故かまだフランの腕を掴んだままの友香と、冗談でも見間違いでもなく半泣きのフランが、目を丸くしてぽかんとこちらを見つめている。体格だけなら、二、三歳くらい年の離れた姉妹に見えないこともない。もちろん姉はフランの方なんだけど、それでもバレたら滅茶苦茶怒られそうだ。

 僕が、また勝手にニヤニヤしたり真っ青になったりと忙しくしていると、茜崎さんがちらりと僕に目配せをしてから部屋に入った。後ろに回された長い人指し指が、ドアのすぐ前を指している。そこに座れ、って事だろうか。

「お邪魔しまーす」

 気さくな笑顔を振りまきながら、どっかりとフローリングの床に座り込む茜崎さん。優しい親戚のおにいさんって感じだ。僕もぼそぼそと小さく挨拶をしながら、キャラメル色の床の隅っこに腰を下ろした。

 僕らが部屋に入ったのを見ると、友香は無言で立ち上がった。床に転がったピンクのクッションを蹴り飛ばすようにしてドアへと歩み寄り、大きな音を立てて鍵をかけてしまう。

 ふわりと闇色のスカートを広げて座り込んだフランは、夜に咲いた花のように妖艶で、怖気を奮うほどに綺麗で、それ故にどこか不吉な感じがした。子どもっぽく整えられたこの部屋と、あまりにもミスマッチなせいかもしれない。

 氷室の氷のように透明な髪が、真っ白で人工的な光を放つ蛍光灯に照らされて、ほの暗い水面のようにてらてらと輝いていた。

 大した根拠があった訳じゃない。ただ何となく、漠然と嫌な予感がした。

 そんな予感は僕以外の誰に知られることもなく、僕自身もはっきりとは掴めないまま、フランの静かな声で溶けるように掻き消えてしまう。

「君は、菊池友香だな」

「うん」

 どこまでも読み取ることの出来ない無表情のフランと、どこか挑むような眼差しの友香。

「今日は、芽衣さんから君への伝言を届けに来た」

 友香は小さな顎を、ほんの少し手前に引いた。

「知ってる」

 知ってる……?

「怖くてあの橋は通れなくなったけど、分かってるよ」

 フランが僅かに眉根を寄せ、茜崎さんが身じろぎし、僕が息を呑んだ。

 じゃあ、友香は僕と同じ――!

「フラン――だっけ。今、芽衣はあの橋の端っこに、いるんでしょ?」

 猫のような瞳は、はっきりとフランを睨んでいた。

 友香は、知っているっていうのか。分かっているっていうのか。

 あの橋に、芽衣がいることが。

「君は……」

 フランの表情が一気に硬くなる。強張って上手く動かない口を機械人形のようにぎこちなく開いて、呻くように呟いた。


 ああ、そうだ。

 怖くて橋を通れないってことは、完全に見えてるんじゃないか。


 友香はちょっと口元を歪めながら、今度は大きく頷いた。

「そうだよ。見えてるよ。パパもママも友達も、誰も信じてくれないけど」

 不意に、友香の大きな瞳が揺れた。甘いミルクのように真っ白な天井を仰ぎ、何度か目を瞬かせたけれど、抑えきれなかった涙がぽたぽたとむき出しの膝に落ちる。

 パステルピンクのパーカ、デニムのミニスカートにハイソックス。どこにでもいるような、ごくごく『普通』の女の子。そんな『普通』の自分の娘に、自分の『普通』の友人に、実は幽霊が見えている。それは、見えていない人にとっては確かに信じられないのかもしれない。

「芽衣とは、そのことで喧嘩したの。いっつも一緒に帰って、ピアノの教室へ行って、遊んで……一番のしんゆう、だったのに」

 小さく小さく丸まるようにして膝を抱え、膝に頭を埋める。くぐもった声が響いた。

「あの日、初めて喧嘩したの。あ、あたしが幽霊のおじさんに声をかけたら、芽衣が友香おかしいよって。そんなところに人なんていないじゃないって」

 僕もちょうど友香くらいのときに経験した。そのときは何とか誤魔化したけれど、それ以来、人前で幽霊に声をかけることは無くなった。

 『人は、自分とは異なるものにいくらでも残酷になれる生き物である』――本の中の登場人物か、ニュースのコメンテーターか、はたまた犯罪者を逮捕した警察官か。誰が言ったのかは覚えていないけれど、それはまぎれもなく本当の事だ。異物ぼくらが一番、よく分かっている。

 友香の声が、激しい熱を迸らせながら高くなった。

「あたしは、あの橋で芽衣を突き飛ばして、走って逃げたのっ。怖かった! 芽衣から嫌われるのが怖かったの!」

 涙でぐしゃぐしゃの顔を上げる。握り締めすぎて真っ赤になった手の甲で涙を拭い、小さな獣が吼えるように、叫ぶ。

「あたしが……あたしが芽衣を殺した! きっと芽衣はあたしを恨んでる! 嫌いになって、もう二度と遊んでくれなくなっちゃう!」

 小さな獣の咆哮は、血を吐く痛々しさと燃え盛る激しさを孕んでいた。

 その瞬間、茜崎さんが何かを察知したように突然立ち上がった。

 だが、すでに立ち上がった友香の方が速い。クッションやドアの開閉に邪魔な位置に陣取った僕を蹴散らす勢いでドアに駆け寄り、鍵を開けてノブを叩きつけるようにひねる。

「おい待て!」

 茜崎さんが伸ばした手をすり抜けて、友香は部屋を飛び出していった。茜崎さんは厳しい表情で、舌打ち交じりに黒いスーツのポケットから携帯電話を取り出す。

「追えイツキ! 芽衣に逢わせるな!」

 フランが叫ぶ。僕はフランの声を聞き終える前に、友香の後を追って階段を駆け下りた。

 何かが襲来した後のように開け放たれたドアから、フランの怒鳴るような鋭い叫びが響いてくる。

「京子か! フランシスだ! 緊急の依頼……」

 後は聞こえない。玄関を蹴破って走りながら、僕の頭の中で、最後に耳を掠めた友香の言葉が、繰り返し、繰り返し流れては消えていく。


「また明日ねって言わなきゃ――」



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