騎士と姫君と気の強いお嬢さん
それに対してフランが何か言う前に、茜崎さんは靴を鳴らしてデスクまで歩み寄った。堂々とした歩調と姿勢は、スポットライトと無数の視線を一身に浴びる舞台俳優のようだ。
小さく笑みすら浮かべた茜崎さんとは対照的に、フランはどこか硬い、ひんやりとした無表情で茜崎さんを見つめている。
彼が足を止めた瞬間――ぬるい空調の風が、蛍光灯のチープなライトアップが、デスクの鈍い銀が、その表情をがらりと変えた。
デスクまであと一歩というところに迫った茜崎さんは、革靴の音高く足を止め、優雅に腰を折ってフランに手を差し伸べた。フランは静けさに満ちた所作でその手をとって立ち上がる。ゴシックロリータの背に舞い降りた長い髪が、さらさらと肩を滑り落ちた。
ダークスーツの騎士がゆっくりと跪き、硝子の人形を扱うかのように優しく、ゴシック調のドレスをまとった姫君の華奢な指を一本ずつ内側へと折り曲げていく。姫君は氷のように冷たい無表情で、小指を残して軽く握られた形の己の手を見つめていた。ちょうど、指きりの形だ。
騎士は自らの小指を雪のように真っ白な小指に絡ませ――。
結ばれた互いの指に、そっと口付けを落とした。
どこか敬虔な空気に満ちた、厳かな『儀式』。
フランの伏し目がちな横顔の美しさに、思わず息を呑む。まるで太古に君臨した雪と氷の女王のように冷えて、今にも砕け散ってしまいそうに儚い横顔。
永遠にも思えた、僅かな停止の後。姫君がするりと指を解くと、騎士はゆっくりと立ち上がった。
「ありがとうな、フラン」
「……ああ」
「おかげで――繋がったぜ」
透明な何かが、二人の間をゆるりと渡っていく。
僕は息をひそめて、『儀式』を終えた彼らを見つめていた。
「さ、行こうぜ」
さっさと踵を返して出て行こうとする茜崎さんを、僕は慌てて呼び止めた。
「『行こうぜ』って……。どこへ行くんですか?」
「ああ? 決まってんだろう、菊池友香嬢のところだよ」
いかにも当然、といった調子の茜崎さん。
「だって、住所も分からないのに――」
「大丈夫だって。俺についてこい!」
ビッっと立てた親指を九十度ほど自分の方へ倒し、背後の衝立を指す茜崎さんに、フランが同意を示すように立ち上がる。氷の仮面のように薄くフランの横顔を覆っていた何かは既に日に溶けて、今は血の通った、柔らかな微笑みが息づいていた。
「行きながら説明するから。ほら、出るぞ」
半ば二人に押し出されるようにして事務所を出ると、午後二時半の一日の中で最もアツい空気がむわっと僕らを押し包んだ。
長袖ゴシックロリータのフランと裾を追った長袖シャツの茜崎さんは涼しい顔。下はジーンズ、上が半袖Tシャツの僕は早くも汗をだらだら流している。なんとも奇妙な三人組だ。
茜崎さんは何もおかしなところの無い小指をじっと見つめ、道路に視線を戻し、もう一度小指を睨んでから歩き出した。先程僕らが辿った、橋への道だ。
訳が分からないままについていく僕の後ろで、フランの声がした。
「茜崎の小指には、赤い糸が結ばれているんだ」
「へえ……。それはフランの小指とわあすみませんごめんなさいもう言いません許して」
「ふん」
「……赤い糸、って何?」
あ、足の震えが止まらない……っ。
「結ばれた『縁』だと思ってくれていい。茜崎は、条件付きで自在に縁を結ぶことが出来るんだ」
『探偵』である茜崎さんは、他人と自分の縁を条件付きで自在に結べるらしい。今は、自分と菊池友香の間に結ばれた『小指の赤い糸』を辿っているのだそうだ。ずいぶんと即席な縁結びの神様もいたものだ。
「イツキも気になる女が出来たら縁結びしてやるよ」
「いいですから、集中してください」
一瞬心が揺れたのは秘密にしておく。
それを知ってか知らずか、茜崎さんは、すでに僕の中ではトレードマークとなりつつある豪快な笑い声を上げた。
もう少し詳しく聞いてみたかったのだけれど、それからすぐに、茜崎さんは何の変哲も無い一軒家の前で足を止めてしまった。僕とフランも立ち止まって、クリーム色とチョコレート色でまとめられた家を見上げる。
二階の窓は開いていて、薄いレースのカーテンがひらひらと揺れていた。どうやら、留守ではないみたいだ。
ポストにかかったプレートには、洒落たアルファベットでKIKUCHIと書かれている。ここが菊池友香の家だろう。『探偵』茜崎さんは本当に、小指の赤い糸を辿って家を探り当ててしまった。別に疑っていたわけではないんだけど、今さらながらに驚いてしまう。
「ご苦労」
フランはさっさとインターフォンに向かって指を伸ばしていた。止める間もなく、可愛らしいオルゴールのメロディがワンフレーズ、涼やかに響き渡る。それを聞いていたら、なんだかあの採用試験を思い出してしまった。そういえば、フランの事務所にある猫型のインターフォンは、本当のところ鳴るんだろうか?
この場には全く関係ないことで頭を悩ませていた僕の頭に、不意に別の疑問が舞い込む。事務所ではずっと悩んでいたのに、今になって思い出した。もう年かな……。
硬い表情でたたずむフランに、遠慮がちに声をかける。でも、どうしたのだろう。返事は返してくれたけれど、フランはこちらを向かなかった。
「ねえ、フラン」
「なんだ?」
乾いた空気が喉に熱い。言葉が出るようになるまで、少し時間が必要だった。
「何て言って、事情を説明するの?」
「ありのままを。下手に隠したりぼかしたりしても、伝わらないことに変わりは無い。……だからいっそ、ありのままを」
断固とした口調だった。それが正しいのだ、と僕に答えているというよりは、まだ迷って揺れている自分に言い聞かせているような言葉。本当はどう思っているのだろうか。
玄関を向いているフランの表情は分からない。さらさら流れる白銀の髪も、細い体の線を隠すふんわりしたゴシックロリータも、フランを厳重な繭のように覆ってしまっていた。雪のように真っ白な指先だけが、頼りなげに閉じたり開いたりしている。
一体、何て言って説得するつもりなんだろう。幽霊の見えない人がいくらフランの話を聞いても、きっと信じることが出来ない。それどころか、故人を馬鹿にしたと言って怒り出す人だっているかもしれない。
十分に考えがまとまる前に、唐突にドアが開いた。フランの細い肩が、目で見て分かるほど大きくはねる。
「どなたですか?」
出てきたのは茶色の髪を肩の少し先まで伸ばした、三十代後半くらいの女性だった。多分、菊池友香のお母さんだ。
フランのゴシックロリータを見て、訝しげに目を細める。次いで茜崎さんに目を留め、会釈と共にあの色っぽい微笑みを向けられてノックダウン。おかげで、僕に小さくお辞儀をした時は、分かりやすく口元が緩んでいた。よく見ると、頬がうっすらとピンク色に染まっている。
「我々は『伝言サービス』の者です。芽衣さんの件で、友香さんに……」
フランの細いけれどよく通る声は、最後まで言い終わることなく途切れた。母親と思しき女性を押しのけて、すらっと背の高い女の子が玄関に飛び出してきたからだ。
年頃は芽衣と同じくらい。ポニーテールに結った栗色の髪が大きく振られ、彼女の頬を打つ。こげ茶色をした大粒の瞳は痛いほど真っ直ぐに、僕ら三人を睨んでいた。
ほんの僅かに、眼の端が紅い。おそらく、この女の子がトモちゃん――菊池友香だろう。
「……入って!」
強引にフランの腕を掴み、玄関の中へと引きずり込んでしまう。目を白黒させるその他の人間を置いて、階段を駆け上がってしまった。もちろんフランの腕を掴んだままだ。何度も転びそうになっているフランを見て、その度にひやっとする。背中に嫌な汗がふき出した。途中で小さな悲鳴が聞こえたような気がしたけれど、気のせいだろうか……。
何とか無事に(?)階段を上りきり、角を曲がって見えなくなったフランと友香。置いていかれた僕と茜崎さんは顔を見合わせ、堂々と家に押し入りながらもご丁寧に笑顔を振りまいている茜崎さんに嘆息しつつ、フランを追った。




