修二会
修二会、通称「お水取り」。二月堂で激しく振り回される大松明。舞い上がる火の粉に人々は群がる。希望か、願いか、懺悔の思いか。古希を迎える父との遠い思い出が邂逅する。
父が古希を迎える。
頑固で昔堅気の父と些細なことで喧嘩をして、会わなくなってから三年が経つ。
「いい加減に仲直りしたら?父さん頑固だから自分から絶対頭下げないわよ」
昨日の晩に妙子から電話があった。
「義姉さんはもう気にしてないんでしょ?兄貴が意地張ってるだけのことやんか」
三年前、息子が中学生になって手が離れたので女房の真澄はパートタイムで働くようになった。家計が格別苦しかった訳ではないが、真澄自身が時間を持て余して悠々としていられる性格ではなかったというだけのことであった。
パートタイムで初めて出た給料で、真澄は以前から欲しがっていたパパラチアのネックレスを買った。真澄が初めて自分で買ったアクセサリーだった。安物だがパートタイムの給料では足りないので、私も少し出した。
一人暮らしの父の家にはひと月に一度くらいは訪ねていたのだが真澄は嫌がりもせず、寡黙な父の面倒をかいがいしくよくみてくれていた。
パパラチアのネックレスを買って最初に父を訪ねた時、嬉しそうに話す真澄に父がこう言った。
「初めての給料の時は、形だけでもいいから親に何か持ってくるもんや。自分のもんを真っ先に買って自慢するのは礼がなってないな」
真澄は一瞬で凍り付き、表に飛び出してしまった。真澄より激高してしまったのは私の方だった。
「真澄が自分で稼いだ金で何を買おうと勝手やろ!初めて自分の好きなもの買ったんや!なんでそんなひどいこと言うねん!だいいち今までどんだけ真澄に世話なってきてんねん!」
「真澄さんには感謝しとる。ただ、礼儀のことを言うただけや」
「感謝の言葉もろくに言わん癖に、どっちが礼儀知らずや!」
怒鳴り散らして、私は真澄を追って表へ出た。
真澄は車の中で泣いていた。
そのまま自宅に帰って、それ以来父には連絡すら取っていない。
そして真澄のパパラチアのネックレスは箪笥の奥にしまわれたままになってしまった。
「もう父さんも七十やし。今度の日曜日に私、父さんのところに行くから、兄貴もおいでよ。私居てた方がいいでしょ?」
妙子が電話の向こうでそう言った。
はじめは父の話をしたがらなかった真澄も、この頃は疎遠になってしまっていることが気になりだしているようだった。しかし、私の中ではどうしても許せなかった。父には悪気はなかったのかもしれない。けれど言葉で傷ついた心は、謝罪の言葉でしか癒されない。父から真澄に一言「すまんかった」という言葉がほしいだけであった。結局、私も父譲りの頑固者なのだ。
妙子の電話を切った後、私は珍しくブランデーを飲んだ。以前誰かからもらった贈答品だ。
真澄は息子を塾に迎えにいっていない。
ブランデーグラスが見つからず、代わりにスコッチグラスにブランデーを注いで飲んだ。
やけに寒いと思って窓を見ると、レースのカーテン越しに雪が散らついているのが見えた。
「雪か」
私は呟いて、父のことを思った。
私は雪の中で父の背中を追い掛けた子供の頃の記憶を蘇らせていた。
その日、父はいつもより早く仕事から帰った。
帰ってくるなり父は私と妹の妙子に、
「出掛けるで。お前らも早く支度せぇよ」
と言った。
母と離婚し父と私と妹の三人暮らしになってから、父と三人で出掛けるのは初めてのことだった。
私と妹は、どこへ行くのかわからなかったけれど、嬉しくてはしゃいだ。
「帽子も手袋もしていけ。今日は寒いぞ。雪が降っとる」
父はそう言って自分は仕事から帰ったままの姿で表に出た。
台所と六畳ふた間の古いアパートを出ると、父が言うように、帳を下ろした夜空からちらちらと綿のような雪が降っていた。
鉄の階段を下りるとカンカンカンと靴が響いた。
父は、
「ほな行くで」
とだけ言って先に歩き出した。
市バスに乗って県庁前で降りた。
そこから東大寺の方に向かって歩いた。
道々、私たちと同じように東に向かう家族や観光客と一緒になった。私は祭りがあるのだと思った。妹が手を握ってきたので、しっかり手を繋いで父とはぐれないように父の背中を見据え足早に歩いた。
父は時々確かめるように振り返ってくれたが、相変わらず何も言わなかった。
やがて南大門をくぐり、大仏殿にたどり着いた。
ライトアップされた南大門や大仏殿は昼間見るよりよほど巨大に見えた。
鏡池に写り込んだ回廊の白壁に音もなく雪が舞い降りて吸い込まれた。
もうその頃には人の流れができていて、楠や馬酔木の杜の中の階段を登っていた。
「どこに行くの?」
「お水取りや」
妹の問いにずっと沈黙していた父が、やっと答えた。
暗がりの中で鹿が思い思いにうずくまり、好奇心のある鹿は首をもたげて人の波をじっと見ていた。
山道のような階段を上りきると、そこにはもう人垣ができていた。大人達の影の間から、さらに高みに舞台のようなお堂が見え、軒下の提灯に照らされ宙に浮かんでいた。
人々のざわめきの上に白い息がゆらゆらと揺れていた。
しばらく人垣に混じって待っていると、歓声が上がり、左端の階段の回廊を大きな火の玉が駆け上がっていくのが見えた。
父は片手で妹を抱き上げ、もう一方の手を私の肩に置いた。
火の玉は巨大な松明だった。竹の先で燃える松明を、作務衣を襷でたくし上げたお坊さんが両手で抱えて走り昇っているのだった。
ひとつ、ふたつ、みっつ……。次々と松明は舞台まで駆け上ぼり、舞台の端から端までを激しく振り回されながら何往復もした。
雪の中、舞い上がる火の粉が人々の上に降る。そのたびに歓声が沸き、人々は手を伸ばして火の粉を浴びた。
ふいに父が妹を降ろし、そのままひざまずいて私と妹を両手で抱きしめた。
突然のことに私と妹はされるがままに抱かれていると、父が
「すまんなぁ。お前らに淋しい思いさせてるかもしれん。すまんなぁ」
と絞り出すような声で言った。
私は父が泣いているのかと思い、父の顔を覗き見ようとしたが、父の抱きしめている力は強く、顔をよじることもできなかった。
やがて十本ほどの松明は順番に煤を払い落とした後、お堂の奥に去った。
人々がそぞろ帰りはじめ、父も力を抜いて立ち上がった。
父の顔を見上げたが、夜闇でよく見えなかった。
父が母と別れたのは父のせいではない。母が恋人を作って父と私と妹を棄てたのだ。子供でもそのくらいのことは理解していた。母は最後に家を出ていく時、私と妹に泣いて詫びていたが、私と妹は泣かなかった。父が子供ながらにとても不憫に思ったのを覚えている。
私はブランデーを飲みながら、すっかり忘れていた三十年も前のそんな出来事を思い出していた。
考えてみれば、父が「すまん」と言ったのは、後にも先にもその時だけかもしれない。もともと寡黙で不器用な父である。真澄への仕打ちも単に謝り方を知らないだけなのかもしれない。許すことはできないが、なぜだか私は自分がとても小さな人間に思えてきた。
「そういえば『古希』っていう酒がどこかで売ってたな」
私はグラスに向かって独り言を呟いた。
窓の外はまだ白い雪。
真澄と息子が帰ってくる車の音が聞こえた。
愛とはなんでしょう?
誠実とはなんでしょう?
許すとはどういうことでしょう?
人は弱い生き物で、平凡に生きているようでいて、実は毎日いろんな引っ掛かりに心を痛めているように思います。
私には人間の業を説く力はありませんが、時折愛する人を抱きしめたくなります。ただただ温もりを感じていたくて。