闇の音
蝉時雨くるおしいほど生を知る
壁に白い光で文字が映し出される。それ以外に光はなく自身の姿すら見えないほどの闇の中にいる。
抵抗はしてみた。闇雲に走り回りこの空間の広さを理解した。部屋のようだった。
四角い部屋。たどり着いた壁面はコンクリートのような材質少しざらつく冷たい触感が手のひらに伝わる。壁面を撫でているとその光の文字が現れたのだ。
俳句?なのか上手いかどうか知らないがどう反応したらいいのか。
「これがどうした。一体ここはどこなんだ?」誰とも知れない何者かに尋ねた。誰かとは誰だ?
気が付いたらこの闇の中にいた。その前は、久しぶりに学生時代の旧友に遭遇し居酒屋で積もる話をして酒を数杯飲んで・・・記憶がない。
急にセミの鳴き声が闇の中に広がる。何種かのセミが無秩序に泣く声がやかましいくらいに大音量で空気をつんざく。耳をふさぎたくなるほどの騒音レベルだ。
「うるさい。やめろ。うるさいって言ってんだろうが!」
大声で誰かに抗議をする。効果はあるのか知らないが。
あった。ピタリと蝉の声が消えた。
子守歌代わりの風鈴の声
風鈴の音だ。ガラスのこすれ合う音。涼しげな音が連なる。
子供の頃この音を昼寝の子守歌代わりに聞いていた、気がする。
この記憶は本物なのか。なつかしさは感じるのだが地に足がつかない感覚。
闇の中に響く風鈴の音が記憶を刷りこもうとしているようだ。偽りの思い出。
だが懐かしいものが混じっている。脳の奥底に置き忘れ去られていた残滓。
「誰だ。俺が忘れている誰か・・・なのか」
誰かと一緒にいたような。誰か。ここだけ恐ろしく肌触りのある実感があるのだ。
子供の頃の記憶を喚起しようとしているのか。ここにおれを監禁したのもその誰かなのか。
「俺に思い出させたいのか。なら名乗れよ。こんな回りくどい事する?」
しかもおれは子供の頃の記憶があいまいだ。自身による拒否の意思が働いているようなのだ。
思い出したくない記憶がある?それを呼び出そうとしている誰かいる。そいつの仕業なのか。
そう考えると偶然出会った旧友に疑惑がおよぶ。偶然だったのか?
そういえば、あいつはいつの旧友だったのか。小学生?中学、高校か?あれ
雷鳴に思わず身を寄すこどもたち
停電で闇の中となった部屋で誰かと抱き合った記憶がよみがえる。
だが靄のような阻害が思い出すのを拒否する。誰だったんだ?
ここは冷静になるべきだ。ゆっくり息を吸い込む、吐き出す。一瞬思考を止め脳内をクリアにする。
俳句・・・祖父が俳句をやっていた。地元の同好会に入って月一で句会に参加していた。
ああ、靄が少し晴れた。あの子はキノミという名だった。
祖父の同好会に参加していた女性の子供の名がキノミだった。
祖父とその女性は同好会で知り合い親交を深めたそうな。女性はキノミちゃんを連れて俺の家に頻繁にやって来ていた。
夏休みにはキノミちゃんは家に泊まりに来ていた。
風鈴の句は祖父のものだ。実際には眠っていないが風鈴の音を歌のようだと彼女は言っていた。
夕立で停電となり雷に二人でおびえていたその時の句も祖父が作った。
だが祖父はプロではない。あくまでも趣味。その二句を知っているのは本人と同好会のメンバーのみ。
ああ、そういうことか。
「キノミちゃんのお母さん・・・そうだろ」
それに連鎖して判明したのは俺を誘った旧友はキノミちゃんのお兄さんだ。中学時代には部の先輩後輩の仲だった。
「サトシ、お前もおれをここに連れ出すために協力したのか」
動機ははっきりしている。
「事故だった。警察もそう結論したはずだろ。たまたま子供がすっぽり頭まで入るほどの穴が開いていた。そこに前日の豪雨で水面が地面と区別がつかないほど満たされていた。そこにたまたま落ちたんだよ。俺は必死に引っ張り上げたさ。だが彼女は息をしていなかった。怖くなって逃げだした。子供に人工呼吸なんてできるわけないだろ。嘘をついて別れた後に穴に落ちたのだと何も知らないと言ってしらばっくれた」
あの時母親は明らかに俺を疑っていた。俺をにらみつけていた。俺はそそくさと葬式会場から逃げ出した。その通りだよ、おれは噓つきだ。
靴の内部に水が入って来るのを感じた。水だと。
「まさか水を流し込んででいるのか」
キノミと同じように
俳句ではなかった。つい感情を口に出しかったんだろう。
復讐。おれは両親の事情で葬式の後祖父を実家に残して一月後引っ越してしまった。あれ以来祖父の住んでいる実家には帰っていない。もう十年以上経過している。俺の脳内では記憶の一部でしかない。
そんなおれを彼女は探し出し復讐を遂げようとおれの前に現れたのだ。
キミノの兄に呼び出されて俺は覚悟を決めて指定された河原にやって来て・・・
河原?俺は河原にやって来たはずだが。なぜここにいる?ここは一体。
川縁に彼女はいた。遠くにある街灯でぼんやり浮かび上がる老女。
「久しぶりですね。いまさらおれに何の用ですか」
大きく見開かれた眼にはもはや理性はなく血走った狂気を放射していた。
「お前が。お前がキミノを・・・」
「不幸な過去だと思うしおれも今でも思い出して悔やむ気持ちはある。だがもう過去の話だ」
その後の諍いについて記憶があいまいになる。ついさっきのことなのに。
彼女は刃物を握り締め刃先をこちらに向け突っ込んできた。
おれはそれほど早くない老女の動きをかわすのは簡単だった。横に半回転し老女の横に向くと刃物を奪おうと手を掴むそして・・・
おれが悪いんじゃない。俺は自分の身を守っただけだ。俺に殺意などなどなかった。
すすきの野原に老女が倒れていた。刃物が突き刺さっている。
そしてまた闇の空間に戻ってきた。
すすき野に埋もれ消えゆく鳥骸
音はない。静寂で耳鳴りが聞こえる。
水はもう膝まで上がって来ていた。
「ワシのキミノ・・・」それは祖父の声だった。
「じいちゃん、なのか。おれをここに引き込んだのは」
「キミノ・・・ワシの可愛い」
俺は察した。祖父はおれたち家族よりも女性と娘を愛していたのだ。
半年前から祖父は痴ほうが進行し老人介護施設に入れらたと母親から聞いた。
実家は無人になっていると。近いうちに売却されるようだった。
そんな祖父がどうしてここに。
「おれに復讐したいのか、じいちゃん」
「ワシの可愛い・・・」
「おれは愛していないのか、おい。聞いているのかじいちゃん!」
「お前らはわしを捨てただろうが!」
祖父は怒りをため込んでいたのだ。ずっと。そして愛する娘を失い女性は心を失った。
以降この老女のように狂気の縁をさ迷っていたのだ。
その狂気が闇を生み出したのか。それを一言でいうなら「呪い」だ。
俺の精神はいつのまにか囚われていたのだ。祖父の狂気の「呪い」に。
水は胸にまで達していた。これは本物だ。もうすぐおれは水に飲みこまれるだろう。
おれ自身も心の奥に闇を抱えていたのかもしれない。この闇はおれ自身の闇でもあったのだ。
もう息ができない。水を飲んで肺にまで流れ込み意識が遠のいていく。
これでよかったのか、じいちゃん。
匿名の通報により現場に向かった警察官は〇〇川の河川敷で女性の刺殺死体が発見する。
同日この川の下流で20代男性の水死体が河川敷で花火をしていた若者たちによって見つけられて警察に通報が入る。
同日深夜ある老人介護施設の介護ベットの上で男性が涙を流しながら息を引き取った。
奇妙なのは川でおぼれた20代男性の口の中に紙切れが丸められて入っていたことだ。
不思議なことにその紙は水に濡れていなかった。
その紙には俳句のようなものが書かれていて死体に関わったものは首をひねるしかなかった。
それには俳句と思われる内容だった。
むごたらし川に溺れる冬の蠅
その紙片は祖父が自宅で俳句の習作を書き溜めていたノートのもので介護施設に持ち込んでいた。
その句が書かれていたページの一部が破かれていた。




