第3話 奥の手
やっぱり、上手くいかなかったわね。
三島くんが去った後、席で一人紅茶のお代わりを飲みながら、私、金沢真佳はスマホの画面を操作する。
彼の性格上、夕子を紹介するというだけでは、条件として弱いことはわかっていたから、ちゃんと奥の手は用意している。
メッセージアプリを開き、彼のお姉さんとのトーク画面を開く。
彼に偽の交際関係を申し込んだことと、その理由。
申し込みをきっぱりと断られ、彼を説得して欲しいこと。
それらを伝えると、数分後にメッセージが帰って来る。
三島叶:協力してあげてもいい
三島叶:ただし、条件が一つある
金沢真佳:何ですか?
三島叶:ある女から、あいつを守って欲しい
それから、ある女――三島くんの幼馴染について、長文が送られてくる。
あまりにも長すぎて、既読をつけてから返事をするまで10分かかった。
内容的には、私が彼に求めている役割に近いので、特に私が条件をのまない理由はない。
金沢真佳:わかりました
三島叶:なら、今晩よく言い聞かせとくわ
何を言い聞かせるのかはわからないが、少なくとも中々に辛い思いを彼がするのであろうことはわかる。
とりあえず、これで私の提案を彼は飲むことが確定したので、丁寧に感謝の言葉を伝えてから、会話を終える。
本当は使いたくはなかったけれど、私の提案を断るのが悪いのだ。
ただ、自分でもかなり酷いことをしている自覚はあるので、ちゃんと見返りは用意するつもりだ。
夕子を紹介することに加え、それなりに豪勢な食事も定期的にご馳走しようとは思っている。今日のパフェだって、その一環だ。
「そろそろ良い時間ね」
時刻を確認すると、あと少しで18時を迎えようとしている。
今日は19時から養成所で演技のレッスンがある。
出番が一分あるかないかの脇役だけれど、私にとっては大切なデビューだ。
絶対に手は抜きたくないし、色恋沙汰で邪魔されるのは論外だ。
「そういうわけだから、大目にみてね」
テーブルに置かれた、普通の高校生には痛い出費となる額が書かれた伝票を持って、私は席をたつのだった。
※※※
玄関の扉を開けると、脱ぎ散らかされた厚底のサンダルが目に入った。
嘘だろ……。
時刻はまだ18時を少し過ぎたところ、あの女が帰って来るにはいささかまだ早い時間のはずだ。
「どうして……」
今すぐ、もう一度あのファミレスに戻りたい。
だが、そう思うのと同時に玄関の扉が思い切り閉まる。
この時点で、俺が帰宅したことがあの女にバレた。
「お~い愚弟。ちょっと来い」
リビングから、ハスキーな女性の声が聞こえてくる。
無視はできない。そんなことをすれば後が恐ろしい。
震えそうになる足を叱咤しながら、リビングへ向かう。
あの女――姉の叶は俺を苦しめる美少女の一人だ。
歳は俺より二つ上で、今年から大学に通っている。
姉貴は昔からとにかく横暴で、俺を自分専用の奴隷かなにかだと思っているのか、事あるごとに使い走りにしたり、ストレス発散のためのサンドバックにしてくる。
特に、寝起きが悪いことを理由にかけてくるプロセス技は脅威で、中学時代に柔道で鍛えた体をもってしても涙が出る。
今日は合コンに行くと聞いていたのだが、この帰りの早さ。嫌な予感しかしない。
リビングに入ると、二人掛けソファーの上に、ホットパンツ姿の金髪ロングの美少女ギャルが寝ころんでいる。
ギャル――姉貴は俺に気づくとすかさず眼を飛ばしてくる。超怖~い(現実逃避)。
「どうされましたか、お姉さま」
「キモい、普通に話せ」
「はい。それで俺に何か用?」
「あんた今日、疑似交際を申し込まれたでしょ」
「――っ!?」
なぜ、それを知っている。
いや、理由は明らかだ。
金沢先輩と姉貴は共に学内で有名人だった。
有名人同士、何かしらの繋がりができていても不思議ではない。
というか、俺の連絡先を先輩に教えたの絶対に姉貴だろ!
「確かに申し込まれたけど、それがどうかしたか?」
「断ったんだって?」
「ああ、俺なんかには荷が重いからな」
「あっそ。でも、さっきあたしがOKって言っといたから」
「――は?」
この女、今、何と言った?
「OKって、そんな権利ないだ――」
姉貴の剣幕が鋭くなり、言葉を引っ込める。
「あんたにだって、悪い話じゃないでしょ」
「いや、どこが」
「良い女避けになるわよ。あの子」
「女、避け……?」
「そう。あの子がいれば、クソ幼馴染の誘いも断れるでしょ」
「――っ」
クソ幼馴染というのは、姉貴と並んで俺を苦しめているもう一人の美少女のことだ。
どうやら姉貴の理屈では、金沢先輩と付き合うことで、彼女からの接触を避けることができるということになっているらしい。
「甘いな。そんなことで――」
「大丈夫よ。金沢真佳なら、あの女も諦める」
随分、評価が高いんだな。姉貴にしては珍しい。
だが、それでも確実性がない以上は無理だ。
「悪いな。今回ばかりは――」
「付き合ってる間、一切あんたに悪絡みしない」
「――っ」
今、信じられない言葉が聞こえた。
悪絡みをしないだと?
「嘘だろ、そんなの」
「嘘じゃないわ。何なら、母さんに私が手を出した時のペナルティを考えてもらってもいい」
昔から両親は俺を助けてくれない。女の理不尽さを小さい頃から身をもって知るべしというのが母親の教育方針で、母親の尻に敷かれている父親はそれに逆らえないのだ。
しかし、姉貴自身が手を出せないようにして欲しいと頼めば、母親の態度も変わるし、そうなれば姉貴も下手に俺に手は出せない。
三島家のヒエラルキーの頂点に君臨する母親には、姉貴とて逆らえないのだ。
「本気なんだな?」
「冗談でこんなこと言わないわよ」
「じゃあ、テストさせてくれ」
これで少しでも暴力に出たら、今の話はなしだ。
「今日の合コンはどうだった?」
帰宅が早かった時点で、ロクな男がいなかったのは間違いない。
暴力的な姉貴だが、求める男の理想像は高く、現在進行形でバージンロードを歩いているのが現状だ。
そういうわけで、クソみたいな男ばかりだった日は、すこぶる機嫌が悪い。
「おい、愚弟」
「――っ!?」
噴火寸前の姉貴の形相に、血の気が引く。
「私がキレる前に、さっさと失せろ」
一目散に俺は自室へ戻る。
自制できると証明されてしまった以上、俺に金沢先輩からの提案を断ることはできない。
これは、生まれた時から俺を悩ませていた問題の一つを、期間限定とはいえ解消できる、最大のチャンスなのだから。
保留にしてあった金沢先輩からの友達申請を、俺はとりあえず承認するのだった。




