第5話「黄金色の出汁と命の雑炊」
ミクは作業台の前に立つと、まず厨房に置かれている食材を一つ一つ目で追い、香りを嗅いで回った。
新鮮な野菜の瑞々しい匂い、スパイスの刺激、そして樽に詰められた穀物の素朴な香り。彼女の能力である神の舌は、それらの情報を瞬時に処理し、今作るべき料理に最適な組み合わせを弾き出していく。
『皇帝陛下は胃が極限まで弱っている。強い味や脂っ気は絶対にダメ。必要なのは、体を芯から温めて、すんなりと喉を通る深い旨味だけ』
ミクが選んだのは、日本の米によく似た少し粒が長くて丸みのある白い穀物と、鶏のガラに似た鳥の骨、黄金色の殻を持つ卵、そして青ネギにそっくりな香草だった。
それらの素朴すぎる食材を見て、見学していた他の料理人たちがヒソヒソとささやき合う。
「あんな貧相な材料で何を作る気だ」
「王宮の宝物庫には最高級のフカヒレやトリュフがあるというのに」
雑音をシャットアウトし、ミクは目の前の調理に意識を集中させた。
まずは出汁を取る。鳥の骨を水の張ったボウルに入れ、指先で丁寧に血合いや内臓の残りを洗い落とす。この一手間を省くと、スープに生臭さが残ってしまうからだ。綺麗に洗った骨を深い銅鍋に入れ、たっぷりの澄んだ水と、臭み消しのために少しだけ叩いてつぶした青い香草の根元を加える。
カチャリと火をつけ、最初は強火で一気に温度を上げる。水がフツフツと泡立ち始めると、表面に灰色の灰汁がふわりと浮かんでくる。
ミクは柄の長い銀の匙を手に取り、鍋に張り付くようにして灰汁をすくい続けた。澄んだスープを濁らせないよう、絶対に沸騰させないギリギリの火加減を保ちながら、根気よく汚れだけを取り除いていく。
静かな厨房に、匙がスープの表面を滑るチャプ、チャプという微かな音だけが響く。
やがて、鍋の底から立ち昇る気泡が細かくなり、透明だったお湯がうっすらとした琥珀色に染まり始めた。それと同時に、鳥の骨の髄から溶け出した濃厚で上品な旨味の香りが、湯気に乗って厨房全体に広がり始めた。
「……なんて澄んだ匂いだ。生臭さが微塵もない」
腕を組んで険しい顔をしていたバルトが、思わず一歩前へ出てつぶやいた。彼の鼻腔をくすぐるのは、派手な香辛料でごまかした香りではなく、素材の命そのものを極限まで引き出した純粋な香りだった。
出汁が完璧な状態に仕上がったのを神の舌で確認したミクは、骨を取り出し、そこに綺麗に研いだ白い穀物を入れる。お米が旨味たっぷりの琥珀色のスープを吸い込み、ふっくらと膨らんでいくのを鍋の縁から見守った。
水分がとろみを帯び、米粒がとろけるほど柔らかくなったところで、ミクは黄金色の卵を小さな器に割り入れた。箸で白身のコシを切りながら、空気を含ませるように素早くかき混ぜる。
鍋の火を少しだけ強め、スープが軽く波打った瞬間に、溶き卵を細い糸のように少しずつ回し入れた。
ふわり、と。
熱いスープの中で卵が黄色い花を咲かせるように美しく広がり、ふくらんでいく。すぐに火を止め、細かく刻んだ青い香草をパラリと散らした。
緑と黄色の鮮やかな色彩。出汁の深い香りに、卵の甘く優しい匂いが混ざり合い、胃の底から食欲を呼び覚ますような温かい湯気が立ち上る。
「温かい玉子雑炊の完成です」
純白の深い器にたっぷりとよそい、蓋を閉める。
その見事な手際と、厨房を満たす圧倒的な香りの前に、バルトも他の料理人もただ立ち尽くしていた。誰の目にも、それが弱りきった体を癒やすための、至高の一杯であることが理解できたからだ。
「……これを、陛下のもとへ」
バルトの声には、先ほどまでの刺々しい棘はすっかり抜け落ち、かすかな希望の震えが混じっていた。ミクは小さく頷き、温かい器を乗せた盆を両手でしっかりと持ち上げた。




