第2話「騎士と鳥肉の香草焼き」
ぽっかりと開けた森の広場の中央で、巨大な生物が地に伏せていた。
ダチョウを三回りほど大きくしたような、黒い羽毛に覆われた鳥の化け物だ。鋭いくちばしの先からは、どす黒い血が地面に滴り落ちている。
そしてそのそばで、長い剣を杖代わりにして息をついている一人の青年の姿があった。銀色の鎧を身にまとい、無造作に伸ばした金髪は汗で額に張り付いている。年齢はミクと同じか、少し上くらいだろうか。
「ふう、やっと片付いたか。危ないところで腕を持っていかれるかと思ったぜ」
青年は剣についた血を布で拭き取りながら、ポツリとつぶやく。その声は明るく、激しい戦闘の後だというのにどこか余裕すら感じさせる。
ミクは思わず息を呑んだが、足元にあった枯れ枝を踏み折ってしまった。パキリという乾いた音が静かな森に響き渡る。
「誰だ!」
青年が鋭い視線をこちらへ向け、剣を構え直す。ミクは慌てて茂みから両手を上げながら転び出るようにして姿を見せた。
「あ、怪しい者じゃありません! ただの迷子です」
銀色の鎧を着た青年は、ミクの奇妙な服装を上から下まで値踏みするように見つめると、ゆっくりと剣を下ろした。
「なんだ、こんな森の奥深くに女の子が一人で。魔物に食べられちまうぞ。俺は王宮護衛騎士のアルフだ。あんた、名前は」
「神谷美紅です。あの、ミクって呼んでください。気がついたらこの森に倒れていて、右も左もわからなくて」
アルフは困ったように頭をかきむしった。
「そいつは災難だったな。ここは帝都から少し離れた魔の森だ。一般人が入ってくる場所じゃないんだが……まあいい。俺の任務も終わったし、街まで送ってやるよ」
その言葉に、ミクはほっと胸をなでおろした。どうやら危険な人物ではないらしい。
ふと、ミクの視線がアルフの足元に置かれた革袋に向かった。そこからわずかに覗いているのは、黒く干からびた石のような物体だった。
「あの、それは……?」
「これか? 携帯食料の干し肉だよ。任務中はこんな硬くて味気ない塩の塊をかじるしかないんだ。腹は膨れるが、砂を噛んでるみたいでちっとも美味くない」
アルフが顔をしかめながら干し肉をかじってみせる。その瞬間、ミクの「神の舌」がまたしても鋭く反応した。
『保存性を高めるために塩漬けにしてから乾燥させてるだけ。肉の旨味が全部抜け落ちて、ただのしょっぱい繊維になってる……』
料理人を目指す者として、そんな悲しい食事は見過ごすことができなかった。ミクは倒れている巨大な鳥の魔物と、周囲に生えている草花を素早く見渡す。頭の中の引き出しが次々と開き、最適な食材の組み合わせがパズルピースのようにカチリとはまっていく。
「あの、アルフさん。街に帰る前に、少しだけお時間をいただけませんか。私、美味しいご飯を作りますから」
「は? ご飯って、ここでか? 食材なんて……」
「ありますよ、目の前に極上の鳥肉が」
ミクは鳥の魔物を指さして微笑んだ。アルフは目を丸くしたが、ミクのあまりに自信に満ちた表情に押し切られるようにして頷いた。
ミクはアルフから短いナイフを借りると、鳥の魔物の太もも部分から、まだ温かい赤身の肉を丁寧に切り出した。弾力があり、新鮮な証拠に美しいサシが入っている。
『この肉は魔力を含んでいて筋が硬いけど、火を通せば驚くほど柔らかくなる。臭み消しには……あそこにある草が使える』
森の片隅に生えていた、ギザギザとした葉を持つ野草を摘み取る。鼻を近づけると、ローズマリーとレモンを掛け合わせたような爽やかな香りがした。
アルフに手伝ってもらって小さな焚き火を起こし、平らな石を火のそばに置いて熱する。石が十分に熱を持ったところで、ナイフの背で叩いて繊維をほぐした鳥肉を乗せた。
ジュワァァァッ!
激しい音とともに、肉から透明な脂が溢れ出し、熱い石の上で跳ね回る。脂が炭に落ちて焦げる香ばしい匂いが、瞬く間に周囲の空気を満たしていった。
アルフの喉がゴクリと鳴る音が聞こえた。
ミクはアルフが持っていた岩塩をナイフの柄で細かく砕き、パラパラと肉の表面にまぶす。さらに、先ほど摘んだ香草を石の端で軽く炙り、肉に香りを移していく。爽やかな柑橘系の香りが獣肉特有の臭みを見事に中和し、食欲を刺激する暴力的なまでの匂いへと変化させた。
「裏返しますね」
木の枝で作った即席の箸で肉をひっくり返すと、表面は見事なきつね色に焼き上がっていた。肉汁がぷくぷくと表面で泡立ち、はち切れんばかりに膨らんでいる。
「よし、完成です。熱いうちに食べてみてください」
切り分けた肉の一切れを大きな葉に乗せてアルフに渡す。彼は信じられないものを見るような目で肉を見つめ、恐る恐る口に運んだ。
その瞬間、アルフの動きがピタリと止まった。
目を見開き、もぐもぐと咀嚼するたびに、彼の顔に衝撃と歓喜の色が広がっていく。
「な、なんだこれ……! 肉がとろける! 噛むたびに熱い肉汁が口の中に溢れ出して、それにこの草の香りが、肉の脂っこさをさっぱりさせて……塩しか使ってないのに、なんでこんなに深い味がするんだ」
アルフは叫ぶなり、残りの肉も次々と口に放り込み、あっという間に平らげてしまった。口の周りに脂をつけながら、彼は息を荒げてミクに向き直った。
「ミク! お前、とんでもない料理の腕だな。こんな美味い肉、王宮の晩餐会でも食ったことがないぞ」
「ふふ、お口に合ってよかったです。火加減と、お肉の下ごしらえに少しコツがあるんです」
満足そうに微笑むミクを見て、アルフは突然、真剣な表情になってミクの両肩をガシッと掴んだ。
「頼む、ミク! 俺と一緒に王宮に来てくれ」
「えっ? 王宮って……お城ですか」
「ああ。実は今、皇帝陛下が深刻な食欲不振で、倒れる寸前なんだ。どんな高級食材を使った料理も受け付けなくて、水さえ吐き出しちまう。だが、お前のこの料理なら……お前が作る美味い飯なら、陛下を救えるかもしれない」
アルフの瞳には、主君を想う切実な光が宿っていた。
迷子の身でいきなり王宮などと言われて戸惑いはしたが、料理で誰かを救えるかもしれないという言葉に、ミクの料理人としての魂が静かに熱を帯びた。
「わかりました。私でよければ、力になります」
こうして、平凡なOLだったミクは、思いもよらない運命の渦へと巻き込まれていくことになった。




